第9話:三年目-夏後編1


ゆーれいちゃんがいない。

元より視認できない僕には空き教室以外でゆーれいちゃんを見つける事はできない。

教室の席も空いたまま。

ただ、誰も気にすることなく日常が過ぎていく。

先生も生徒も、誰もゆーれいちゃんがいない事を気にも止めない。

空き教室にもゆーれいちゃんはいない。

最初から学校に居なかったように、時間だけが過ぎていく。

──あぁ、もう来週には夏休みだ。


ゆーれいちゃんの欠けた生活は僕を幽鬼のように変え、朧気な記憶だけで一日を積み上げる。

積み上げているのか崩れ落ちているのか、それすらもわからない曖昧な一日。

僕にとってはゆーれいちゃんと関わる事だけが明確な記憶であった。


あれから放課後は帰宅を促す放送が流れるまで空き教室で過ごした。

だが、ゆーれいちゃんは来ない。

よーかいちゃんは来ない。

時永先生は来ない。

僕がゆーれいちゃんと積み上げた同好会は砂の城の様に儚く崩れた。

いや、きっと僕は劇場の客席にいた観客だったのだ。

主演はゆーれいちゃん。

それに憧れた僕は客席から眩しい舞台を見上げていただけなのだ。

幕が引かれた舞台に立つ僕は役者ではない。

ただ一人、役もなく観客もいない舞台に立っている。

見渡す世界は奈落の底。

照明のない舞台は僕を闇に溶かしていく。

ただ一人の観客しかいない舞台の扉を開き、寺田先生が軽い挨拶をしながら入ってくると何事もないように椅子に座った。

「黄昏れてるね。今年が最後だし、今後についてもの想いにふけってたのかな」

「……寺田先生」

「なんだい?」

不思議と久しぶりに話した気がした。

曖昧に積み上げていた記憶が自分の立ち位置を明確に思い出し、意識が急浮上する。

「お久し振りです」

「そうかな? 同じ学校にいるんだけどね」

「ねぇ、先生」

「ん?」

「ゆーれいちゃん、知りませんか?」

「幽谷さん? 来てないの?」

先生は関知していない様で僕に聞き返す。

「どう……なんでしょう。最近見ていなくて」

「ふぅん、そうなんだ。僕も見てないなぁ」

「あの、よーかいちゃんは」

「犬飼さんも見てないよ」

「……時永先生はどうですか」

「そう言えば会ってないなぁ。休んでるのかな」

「ねぇ、先生。僕の話を聞いてくれますか?」

「悩み事? 一人で抱え込むと思い詰めちゃうよ。特に君たちみたいな思春期には」

柔らかい表情を浮かべる先生を見ると、僕の口は自然と開いていた。


「……よく3年もその状態でいられたね」

「信じてくれるんですか?」

「教師である前に僕もオカルトは好きだからね。それに──」

話しながらも頬を伝う涙を見て、嘘じゃない事は痛いほどに理解ができた。思い詰める生徒を前に、そんな事はありえないと否定はできない。

「僕に話したってことは何かしら助けが欲しかったんだよね。悩む子供を助けるのは大人の役目だよ」

「……ありが、とう……ございます」

「んー、でも困ったなぁ。流石に君が幽谷さんを見えないのは僕にはどうしようもできない」

「先生はゆーれいちゃん見えますか?」

「うん、見えるよ」

「ゆーれいちゃんってどんな感じの見た目ですか?」

「そうだなぁ、髪は黒くて肩より少し長いかな。周りと比べると少しだけ幼い顔立ちな気もするなぁ」

「……そうなんですね。見てみたいなぁ」

「幽谷さんは君に見えないって言われてから居なくなったんだよね」

「はい。怒らせてしまったみたいです」

「でもさ、怒ったとしてもずっと学校に来てないなんてあるかな? 今までも見えないけどクラスの人と遊んでるのとかはわかったんだよね? 来てるけど黙ってるだけとか」

「……確かにそれなら僕は気づけません。でも、誰も話しかける素振りもないし」

「学校に来てるかどうかは一旦置いておこうか」

寺田先生は一息つくと深く背もたれに体重を預けた。思案するように目を細め、口を閉ざす。僕はただ先生を見る事しかできず明確な意識の中、無為に時間を零していった。

「……君は隣町に行ったことある?」

「隣町ですか?」

意図のわからない質問に、記憶を遡らせる。

「何年か前に行ったきりですけど」

「幽谷さん、確か隣町に住んでたと思うんだ」

「そうなんですか?」

「前に時永先生と少し話したんだけど、その時に聞いたような気がするなぁ。もしかすると会えるかもしれないよ」

「知りませんでした」

「君はここでなら幽谷さんがいるかどうかわかったんだよね? それなら他の所でも気付ける場所があるかもしれないよ」

「………寺田先生、ありがとうございます。隣町に行ってみます」

「どういたしまして。ただ、明日にしてね。僕も一応先生だから、この時間から歩き回るのは止めないと」

椅子から立ち上がった先生は軽く腰をひねり、働くかとため息と共に吐き出す。

「それじゃあ建前も口にしたし、補導されないように着替えてから行きなよ」

じゃあね、と先生は舞台裏へと消えていった。

その背中を見て、僕も次の舞台の準備をするために家路につく。

今度こそは僕も舞台に立つ。

ゆーれいちゃんと一緒に──。

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