第106話 霧去りて、夜は明く (6)

 志津丸が手術室から病室に移され、間もなく意識も戻りそうだとミケから連絡を受けた根岸は、諭一と連れ立ってそちらに向かっていた。


 見舞いの出来る病室といっても一応怪異エリアなので、人間の諭一は出入りを推奨されてないのだが、


「『灰の角』にこっそり入ってもらう」


 と言い張って彼はウェンディゴの姿をまとった。


 身長三メートル、立派な鹿の角を頭に生やした怪異がどうやって『こっそり』行動するのだ、と根岸は突っ込みたくなったが、しかし直接会って安否を確認したい気持ちは良く分かる。

 『灰の角』も諭一の願いに従って表に出てきたということは、曾孫の友人たる志津丸が心配なのだろう。


 そんな訳で、目立つ二人組となって病室の前に到着すると、丁度瑞鳶ずいえんたちも目的のドアを叩くところだった。


「お、志津丸……」


 先頭に立って部屋に入った瑞鳶が、感慨深くも気遣わしげな声を上げる。


 二色の翼を背負った志津丸は、猫の姿のミケを抱いて見舞客たちを出迎えた。足取りはしっかりしている。


「お前もう平気なのか、歩き回って」

「ああ。飛び回るぶんにも問題ねえと思う、多分……」


 皆の注目を浴びて、少しばかり気恥ずかしそうに自身の背の翼を見上げる志津丸の目のきわは、何故か大泣きでもしたかのように腫れぼったい。

 実際、ミケの前だけで吐露出来る感情のままに、彼は泣いたのかもしれない。しかしそれについてあえて不粋な探りを入れる者は、幸いこの場にいなかった。


「カアァー」


 阿古あこが瑞鳶の隣まで進み出て、片翼を持ち上げる。瑞鳶が「おう、そうだったな」と頷いた。


「実は阿古がな。甘柿かんしの後を継いで治癒の術の腕を磨きたい、須佐すさの助手になりたいと言うんだ。手始めに志津丸、当面はお前の看病をしたいと」

「……阿古」


 自分の眼前に立つ幼い鴉天狗からすてんぐを、志津丸は軽く目を瞠って見つめ、それから身を屈めて顔の高さを合わせる。


「ん、分かった……ありがとな。頼む」

「アー!」


 肩にぽんと手を置かれて、阿古は張り切った様子でもうひと声鳴いてみせた。


 数日の間に、志津丸も阿古も何だか大人びてしまったものだなと根岸は思う。

 成長するのは良い事かもしれないが、無理矢理にでもそうならざるを得なかった彼らの状況を考えると複雑だ。


「師匠。来月の加冠かかんの儀――」


 と、再び背筋を伸ばした志津丸は、瑞鳶と向き合ってそう語りかけた。


 加冠の儀とは、要は成人式の事だ。

 志津丸が一人前の大人と認められる式典が、天狗の里で開かれる予定であある。旅行の最終日、神隠しのリフト乗り場前でそんな話題になった事を、根岸も思い出した。


「そこで新しい名付けがあるだろ」

「ああ。お前に正式な天狗の名を付けなきゃならん。そういえばなかなか候補選びに苦戦してたな」


 うっかりしていた、といった表情で瑞鳶が後ろ髪を掻く。

 すると志津丸が、意を決した風に続けた。


「オレ、名前……考えたんだけど」

「ほう! そうか。どんなもんだ」

「いや――こんな所で言うのは、ちょっと。あとで師匠にメールしていいか?」

「メール? 風情がねえな。毛筆ででっかく書き上げて張り出すってのはどうだ」

「習字苦手だし」

「習字だけでなく、手書き全般結構悪筆だよな志津丸は……宿題見てやるのが大変で……」


 ぼそぼそと茶々を入れたのは、志津丸の腕の中に収まるミケである。


「うっせえやジジイ」


 機嫌を損ねた志津丸は、ミケの口の端を指先でむいと引っ張った。ミケが「フナッ」と妙な鳴き方をする。


 ――あまり心配する必要はないのかもしれない。


 根岸はそんな風に、人知れず安堵した。

 胸を撫でおろすついでに病室を何気なく見回した根岸は、ふと長椅子に置かれた空のキャリーケースに気づく。


「あれ、雁枝かりえさんは……?」


