第3話
日が沈み始めた夕暮れ、いつものようにエレナはトンプソンエリアを見回っていた。
こんな場所でも、騎士が見回るというのはそれなりに効果を発揮するらしく、エレナのテリトリーは揉め事はそれなりに少なくすんでいた。
誰もがすねに傷を持つ人間だから、騎士に捕まれば知られたくないことまで暴かれかねないからであろう。
とはいえ以前よりもこのエリア全体がおとなしくなったようにも思える。エレナの見ていないところで何かあったのか。
一通り巡回し、エリアの外縁部で一息ついていた時、背後からエレナを呼ぶ声がした。
「先日の件なんですがね……」
「珍しいな。お前が中央を離れるなんて」
振り返ると、いつもは中央で薄汚れた格好をして座り込んでいる情報屋だった。
情報屋はいつもと違い、身綺麗な格好で座っていた。
エレナの巡回ルートと、休憩するタイミングを狙って居座っていたのだろう。
でなければ、背後から声をかけられるまでもなく近づかれた時点で気配に気づくはずだ。
「金を貰った分は過不足なく働くのが私なりのポリシーでしてね」
「そうか。だが、もう教えて貰うことなんてないと思うんだが」
実際、求めていた情報というのは、男が存在するのか、とその場合の根城だ。
「いえいえ。貴方のことだ。また余計なお節介でもかけてるでしょうや」
「……そんなことはない」
エレナは否定したが、情報屋はケタケタと見透かしたように笑っている。
「まあまあ、私の話を聞いておいても損はありませんぜ」
「……聞かせて貰おう」
エレナは渋い顔で言った。
「実はですね。件の男もまたお節介なタチでしてね。早い話が目をつけられてるんでさぁ」
「なるほどな」
エレナは舌打ちした。
――頭を下げて暮らせといった意味が分かっていなかったらしい。
そもそも、争いを避けるタイプだと思っていたが、それも見込み違いだったようだ。それとも、男の言う人助け、とやらだろうか。
――人を助ける前に、自分のことを考えろ。
人を見分ける術はそれなりに身につけたと思っていたが、うぬぼれだったか。
「いつ決行されるかまでは知りませんが、近々あの男の根城に人が押し入る予定だそうですよ」
「目をつけられたのであれば、当然の成り行きだな」
「ええ。件の男はどうなるんでしょうねえ」
情報屋は軽い冗談話のように笑って、話を締めくくったのだった。
「相手が誰なのかを聞いても?」
「それはいけません。私はいくら金を積まれても、危ない話には深入りしないようにしてるのは、知っておられるでしょう」
情報屋は愉快そうに首を振った。
「そうだったな」
エレナは舌打ちする。
この女は、こうして厄介な物事の触りだけを言いふらして、成り行きを楽しむ悪癖があるのだ。
勿論、情報を集められないわけではない。意図的に集めていないのか、それとも知っていて答えないのかはこの女の胸の中である。己の身を守るためでもあるが、それ以上にこの女の趣味であろう。
エレナは何度か、こうした面倒事の触りだけを聞かされて厄介払いに走ったことがあった。
文句を言いたいのは山々だが、役に立っているし、知らせてくれるだけありがたいのも確かである。
とはいえ、毎度のこともう少し立ち回りやすくなる情報をよこしてほしいものである。
「……助かった」
口数少なく頭を下げるエレナに、情報屋は楽しげに笑って、
「おきになさらず」
立ち去る情報屋の引きつった声が闇夜にこだまする。
「……」
覚えておけよあの野郎。
心底楽しそうな笑い声に、エレナはいらだちを隠せないのであった。
エレナは自身の指にはめた生命樹をなぞった。
指輪はまだ男の危機を知らせていない。闇討ちされて危機を伝える前に死んでいなければ、だが。
わざわざ男を襲うような女は大抵が嗜虐的だ。おそらく、闇討ちをして連れ去ったとしても、一度どこかで身動きを封じた上で意識を取り戻させ、そこで犯すなり、拷問するなりするだろう。
男をいきなり殺す、などということは予想外に抵抗され、余裕がなかったときでもない限りはない、と信じたいが。
エレナは願望を交えた展開を思いながら、足早にオーガストの根城へと向かっていた。
幸い、情報屋と話していた地点から、さほど離れていない。
急げば十分ほどで到着するはずだ。
足早に歩いている中、男が声をかけてきた。
