第6話:三年目-春


──高校最後の春が来た。

いい加減通い慣れた雪解け道は、残雪と水溜りが陽の光に反射して目に刺さる。

見上げた空は雲のない快晴。

葉を落とした枯れ木に、少しばかりの緑が見て取れた。

僕は歩道を歩きつつ周囲を確認する。

別に物を落としたわけでも、ゆーれいちゃんやよーかいちゃんを探している訳ではない。

最近気づいたのだが、誰かに見られているような気がするのだ。

恐らくは気のせいなのだろう。

だが、思い返せば一年の頃から見られていた気もする。

それを思うと妙に気持ちがざわついた。

何かを忘れているような、何かが抜け落ちているような欠落感。

その何かを埋めなければと感じる焦燥。

この焦燥感は一年目の冬と似たものであった。

僕はどうすれば良いのだろうか。

このままでは駄目な気がする。

僕は最後の高校生活を使って、今まで曖昧なまま済ませていた事を明確にする決意をした。


そんな折、珍しい事に僕に話しかけてくる人がいた。

話を聞くに彼は僕の通う高校の新任の先生との事だった。学校までの道すがらスーツ姿の先生と歩く。最近引っ越して来たせいで、まだ土地勘がないらしい。少し普段の道から外れた結果、迷った先で僕を見つけたようだ。寺田と名乗る先生ははにかんだ笑顔を浮かべていた。

「君は何年生なの?」

「今年3年になります」

「そっか、最後の年だね。何か部活とかは?」

「部活というか同好会ですが、オカルト同好会に入っています」

オカルトかぁ、と先生は呟く。

その声音は何か含みがあるように聞こえた。

「どうしました?」

「いや、僕もオカルト?心霊?的な話が好きでね。興味が惹かれたよ」

「……もう顧問はいますよ」

「そっかぁ、残念だなぁ。僕が遊びに行っても平気かな?」

「まぁ、大丈夫かと。ただ、同好会の会長は空き教室に来る人に怖い話をねだるので何か用意した方が良いかも知れないです」

それを聞いた寺田先生は面白そうだと笑う。

「僕もそれなりに怖い話とかは聞いてるからね。一つくらいなら話せるよ」

「僕も楽しみに待っていますね」

程なくして学校が目視できる場所まで来ると、先生はありがとうと言って小走りで学校へと向かっていった。新学期から一週間ほど経っているが、そんなものなんだろうと僕は自分の教室へと歩く。

校門を跨いだ時、聞き慣れた予鈴がなった。


放課後、空き教室へ向かう。

今日はまだ誰もいない様だった。

いつもと同じ定位置に腰を下ろして、鞄に入れた漫画を読む。

ここ最近はゆーれいちゃんが空き教室にいない事が増えた。

そんな時、僕はいつ来るかわからないゆーれいちゃんを待って漫画を読んだりうたた寝をしていた。

僕が寝ているときに限って扉が閉まる音が聞こえる事が多い。

時永先生かよーかいちゃんか、僕が寝ていてゆーれいちゃんが居ないから様子だけ見て帰っているようだった。

もしかするとゆーれいちゃんも僕が寝てるときは帰っているのかもしれない。


僕一人しか居ない空き教室は、春の麗らかな陽光に照らし出され尚寂しい。

教室では相変わらず見えないゆーれいちゃんと少しばかりの世間話はするが、あまりオカルトに関わる話はしなくなった。

何となくゆーれいちゃんが遠くなった気がした。


「もぅ、何で最近はいないんですか?」

「私3年だからね? いい加減勉強しないと」

「れいちゃんが勉強しても手遅れですよー」

「しよーちゃん、それは酷くない?」

空き教室の扉が開いた。

聞き慣れた、懐かしさを感じる陽気な雰囲気に包まれた二人がいつもの席に座り、ゆーれいちゃんが僕に小さく手を振った。

「それに勉強ならここで良いじゃないですか。私達と時永先生位しか来ないんですし」

「んー、でもここだとしよーちゃんが私の邪魔するからなぁ」

「しませんよ、そんな事。あわよくば来年、一緒に勉強したいなっていう思いが行動に出ているだけです」

「素直に喜べないなぁ」

きっと僕は二人の会話に頬をほころばせていたと思う。

今度は時永先生が訪れ、僕の正面の席に座ると脱力する。

いつも通りとは言え、慣れない。

だからと言って今更座る場所を変えるのもわざとらしい。

そんな言い訳をして、僕は重い腰を上げない。

「なんだ、幽谷。今日はいるのか」

「しよーちゃんにつかまったのー。せんせー、助けてー?」

「最近、れいちゃんが来てないので捕まえました」

「犬飼、程々にしろよ。幽谷はあまり芳しい成績ではないからね」

「大丈夫ですよ、来年私が勉強を教えますので」

「私への信頼はお留守かなー」

「私は少しサボったら戻るが、たまには幽谷が何か話してくれないか? 短いもので構わないよ」

何となくゆーれいちゃんの目が輝いたような気がした。

「せんせーの欲しがりさん。しかたないなー、じゃあ短めで」

意気揚々とゆーれいちゃんは語りだす。

確かに僕もゆーれいちゃんの話を聞くのは久しぶりだった。それこそ、よーかいちゃんが来る前が最後だった気がした。



──曰く、最近見た夢の話。


みんなって夢見る?

