第10話

「所詮は屑の集まりか」


 エレナは呆れて首を振った。


「もっと時間がかかるかと思いましたが、すぐに割れましたね」


 椅子に縛り付けられた女はおびえた目でエレナとオーガストをうかがっている。


「しゃべったんだから、見逃してくれますよね、ね?」


「しかし、あの生命樹をまとった女を逃がした以上、こちらが奴らの根城を把握したことも悟られているだろうな」


 どうしたものか、とエレナは腕を組んだ。


「尋問しておいて何だが末端を拾い上げてもどうにもならんか」


「真正面からいくわけにもいきませんし、闇討ちも、知られていれば意味をなしませんね。そもそも、逃げていないとして待ち伏せされている危険性が高いでしょうし」


「あ、あの……」


 縛られた女が震えながら言ったが、各々考え込んでうつむくばかりで、ちらりとも視線を送らない。


「あ」


 オーガストが何かに気づいたように顔を上げた。


「どうした」


「このままウインドミルの構成員を削り続ければよいのではないでしょうか」


「途方もないぞ。それにやつらはキミの闇討ちを警戒して姿を隠してる」


「いえ、ウインドミルは襲撃を恐れているというならば、そのまま情報を流してしまえば良いのです。男の襲撃に恐れているなどと噂されれば、組織としての面目が立ちませんし、削り続ければ、他の組織に狙われて瓦解するかもしれません」


「ううむ……」


 エレナはうなった。あまり芳しくない顔色である。


「それはキミが危険すぎる」


 今まで以上に躍起になってオーガストを探すだろう。


 そして、多勢に無勢と囲まれてしまえば、身を滅ぼす結果が見えている。


「いざとなれば、エリアから離れれば良いのですよ。私はここ出身ではありませんから。逃げれば良いのです」


「その決断ができるなら、今からでもここから立ち去れ」


「路上の寝泊まりはまだしも、職がありませんので、泥沼の生活ですよ」


 オーガストは半分笑いながら、続ける。


「私が女であれば、肉体労働なども可能でしょうが。まあ、男娼という手もありますが、それをするにはまず筋肉を落として、脂肪をつけないと」


「もういい」


 あけすけと言い過ぎだ。


 エレナは困惑を隠すように、頬を掻いた。


「そういうわけなので、ギリギリまではここで抵抗していたいものですね」


「わかったと言ってるだろう」


 エレナは手のひらをオーガストに突き出して止めた。どうやら本当に気まずいらしい。


 オーガストは話題を戻すためにも威勢良く両手を打った。


「それでは、盛大にいきましょう」


「あまり治安を乱すような真似はしたくないのだが……仕方ない、か」


 乗りかかった船だ、と言っていいものか。一市民に入れ込みすぎではないか? 一市民を助けるために騒乱を巻き起こすことは、騎士としての一分を超える行為ではないのか?


 エレナはその疑問に半ば無意識的に目をそらしていた。


 治安維持が騎士の本分である。本来であれば、率先して騒乱を起こすなどとんでもないことだ。


 たとえ、男が一人犠牲になろうとも、大衆をとるのが騎士である。


 騎士とは、市民に仕えるものではなくエリアに仕えるものだ。


 特にこのエリアでは、身分がはっきりしないものが多いため市民など物の数ではない。切り捨てるのが筋である。


 一人を救うためにどこまで大勢を巻き込むことに正義はあるのか。その答えをエレナは持っていない。




 その日、身体に風車を刻んだ女たちが、路上で縛られているのが発見された。


 大勢の人々がそれを見て、嘲笑する。


 女たちは、裸で、土下座するかたちで放置されていた。額に貼り付けられた紙には、私は男に良いようにされました、と書いてある。


 彼らの誇りであるはずの風車の入れ墨も貶すために無残な落書きが施されており、それはもう無残な有様になっていた。


 縛られた女たちは人が集まってきたせいか、なおさら募る羞恥で顔を上げられず、無言で這いつくばるばかりだった。


 それは同じく風車の入れ墨をした人間がやってくるまでの間、ずっとさらされ続けていたのである。


 トンプソンエリアで一番栄え恐れられていた組織は、この日から少しの嘲りが視線に混ざり始めるのだった。




「キミね」


 騎士団長――ユーライアは呆れ返っていた。それもそのはずである。治安が悪化する要因となった、連日続くウインドミルの構成員のつるし上げを行っているという目撃証言がちらちらと上がり始めていた。


