第2話

 国王に庇護されてなお、この国は熱く、渇いている。


 日中の暑さと言ったら、働く気力を奪うほどである。


 乾燥しきった中で吹く風は清涼感をもたらしてくれるが、外から降ってくる砂も混じるため、すぐに不快感に変わる。


「あっちぃ……」


 エレナは日陰でうなだれていた。真面目に見回りをしているのは良いが、昼間はどうしても暑さに気力を持って行かれてしまうものだ。


 滴る汗を何度か拭うが、すぐに肌から噴出してくる。


 肌を覆う隊服に風を吹き込むために、胸元をパタパタと引っ張るが、汗で肌にへばりついた細かい砂は取れない。


「あー……」


 うつむき気味に気の抜けた声を上げていると、正面に人の気配が止まる。


「ん? ――何だ、キミか」


 エレナが顔を上げると、そこには荷物を抱えたオーガストがいた。


「見回りですか。ご苦労様です」


 オーガストは荷物の重さを感じさせない身のこなしで、頭を下げた。


「私のことはいい」


 素っ気なく言うエレナに、オーガストは薄く笑う。


「その荷物、重くないのか」


「これぐらいでは重くありませんよ」


 オーガストは笑って言うが、身の丈を遙かに超える荷物を背負う様は男が持つには無理があった。


「そんなもの、断ってしまえ」


「何でも屋のようなことをしておりまして」


「何でも屋ね」


 エレナはそう言いつつ、荷物をひったくった。


「どこに持って行くんだ」


「任務の邪魔はできませんよ」


 オーガストは少し驚いた顔をする。


「かまわん。どうせ当てもなく歩いているだけだ。ルートが決まっているわけでもなし、キミの行く方向へ歩いて行ってもなんら支障はない」


「ですが……」


「こういうときは厚意に甘えておくものだ。大体男がこのような大荷物を持っていては襲ってくれと言っているようなもの。自衛が出来ても万が一ということもあるし、余計なトラブルはキミも避けたいだろう」


「……ありがとうございます」


 オーガストは素直に礼を言った。荷物を任せることにしたらしい。


「こちらです」


「ああ」


 オーガストに先導される形でエレナは歩き出した。


 しかし、格好つけて荷物を奪ってみた者の、やたらと重い。男が軽々と持って良い重量ではなかった。それなり以上に鍛えているエレナからしても、これはかなりの重量だ。


 いくらオーガストが達人といっても、限度がある。


「よくこれを持って歩いていたな」


「そこまで重くありませんよ」


「そうか……?」


 どうやら鍛え方が違うらしい。


「キミは何でも屋なんてやっていたのか」


「ええ。私は身体だけが取り柄の男ですから」


「その言い方はやめろ」


 いかがわしいから。


「ははは」


 オーガストは軽く笑い飛ばした。


 どうやら本人なりのジョークらしい。


「いやはや、しかし私は人に誇れるような技術を持ち合わせておりませんので、出来ることはなんでもやる、そうでなくては食べてゆけぬのですよ」


 それに、人助けも悪くはないものです。オーガストは冗談交じりに言った。


「武術を教えれば良かろう。あの少年に教えているように」


「男に教えを請う物好きなどおりませんよ」


「……」


 それはそうだろう。


 しかし、あっけらかんと言ってしまってよいものなのだろうか。


「かまいませんよ」


 オーガストはエレナの顔色を呼んだのか、言葉を続ける。


「そもそも武術を学ぶこと自体に意味もありません」


「それはどうなんだ。強くなれるし、身体も鍛えられるだろう」


「人を打ち倒す強さが欲しければ、生命樹を使う方が早いですよ。身体を鍛えたければ走るなり筋肉を鍛えるなりした方が手っ取り早い」


「だがキミは生半可ではなく、武術を納めているのだろう。それは何故だ?」


「さて、私は武術を納めたわけではありませんから」


「……?」


 武術家特有の謙遜であろうか。まだまだ頂きにはほど遠いとか、そういう求道染みたことなのか。


「本当か?」


 それにしては手に抱えられる程度でありながらやけに重い。


 鍛えていない女では持ち上げることすらかなわない重量だ。


「男だてらにこの重量を持ち運べる時点で生半可ではないと思うが……」


「そうでもありませんよ。膂力があれば誰でも出来るでしょう」


 何でもないように話すオーガスト。


「それはそうだが」


 この男はとことん、自身の能力や鍛えた力に関して誇らないようだ。


「結局の所、生まれ持った資質以上の力を発揮したければ、道具を使うしかありません。でも、その道具を使うにも資質がいる。ままならないものですが、強さとはそういうものです」


「それを分かっていて何故キミはは武を鍛えているんだ」


「武術は手慰みのようなものです。出来るからそれもやる。別にたのみにしているわけではありません」


「その割には心身共に尋常ではないようにみえるが」


 その言葉に、オーガストはふと笑った。


「言ったでしょう。結局の所、素養なのですよ。私には尋常ならざる才能があったということです」


「ほう」


 一転、今までの謙虚な言葉とは違った傲慢な言葉がそこにあった。


 だが、それこそ垣根なしの本音というやつなのだろう。


 だが、男の身でありながら、このような荷物を平然と持ち運ぶほど鍛えていたりするのは、やはり優れた身体からくる素養というやつだ。


 そもそも、普通の男はいくら鍛えようとも自身の背丈を超える荷物を担ぐことすらできはしない。


 そのようなことを考えていると、いつのまにか先導するオーガストが足を止めていた。


 エレナは大柄な背に顔をぶつけそうになって、慌てて足を止めた。


「ついたのか」


「いえ、エリア間の移動になりますから、手続きをしてきます。ここでお待ちください」


 そう言って、オーガストは足早に関所へとかけていった。


「エリアを跨ぐ仕事だったのか。珍しいことだ」


 エレナは一人ごちた。


 このトンプソンエリアから抜け出せる者は珍しい。


 ここ出身であるというだけで、他エリアでは信用を失うため、エリア外で職を探すのにも苦労するのである。


 そして、当然だが、トンプソンエリア出身者には学がない。


 周りに流されず、相応の努力を重ねるというのは至難の試みであろう。


「お待たせしました」


 オーガストが戻ってくると、手には手続き書を持っていた。


「エリア外ですので、ここから先は大丈夫ですよ。任務にお戻りください」


「ふむ、そうか」


 エレナは頷いた。


 本音を言えば、ここから抜け出した者の顔を見てみたいものだったが、エリア騎士のため、日中にエリア外に足を運ぶわけにもいかない。


「まあなんだ。ここから抜け出た依頼主に、幸福を祈っているとでも伝えてくれ」


「わかりました」


 オーガストはそう言って、エレナが背負っている荷物を軽々と受け取った。


「……重くないのか」


 再三の疑問である。エレナは何度問うても信じられないらしい。


「この程度であれば」


 オーガストは平然という。


 ふむ、とエレナは小首をかしげつつも、席晴らしして、


「ではな。トンプソンエリアを出れば問題はないと思うが、道中気をつけることだ」


「ええ。ありがとうございました。それでは」


 オーガストは荷物を背負い直すと、軽く頭を下げて、エリア外へと歩いていった。

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