私はあんまり見ないんだよね。

それに夢って見た後は覚えてても、起きて活動し始めたら忘れない?

もう午後には夢見たって事くらいしか覚えてないよね。

きっと楽しい夢も悲しい夢も、すぐに忘れちゃうから人の夢は儚いって書くと思うな。

それで、私こないだ夢見たんだよね。

凄い久しぶりに夢なんて見たよ。

夢もカラーで見る人とモノクロで見る人がいるみたいだけど、私はカラーだったね。

その夢なんだけど、不思議というか不気味というか。

印象が強かったのかな?

まだ覚えてるんだよね。

まぁ、展開的にはよくあるパニックホラー?みたいで、私は気がついたら知らない所にいるの。

でも見慣れた雰囲気で、机とかがあったからすぐに学校だってわかったんだ。

私達って17時には帰らないと怒られるから、人のいない時間に学校にいないよね。

でも、その時は夜だったのかな?

薄暗い教室だったけど、月明かりで室内が見えてるとかそんな感じ。

私は最初なんでこんな所にって思いながら、周りを見たんだ。

何て言うか、やっぱり教室でさ。

窓から外見ても知らない所で、何か明るいのか暗いのかよくわからなくて、ただぼんやりと景色が見えてたんだよね。

このまま此処にいても仕方ないと思って廊下に出るんだけど……。

あ、これは明晰夢とかじゃないからね。

普通の夢で、夢の中で思ってた事を今言ってるだけだから。

それで廊下に出たんだけど、その時急に思い出すんだよね。

私は誰かに捕まったって、早く逃げないとって。

仄明るい廊下を足音を殺して歩くんだけど、やっぱり完全に音がしないのは無理でさ。

誰もいない廊下にぱたっ、ぱたって小さな音が響くんだよね。

早く逃げたい焦りと、見つからないように慎重にって思うんだけど、反響する自分の足音をきいてると焦る気持ちが強くなってね。

何階にいたのかな?

階段を幾つか降りたら一階について、そこからは走ってたよ。

足音と反響した足音があわさって一人なのに何人も居るような、自分の後ろから何人も人が追ってきてるような音に聞こえて、不安で涙目になってたの。

玄関を見つけてドア開いたんだけど、その瞬間私を見ている男の人と目があった。

本当に心臓が口から出るかと思うほど、心臓が跳ねたよ。

直感でわかったもん。あぁ、私を捕まえた人間の一人だって。

それで反射的に足を止めちゃって、開いたドアが勝手に閉じて私は学校に取り残されて夢は終わり。


朝から嫌な汗かいちゃったよ。

儚くない夢って何の夢なんだろうね。

見えないはずの彼女が、僕にはどこか苦しそうに見えた。



「終わり?」

「終わりですか?」

「終わりだよ」

「続編が作られそうなパニックホラーだな」

「みんな、夢に落ち求めないでくれる? 傍観者じゃなくて、夢の中では本人だからね。ほんと怖いよ? 気づいたら知らない所で、誰かに捕まってるって本気で思うの」

不服そうな聴衆の声に、ゆーれいちゃんは反論する。

確かに夢はそんなものだ。

むしろ一貫して学校から脱出するって話なだけマシだ。

場面なんて二転三転当たり前、そんな事もない夢は整然としたものであった。

「最後の男の人は誰でしょうか?」

「流石に顔は覚えてないけど、見たことなかったと思う」

「玄関のドアが閉まって取り残されるってことは、逃げられなかったんだな」

「せんせー、不安になること言わないでー」

「時間潰しになったよ、それじゃあ私は戻ると──」

時永先生が立ち上がろうとした時、教室のドアが2回叩かれた。こんな所に目的もない誰かが来ることはない。開かれたドアの先には寺田先生が立っていた。

同時に空気が固まる。いや、ゆーれいちゃん、よーかいちゃん、時永先生が固まっていた。

「あ、寺田先生」

「……寺田先生」

「あー、何かお邪魔だったかな?」

「……誰だ?」

「誰って新任の……」

「新任の先生だよ、会ったことないの?」

「あぁ、彼が……。話は聞いていたが、今日からか。午前は休んでいたから気づかなかったよ」

「んー、日を改めようかな。またね」

返事を待たずに、寺田先生はドアを閉めると立ち去っていった。

ゆーれいちゃんがポツリと呟いた。


「夢の人だ」

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