第12話

 乾いた空気が、瓦礫の中から埃を舞いあげて、散らせていく。


 細かい埃が、倒れ伏した女に積もり、風化させていくようだった。


 屈強な男と、清廉な女が話している中、音もなくそれは立っていた。


 起伏のないのっぺりとした人型の生命樹。


 精気というものが感じられず枯れ木のようなそれに二人は気づかない。


 それは静かに倒れ伏したヴァンを見つめていた。


「残念です」


 生命樹から女の声が漏れる。


 特に残念がっていないそのつぶやきがオーガストとエレナの耳に届いた。


「いつのまに……」


 エレナが驚きを見せる中、オーガストは臨戦態勢でエレナをかばうように一歩前に出る。


 だが、女は二人を気にもとめず、ヴァンを見つめ続けている。


「ですが、こうなった以上は諦めてください。負けた貴方が悪いんですよ、ヴァンさん」


「やめろ!」


 エレナの制止もむなしく、女は、ヴァンの胸に腕を突き立てた。


 ずぶりとヴァンの胸を腕が突き破る。


「……」


 ヴァンは声を上げることなく、呼吸を止めた。


「本当に、残念です」


 女が腕を引き抜くに合わせて、ヴァンの胸から血が噴き出す。


 瓦礫の中に落ちていき、砂は貪欲に、貴重な水分として飲み干していく。


 女の指先には、種子が握られていた。


 気づけば、ヴァンが身にまとっていたケセドが枯れている。


「何のつもりだ」


 珍しく剣呑な男の声。


 そこで初めて二人の存在に気づいたかのように、顔を上げて立ち上がった。


「せめて私がいる時に襲撃されていたのなら、助けてあげることもできたんですけどね」


 さも悲しんでいると言いたげに、わざとらしく首を振り、少しうつむいてみせる。


「殺したのはお前だ。……そいつはまだ生きていただろう」


「もちろん。ですが、気絶したとあってはどのみち助かりませんよ」


 そう言って、女は種子を見せびらかすように手をふる。


「制御を手放せば食われて死ぬのがオチですので。むしろ、苦しみから解き放ったと思っていただきたい」


「意識を取り戻すなり、方法はあったはずだ」


 ――殺さずとも。


 その思いを、女は鼻で笑った。


「そこまでします? 私は嫌ですよ」


「……」


 外道、という言葉がエレナの頭に浮かび上がった。


だが、その薄っぺらい利益のみの関係は、トンプソンエリアで生きたエレナにとって身近なものだった。


 その光景は、外道とあえて罵るには親しみがありすぎた。


「お貸ししていた物を返していただけたので、私は帰ります」


 女は二人に敵意を向けることなく、優雅に頭を下げた。


「お前は何が目的なんだ。ウインドミルの構成員じゃないのか」


「ただのビジネスパートナーですよ。目的は今し方見ていただいたように、レンタルされていた物をご返却していただくためにうかがったのです」


 オーガストの探るような目に、女は慌てて手を振った。


「私はただのセールスマンですよ。裏を怪しまれても困ります」


「……」


「ただ物を貸していた私を怪しむ前に、やらないといけないことはたくさんあるでしょう。そちらを優先しては如何?」


 オーガストはエレナに視線を送った。


「そう思うなら、さっさと行ったらどうだ」


「いやはや、そうさせていただきます。それでは、ごきげんよう」


 女はもう一度礼をする。


 女が瓦礫の山から飛び降りたときには、気配は闇に消えていた。


「何者だ、あいつ……」


「騎士である貴方が把握していないというのは不気味ですね」


 警戒心を尖らせるエレナに対し、オーガストはそこまで興味がないのか緩い相づちを返した。




「懸念事項はあと一つ」


「貴方を襲った相手ですか」


 二人は瓦礫の山を後にして、帰路の道すがら話していた。