「騎士がこういうことしちゃあ拙いでしょうが」


「は、いやしかし……」


「いやしかし、ではないんだよ」


 なんと言い訳しようとしたのか、それも団長は切って捨てる。


「騎士の本分はなんだね。言ってみなさい」


「市民に対する安全の保証です」


「そうだね。端的に言えば治安維持が第一だ。こんな掃きだめではね、確かに手が回らず無理なのかもしれない。でもね。こういうことしちゃあ拙いでしょ」


「……」


「キミが関わってないという意見もある。だがね、そういう目を向けられてること自体が問題なんだ」


「は……」


 エレナは返事をして、目を瞑った。下手な言い訳は逆効果だと考えたのだろうか。その心中をユーライアは察することができなかったが、おもねる場面ではないのは確かである。


「キミはこのトンプソンエリアの中でも極めて真面目だったね。それはここ出身であるが故の義務感からなのかもしれない。理由はなんでもいいんだ。重要なのは、真面目だった騎士が、なぜそういうことをしたのか、という市民の目だ」


 エレナは目を瞑ったまま反論しない。言われるがままだ。


 ユーライアはため息を零して言った。


「しばらく謹慎だ。キミが本当にやったのか、あるいは無関係なのか。それはキミしか知りようのないことなのだろう。だが、しばらく世間の噂にならないところで、じっとしていなさい」