「すいません、騎士さま。ご迷惑でなければ、お手をお貸しいただいてもよろしいでしょうか」
荷物を手に立ち往生しているらしい。男は途方に暮れ、すがる目つきでエレナを見つめている。
「……まあ良いだろう。何に困っているんだ」
今すぐに襲撃される、などと言うことはないだろう。生命樹の指輪もあることだし、多少は寄り道しても問題はないか。
エレナはそう判断して、男に歩み寄る。
「助かります。実はこの荷物なのですが――」
「待て」
エレナはオーガストの根城がある方向を観た。
町並みから空にかけて、煙が立ち上っている。
「まさか」
エレナは男に背を向けて、煙の方へ走り出した。
「あ、ちょっと――」
「他の者に頼むか自力で解決してくれ!」
それだけ言い残して、加速する。
――距離的にはそう遠くないはず。まさかとは思うが……。
エレナは隊服に織り込まれた生命樹の繊維に生命力を流し込んだ。
生命樹が活発化する。
エレナが強く踏み込むと、生命樹が力を大きく増幅させ、人外の出力を発揮する。
一瞬で速度は人が出せない領域まで上がり、さらにぐんぐんと加速していく。
その間にも煙は少しずつ輪郭を露わにさせていく。消し止められていないのか。
「ちっ」
エレナは舌を鳴らして、生命力を更にまわす。隊服からの補助を受けた足で大きく踏み込むと、飛び上がった。
煩雑な道々を無視して、建物の屋根へ着地する。闇夜を縫うように煙の元へと一直線に飛んでいく。
身軽な動きで飛び回り、目的地へと奔っていく。
「あれか――」
大きく飛び上がり、煙の根元へ着地する。
「おい、火災か、放火か!」
――やはり、とエレナは思った。
にらんだとおり、火元は見覚えのある場所から立ちこめている。オーガストの根城だ。
いい加減に取り繕われた家屋は、隙間風が入ることもあって、すぐに火が業火となることもそう遠くはないだろう。
エレナは若い男の住処ということも忘れて、部屋の中へ押し入った。
煙が立ちこめている。ボロ家の中も荒れていて、明らかな異常事態だ。
「おい、――オーガスト! いないのか!」
エレナは焦りを滲ませた呼び声を上げつつ、煙が漏れ出ている扉を蹴り壊して飛び込んだ。
「おいっ――おい……何してるんだ」
飛び込んだ先は、いつぞやの中庭だった。
そこでオーガストとその弟子、カスターは木材を一カ所に集めて燃やしていた。
「げっ」
「ああ、これはこれは。先日はどうもありがとう。慌ててどうされました」
嫌なものを見た、とばかりに露骨に顔歪めるカスターと、相変わらず凜とすました顔で平常を気取っているオーガストが出迎える。
何事もなさそうな様子に、エレナは苛立たしげに舌打ちをして、オーガストに詰め寄った。
「何をしているんだと聞いているんだ」
「みればわかるだろ」
ぼそっと反抗的に呟くカスター。
「なぜ焚き火なぞしてんだって聞いてんだ糞ボケ共。お前が襲われたんじゃねえかと思って急いで来てみりゃふざけてんのかコラ」
エレナの剣幕に、オーガストは目を丸くする。
「よくお分かりになりましたね」
「……何だって?」
「いえ、ですから、ここでの出来事を察して駆けつけていただいたのでしょう。――ああ、生命樹の指輪で駆けつけてこられたんでしょうか。ご迷惑をおかけして申し訳ない」
――生命樹にそんな便利な機能ねえよ。
エレナはとっさに言い返せずにそんなことを思った。
「あー、なんだ。襲われたのか」
「先生がそう言ってるだろ」
「……襲われたのなら、なんでそんなのんびり焚き火なぞしている。そもそも襲ってきた下手人はどこだ」
「火をつけられましたので。燃えた部分を切り離したものですよ」
そのために家の中があれほどあれていたのか、エレナはちらりと壊れた扉から家の中を見た。
オーガストとカスターの足幅に合わない足跡が何重にも重なって床を汚している。
「下手人は逃げられました」
「……言いたいことは山ほどあるが」
頭痛を抑えるように、頭を抱える。
「怪我がなさそうでよかった」
「先生がチンピラになんか負けるかよ」
「相手をそう見下すものじゃない。見た目を偽装くらいは誰だってやれるのだから」
「はい」
オーガストが諭すと、カスターは素直に頷いた。
「で、どうやって窮地を躱したんだ」
「殴りました」
