第103話 霧去りて、夜は明く (3)

 ミケは確かに、根岸の勤め先である特殊文化財センターに連絡してくれていたようだ。根岸が所長の上田うえだに電話をかけたところ、話はごくスムーズに進んだ。


『こっちはまあ、てんてこ舞いだがどうにか回ってる』


 上田の物言いから察するに、やはり都内の特殊文化財――考古学遺物や史跡に取り憑いた怪異たちに、多少の影響や動揺があったと思われる。


『焦らずにちゃんと検査して貰ってから復帰してくれ。身体が消えてたって言うが根岸、大丈夫なのか』

「はい。仕事に支障はなさそうです」

『ニュースを見たが、大きな怪我はないんだな?』

「怪我は、ちょっと肩をかじられましたけど……ニュース?」

『おい! 大丈夫じゃないんじゃないか』


 根岸としては、上田の口走ったニュースの話について詳細が気になったのだが、向こうがこちらを心配して慌てるので、それに受け答えしているうちに有耶無耶になってしまった。


 電話を切ってからスマホで検索する。


「うわあ」


 我知らず、根岸は呻いた。

 検索結果に並んだニュースサイトの見出しはこうだ。


『【独占スクープ】続報・東京怪異激甚げきじん襲撃 目撃された“ヒーロー”は多摩地域連続殺傷事件の被害者?』

『事件被害者の幽霊、陰陽庁に協力か』

『政府の初動対応を検証 ――“怪異退治が怪異頼みとは” やまぬ批判の声』

『大物音楽家“A”の子息、怪異に変身!? 証言から浮かび上がる“新たな五つの謎”』


 ――思いきり騒がれている。


 考えてみればあの夜、そこそこ多くの人間から目撃されていた。

 インタビュー動画を一つ開いてみる。


『はい。ドクターヘリが墜落した先がどうも、あれは天狗の里だったんですね。そこで若い男の人に助けられて……ええ、体温に違和感があって聞いたら幽霊だと。見覚え? いや、その時は分かりませんでした。もうこちらも必死で……』


 証言しているのは、包帯とガーゼに頭を覆われた男性。天狗の里でヘリから助け出したフライト・ドクターだ。

 コメント欄を見ると、男性の証言は怪異を庇うものだとして荒れ気味である。根岸は何やら申し訳なくなった。


 次に表示された、一般市民がアップしたらしい動画を見たところ、東京タワー前の坂道に立つ根岸とリンダラーの姿が撮影されていた。暗闇の中で手振れも酷く、顔はよく見えないが、特に映像にぼかしがかけられている訳でもない。