 エレナは疲労困憊といった風で、時々歩く足に力が入らずよろけていたが、その度にさりげなくオーガストに支えられていた。


「……」


 支えられる度、無言で頭を下げるが気まずいものがあるのか軽く赤面して、わざとらしく咳払いをして話を元に戻していた。


「ウインドミルに雇われていたのなら気にすることはないが――そうであれば威嚇のために名前を出すだろう」


「そうですね。組織として恐れられることを第一にしているようですから」


「そう、だから違うと思う」


 と行ったところで、宵闇の空が白んできた。夜明けだ。


「何にしても今日は解散だな。大目的は果たせた。言うことなしだ」


「念のため、こちらでも警戒はしておきます。しばらくはカスターを呼ぶのもやめておいた方が良いかもしれませんね」


「そうしてくれ」


 エレナは日が顔を出したことで、気温が少し上がっていくのを肌で感じていた。


 緊張もほぐれていく気分だ。どっと疲れが増したように感じる。


「帰ろう。さすがに体力も限界だ」


「ええ。お疲れ様でした」


 二人は軽く労いの言葉をかけつつ、ふらふらと歩いて行く。


 夜明けとはいえ、人が活動しはじめる時間まで、まだしばらくある。


 ――どこまでごまかせたものか。


 エレナは半壊した騎士服を手で引っ張りつつ、騎士団長の目をごまかす手立てをあれこれと考えていた。




 いつも身なりを整え、軍人然としたエレナ・トンプソンらしくない風体だった。


 髪はとかしておらずボサボサで寝癖がついている。


 服は騎士服を着ているものの、いつものように完璧に整えられたそれではなく、妙にだらしなく仕立てが甘い。


 目には隈。けだるげな雰囲気が隠し切れていない。


「何があった」


 顔を引きつらせ緊張した面持ちで騎士団長のユーライアは言った。


 幸いなのは、この姿を目撃したのは騎士団長ただ一人なことだ。


 他の騎士は、昨夜の建物倒壊およびにウインドミル壊滅を受けた騒ぎに引っ張りだこでサボるいとまがないらしい。


 寄宿舎はいつもの淀んだ空気はなく、がらんどうとしている。腐りきった騎士がほとんどいなくなれば、建物にも清涼が吹くことをエレナは初めて知った。


「嫌がらせが続きました」


 空々しい言葉だった。エレナの疲れようと身なりは明らかに度が過ぎている。


 身一つで成り上がり、なお周りを気にしない女の言葉としてはあまりにも苦しい。


「……騎士服も破壊されてしまいました。経費落ちますでしょうか」


「馬鹿をいえ」


 ユーライアは逡巡を見せる。


「騎士服が嫌がらせごときで壊されてたまるか」


「はあ……」


 生半可な返事である。エレナのこのような態度はユーライアとしても初めてみるものだった。


「ですが、この通りでして」


 エレナは足下に置いてある袋から、今にも塵となって崩れそうな騎士服を取り出した。


「どうやったんでしょうね」


 エレナは首をやれやれと振って見せた。だがどうにも演技じみている。


 ユーライアは半目でエレナを睨む。


「……昨夜、どこにいた?」


 エレナが寄宿舎にいなかったことは、証言がとれている。


 私服で抜け出したらしいことは調べがついていた。足取りが追えた限りでは、私服でバーを梯子しつつ、安酒をたらふく食らっていたらしい。


「謹慎中ですので、屋根の上で寝ていました」


「浅い嘘をつくな。抜け出したことはわかっている」


「……」


 気まずそうなごまかす笑みを浮かべるエレナ。


「いやー、あの……バーでやけ酒をしてました」


 しどろもどろになって弁明する姿はいかにもそれっぽい。が、このエリアに飛ばされた騎士であるならばの話だ。トンプソンエリア出身ながらにくそ真面目な女だと市民ですら噂にあがる。嘘も下手だし、ごまかすのも下手。そういう風に見える。


 ――本当に?


