第9話
「おいおいおい。嘘だろおい」
胸に大きく風車を刻印した女は呆れたように首を振った。
「男相手にか。男相手に生命樹を持っていって負けたのか」
「女もいましたよ。手練れだったようですね」
のっぺりとした女は肩をすくめた。
「だからなんだってんだよ。ええおい。ケセド持ってったんだろうが。さっさと始末するなり攫ってくるなりできたろうが」
「ケセドに酔ったんでしょう。枯れ死ぬまで遊んだあげくの負けですよ」
「ちっその生命樹は飾りか? のっぺらぼうさんよ」
生命樹に身を包んだままの女は、ハハハと対して面白くもなさそうにわらった。
「大体のっぺらぼうって何だよ適当にもほどがあるだろ。営業名くらい決めとけよ」
「ですから。顔のないのっぺらぼうです」
「ちっふざけてやがる。そうやってふざける余裕がしゃくに障るぜ」
「さっさと圧殺していれば、今頃皆で宴会して酔い潰れた頃合いでしょうね」
「アンタが皆殺しにしてくりゃそうなってたよ」
「ヴァンさん。私に言われても困りますよ。そんなこと頼まれてないじゃないですか」
「気を利かせてくれよ。そこはよう」
ヴァンは癖なのか、風車の刻印をガリガリと掻きむしる。
苛立ちからか、掻きむしる手に力が入り、血が滲んでいた。
「知りませんよ。第一に指揮に従うこと。第二に負けるなり死ぬなりした場合にケセドを回収すること。第三に欠損なく持って帰ること、これが目的でしょう」
「それなりの金を払ってんだからよお、サービスくらいしてくれよ」
「知りませんよ……。文句なら取り込まれて負けたあの女に言ってください」
のっぺらぼうは肩をすくめた
「ったく、使えねえなああいつはよぉ!」
ヴァンは言葉に乗せられるがままに矛先を変えて愚痴を吐き捨てる。
「ケセドを使って男に負けるか普通。マジで使えねえ」
「男の足止めをしてたのは私です」
しれっとした態度ののっぺらぼう。
「お前も男相手に仕留められてねえじゃねえか」
「ははは、思ったより手練れでしたね。殺されそうでしたよ」
「嘘つけ。化け物め。お前が死ぬか」
「酷い言われようだ……首も折られる位ピンチだったのに」
女は肩を落した。傷ついているような雰囲気で首を振るが、ヴァンは一顧だにしない。
「かったるいなあ。ウインドミルって組織をここまで育てたのに、なんで場末の男が逆らうかねえ」
「さて。何やら異常なほど鍛えこんでいましたよ。単純な腕力で押し込められました」
「筋肉だるまの男か。そそらねえな。私ぁ男娼のような媚びるしか脳のねえ弱い男が好きなんだ」
「素手で殺しにかかってくる男よりはよほど趣味が良い」
「マジで面倒くせえ」
やけくそ気味に、ヴァンは言って、血に染まった指先を勢いよくふって、血を落す。
「服が汚れますよ」
「もうちょっと早く言ってくれ。もうおせえよ」
掻きむしられた胸元からなみなみと血が流れ出し、服を汚している。
「失礼」
のっぺりとした女はヴァンの胸元に手を当てた。
「触んじゃねえよ気色わりい手で」
ヴァンは顔をしかめて言った。
女はヴァンの罵倒を気にした様子もなく、胸元に当てていた手を離した。
「もう終わりましたよ。血止めと血抜き」
「あー気色わりい」
肌は綺麗に治り、血で汚れていた服も綺麗になっていた。
「お前が男をぶっ殺すなり犯すなり壊すなりしてくれりゃあなあ。そんな気持ちの悪い力持ってるんだからよぉ、とっとと行ってきて殺してくれよ」
「嫌です。というかケセドを使う人間がいないんなら、私帰りたいんですけど」
女が面倒くさそうに答えると、ヴァンはちっ、と舌を鳴らした。
