第6話

 女に連れられて十五分ほど歩いた後に、中央区の南側に位置する廃墟へとたどり着いた。


 そこは普段、家を持たない浮浪者が住み着いている地域だった。


 トンプソンエリアでもとりわけ立場の低い身を寄せ合って生きる浮浪者――つまり親のいない子供たちが集まる場所だ。


 しかし、この日に限って、子供はどこにも見当たらなかった。


 殺風景な、がらんどうである。


「それで、誰もいないが?」


 エレナが言うと、女はヘラヘラと笑って、


「少々お待ちを。今呼んできますので」


 女はそう言って、意気揚々と駆けだしていく。


 エレナは何も言わず、女を見送った。どうせ、罠にはめるために戻ってくるだろう。


「お待たせしました」


 考えはあたっていたらしく、女は三十人ほどの仲間を引き連れて戻ってきた。


 女の表情からは媚びが消え、勝者の余裕とでも言うべき、嘲りの笑みが浮かべられている。


「へへへ、お待たせいたしました。我々を探っている奴を、引っ張ってきましたぜ」


「ご苦労」


 リーダーとおぼしき女が、頷いて答えた。


 その女は集団の先頭に立ち、手には棒状の生命樹が握られている。


「お前、私たちを探ってたんだってなあ」


「ふむ」


 エレナは呟いた。


 リーダーの女はエレナの余裕ぶった態度がかんに障ったのか、生命樹をエレナへと向けて言った。


「これがわかるか? 生命樹だ。お前は今から嬲り者にされて、誰に喧嘩を売ったのかを分からせられるんだ」


 エレナが冷ややかな目で生命樹を見つめていると、リーダーは樹に生命力を流し込んだ。


「時期が悪かったなあ。お前が目当ての人間かは知らねえが、死んでくれ」


 棒状の樹は瞬く間に成長し、枝分かれする。鋭い枝が生き物のようにうごめいていた。


「行け」


 その言葉と共に成長した生命樹は獲物を食い殺しに殺到する。


 エレナは襲いかかってくる枝に向かって走りだした。


「ありふれた違法武器だな。つまらん真似はよせ」


 四方から突き立てられる枝を躱すため、身を低くして地面を滑る。


 枝分かれする樹木が次々と地面へと突き刺さっていく。


「扱いが雑だ」


 エレナは生命樹の太い幹を壊さないよう加減して蹴り上げる。


「くおっ」


 巨大な枝に釣られて、身体が浮き上がった、その隙を狙って、エレナは生命樹を握った腕を絡め取り、生命樹を奪い取り、自身の生命力を目一杯流し込む。


「てめっ――」


 女の膝裏を蹴ってひざまずかせ顔面を踏みつけ制圧する。


「おとなしくしてろ」


 細かい枝がすべて太い幹のように成長する。過剰な餌を与えられた生命樹は枝の動きを鈍くし、ただ長く大きく太る。


「オラァ!」


 気合い一閃、力任せに、巨大な生命樹を横薙ぐ。


「うぎゃああ!?」


 後ろにいた大勢のチンピラがまとめてなぎ倒される。


 意識があるのはリーダーと、エレナの二人だけだった。エレナは、過剰な餌で根腐れを起こしている生命樹を手の届かないところへ投げ捨てて、制圧していたリーダーの首をわしづかみにして持ち上げる。


「ぐうっお前」


「馬鹿な奴だよ、お前は」


 エレナはふっと笑って、女から手を離した。


「私だ」


 エレナは布をほどいて、顔を見せる。


「お前っ」


 女は呆然と、立ち尽くしエレナの顔を凝視した。


「……テメエこの野郎。騎士になったんじゃねえのか。なんでこんな所でチンピラを相手にしてやがんだ」


 しばらくしてから、はっとした顔でまくし立てるように毒づく。


「ははは、久しぶりだな、ライレン。しかし、お前は相変わらず馬鹿だ」


 朗らかに笑うエレナだったが、女――ライレンは苦虫をかみつぶした顔で吐き捨てた。


「うるせえ。騎士に成り上がったお前が私の前に顔を出すとはな。自慢か? 境遇の差を笑いに来たのかよ」


「そうじゃない。捜査だ。ついでに言うと、お前の目の前に立つはめになったのは偶然だ」


「けっ。トンプソンエリアから成り上がれる最高の機会を得たんだ、二度と顔をみせんじゃねえ。そう言ったはずだよな。なのになぜここで騎士をして、あろうことか私の縄張りを荒らしているんだ」


 ライレンは苛立たしげに座り込んだ。


「騎士になろうとも、生まれはどこまでもついてまわると言うことだ。ライレン・トンプソン」


「そりゃ気の毒だな、エレナ・トンプソン」


 ライレンは皮肉った笑みを浮かべたつもりだったが、引きつった笑みになっていた。どう思えば良いのか、ライレンもわかっていないらしく、複雑な心境が顔に表れている。


「それで、何の情報が欲しいんだ」


「やけに素直だな」


 エレナは意外そうに眉をつりあげた。


「この状況でごねてどうする。お前のおかげで壊滅だ」


 ライレンは打ち捨てられたチンピラたちを見て示した。


「色々ある聞きたいことはあるが、一つにしておこう。お前たちは何故雲隠れしている?」


「……どこぞの人間に狙われてんだ、私たちは」


「狙われてる?」


 ――あの暗殺者か?