「……」


 エレナは目をそらしたまま気まずそうな顔で寝癖を押さえつける。


「もういい。今日は寝て体力を回復してなさい。謹慎は取り消す。明日から働いてもらう」


「は……」


 エレナは意外そうに目を丸くしつつ、反射的に背筋を伸ばす。


「人手が足りないんだよ。ウインドミルが崩壊したせいでこれから治安も悪くなっていく」


 団長は忌々しそうに顔をゆがめた。


「昔に逆戻りだ」


「そうはなりません」


 エレナは先ほどの様子とは打って変わって、気力がみなぎっていた。


「犯罪組織は徹底的に滅ぼします。影に隠れておびえることしかできないように」


「誰がやるんだね」


 ユーライアは呆れ混じりに首を振るがエレナは大真面目に頷いた。


「無論。騎士の役目でしょう」


「馬鹿いえ。そんなくそ真面目な女はキミしかいないよ」


 ユーライアは呆れ混じりのため息を漏らして、椅子の背もたれに体重を預けた。


「キミしかいないから、人手は足りない。人手が足りないのなら、無闇にかき回すべきではない。治安が余計に悪化するだけだ」


 騎士団長は冷め切った目でやる気をみなぎらせる部下に視線を送った。


「出て行きたまえ。余計なことはせず、明日に備えておくことだな」


「はっ……」


 エレナは敬礼して部屋を出て行くのだった。


「……ふん。馬鹿みたいだ」


 騎士団長は一人ごちる。






 ぎし、ぎし、ぎし……。椅子がたわんで音と立てる。


 女は、童が遊んでいるみたいに椅子に体重をかけて、椅子を浮き上がらせていた。


 しかし、半壊した仮面の奥に潜む瞳にあどけなさはない。あるのは、空虚さだけだった。


「それで」


 ぎし。音が止まる。足の先で気怠げに立っている女に目線をやった。


「はあ。ですから、彼女が犯人ですよ」


 女はやる気なさげに言う。殺気にも似た、冷たい空虚さが部屋に満ちているが、まるで気を払っていなかった。


「態々確認する必要があります? 貴方の懇意にしていた組織は潰れましたし、ここらが引き際なのでは?」


「黙れ」


 感情的な一言ではなかった。ただ、煩わしいからつぶやいたような、そんな程度の一言。


「というか、正体を隠すのはやめるんですか。困りますね、活動するなら顔を隠していただかないと」


「これか」


 半壊した仮面を手に取って、机に投げ捨てた。


 ぱん、と軽い衝撃と共に仮面は砕ける。


「あ、ちょっ……勘弁してくださいよ」


 手を伸ばすも、間に合わず砕ける仮面。女は怨めしそうに声を上げた。


「作り直すのがどれだけ手間だと……」


「こんなもの、隠しているという意思表示に過ぎない。正体なんてお前も、あの女も分かっていたはずだ」


「仮面を外されては私が困るんですよ。今更正体を明かしていいものでもないでしょうに」


「隠す必要がなくなっただけだ。お前に知られたとて不都合はなく、お前以外に私を知る者は死んだ」


「だからと言って弱みを見せるのはどうなんですかね。私が何らかの理由で貴方を陥れることだってあるでしょうに」


「ふん。お前の戯れ言を本気にする者なんぞいないよ。それに、知られたからといって誰が何をするっていうんだ」


 くだらないことを聞くなとばかりに切って捨てる言葉に、女は断言した。


「いますよ。ひとり」


「ああ、やはり彼女か」


 椅子に座す女は、何かに納得したかのようにつぶやいた。


「何です。始末でもつける気ですか。ずいぶんと優秀な騎士のようですが」


「それを決めかねてる。始末すべきか、泳がせるべきか」


 女は目を閉じて、続ける。


「だが、このまま突き進み害をもたらすのであれば始末するべきだろうな」


「何をおっしゃるのやら。あのチンピラどもを拡大させた人が言うことですか」


 女は身勝手な言い分に呆れて首を振った。


「おかしな話か? 私は一環して私のやるべきことをやってるにすぎないよ」


「やれやれ……」


 女はため息を吐いた。


「それで、何用です? 態々犯人を確かめるためだけに呼んだので?」


「そうだ」


 バッサリと切る女。


「今のところは、これ以上の用事はない」


「あのですね。私は貴方の下僕ではないんですが? あまり便利使いされても困ります」


「そうか。だが、騎士団長の私が裏から手を回しているから上手くいっているのだろう。その見返りに小間使いくらいこなすべきだな」


「ううん……。そう言われると弱いですね。王国の自治に不和をもたらしたくはないのは確かなんですが……」


「ならばいいだろう。また何かあったら頼むよ」


 騎士団長は腰を上げて、女の肩をねぎらうように叩いた。


「私共は中立でいたいのですよ。ただの商人なのですから、節操なく売り買いする立場でないと困るのです」


 女は、嫌そうに肩に乗った手を払いのけて言った。


「得意先に便宜は図るべきだよ。商人というならば、ね」


 脅しともとれる発言だったが、その言葉に圧はない。


 騎士団長は表面に薄く張り付いた笑みで女を見ていた。

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