第7話

 廃墟から歩くこと三十分。エレナは郊外へと進んでいた。


 ――この先は何もないはずだ。


 エレナは内心首をかしげながら、足早に歩いて行く。


 この先はこのトンプソンエリアでも、かなり廃れた場所……廃人が蠢く通称捨て人通りである。


 トンプソンエリアでは大なり小なり薬物を嗜む者も多いが、ここは度が過ぎて戻れなくなった者が訪れる最後の場所である。 


 ここに立ち入るのは、すべてを捨てて薬物に逃げた人間か、薬物を売る人間だけなのだ。


「まさか捕まったのでは」


 そして、薬物で……。いやな想像だった。


 いくら強いといっても、所詮は男。手込めにされるときはされる。


 基本能力が違うのだ。子を孕める――つまりは生命力を身体にため込む形をしていない男では、女には勝てない。


「……」


 嫌な予感に突き動かされるように、エレナは駆けだしていた。


 どんどん奥へ奥へと進んでいくごとに、指輪の共鳴が強まっていく。


 指輪が、持ち主の生命力を僅かながらに吸って、居場所を知らせているのである。


 ――間違いなく、この捨て人通りにいる。


 ほとんど走っているような速度で、指輪の示す場所へとたどり着いた。


 指輪は捨て人通りにある朽ちた広場だった。


 そこには、仮面を被った女が俯きがちに、指輪を弄っていた。


「貴様……」


「人の話を聞かない女だ」


 いつかの夜に警告をしてきた女だった。


 闇夜では見えなかった、肢体が露わになっている。女は暗殺者らしく、体型の見えないゆったりとした服を着込んでいる。


 脱力しきった立ち姿は、女の実力の片鱗を感じさせる。それはいつかの夜、あくまでも警告だった時とは違い、不気味な静けさがあった。


「何故お前がその指輪を持っている」


 攫われたのか、殺されたのか……。


 エレナは平静を装いながらも、焦燥感に心を支配されていた。


 身柄を抑えていたならば、それは人質ということだ。


「お前が知る必要はない……」


 特徴のつかめないが不自然に作った抑揚のない的な声で女は言うと、指輪を地面に捨てて踏み砕いた。


 エレナの手にある指輪が共鳴するように一瞬、強く反応を示した。


「――」


 その反応にエレナが気を取られた時には、女は動いていた。


 エレナの目前に迫る幾数の飛礫。


 ――カスっただけでもヤバいっ。


 団長の言葉がフラッシュバックする中、エレナは全力で横に飛び込んだ。


 地面に手をつき、すぐさま体勢を立て直すが姿はすでになく気配はつかめない。


 ――また逃げたのか?


