第5話

 エレナは遅々として進まない捜査に苛立っていた。


 あれから三日間。オーガストは約束通り、姿を隠しているようで、とんと見かけなくなった。


 あのボロ屋もますます風化し、誰も住んでいない廃墟のようである。


 どのように姿をくらませているのか。エリア外にいてくれればいいが、このエリア内ならば男が外で、それも一人でうろつくなど狙ってくれと言っているようなものだ。


 それ相応の力を保有しているとは理解しつつも、やはり、男である。


 心配だった。


「いっそのこと、また襲いに来れば良いものを」


 あまりの進展のなさに意味のない愚痴を漏らした。


 街中をあるけど、ウィンドミルの入れ墨を見せびらかす者に出会わない。


 普段であれば、わざとらしく曝け出しているくせに、ここ最近では、何故かそう言った輩を見なくなっている。


 何かが起きているのか。それとも、目をつけられたくないことをしでかそうとしているのか。


 普段の動きと違っている時点で、何らかの目論見があると喧伝しているようなものだ。


 通常であれば騎士団をあげて警戒しておかなければいけないが……。進言したところで手出し無用の一言だろう。


 自らの権力を振りかざすような真似は避けていたが、この際仕方ない、と割り切るべきか。だが、騎士の権力というものもこのエリアではたかがしれている。汚職に使うには最適だが、正式な業務に使うには心許ない。


