第4話

 日暮れ頃、エレナは道場を後にした。


 念のため、立ち往生していた若い男の様子を見に行くことにしたのだが、やはりそこにはいなかった。


「時間がたちすぎたか……いや、あれもウインドミルに雇われた者だったのだろう」


 トンプソンエリアで、若い男が思いがけず立ち往生するなどそうそうないことだ。何せ不用心がすぎる。そんな警戒心のなさでは生きていけない。


 エレナが以前道場に出入りしていたことを知ったのか。それとも、真面目に警備をしている騎士を引き留めたかったのか。


 いずれにせよ、エレナを引き留める目的であの男を配置したのだろう。


 エレナはその場を後にして、寄宿舎へ帰ることにした。


 トンプソンエリアで、夜に出歩く者は徒党を組んでいる者か、人を害す目的のある者だけである。


 そして、このような場所に置いて、騎士はとりわけ目障りなものだ。


 向こう見ずに襲ってくる愚か者ならばまだ良いが、組織的に騎士を襲うことも考えられるのだ。


 エレナはこの薄汚れたエリア特有の緊張感を抱きながら、少し足を速めた。


 ――あまり、悠長に歩いているのはよくない。


 いずれかの徒党が騎士を襲ったと判明すれば、騎士団による報復が待っているが、バレなければ馬鹿な騎士が一人死んだと放置される。


 普通であれば、そのようなリスクは取らないが、今回の一件の次第によっては襲われることもあるだろう。


「……」


 エレナは足を止めた。


 カツン、と一歩遅れて足音がした。


「出てこい」。


 闇の中から猫背の女が現われる。


 顔には白面を付け、体格を誤魔化すような緩やかな服を身につけていた。


「何かようか」


「ようがなければここにはいない」


 女はゆらゆらと左右に揺れて言う。やけに特徴のない、中性的な声だった。不自然に抑揚のない口調が、聞く者の記憶を阻んでいる。


「襲撃ならば、もう少し上手くやれただろう」


 隠そうともしない不穏な空気を背に乗せて、申し訳程度の足音の隠し方。


 身元を特定させない技術を有しているわりには杜撰である。


 闇討ちをするつもりならば、もう少し気配を消す努力をしただろう。


「余計なことをするな」


 白面の女は細長い指をエレナに向ける。


 手の甲には風車のタトゥーはない。


「ウインドミルから雇われたか?」


「さあて」


 白面の女は何も楽しく為さそうな、笑い声を上げた。


 ふらふらと左右に揺れた、その瞬間。


「お前は敵を作りすぎる」


 女はエレナの目の前にいた。


「――っ」


 目前に迫る指――エレナは身をのけぞらせて回避する。


 隊服に生命力を回して生命樹を起動、底上げされた身体能力で、女に蹴りを放つ。


 女の腹に直撃した足は綿の中に沈み込む感触がした。


 女は蹴りを受けて、不自然なほど後ろへと吹っ飛んでいく。


「余計なことをするな。死にたくなければ、被害を拡大したくなければ」


 幽鬼のごとく、すぅ――と闇へ消えていく。「待て!」


 エレナが追いかけようと足に力込めた時、闇の中から鋭く研がれた槍の穂先のような刃物が足下へ突き刺さった。


「肝に銘じておけ、余計なことをするな……」


 闇に女の声が反響した。闇に溶けた声は発生方向を見失わせ、すでに女がどっちへ逃げたのかもわからなくしていた。


「くそったれ」


 エレナはその場を動けなかった。


 刃物を投げ込まれた時、反応できなかったのだ。今、本気で追いかけても捕まえられないし、怪我を負うだけだろう。


 しばらく、臨戦態勢を取ったまま、闇に漂う女の気配をうかがう。


 ――気配はもうない。闇の静けさだけが広がっている。


「……」


 エレナは地面に突き刺さった刃物を慎重な手つきでつまんだ。


「奇妙な道具を使う」


 それは鉄で出来ていた。暗器というやつだろう。隠し持ち、暗殺のために用いる武器。鋭さはあるが、特殊性はなく不意打ちくらいでしか役に立たないはずだ。


 女であれば、鉄の刃物で肌を貫かれても無理矢理傷口を塞ぐことができる。男相手ならば殴るだけで事足りる。


「余計なことをするな、か」


 エレナは暗器を見つめる。


「それはこちらの台詞だ」


 