 その考えとは裏腹に、本能が警告を上げていた。


 エレナは、己の危機感に従うままに、頭を低くして、前に飛び込む。


 ひうんっと頭があった場所で空気が切り裂かれる。


「くそっ」


 エレナは地面に転がり、そのまま前に走り出した。首筋がチリチリと危機感に燃えるが姿は確認できない。


 常にエレナの死角に入り続ける手管はいかにも暗殺者らしい。


 真正面から戦うのではなく、奇襲を狙い続ける戦い方は裏を返せば、真正面での戦闘には不得手だということだ。


 生命力を回して聴力を強化――力強く両手を打つ。破裂音が響き、瞬きの間に全方位の物体にぶつかり反響する。


 女の位置は――。


「なめ……るな!」


 頭を下げると同時に懐に手を入れて飛礫を背後へと投げつける。


 ぎゃりん、と金属が擦れる音。


 握り混んだ指輪に生命力を流し込む。


 過剰成長させ歪な茨を咲かせた指輪を指で弾き、女の眉間に向かって撃ち込む。


 飛礫を防いだ瞬間の隙に這入り込むように矢のごとき指輪が飛ぶ。


「……」


 女は体勢を崩して眉間から指輪を外す。


 一瞬の隙を見計らいエレナは反転――指輪が女の頬に傷をつけて背後へと飛んでいく様を見る。


「ちっ」


 エレナは女を視界に捉えたまま、強引に勢いを殺して体勢を整える。


「――」


 エレナは迎撃に備えるが、女は顔を押さえたまま、エレナから距離を取った。


 滴る血が割れた仮面からこぼれ落ちる。


 女は、懐から小さな種子を取り出し、血の染みた地面に落とした。


「警告を忘れるな」


 無機質な、記憶に残らない声で言って、女は袖から球体の種子を地面に転がした。


「次はない」


 種子が破裂する。煙と閃光が当たりを包む。


「っ待て!」


 エレナはそう言いつつも、追いかけようとはせず舌を何度も鳴らして周囲を探る。警戒心を尖らせていると、煙の向こう側にうごめくものがいた。


「……」


 眩んだ目を閉じ、音に集中する。


 ――わずかな空気の揺れと風切り音。


「生命樹かっ」


 エレナはその場から飛び退き、建物の屋根へと非難する。


 白く眩んだ目に映るわずかな影が蠢く生命樹を写した。


 それは、茨のような根を無茶苦茶に成長させ、広場一面に広がり地面を耕していた。


「なぜこんなものを……」


 尋常じゃない生命樹だ。流れ落ちた血と、土壌にあるわずかな生命力を吸って成長する様は生成されたものではなく、砂漠に広がる原種のような無法図な成長だった。


「逃げた、か。何のつもりだ」


 仮面が破損したのを嫌って逃走を図ったのは分かる。だが、逃げるのが速すぎる。


 ――あの夜と同じように警告、だけなのか?


 エレナは釈然としない思いを胸に首をひねった。


 土場を耕され崩れていく建物。


 わずかな餌を頼りに限界を超えた成長で枯れていく生命樹。


 エレナを支える建物もまた緩んだ地盤によって傾いていく。


「くそったれ……無茶苦茶しやがって」




 廃人たちを余所に、エレナは捨て人通りを出て行く。


「どうしたものか」


 オーガストは無事なのか。いかに鍛えているとはいえ、男である。


 そして、あの女は毒を使い、暗殺する。麻痺毒などを使って闇から奇襲すれば男相手に手こずることもないだろう。


 そして、例え奇襲すらかいくぐる強さを持っていたとしても、あのような生命樹を持ち出されてしまっては抵抗の仕様がない。


「さて――」


 建物に突き刺さっていたおかげで奇跡的に無事だった指輪に慎重に少量の生命力を流す。


 無理に成長させて、ほとんど自壊しかかっているが、まだなんとか枯れずにすんでいる生命樹は廃人通りとは真逆の方向に僅かながら反応を示した。


 ――指輪は二つある。問題は……。


 問題は、オーガストの弟子である少年が、女を憎んでいるあの少年がエレナに協力してくれるかだ。


 己の師の危機とあらば、流石に手を貸してくれると信じたい、が。


 身元を伏せて、このエリアに通うあたり何か複雑なものを抱えているのは間違いない。


 その複雑な事情を無視して、どこまで手を貸してくれるか。それが問題なのだ。


 中途半端に、自身で探すなどと言うのであれば、手を貸してくれない方がマシである。


 実家がどの程度の力を持っているのかはようとして知れないが、オーガストの物言いを察するに相応の規模はあるはずだ。


 悶々と悩みを抱きながらも、エレナは歩き続ける。


 気分は焦るばかりで、できれば走ってさっさと指輪の示す場所へたどり着いてしまいたいが、集中力を途切れさせ雑な扱いをしてしまえば、手にある生命樹は枯れてしまうだろう。


 今でもギリギリなのだ。時間が立つごとにより一層の枯らさない繊細さが求められてくる。


 生命樹を維持しながら進むには気を取られない程度に歩を緩めるしかなかった。


「枯れてくれるなよ……」


 手のひらにある生命樹は弱々しく反応を返している。

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