「肖像権の侵害……」


 根岸が独り不平を述べていると、医療センターに行くための身支度を整えたミケが居間に顔を覗かせた。


「怪異にそんなもんないぞ。野良猫を撮るくらいの感覚だろ」


 ミケの言うには、彼は以前、普通の猫として散歩する様子をいつの間にか撮影されてテレビで放映された経験があるそうだ。

 二本の尾をくっつけて一本に見せかけていたものだから、『たぬしっぽ猫ちゃん』などとタイトルを付けられたという。雁枝は可愛いと喜んだがミケはむくれた。


 そう語られて思い返せば、高尾山襲撃の当日、根岸もニュース動画でブギーマンの集団を見ている。勿論あれにもプライバシー配慮の処理などされていなかった。


「でも、これを見ると諭一ゆいちくんがいた事もバレてるっぽいですね」

「それに関しちゃ、諭一や家族が気の毒だな。陰陽庁か警察側のリークかもしれん。どこの組織も一枚岩じゃない」

「今日、陰陽庁の医療センターで会う事になってるんだろ? あのウェンディゴ憑きの子とは」


 そう言って現れたのは、猫の姿の雁枝かりえである。


「諭一くんも?」

「ああ。天狗の里からも何人か来る予定だ」


 どうやら、根岸一人の検査と診療だけで済む用事ではなさそうだ。


「天狗も……それはひょっとして」

志津丸しづまるの手術がある」


 根岸の推測を、先回りしてミケが答える。


瑞鳶ずいえんさんがな。……残った自分の片翼も、あいつに移植すると言うんだ」

「え――」


 言葉もなく、根岸は驚きに立ち尽くした。



   ◇



 医療センターの入口となる自動ドアをくぐるとそこには、見知った顔が大勢集まっていた。


「ネギシさん!」


 真っ先に諭一がすっ飛んで来る。


「ネギシさんだ! うわー! 本当に木曜に化けて出てるよ! 朝起きて消えたって聞いた時はどうしようかと思った!」

「どうも……諭一くんこそ、ここに来て良かったんですか。マスコミに追われてたりは?」

「あ、あのニュース見たんだ」


 彼は曖昧な表情で首裏を掻いた。


「その……とりあえず、ぼくんちはそんな困ってないよ。父さんも母さんも、記者に直撃取材されてはないって」


 ウェンディゴ『灰の角』の安全性も陰陽庁から認められ、今回は見逃されたと言う。

 ただし危険種の怪異を国内に持ち込んだのは事実なので、厳重な注意は受けた。両親からも当面、遠方への外出や外泊は『応相談』と決められたらしい。


 そんな説明をする諭一は、案外淡々としていて不満を漏らす風ではない。しかし四日前と比べて、いくらか落ち込んでいる様子だ。彼らしくもない。


「……大丈夫ですか?」

「いや、うん。今日はしづちゃんの見舞いだし」


 と、諭一は落としていた視線を上げて天狗達の方を振り返る。


「カアー」

「クエッ」


 阿古あこ須佐すさが同時に鳴き声を上げて翼を広げてみせた。


「ハーイ秋太郎さん、無事で良かったぁ。貴方、前よりちょっと逞しくていい男になってない?」


 桜舞おうぶが片目を閉じてみせ、「オイこら」と芳檜ほうかいが窘める。

 彼らはまだ腕や頭に包帯を巻いていて、身体の動きから見ても完治には至っていない様子だった。しかし桜舞の言うとおり、無事でいてくれただけでもほっとする。


「お客人、いや根岸殿。そして音戸の雁枝様、ミケ殿――」


 芳檜が根岸に、そして彼に続いて建物へと入ってきたミケと雁枝に呼びかけた。

 雁枝は例によって猫の姿でキャリーケースに納まり、今回はミケが人間となってそのケースを抱えている。


「なんだ芳檜、ミケ『殿』だなんてくすぐったいな」


 苦笑いしながらミケはキャリーケースの蓋を開けた。雁枝がひょこりと顔を出す。

 その前へと勢揃いした天狗たちが一斉に、腰を折るようにして深々と頭を下げた。阿古までもが神妙に一礼している。


「この度の助力……本当に、何と礼を申し上げれば良いか」

「よしなよ水臭い」


 雁枝は困った風に髭をしかめた。


「それより、瑞鳶は……あのスットコドッコイは心変わりしてないんだね? 残った自分の翼をわざわざもいで、志津丸にやろうだなんて」

「クゥ」


 首を縦に振って須佐が応じる。

 桜舞は頬に手を当てて溜息をついてみせた。


「あたしはね、実を言えば反対したのよ。寧ろ志津丸の負担になるんじゃないかって。彼はほら、根が生真面目でしょ。伽陀丸かだまるの事もあったし、あまり背負わせるのも」

「だが、瑞鳶様がそこは心配ないと仰るんだ」


 言い淀む桜舞に代わって芳檜が言葉を繋ぐ。


「身も蓋もない事を言うと、片翼のままじゃ『天狗の羽団扇』は勿論、千里眼も里を覆う結界術も使いこなしきれねえ。誰かしら、大きな力を持つが必要だ。里の再建と維持には」

いびつな所あるわよね、怪異の作る共同体ってさ」


 肩を竦めつつの桜舞のぼやきに、それは人間も、と言いかける根岸だったが、話題が脱線しそうなので一先ずその意見は脇に置いて、別の質問を口にした。


「あの……技術的な問題はクリアしてるんでしょうか。現在の人類の医学では、手足の移植手術はかなり高度な扱いだと聞きます。成功例もありますが」


 人間に比べると怪異の肉体は全般に頑丈だ。傷口からの雑菌の侵入や拒絶反応の心配も不要かもしれない。幸い瑞鳶と志津丸は身長も体格も同程度だから、翼のバランスが左右で大きく変わる事もない――少し色味が異なるが。