 トンプソンエリアの騎士庁での仕事といえば、もっぱら、巡回と書類整備であった。


 他のエリアのような訓練はないに等しい。エリア統括の義務を負った貴族はほとんど手放しにすることを良しとしている。


 理由は言うまでもなく、ここの役割がゴミ箱だからだ。


 ここの意義はたった一つ、ゴミを広めるなに尽きる。


 ゴミを広めないことに限れば、大抵のことは許容される。


 そして、このエリアの騎士は他に比べて少数だ。それはこのエリアの治安維持を放棄しているからであり、監視の任が主な業務だからだ。


 暴動が起きた時に対処が出来ないほどの少人数だが、このエリアに出ない限りは放置される。


 逆言えば、このエリア外まで波及した場合はその限りではなく、他エリアから騎士団が要請され鎮圧される。


 このゴミ掃除と称される事案は、過去何度かあったが故にエリアに巣を張る組織は規模が大きいほど、そういったことを禁じている。


 外にちょっかいを出しにいくのは切羽詰まった雑魚ばかりである。そしてそういったものほどいい加減な仕事をして、騎士に取り締まられる。


 このエリア出身だと調べがついた時点で二度と日の目をみることはない。


 そう言った諸々の事情から、他のエリアとは違った形の治安が成立している。


 だからこそ、騎士という存在はあまり必要とされていない。


 騎士庁も他エリアに比べて小さく、みすぼらしい。騎士団長も日和見主義者が選ばれる傾向にある。


 つまるところ、騎士にとっても、ゴミ捨て場なのである。


 騎士の中でも最底辺の賃金、更新されず朽ちかけた設備の数々。このような待遇で真面目に務めるのは馬鹿らしいと言わざるを得ない。


 そんな中で、ひたむきに業務に励むエレナは異端とも言えるだろう。


「中々珍しい暗器だねえ」


 騎士団長――ユーライア・ローライズはやる気なさげな間延びした声で言った。


 手入れのされていない長い赤髪がゆらゆらと揺れる。眠たげな目はいかにもやる気がなさげである。


 高級なデスクに足をのせて、だらけるこの姿は、他のエリアであれば、赦されるものではないだろう。


「ご存じですか」


「まあね」


 エレナから受け取った暗器を興味深そうに弄るユーライア。刃を光に透かせて、目を細める。


「これは飛礫といってね、投げつけて使うんだ。毒を塗って使うこともある。純鉄製だけど、生命樹の射出機で飛ばして人を貫くなんて用法もあったかな」


「通常運用は射出機を用いるということですか」


「いやいや。指に挟んで投げるんだよ。独特の形状から、指をひっかけて投げると僅かな力でかなりの威力が出るらしい」


 そう言って、ユーライアは無造作に壁へと飛礫を放った。


 本人の言うところの特殊な投げ方だったのか、かなりの速度で壁へと突き刺さる。


「まあ、私は習得しているわけではないから、この程度だけども。しかし珍しいね。キミがこんな物を持っているなんて」


「昨夜襲われました」


「キミは真面目だからねえ。このエリア出身とは思えないくらいだ」


 ハハハと興味なさげにユーライアは笑った。


「ま、相手は威嚇だったんだろう。夜に襲ってきた割には、炭も塗られていない。もちろん、毒もね」


「――珍しい暗器とおっしゃいましたが、何か経歴がたどれたりしますか」


「大元の技術はとある武術流派が作り出したんだけど、その流派は一代限りで潰れたんだよね。だけど、技術は秘匿されることなくばら撒かれ、もっぱら暗殺技術として取り入れられた。だから、出所がわからないように、皆同じ形状の暗器を使う。そのせいでどこの誰かをわからないようにしてるわけだ」


「ある意味で、流派を残すことに成功しているわけですか」


「そうだね。まあ、他の技術は吸収されて跡形もなく消えたから、これだけなんだけど」


 ユーライアは皮肉っぽく笑い言葉を続けた。


「要はアレだ。自己顕示のための変形が必要とされない技術なんだね。暗殺だから、毒を塗って、肌に傷をつければ良いし、これ以上の改良も求められない」


「よくご存じで」


「趣味だからね」


 ユーライアはケラケラと笑う。


「ま、そんなわけだから、報復は諦めることだね。今度襲われたら、殺されないように素直に謝りたまえ」


 エレナは無言で頭を下げて、部屋を後にした。


 日和見主義で仕事はしない女だが、妙に博識だった。


 最低限、騎士を率いる知識は有しているということであろうか。


 だが、トンプソンエリアにいる以上は一癖も二癖もある経歴なのだろう。

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