「殴った……?」
男が目一杯の力で殴ったところで女を倒せるとは思えない。
男は女のように子を孕むことも、育て得ることもできないため生命力を蓄えることが出来ない。そのせいで、今消費している分だけの生命力しか存在しないのだ。
なけなしの生命力で身体能力を強化しようにも、生きるために必要な分まで削ってしまえば待っているのは死だ。
男と女の身体能力、生命力は天と地ほどの差があるのだ。これは、生命の作りからして覆しようのない真理である。
「殴って撃退したのか……」
にわかに信じがたい。
だが、この男は力を隠して相手を侮らせることを徹底しているように見える。
なにか特殊な技術を使っているが、それを他者に吹聴したくはないのだろう。
名誉よりも実利を取る者特有の考えだ。
「それで、その者たちはどうした」
「ええ、複数人で来たものですから、深追いはやめておきました」
「そうか」
無駄に深追いしない当たり、変に力を過信せず見極めがついている。
「何かその者たちの特徴はなかったか」
組織立てて動いているのであれば、何かのシンボルがあるはずだ。
このエリアに棲まう者は所詮、負け犬の集まりだ。
だからこそ、徒党を組むし、このエリアで巨大な力を手にしたとして、ここから出ようとはしない。
徒党を組んで、力を誇示し、畏怖を買うことがなけなしのプライドなのだ。
「そうですね……」
オーガストは記憶を探るためか、視線を落した。
「……同じ紋様を手の甲に入れてましたね」
「タトゥーか。で、そのデザインは」
「確か、玩具の風車のようなものだったかと」
オーガストはそう言って、手の甲をデザインを示すためになぞった。
「……なるほどな」
エレナは渋い顔をして、腕を組む。
「どこの誰かは分かった」
「やはり有名な組織でしたか」
「ああ。ウィンドミルと名乗ってる一派だ。奴らの目的は一つ。金だ」
「金ですか」
「そう、金銭を目的として集まっていて、金銭を対価に何でもやる。それこそ、街の清掃から、男の売り買い、そして人を殺すことまで」
「中々たちの悪そうな組織ですね」
まるで他人事である。オーガストは顔色ひとつ変えず頷いた。
「そのたちの悪い組織に狙われてるんだ、危機感というものがないのか」
「そうですね……カスター」
「はい、なんでしょうか」
「話は聞いていただろう。お前はしばらくここには来るな」
「……なぜですか」
「わかっているだろう。危ないからだ」
「……戦います」
「戦って何になる」
「戦って、勝って見せます。もし、俺が危ない目に遭ったのなら、見捨ててもらってもかまいません」
「カスター」
オーガストは諭すように、名前を呼んだ。
「……」
カスターはうつむく。
「わかるね」
「……はい」
血を吐くような返事だった。
カスターはうつむいたまま、中庭を出ていく。
「オーガスト、キミは容赦がないな」
カスターが少し哀れに感じたのか、しょぼくれた後ろ姿に視線を移しながら、エレナはつぶやいた。
「どれだけ技術を磨いても、戦って勝とうと思っている限り、死ぬだけです。そこを誤魔化してしまっては何にもなりません」
「そうか」
――それはそうなのだろう。男は所詮男。女に勝てる道理はない。
「さて、それはキミも同じだ。あくまでこのエリアでのみ猛威を振るう組織とはいえ、巨大なことには変わりない」
「恐ろしいものです」
オーガストは微笑む。
「言っておくが、騎士がなんとかしてくれるとは思わないことだ」
「手が回りませんか」
「ここはゴミ箱だ。汚いものを片っ端から詰め込めこんだ箱に手を入れてかき回そうと誰が思う」
「思わないでしょうね」
「エリアを管理する連中は、治安を維持するためほどほどに取り締まり、ほどほどにうまみを啜らせる。そうして外に出て行く気を削がせて蓋をする。そんな風に考えているのではないかな」
エレナは忌々しげに顔を歪めた。
「あなたは違うのでしょうか」
「私は……。いや、私も同じだ。砂漠では石も砂になる」
エレナは自嘲の笑みを浮かべた。同じだと言う割には、納得は言っていないらしい。
「ではしばらく姿を隠しますか。囲まれれば危ないかもしれませんが、他人の目を恐れていればなんとでもなるでしょう」
「そうか……」