 いつかの夜に警告してきた者を思い出す。だが、奴はウインドミルに雇われたのではなかったのか。


 ――いや、犯罪組織に雇われているのであれば、喧伝するか。ここで騎士一人に恨まれようがたいした痛手にはならないし、騎士がビビりでもすれば組織の強さの証明にもなる。


「ああ。何人も闇討ちされている。幸い、死人は出ていないが……だから、こうして私たちに接触してきた人間を網にかけてんだ。それをお前は……」


 はあ、と憂鬱そうにため息を吐いた。怨めしそうに睨み付けるが、エレナは涼しい顔で話を進めた。


「手口はどうだ。刃物か。毒か」


「いや、その時々で違う。だが……いや」


 ライレンは首を振った。


「なんだ。ここまで来て出し渋るか」


「ちっ。外部の人間に知られたくないことだってあらあ」


 ライレンは立ち上がり、チンピラたちの間を歩く。


「騎士が乗り込んで来たってことはいよいよこの組織も終わりか。ま、屑の集まりにしちゃ持った方か」


「……」


「やり過ぎたんだろうな。殺し、クスリ、男の売買はまだしも、噂を流して、犯罪組織を束ねて……組織は太りすぎたんだ。が、もうどうでもいいか」


 エレナの独断で動いているのだが、あえて何も言わなかった。


 独断ではあるが、独力でも組織は潰す気だからだ。


「このエリアの騎士も案外仕事をするんだな。腐りきってると思ってたぜ」


「腐っても騎士さ」


 エレナの声は空々しく響いた。


「そうか。流石騎士様は言うことが違うな」


 ライレンは鼻を鳴らした。


「私は抜ける。店じまいだ。お前たちは好きにしろ」


 気絶していて聞いていないであろう配下たちにそう声をかけて、ライレンは廃墟から立ち去ろうとする。


「ああ、そうだ。抜けるつもりならもう一つ聞いておきたいことがある」


「なんだ、一つじゃなかったのか?」


 ライレンは面倒くさそうに振り返る。


「オーガストという男を知っているか?」


「なんだ。男娼の名前か?」


 ライレンの反応は変わらず、本当に聞き覚えがないようだった。


「いや、知らないなら良い」


「ふん、わかってると思うが、同じ組織だからといって統率が聞いてると思うなよ。組織は大きくなりすぎたし、所詮私らは屑だ。寄り合いみてえなもんだよ。紋々を振りかざして各々好き勝手やりてえだけなんだよ」


「ああ。よく分かってるよ」


「けっ」


 ライレンは唾を吐き捨てて、今度こそ出て行った。


 


 ――毒でも刃物でもない。一見、あの暗殺者とは別口に思える。


 事態は混迷している。元はと言えば、腕っ節の立つ男がウインドミルのチンピラを撃退しただけだったはずだ。


 それが、肩入れした騎士を別口の暗殺者が狙い、そしてウインドミルは闇討ちを受けている。


 雲隠れしているということは、それなりに被害は出ているということだ。


 馬鹿か屑しかいないこのエリアで幅をきかせるには、威圧的でなければいけない。面子が大事なのだ。


 わかりやすい暴力、これこそが唯一絶対の力だ。なのに、怯えたように組織はなりを潜めている。


 ライレンが言いよどんだことも気にかかる。


 襲撃者はウインドミルに恐怖をもたらす程度には無茶をするということか。


「あるいは、暗殺者が襲撃しているのか?」


 妙な技を使うのであれば、刃物以外にも使えるのかもしれない。


 毎回同じ武器で殺しをすれば、足がつきやすくなる。威圧行為にはなるが、知られたくない殺人には不向きだ。


 それに、今回は殺しは起きていない。精々が、脅しか単純な暴力だ。殺しのない威圧に殺しのプロを持ち出してくるだろうか。


 現状、男武術家オーガストと、オーガストを狙うウインドミル。オーガストに肩入れする騎士と、警告をする暗殺者。そしてウインドミルと敵対する襲撃者が盤上にいることになる。


 オーガスト、あの男は一体何をしたんだ。始まりはあの男であるはず。


 男の身で異様な鍛錬を積んでいること自体がおかしいのもあって、途端にオーガストが怪しく見えてくる。


 しかも、エリア外の人間のくせに、態々ここに居を構え始めたのだ。


 ――外で、何かやったのか。


 本人の消極的な気質は反省故なのか。


 今回の因縁もオーガストが持ち込んだという線もありえるだろう。外で作った因縁がウインドミルに金をもたらすことになると考えれば、固執する理由もわかる。


「一度、オーガストと話すか」


 エレナは懐から指輪を取り出し、僅かな生命力を流した。


 これで、オーガストに渡した指輪と共鳴して、居場所を示してくれる。無論、相手にもこちらが探していることは伝わる。


 何か後ろめたいことがあって、指輪を捨てているのでなければ、居場所が分かるはずだ。


 エレナは指輪が示す方向へと歩き始めた。


「さて、あの男が妙な企てをしていなければ良いのだが」


 方向は南。少なくともオーガストのボロ屋がある方向ではない。

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