 やはり、ここは身体を張るしかないだろう。




 エレナは街中を歩いていた。いつもと違い、人の視線は感じない。一般市民として紛れられていた。


「おっとすまねえ」


 ふらふらとおぼつかない酔っ払った女に肩をぶつけられる。


「……」


 エレナは気にするなと軽く手を上げる。


 酔っ払いは相手が騎士なのも気づかず、ヘラヘラと笑いながら、すまん、すまん……と唱えて危なげに歩いて行った。


 ――バレる心配はなさそうだ。


 エレナはきびすを返して歩き始める。


 いつもと違う擦り切れた安い服が肌にこすれて肌触りが悪かった。騎士になる前以来の安い服に違和感を覚えるのは、贅沢を覚えた証拠か。


 髪が動きに合わせてなびき、腰を打つ。


 いつもは髪に布を巻き見せないようにしているが、今日はその腰まで伸ばした髪を曝け出しているのだ。


 トンプソンエリアの人間は男に限らず、髪を伸ばしている人間が多い。


 それは何も美的な理由ではない。 


 髪はいざという時、金になる。手入れをしていなくてもそれなりに、手入れをすればある程度のまとまった金に換えられる。


 もはや髪を伸ばすことも、売ることもしなくて良い立場だが、根付いた習慣というのは理由がない限り惰性で続けてしまうものだ。


 エレナにさしたるこだわりはないが、その惰性で髪を伸ばし続けていた。


 念を入れた変装のため、口元には砂避けの布を巻き人相が分かりづらくなるようにしている。


 親しい人間であれば、エレナの素性は一目でわかるだろうが、先ほどぶつかった酔っ払いのような関わり合いの持たない者には騎士だとわからないだろう。


 民衆というものは、服や、身なりで所属を判断しているものだ。


 特に、公的な立場にある者を見る際にはそうする傾向にある。


 服装を変え、髪型を変え、念のため顔を隠せば変装としては問題ないだろう。


 エレナはいつもより身軽な足取りで歩く。


 その姿は規則正しく、堂々とした騎士のそれではなく、このトンプソンエリアに馴染みのある卑俗さに満ちていた。


 歩く方向に目を向けて視線を動かさずに周囲を観察するが、やはりウインドミルは見かけない。


 ――何かある。


 確信すれど、それが何なのか、わからない。


 ウインドミルはこのエリアを牛耳るほど大規模な組織である。


 しかし、規模が大きいからこそ、末端の顔など把握していないし、入れ墨を隠してしまえば簡単に市井に紛れてしまう。


 だが、所詮は屑の集まりである。どうしようもない者は集団になると、実にろくでもない本性をさらけだすものだ。


 道を歩いていても得られる情報はなさそうだ。エレナは真っ昼間にも関わらず、酒場へと向かった。


 ここでは定職に就いている者など少数だから、真っ昼間でも酒好きの酒浸りの人間が多く集まる。


 わいわいガヤガヤと、半ば動物染みた喧噪が、店の外からでもはっきりと聞こえるほどだ。


 昼間から酒をかっくらうクズのような連中ばかりだが、これでも酒場で酒を買うだけの金を持つ上澄みである。 


 静かに飲める場所など、トンプソンエリアに存在しないのである。


 エレナは何食わぬ顔で酒場に入り、一番奥のカウンター席へと腰掛けた。


「何にしましょう……と」


 店主は意外そうな顔をした。


「そうだな。度数の少ない物を頼もうか」


 エレナは砂避けの布の上から人差し指を唇に当てて言った。


「かしこまりました。では……」


 店主は粗悪なアルコールを少量告ぐと、それを誤魔化すための甘味料水を大量に入れたものをエレナの前に差し出した。


「特別サービスです」


「そりゃどうも」


 エレナは出されたカクテルで唇を濡らす。


 アルコールの風味をかき消すほどの、過剰な甘さが舌を刺激する。


「悪くない」


 歪んだ口は砂よけの布の裏側にある。


 ――仕事に差し支えなさそうな不味さだ。


 エレナはそう思いつつ、店主にねぎらいの言葉をかけた。


 店主は正気ですか、とでも言いたげに肩をすくめる。軽い意趣返しのつもりなのか、味の悪さは店主の保証付きだったらしい。


「ごゆっくり」


 店主はそう言って、注文を取りに行く。


「ああ、そう長いことはいねえよ」


 エレナはそう言いつつ、騒がしい店内を盗み見た。


 相変わらず、騒がしく、誰も彼もが酒に飲まれていた。


 この酒場が出す酒は粗悪品である。悪酔いしやすいのだ。だが、酒の品質の是非を問えば、このエリアにおいては気をつかっている方である。このような物しか出てこないのにも関わらず繁盛しているのは言うまでもなくここの住人に酒の味などわからず、酔うために呑んでいるからにすぎない。