「謹慎……」


 エレナは目をうっすらと開けて、つぶやいた。


「騒動が収まるか、噂が風化するか。あるいは、犯人が捕まるか、真実が白日となるか。いずれにせよ、何らかのアクションがあるまでが期限だ」


 ユーライアは立ち上がり、窓際に立った。


「納得がいかないのであれば、働きずめのキミに対する休暇とでも考えておくといい。とにかくおとなしくしておくことだね」


 不承不承に敬礼を返すエレナの姿を横目に、騎士団長はつぶやいた。


「今まで小康状態だったのだが――荒れそうだね。さて、どう対処するべきか……」


 己の背にもう一度、敬礼をして部屋から出ていく部下に聞かせるわけでもなく、ユーライアは独りつぶやいたのだった。




 ――予想外だった。


 顔と身体を隠して誰だかわからないようにしていたつもりだったが。


 エレナは反論しなかったのではなく、反論できなかったのだ。


 なぜならば、すべて事実だったから。


 最大限注意を払い、襲う時も、晒す時も身元がわからないように動いたつもりだったが……。人の噂というのも馬鹿にできない、ということか。


 このような狭いコミューンにおいて、常に人の目にさらされる立場である以上、よからぬことをすれば、いつかは誰かが見ている。


 ――どうしたものか。


 エレナが憤然とした雰囲気で宿舎を歩いていると、手に酒を持って、壁にもたれかかった先輩の騎士が、手を上げた。


「よお」


「……」


 エレナはいやな顔を隠そうともせず、しかしその場で立ち止まった。


「真面目ちゃんだと思っていたが、案外かわいいところがあるじゃねえか」


 ケケケとやる気なさげに笑う。


「何のご用ですか。ラクーシャさん」


「お前が謹慎を食らうと聞いて笑いに来たんだよ」


 ラクーシャは酒を上機嫌であおる。すでに酩酊気味なのか、口の端から飲み込みきれない酒がこぼれ、服をぬらしていた。


「ようがないのであれば、これで失礼します」


 見切りをつけて去ろうとするエレナの肩をよろけつつもつかむラクーシャ。


「まあ待て。お前がウインドミルに手を出したとは思わん。ここ出身のくせにくそ真面目な馬鹿だからな」


「……」


 エレナはラクーシャの真剣な表情を流し見た。


 ――残念ですが私が主犯ですよ。


 トンプソンエリア出身者が、真面目なだけなはずはない。真面目さというのは、人に食い物にされる大きな要因になり得る。


 中には頭を下げて怯えるだけの日々をくらす者もいるが、騎士にまでなりあがったエレナがそんなおとなしいはずもない。


「お前が騎士見習いでここ以外を転々としていたから知らないだろうが、ここ数年でウインドミルはこのエリアのかなめにまで成長した。他組織が無視できず、無軌道に暴れ回るようでいて、利益のために秩序をそれなりに保たせている。騎士なんかよりもよほどな」


「確かに。私が騎士になる前よりも治安はよくなっています。そしてウインドミルなんて数あるチンピラ集団の一つでしかなかった」


 騎士になる前にその名を聞いたこともなかったのだから、吹けば飛ぶ程度だったのは想像に難くない。


「でかくなったんだよ。トップが豪腕なんだ。ここはゴミ箱だなんてよく言われるが、それは騎士にとっても当てはまる。お前以外は私のようなのしかいないぞ」


 ラクーシャは半笑いで肩をすくめた。


「つまりだ。暴れるし、無茶な集金は欠かさないが、それなりに誰からも人目置かれ、頼りにされてるんだよ。――この意味、わかるだろ」


「ウインドミルを好ましく思う者と、ここまで大きく頼られる組織になったウインドミルからの襲撃に備えろということですか」


「それもあるな。だが、それだけじゃない。ここの秩序を保たせてるのはウインドミルで、頼られているのもウインドミル。じゃあ、そこが弱くなればどうなると思う?」


「荒れるでしょうね」


 エレナは冷ややかに言った。


 ――それこそが目的の一つなのだから、そうでなくては困る。


「ああ、荒れるな。荒れて、チンピラどもが共食いを初めてその尻拭いをするのが騎士だ。……言ってる意味、わかるか?」


「なるほど。そういうこともあるでしょうね」


 エレナは初めて、感心したように頷いた。


 確かに、騎士が尻拭いする羽目になるだろう。そしてその鬱憤はエレナに向けられるということだ。


 そうなれば、エレナの味方はいないに等しい。身内の騎士に疎まれ、市民に敵意を向けられ、ウインドミルからの襲撃に備えなければいけない。


 トンプソンエリアの騎士として異端に属するエレナを味方する者などはじめからいないのだから、排除、迫害するための口実があれば喜々として悪意を振りかざすことだろう。


 だからこそ、団長はおとなしくしておけ、と謹慎を命じたのだ。


「お前は真面目で努力家で強い。だから、弱者のことなんてわからないだろうから、忠告だけしておいてやったぜ」


「私もここに生まれている以上、弱者の一人ですよ」


「ふん。立場とかそういう話じゃねえよ。心持ちの話だ」


 ラクーシャは酒をあおった。


「酒に溺れる者、他者を憎む者。常に何かをうらやんでいる者。そういう弱い人間が山ほどいる中で、独立独歩で努力し、あまつさえ他者に手を差し伸べる生き方を選ぶってのが強さってもんだろ」


 ラクーシャは憧憬に浸っているかのような半開きの目で、虚空を見つめる。


 この女も騎士になったからには、何か理想のようなものがあったのかもしれない。


 その、残滓を酒が写す幻影の中に見ているのだ。


 しばらく、押し黙り、その幻影に浸る中で、わずかに理性の灯火が目に宿った頃、ラクーシャはぽつりと言った。


「マーマインとパーク。あいつらにゃ気をつけるこったな。騎士の……いや、これ以上はいいか」


 ラクーシャはエレナを激励するかのように肩を二度叩いた後、千鳥足でエレナが来た方向へと歩いて行く。


「じゃあな。死ぬなよ」


「……」


 ――飲んだくれの仕事のしない騎士。そういう印象しか持っていなかったが、以外と周りを見て、ものを考える質の人間なのかもしれない。


 エレナはふらふらとしたラクーシャの背中を見て思った。

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