「そいつを着てすぐに枯れない奴、まだうちにいたか? ったく何なんだ。男の分際でウインドミルにたてつくし、兵隊をなぎ倒すし、闇討ちするし、わざと付け狙ってることを明かすし」
「豪傑……という人種でしょう」
「けっ、男がか」
ヴァンはつまらない冗談だ、とでも言いたげに嘲笑染みた声を上げる。
「男はおとなしく女に腰をふってよがってりゃいいんだ」
ヴァンの物言いに、女は肩をすくめる。
「アレだ。あの男について回ってたガキいたろ。攫って人質にしよう」
パチンと、指を鳴らして、ヴァンは言った。「――やめておけ」
廃墟同然のボロ屋の、入り口から女が入ってくる。
ヴァンは目を細める。逆行で女の姿がよく見えないが、声は聞き慣れたものだった。
「軽率なことをするもんじゃあないよ」
「なんだ珍しい。普段はふんぞりかえって椅子を暖めるだけのくせに」
「どちらさまです?」
のっぺらぼうは首をかしげる。
「誰だっていいじゃあないか。私のことなんか」
女は半壊した仮面をつけていた。鼻から下が露出し、頬に傷をつけていた。
妙に着ぶくれする服装を身に纏い、体型がわからないようにしている。
身元を周到に隠す装いをしているのにも関わらず、半壊した仮面をつけたまま姿を現したのは、本当に身元を隠す気があるのか怪しくなってくるところだ。
「暗殺者っぽい雰囲気をしてるだけの不審者だ」
ヴァンはつまらなさそうに言った。
「へえ……そんな怪しげな方が何ようで?」
「アルファでもベータでもシータでも、馬鹿でも不審者でも暗殺者でもなんとでも呼んでやれ。少なくとも敵じゃあない」
「それではアルファとでもお呼びしましょう。……身元がよくわからない方をよく招き入れますね」
と、警告じみた物言いをするものの、のっぺらぼうに緊張は見られない。端から警戒するべき相手だとみていないのだ。本質的に部外者だからであろう。
「身元は公然の秘密というやつさ」
アルファは気取った風に指をふる。
「はあ……まったくやっかいなことになった。どう落とし前をつけるつもりだ」
「だから、人質とって型に嵌めりゃあいいだろうが」
「それを実行するなら私がお前を殺す」
「ああ?」
険悪な雰囲気が一瞬満ちるが、アルファは淡々と言葉を続けた。
「お前が身を滅ぼすだけじゃなく、このエリアが潰される」
暗い未来を予期しているかのような、気落ちした目が仮面の中で揺らいでいる。
「はあ?」
「そんな権限持つ人なんているんですか? というかここってゴミ箱なんでしょう。態々ゴミを溜めてる場所に手を突っ込みます?」
「そりゃゴミが匂えば処分するだろう。だがそうじゃない。単純に廃棄処分されるのさ」
「貴族の令息か?」
「シャレル家のご令息さ」
アルファはため息を吐いた。
「シャレル家……」
ぽつりと、女が呟く。
「そ、シャレル家。国王の懐刀だよ。代々女一人だけが家を継ぎ、母親をぶっ殺して世代交代するイカれたやつらさ」
「なりゃ令息ってのはなんだ」
「代々長女を一人だけ産んで、それ以降は男らしいよ。なんだろうね。生命樹で種を弄ってるのかね」
「貴族ってのは気色わりいなあ、え? お前もそう思うだろ」
「さて、私も似たようなものですから」
あっけらかんと女は言う。生命樹で全身を着込んでいる上からもわかるように、わざとらしくおちゃらけて見せた。
「シャレル家に比べたらアンタなんざ可愛いもんだ。あそこは完全にイカれてるから」
隠そうともしない嫌悪感が言葉に滲んでいる。
「ふうむ。何だか砂に飲まれてしまいそう。大丈夫ですか? 大丈夫じゃなさそうなら、私さっさと縁を切りたいんですけど」