 酒に味を求める嗜好はトンプソンエリアには存在しない。とにかく安くて大量に飲めて、酔える酒が一番なのである。


 エレナが不味い酒でちびちびと唇を濡らして、グラスの中身が半分くらいになったころ、一人の女が椅子を蹴り飛ばした。


 酔っ払いの箍(たが)が外れた蹴りは、椅子を壁へと叩きつけた。


 普段から扱いの悪い椅子は、たまらず崩壊し、木くずへと変わる。


「おいおいおい、誰に言っちゃってんの?」


 明らかに悪酔いしている風である。女はすわった目で因縁をつけた相手の胸ぐらを締め上げていた。


「チンピラ風情がなんだって? お前に言ってるんだよ。頭だけじゃなく耳まで悪いのかな?」


 ケラケラ笑いながら、挑発を続けた。


 この女も、酔っ払って気が大きくなっているのであろう。


 この後のことなど考えもせず、ひたすら煽って相手を苛つかせていた。


「ちょっと、お客さん。物を壊さないでいただけますかね。勿論、弁償していただけるのなら、かまいませんが」


 店主はうんざりした様子で止めに入った。


「こんなちょっと小突いただけで壊れる物に誰が弁償するかよ」


 女は唾を吐き捨てる。


「はあ……クソ酔っ払いめ」


 店主は苛立たしげに言った。


 ――悪酔いするような酒を提供しなければ良いだろうに。


 店主はエレナにちらりと目線をやった。


 止めろと言いたいのだろうが、エレナは何食わぬ顔で無視をする。


「お前死んだぞ」


 女は行儀良く締めていた胸元を緩めた。


「見ろよ、誰に文句を言ったのか。ええ? 頭ほどに目は悪くないだろうが?」


 女の胸元には、風車の入れ墨が入っていた。


「……けっ」


 煽っていた女は顔をしかめた。


 面倒な相手に喧嘩をふっかけられたのだと、自覚したのだ。


 多少の怯えを隠すように、女は胸ぐらにある手を弾くと、距離を取って言った。


「悪かったよ。本意じゃなかったんだ」


「もうおせえよ。言っただろうが、え? お前――」


 女が調子よく笑い、得意げに詰め寄ろうとしたその時である。


「黙れ」


「ぐひゃっ」


 ガン、と鈍い音がした。


 女は、頭をわしづかみにされて、テーブルに叩きつけられたのだ。


「お前ウインドミルだな」


「テメエ死んだぞ!」


「黙れと言ったはずだ」


「ぐ、ぐげ、ぐへっ」


 エレナは何度も女の頭を持ち上げてはテーブルに叩きつける。


「ウインドミルだな?」


「……」


「どうなんだ、なんとか言ってみろ。私が死ぬまで答える気はないか?」


 そう言いつつ、押さえつける力を強めていく。


「あだ、あだだだだ……何なんだよぉ」


 女は半泣きで叫んだ。


 ミシミシとテーブルが悲鳴を上げ始めるのを見た周りは関わるとまずいと判断したのか、目を背けてまた、喧噪を作り出し始めていた。


 煽っていた女もいくらかホッとした顔で、エレナと女から目を背けて、店主に代金を支払い始めていた。


「死ぬまで答えない気か。それならそうと言うことだな。迷惑料だ。楽にしてやろう」


 淡々とした、感情の見えない声に、女は冷や汗を流し、叫んだ。


「そうだ、いや、そうです!」


「ふむ」


 エレナは女の頭から手を離した。


「うう……」


 女は恐る恐る顔を上げる。


「着いてこい」


 と、言いつつもエレナは女の首根っこを捕まえて力尽くで引きずっていく。


「勘弁してくださいよぉ!」


「店主、代金はこれで足りるか?」


「どうも」


 店主はやれやれと迷惑そうに肩をすくめた。




「ぐひゃあっ」


 酒場のすぐ横にある奥まった路地裏に投げ捨てられた女は情けなく悲鳴を上げた。


「勘弁してくださいよぉ……」


 泥とゴミにまみれつつも上体を起こした女は半分泣きながら、エレナに媚びた目線を向ける。


「そうだな……」


 エレナは少し考えこむ素振りをして、


「では、お前が所属しているウインドミル。そこに私も入れて貰おうか」


「それは……」


「むろん、お前にそのような権限はないだろう。だから、その権限がある者の所に私を連れて行くだけでも良い」


「……そうすれば、見逃してくれるんですかい?」


「ああ」


 エレナは冷ややかに言葉を続けた。


「お前が騙りでなければ、の話だが」


「ちがいますよお! そんなことした奴の末路なんてわかりきってる!」


「そうか」


 名前を騙ったことが発覚すれば、見せしめの対象だ。


 とはいえ、所詮はトンプソンエリア内だけで権勢を誇る犯罪組織である。来る者拒まずなのは他と変わりないだろう。元から騙る必要性はあまりない。


 犯罪組織は馬鹿な末端というのはいくらいても困る者ではないから、潜り混むのに大それた手続きや、資格などはない。


 精々が適当に組織の末端の人間にでも接触しその上に立つ人間に赦しを得るくらいだろう。今回、その顔利きがこの女である。


 いつもであれば態々このような騒ぎに乗じて釣る必要はないが、今回は活動が不明瞭になった非常時である。多少の荒っぽさは仕方がなかった。


「では、連れて行け」


「へ、へい」


 女はペコペコと頭を下げて、歩き出した。


 エレナは黙って女の後ろをついていく。


 女は時折、エレナを気にするように振り返った。


 その目には、媚びが全面に出ていたが、同時に狡猾な光もちらちらと交じっている。


 ――どうやら、罠にでもかけようとしているらしい。


「へへ、こちらです」


 少しでも嗅覚が働く人間ならば、容易に悟れる程度にはわかりやすい女だった。……そうでなければ、組織が息をを潜めている最中に酒に酔って暴れたりはしないが。

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