第6話

1週間後の木曜日。


僕は会社に出勤してフロアに入った途端、周囲がひそひそとこちらを見ながら冷たい目線を送っていた気がした。


「芹沢、ちょっといいか?」


凄まじい形相をしながら部長が僕を呼び出し、ミーティングルームへ入ると、ガラス張りの壁のシャッターを下ろして、腰をかけてほしいと告げてきた。


「何でもっと早く教えてくれなかったんだ?」

「何をですか?」

「加奈さんと婚約破棄したって。今まで黙ってたのも、なんのつもりだったんだ?」

「すみません。お互いにすれ違いが出てきて結果的に別れたんです」

「役職の人にも披露宴を出てもらうように頼んであったんだぞ。胃が痛くて何て言えばいいか悩むなぁ…」


胃が痛むどころか心身ともに爆破して木っ端微塵になったのは僕の方だ。

部長に自分から役職者に報告すると言ったらぶん殴られるからやめておけと返答された。

面目丸潰れになる前に事を綺麗におさめるからいつも通り大人しくしていて欲しいか。


そこまで盛大にやろうとしていたのかと考えてみると、申し訳ない感じもしてきたが、こちらはこちらの都合だ。

もう終わった事だしいつまでも引きずるなんて有り得ない。


そうだ、僕は蒼に出会ったんだ。

彼の事を知らずに…いや、あの時助けてもらえなかったら、本当に今頃はあの世、もしくは地獄に行っていたに違いない。


仕事の合間にスマートフォンが気になって仕方がなかった。

隙を見て席を立ち、エレベーターの近くの喫煙室に入り、蒼にメールをした。

するとタイミングよくすぐに返信が来た。


"僕も芹沢さんに会いたい。また飯でも食べに行きたいです"


"急だが、今夜はどうだ?"

と、メールを送ると、数分後に再び返事が来て、

"新宿で食事をしたい。知り合いが経営している店がある。一緒にどうですか?"

"分かった。東口の広場で待ち合わせしよう"


再びデスクに戻ると、いつになく胸の奥が何かに掴まれた感じになっていた。

女子じゃあるまいし、何にをこんなにときめいているのか。


もしかして、僕は蒼に相当会いたがっていたのだろうか。


退勤後、新宿駅に着くと連絡口が身動きが取れないほど人で溢れかえるなか、なんとかかき分けながら広場まで出た。


その15分後に蒼が駆けつけて来た。デパートの裏通りに入っていくと、更に狭い路地を歩き、古民家のような建物に着いた。


京おばんざいを使った和食のお店だった。

中に入ると店主が出迎えてくれた。カウンター席に座ると、お通しを出してくれた。

聞くところによると、この店は蒼の父親が店主と顔見知りで、その縁で年に数回は訪れているという。

日本酒、そして京野菜を使った惣菜などが並び、美味しそうな湯気が立ち込めていた。


「落ち着いた所の方が良いと思って。どうですか?」

「うん。にぎやかなところよりは、安心する」

「しばらく連絡できてなくてすみません」

「忙しかったのか?」

「ええ。繁忙期でもあるんで、返事を返すのも遅くなったんです」

「何かあったのかと思った。直接顔を会ったら、なんかホッとした」

「そんなに会いたかったんですか?」

「市川の駅で飛び込もうしたその日に、元カノと別れてさ。それからしばらく独りでいたから、誰かとゆっくり飯でも食べに行きたいなって思っていた時に、成澤さんが思い浮かんでさ」

「そう言われると、なんか人助けした甲斐があったなって思いますね」


酒と食事を交えながらお互いの仕事の中心に会話が弾み、あっという間に時間が過ぎていった。


食事が終わり店主に挨拶をして、会計を済ませ店を出た後、まだ止めどなく群がる人混みの中に入りながら、改札口に行こうとしたら蒼が僕の自宅に行きたいと言い出した。


明日も仕事だろうと問うと、一泊させてくれと告げてきたので、とりあえず承諾はした。


自宅に着いて玄関のドアを閉めたその時、僕の背中に蒼が後ろから抱きしめてきた。

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