「縁を切ろうが、少年を攫ったら砂漠を越えてでも族滅の刑だね」
「切羽詰まってるなあ。おいおい、どうしよう。なんとしてくれよ。あんたならどうとでもできるだろう?」
「そんな権限ないよ。一応、騒動に首を突っ込んだ騎士がいたから、警告したんだけど全然懲りてなくてね。いっそのこと不虞にしてしまおうともしたんだけど、強くってさあ」
アルファは頬の傷跡を指さす。
「キミから借りていた生命樹をつかってみたが、あっさりかわされたよ。広がるだけ広がって枯れるから使いにくいね」
「駄目でしたか。原種を瞬間的に成長させるアイディアは悪くないと思ったのですが」
「無差別に殺したいんならいいんじゃないか」
素っ気ない批評に、のっぺらぼうは肩を落とす。
「んなこたあ演芸会でも開いてやれよ。遊びに巻き込むんじゃねえ」
「遊びじゃなくて大真面目なのですが……」
「……気をつけよう」
アルファにとっては遊びだったらしい。
「話は戻すがよ。もう一人いた女って騎士なのかよ。トンプソンで真面目に働く騎士なんていたのか」
ヴァンは呆れ交じりにため息をもらす。真面目だとか、そういうことを鼻で笑って生きてきたのだ。
職務に忠実な騎士なんて、愚かしい馬鹿以外の何物でもない、とヴァンは思っている。
「しばらく表に出てこれないようにしといてくれ。その間に男を攫って壊すから」
ヴァンは苛立ちを隠さずにアルファを睨み付けたが、当の本人は鼻を鳴らして笑う。
「キミのお友達に頼むと良い。彼女たちこそがキミの友人なのだから」
「旨い汁を吸うために近づいて来ただけのやつが役に立つかねえ。得てして、そういうのは無能と相場が決まってるぜ」
まあ、無能の方が私はありがたいんだが、とヴァンは嘲笑する。
「私はあくまで善意の協力者さ。キミが騎士と癒着してようが知ったことではないが、それはキミがここでよく考えて行動しているからだということを忘れないでおくれ」
「けっ。第三者面してんじゃねえよ」
「私は私の目的でキミに手を差し伸べているだけだよ。癒着だとか、与してるとか、そういうんじゃあないんだ」
「よく言うぜ」
「余計な騒乱が頻発するのであれば、キミのお友達含めて処分するだけだ。……そういう割り切りのある関係だろう。ほら、癒着だとかそういう仲良しな関係じゃない」
「怖いねえ。そんなだから疎まれるんだよ」
「ふん、見る目はあるつもりなんだけどね。キミは私の期待を裏切らないと信じているよ」
「チンピラの集団を信じるのかよ、どうかしてるぜ」
ヴァンはニヤニヤと笑う。
「そうですよ。目的はなんであれ、こんな短絡的な馬鹿が率いてる組織を信じるなんてどうかしてます」
のっぺらぼうは、やれやれと首をふる。
「おい」
「短絡的な馬鹿だが、利益に対しての鼻が聞くんだよ。だから、このままが一番利益になるとわかっているんだ。そうだろう?」
「褒めてるのか、けなしてるのかどっちだ」
ヴァンは微妙な顔をして、胸を掻く。
「どっちでもいいだろう。ひとまず、女の方はしばらく私が適当にあしらっておくから、お前は男の方をなんとかしておけ」
「お、話がわかるねえ。流れが上向いてきたかな」
ヴァンが機嫌良く立ち上がった時、のっぺらぼうがわざとらしく手を打った。
「ああ、そうそう。ここは放棄した方が良いですよ」
「あん?」
「多分、あなたの部下から居場所が割られますね。気絶した幾人かをおいてきましたから」
「……そういうことは早くいってくれ」
ヴァンは肩を落とした。
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