第12話:三年目-夏後編4


その写真には彼女がいた。

初めて認識したゆーれいちゃん。

そのゆーれいちゃんを僕はよく知っていた。


セミロングの黒髪、どこか翳りのある瞳 、あどけなさの残る頬。

それは僕の知る中学生時代のゆーれいちゃんだった。


僕はゆーれいちゃんを知っている?

高校で初対面のはずだ。

なのに、何故か、姿の見えない彼女と……、僕が知らないはずの中学生の頃の彼女が符合していた。


僕は顔を上げてアルバムの中の彼女と見えない彼女を見比べる。

相変わらず彼女は見えない。

それでも僕は答え合わせをしようとアルバムとベッドを交互に見やる。

不意に耳元から声が聞こえ、身体が跳ねた。

「ねぇ、ゆーくん」

「──っ!! びっくりさせないでよ」

「えー、酷くない? 私見つけたみたいだから覗きに来ただけなのに、ゆーくん誰もいないベッド見てるし」

「だってベッドにいると思ったし」

「どう? 見れた?」

「うん、見れたよ。今まで全然見えなかったのに」

「前にしよーちゃんに撮ってもらわなかったっけ?」

「二人が遊んでたときね。撮ってるのは見たけど僕は見てないよ」

「ふぅん。ゆーくん、私の事撮りたい? 見えるかもよ?」

彼女の提案に逡巡する。

アルバムに落とした視線は、僕の真横に彼女がいると脳へと伝えていた。僕には見えていないものを脳が見えていると思い始め、その齟齬が気持ち悪い。僕の横にいるのはアルバムの中の彼女ではなく、そこから3年程年月を経た彼女だ。僕は前に進むためにここに来たのだ。過去の彼女では意味がない。一度スマホを手にするも、躊躇いが生まれ、僕の望む答えではないと手放した。

「えー、とんないのー?」

「とってほしいの?」

「今ならどこにいるか教えてあげるよ?」

「嘘つかれてもわかんないんだけど」

「信用ないなぁ」

「僕が見たいのは画面上のゆーれいちゃんじゃないんだ。ここにいるゆーれいちゃんが見たいんだよ」

「……ふぅん」

どこか含みのある言葉に促され、僕は声の方向を向いていた。

「なに」

「別に。よく言うなって思っただけ」

「どう言う事?」

「ゆーくんは私のこと好きだよね?」

「何さ、急に」

「好きでもない子の家に押しかけないよね? 本当は二人っきりになりたかったんだよね?」

耳元で、語りかける言葉でゆーれいちゃんは断言する。

「ここにいる私を見たいんだよね?」

「……うん」

「じゃあさ、ちゃんと見てよ。目を背けないで、私を見てよ」

頬に何かが触れているような仄かな熱を感じた。だがそれに力はなく、何となく熱を帯びているような曖昧な感覚。意識してようやく気付けるような些細な感触は、役に立たない視覚以上に確かにゆーれいちゃんを認識していた。

「……何が言いたいのさ。僕はゆーれいちゃんを見たくてここまで来たんだ。目を背けてなんていないよ」

「嘘つき」

淡白な言葉が、今までのどの言葉よりもはっきりと胸に刺さった。

「嘘つき」

それを理解した上でゆーれいちゃんは追い詰めるように言葉を重ねていく。

「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき」

重なる言葉は僕の心拍に共鳴するように鼓動を強めていく。それはまるで嘘をついたことがバレて責められているような──。

「嘘つき」

最後の言葉が後頭部を殴りつけた。その瞬間、視界に何かが映る。人の輪郭を持った何か。顔を型どった何か。顔を黒く塗りつぶされた何か。穴のような何か。目も口も鼻もない何か。見えているのに見えない暗闇からは声だけが木霊する。

「あは、やっと見てくれた」

「うぁ……、え……、は?」

言葉にならない、理解が追いつかない。何も見えない暗闇が笑っている。

「やっと見た、やっと見た、やっと見た」

壊れたラジオのように同じ言葉を同じ調子で同じ感覚で繰り返す何かは明らかに異常であった。

「ゆ、ゆーれいちゃん……?」

「なぁに?」

粘つくようなガサつくような、今まで聞こえていた声と重なる二重音声が鼓膜を叩く。

「顔が……」

「やっと私を見たのに、まだしらばっくれるの? ちゃんと見て、思い出して」

「思い出す……?」

一体何を。ゆーれいちゃんはノイズ混じりの声で笑う。

「やっと、やっと。3年も、3年もかかった。でもこれで終わり」

ばつんと、ブレーカーが落ちる様に景色が暗転した。僕はゆーれいちゃんの部屋にいた。椅子に座っていた。だが座っている感覚がない。立っている感じでもない。ただ空間に漂うような曖昧さ。真っ暗になった世界はゆーれいちゃんの塗りつぶされた顔のように光がなく、全身を見られているような悪寒があった。

「んふ、この世界は私の世界、私だけの世界。私の愛しい幸せな世界」

「全部ぜぇんぶ、私の物。ゆーくん、私の部屋まで迷わずに来れたよね? だってゆーくんは私のものだもん」

「やだやだ、わかんないわかんない。なんでなんでなんで」

「何で誰も気付いてくれないの!? やめて、おじさん。落ち──」

「助けて」



──季節は春。

雪も溶け日差しが暖かくなった今日此頃。

僕は2回目の入学式を迎えていた。

壁にかけられた紅白幕、並べられたパイプ椅子。

僕だけの入学式。


あぁ、全部思い出した。

僕は虚空を睨めつける。

今の僕はゆーれいちゃんと同じ顔だろう。

今になって寺田先生が初めて空き教室に来たときの反応の意味がわかった。

あの時のみんなの反応の意味がわかった。

ここはゆーれいちゃんを囚える為の牢獄で寺田先生は監視役。

本来迎えられなかった高校生活を、牢獄に縛り付けることで創造した。

ゆーれいちゃんが囚われたからこそ、僕も此処にいる。

僕だけが此処にいる。

恐らく僕は寺田先生を含めた監視人から見れば予定外の存在で、だからこそ干渉してきたのだ。

それを考えるとゆーれいちゃんが居ないのに終わった高校生活がまた始まるのは異常事態のはず。


ぽつぽつと人が現れ始め、式場がざわつき始める。

ゆーれいちゃんが囚われた牢獄。

ゆーれいちゃんの為の世界。

ゆーれいちゃんを監視する為の箱庭。

ゆーれいちゃんが消えれば終わるはずの世界。


ここからは違う。

ゆーれいちゃんを解放する為に。

ゆーれいちゃんを囚えた奴に復讐する為に。

ここは深い奈落の底。

僕自身が餌であり監視人を引き摺り落とす落とし穴。

この奈落は僕の世界、ゆーれいちゃんと同じ様に存在しない三年間を繰り返す。

この幸せな牢獄が壊れるまで──。

気がつけば学生や教師も揃い、2度目の入学式が始まっていた。



薄暗く狭いオフィスで寺田はモニターを見て眉を顰めた。終わったはずの怪異が、三年前の入学式から改めて流れ始めたのだ。そこには顔が塗りつぶされて認識できない男子学生が一人、モニター越しにこちらを見ている。それはつまり創造した怪異が自分達の想定から外れて変質した事を指していた。モニターに映る男子学生は確実に自分を認識して、こちらを見ている。

「……やばいかも」

本来、今日でこの業務は終わる予定だった寺田は異常事態を報告する為に、局長へと内線を繋いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る