 天狗一行は瑞鳶に同行し、ミケもここにいるが、彼女だけが不在だ。


「ああ、今ドクターを呼びに上の階に」


 瑞鳶が軽く首を上向けた、その時だった。


「イィ――アアアアアァ――ッ!」


 根岸の今までの人生では聞いた事もない音が上階から、フロア中の窓を震わせる程の大音量で響き渡ったのだ。

 あえて例えるなら、人間の悲鳴を模したパイプオルガンの和音、といったところだろうか。動物の鳴き声より楽器に近いが、しかし音楽と呼ぶにはあまりに不気味だった。


「なっ……今のは」


 我に返った志津丸が呟き、すかさずミケが彼の腕から抜け出して人の姿を取る。


「御主人!」


 ミケは廊下を駆け、瞬く間に階段の上へ消えた。

 慌てて根岸も後を追う。


 階段をのぼりきった先には、ミケと雁枝が立っていた。その正面には――ブロナー・マクギネス、怪異。


 彼女の長い赤毛は振り乱され、風もないのに縦横にざわめいていた。

 左目は眼帯が外れて見開かれ、毒々しい赤い光を放っている。翡翠色の右目とは対照的だ。

 驚いた事に肌の色までも変容し、今の彼女は青みがかった銀色の、水族館で見る回遊魚のような色味の皮膚に覆われていた。


「大丈夫だよミケ、秋太郎。バンシーの異能が発動しただけ」


 慎重に近づく根岸に対して、雁枝は片手を上げてみせる。

 彼女は立ち尽くすブロナーに向かい、半歩ばかり足を進めた。

 それに合わせて、ブロナーが口を開く。


「雁枝……『もがりの魔女』……お前は」


 雁枝の名を呼んだ。知り合いなのかと根岸は驚く。


 しかし思い出してみれば雁枝は桁外れに長命で、かつてはよく旅に出ていたという話だ。自身の後を継がせられる『殯』の異能持ちを探してもいたようだし、世界各地の高名な怪異と顔を合わせていてもおかしくはない。


「ブロナー。あんたの異能は、人間だけでなくにも反応しちまうんだね……。それで、あたしが一体いつ死ぬのか読み取れたかい?」


 落ち着いた声音で雁枝は問いかけた。

 ブロナーの両眼が一層大きく見開かれる。彼女は間を置かず回答した。


「お前に、死が……訪れる。七日後……月の入りと共に」


 おごそかに宣告は終わった。

 ブロナーの髪は重力に従って落ち着き、肌の色も薔薇色がかった白へと戻っていく。


「あんた、タダ働きが何より嫌いだったよねブロナー」


 雁枝は苦笑に肩を揺すった。


「とんだ重労働をさせちまった。埋め合わせはするよ」

「全くだ」


 床に落ちていた眼帯を付け直して、ブロナーは同意する。こちらは苦笑どころか、苦虫を嚙み潰したような表情だ。


「しかし、雁枝。まさかお前の死を告げる事になるとは……殺そうとしても死ななかったくせに」


 一体両者はどんな間柄なのか、いくらか気になる根岸だったが、それよりも今は、と彼は急ぎスマホを取り出して、月の出と月の入りを計測するサイトを検索し表示させた。


「七日後の月の入りは……〇時二分。ほぼ真夜中、日付の変わった直後です」


 事実上、六日後がタイムリミットのようなものと言える。


「ありがと、秋太郎。ネットってのは便利だねえ」


 雁枝が振り返る。根岸に笑いかけ、それからその場に集まって呆然とするしかない皆の方へと視線を向けた。


「すまない、聞いたとおりだ。あたしの命は七日後に尽きる。そこでこの機に頼みがある」


 何事かと勤務中の部屋から出てきた陰陽士たちまでもぐるりと見回して、雁枝は更に続ける。


「死ぬまでの間に、相続と葬儀まで全部済ませちまおうと思うんだ。喪主は家令のミケに頼む。追って案内状を送るが、ちっとばかり別れに来てくれるかい?」


 ミケが珍しいくらいに唖然とした表情を見せ――その場は瞬く間に騒然とした。



 【第二部 完】

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