 しかしそれにしても、大胆な提案と思わざるを得なかった。


「怪異にとっても相当難しい術だろうね」


 雁枝がキャリーケースの縁に前足を乗せて発言する。


「でも、やっぱり成功例はある。……その一例はついこの前見ただろう? 秋太郎」

「この前?」


 しばし目を瞬かせてから、根岸は「あっ」と口走った。


「まさかっ……伽陀丸の……!」

「ヴィイの魔眼の移植。連合国アメリカで行われた怪異融合手術だ」


 彼を囲む皆が頷き、根岸はひとり絶句する。

 いや今一人。諭一も一緒に驚いていた。


「そ――そういうの、何て言うか、邪法とか禁忌とかに分類される技術じゃないの? いや、ぼく伽陀丸ってひとには結局会ってないんだけど」


 しづちゃんをにした奴だよね、と諭一は念を押す。


「怪異の使う異能なんて、人間から見たら全部外法げほうだよ。ウェンディゴ憑きの坊や」


 と、雁枝は両目を細めた。


「お前だって自分の曾祖父ひいじいさんとウェンディゴの融合体を着たり脱いだりしてたじゃないか。世が世なら火炙りだ」


「そ、そっかな? ううん、そういえばそっかぁ」


 割り合いあっさりと言いくるめられる諭一である。


 邪法だ禁忌だと責められれば、戦いの場で血流し十文字に頼った根岸にも反論のしようがない。しかしどうあれ、今重要なのは志津丸の身の安全だ。


「なんでも伊藤さん達の計らいで、その道の世界最高峰の怪異医が来日したって話だぜ」


 思案顔の根岸を見て、ミケが口を添える。


「来日……という事は、海外の怪異ですか?」

「ああ」


 頷いてからミケは、くん、と軽く匂いを嗅ぐ仕草を見せた。


「あれ、噂をすれば。彼女じゃないか?」


 窓辺に近づいたミケが、手の平で庇を作って外を見上げる。

 医療センターは複数の棟からなる。隣の棟に続くガラスに覆われた渡り廊下を、丁度誰かが颯爽と歩いて行くところだった。


 相変わらず裸眼の根岸には、その顔立ちまでは判然としない。ただ、燃えるような赤毛をなびかせた痩身の女性であるようだった。


「アイルランド出身、連合国アメリカ在住。種族は『バンシー』……怪異専門外科医、ブロナー・マクギネスだ」


「バンシー、というと」


 どうにか目を凝らしながら根岸は、疑念に首を傾げる。

 バンシーの伝承の発祥地はアイルランドもしくはスコットランド。ごく古くから超自然的存在と語られてきた妖精の一種だ。その最も有名な特徴は――


「確か、死期の近い人間を見ると本能的に叫び声を上げるという習性があったような。その状態で医師が務まるんですかね?」

「いや。最初は人間に紛れて、人としての医師免許を取ったんだが、病院で叫びまくるもんだから職場を転々として、結局故郷では働けなくなったそうだ。それでアメリカに」

「……大丈夫なんですかそのひと」


 どう考えても、医師免許を取るより簡単に分かりそうな問題だ。

 アイルランドには数多くの伝承由来の怪異が存在するが、国家としてはあくまで『容認派』にとどまっている。


「腕は確からしいぞ。それより、彼女がここにいるって事はそろそろ手術が始まるんじゃないか」


 ミケがそう呟いたのと同じタイミングで、廊下の奥から制服姿の職員が急ぎ足でやって来た。


「天狗の山里の関係者さん方。待合室の用意がございますのでそちらへ」


 天狗たちは顔を見合わせて、ぞろぞろと廊下を進み始める。諭一もつられて奥へ向かいかけたが、職員に引き止められた。


「あっ、この奥は怪異エリアになります。トラブルが起きかねないので方術使用資格のない人間の方はご遠慮下さい」

「えー。ああでもそっか、高尾の天狗だけじゃなくて色々一般怪異が来てるんだ」


 まごつきつつも諭一は理解を示す。


「それと……貴方は根岸秋太郎さんですね。まだ患者扱いなので、そちらへ」


 根岸は右手のエレベーターへと促された。確かに、彼には退院許可が出ていない。

 今更ながらつくづく、物理法則を超越して勝手に消えたりする相手への事務的な対応とは難しい仕事だ。自分が怪異だからこそ身に染みる。


「じゃ、根岸さん……俺と御主人は、関係者って顔して紛れ込んどく。あんたが解放される頃には、志津丸の朗報も聞けるといいんだが」

「はい。……本当に」


 怪異融合による翼の移植手術。どれくらいの時間と労力が費やされるのか、見当もつかない。

 雁枝を抱えたミケはひらりと片手を振って廊下の奥へ去り、根岸は諭一とも別れてエレベーターのボタンを押した。

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