それにも限度はあるだろう。やはり状況は打破しなければならない。そうでなければこの男には悲惨な末路は避けられない。
背は高く、筋肉隆々でゴツい体格に欲情する好き者はそうはいないだろうが、それでも男である。男が捕まれば、女よりも悲惨な目にあうことは自明の理だ。
「そもそも何故お前は襲われているのだろうな」
「さて……どこぞで恨みでも買ったのでしょう」
「恨まれるようなことをしたのか」
「生きていれば思いがけないことで恨まれることもあるでしょう。男だてらに己の腕一本で生きようとするなどと憤慨する声もそれなりに聞きます。何が気に障ったのか人の心は計り知れないところがありますね」
オーガストは穏やかに肩をすくめた。
エレナが思っていたよりもずっと現状を把握出来ているらしい。
「てっきり私は周りの愚かな人間なぞどうでもいいと、一切に興味を示さないタイプかと思っていたぞ」
「そういった噂が仕事を呼ぶのですよ」
エレナの軽口に、オーガストは笑って返した。
「とにもかくにも用心することだな。騎士団を動かそうにも証言だけでは動きようがないし、そうでなくともエリアの掃除などやりたがるかも……」
言葉を濁しはしたが、十中八九黙殺されることは考えるまでもなかった。この中でどんな狂乱が起ころうと、男がいくら虐げられ、女がいくら死ぬ目にあおうとも外に出なければ何事も起こっていないと見なされる。
「統治している側としても、このエリアの均衡をあえて壊そうとは、思わないでしょうね」
「人ごとのように言うな。狙われているのはキミだ。男に追い払われたとことは、組織が本腰を入れる理由にもなる。なにせ、なけなしのプライドを傷つけられたのだから」
クズはプライドばかり高くて困る、と言って、エレナは鼻を鳴らした。
「いざという時は助けを呼びます。それまでは、人を恐れて逃げ隠れしておきます」
オーガストは懐からエレナが渡した生命樹を取り出した。
「ああ、そうすることだ」
「……一応聞いておくが、あの少年は私の方で保護しなくても良いのか」
「なんとなく察しておられるでしょうが、カスターはここの住人ではありません」
「――まあ、そうだとは思っていた」
粗雑な言葉遣いを使っているが、それはエレナに対する反発心から出たものだ。
普段の立ち振る舞いや、激していない時の言葉遣いにはトンプソンエリアでは身につかない品があった。
オーガストがこの道場を出て行くのを止めようとしないのは、影で相応の護衛でも付いているのだろう。
つまり、それなりの身分を持った男だというわけだ。
こんなところで武術を習っているのは、男でありながら、女に勝てる腕を持つオーガストを慕ってのことだろうか。あの少年の女に対する敵対心を鑑みれば、どれほどの達人であろうとも女であるかぎり拒絶するに違いない。
「いいか。キミの腕が生半可ではないというのは察しがつく。だが、所詮男だ。生命樹を持ち出されれば、むなしい抵抗となるだけだ」
「ええ。無茶をするつもりはありません」
オーガストはあくまで穏やかに頷いてみせた。
――本当に分かっているのか?
ここに来るときも、この男は一人で複数の女を相手にしていたのだ。確かに、真正面からの戦いであれば、チンピラ相手なら複数人でも問題ないのかもしれない。
だが、ここに巣くうクズは正々堂々などという言葉とは正反対の生物である。
数が頼みに出来なければ、人質を取ることも、毒を盛ることも考えられる。
ましてや、ウインドミルは組織力のある相手である。違法な生命樹で武装してくることだってありえるのだ。
男が相手だったとしても、勝てばどんな卑怯もなかったことに出来る。
それをわかっているのだろうか。この男は問題ないと判断すればエレナを呼ばないかもしれない。
この男は外様である。しかもここに流れてからまだ日も浅い。
「くれぐれも無茶はするな。襲われたのならば、素直に私を呼ぶが良い。今回は相手が生命樹を保持していなかったからよかったものの、隠し持っていればどうなっていたかわからないんだ」
ウインドミルのような組織であれば、当然生命樹を保持しているだろう。
「わかったな」
エレナは何度目かわからない念を押したのだった。
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