第13話
胸が悪くなる、すえた匂いが染みついた路地裏に三人の女が立っていた。
入れ墨をした女と、体格が良い女は、痩せた女に、時折脅すかのように距離をつめ、罵声を浴びせている。
トンプソンエリアにおいて、日々当たり前にみる光景だ。路地裏のやりとりを見たとしても、誰も気にもとめないだろう。
それ故に、脅す側の人間もおおっぴらに暴力をちらつかせる。全身に入れ墨をした女が嗜虐に笑みをほころばせながら、痩せた女を殴った。
「うっ……」
殴られた女はうめき声を上げて崩れ落ちた。
殴られた頬が赤く腫れている。女は痛みに涙ぐみながら、頬に手をやった。
涙目で見上げている女をよそに、脅しをかけている女たちは軽い調子で話していた。
「ウインドミルがまるごと消えるなんておいしいこと、ほんとにあるんですかねえ」
入れ墨の女は胡散臭げな表情で言う。
「さあね。だが頭のヴァンが死んだのは確かっぽいよ。おかげで、ほら」
体格の良い女はへたり込んでいる女の腹を蹴りあげた。
「ぐうっ……」
うめき、咳き込んでいる女を見下す二人。
「ウインドミルの縄張りだってのに誰もやってこないだろ」
いつもならとっくにかすめ取られてる。と女は笑った。
「そうですねえ。代わりに我々がここのショバ代をいただくって寸法ですかい」
「ま、そうなるね。それをこの女――」
痩せた女はおびえる目で後ずさる。暴力になすすべのない弱者の目だ。
「ああ、探しましたよ、ヨルダンさん」
脅しをかけられている状況が理解できていないのか、表からのんきな男の声がした。
「あ……」
痩せた女は一縷の望みで声の方へ手を伸ばす。
「男?」
入れ墨女は困惑していた。
……この状況が見えないのか? 男がここに入ってきてどうするつもりだ。そもそも、男に助けを求めてどうするんだ?
そんな混乱を見て取った体格の良い女は、自分が動くしかないだろう、とため息一つ。
痩せた女の前に立って、男へ手を伸ばした。
「悪いが立ち入り禁止だ。出直してくるんだな」
それは倫理観のないチンピラのなけなしの良心だったのか。暴力沙汰に男を巻き込まないという配慮がそこにはあった。
「状況が悪そうですね」
などと言いながらも、男は足を止めず、制止の声をかけた女の側頭部をつかむと、勢いよく壁にたたきつけた。
女の側頭部が壁にひび割れを作りバウンドする。
「なっおまっ」
うろたえる入れ墨女。
気絶した体格の良い女を、男は入れ墨女へ投げつける。
「姉貴――」
女は慌てふためきながらも、素直に受け取る。不用心にも、視線が気絶した体格の良い女に向けられ頭が下がっていた。
「実は警備として雇われてまして」
穏やかな男の声が上から降ってくる。
入れ墨女が反射的に男へと顔をあげると、振り上げられた男の筋肉質な足が目に入った。
「は――」
呆然とした女と目が合った男はニコリと笑って、振り下ろされた踵が女の顔面を打ち抜いた。
パガン、と小気味好い音が路地裏に響いた。
「お店にいらっしゃらなかったので探しに来ましたよ」
男は這いつくばるヨルダンに手を差しのばす。
「あ、ありがとうございます」
ヨルダンは震える手で、男の手を取った。
「本当に、お強いんですね」
ヨルダンの安堵の声に、男――オーガストは軽快な笑い声で答えた。
「弱い相手を倒す程度にはね」
「ははは……もう駄目かと思いました」
冗談と受け取ったのか、ヨルダンは軽い笑みを浮かべて、立ち上がる。
「ずっと用心棒を続けていても良いのですが、それよりも騎士を頼った方が良いでしょう」
オーガストはそう提案するが、ヨルダンの反応はいまいちかんばしくなかった。
「騎士……ですか」
「ええ。治安を守るために動いてくれるでしょう」
「それは――どうでしょうね」
ヨルダンは暗い顔でつぶやいた。
「これからもっと治安は悪くなっていくでしょう。なぜだと思いますか」
「最大勢力がいなくなったから、でしょうか」
「ええ。それを引き起こしたのが騎士……だと噂されています」
「ただの噂では?」
「だと良いんですが。エレナ・トンプソン……彼女はトンプソンエリア出身ですから、どこかの勢力に加担して今回のことを引き起こしたのかも」
「あの真面目なひとがそのようなことをするでしょうか」
「トンプソン出身に真面目な人間なんていませんよ」
実感のこもった一言である。何を馬鹿なことを、とヨルダンの目は語っていた。
王国のゴミ箱と称されるだけあって、どこまでいっても名前はついて回るらしい。
「だとしても、他の騎士に頼めば何かと便宜を図ってくれるのではないでしょうか」
「それは……いえ、やめた方が良いでしょう」
「信用できませんか」
「ええ。ウインドミルなんて、チンピラの集まりが最大勢力になったのも、騎士との癒着がそもそもの始まりですし……」
「……」
エレナ・トンプソンという女は極めて真面目な質をしていたから、他の騎士も真面目だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
こんな場末の女ですら癒着のことを知っているくらいなのだから、有名な話なのだろう。
「いえ……忘れてください。こんなことを話していたなんて、騎士に知られればそれこそどんな難癖をつけられるか」
「難癖、ですか」
「ええ。騎士が気に入らない者を潰すなんて茶飯事ですよ」
「王国に仕える騎士なのに?」
オーガストの疑問に、ヨルダンは微笑ましそうに笑った。
素朴な疑問だとでも言いたげである。
「ここはトンプソンですよ。まともな人間が来るわけ、ないじゃないですか」
「……」
王国に仕え、エリアを守護する騎士が腐っていることに何の疑問も抱かないのが、ここでは普通らしかった。
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