第81話 灯火の尖塔へ (2)
和歌山県
この霊場と巡礼の道は世界遺産に登録され、また熊野三山の全域が国指定重要特殊文化財とされている。
「ふんふんなるほど、ぼくが今いるのは和歌山のこの辺ね。メチャ山だらけじゃん」
観光案内サイトをスマホで斜め読みしながら、
麦を混ぜたシンプルなおにぎりを、高菜の浅漬けでくるんだものである。『めはり寿司』といって、この地域の名物料理らしい。
至って素朴な味わいだが、『灰の角』の飢餓の異能の影響で体力の枯渇した身には、菜っ葉と麦飯の噛み応えとほのかな塩気がじんわりと効く。
「はー、これウマッ。なんか悪いね、勝手に縄張りに落っこちた上にご馳走になっちゃって」
「そのめはり寿司、元々人間用に持ち歩いてるもんっスからね」
麦茶のボトルを投げ寄越してそう言ったのは、
自己紹介によれば彼はヒダル神という妖怪で、ウェンディゴと同じく飢餓の異能を持つらしい。
眷属である
顔面にぽっかりと暗い大穴が空いた、かなりインパクトのある外見だが、幸い話は通じるらしく対話に応じてくれた。諭一にも『灰の角』にも敵対の意志などない事は分かって貰えた様子だ。
なお、諭一をここに落としたブギーマンの方は、まだ餓鬼の群れに押さえ込まれている。
「人間用? えっと、名物料理を奢る趣味があるとか?」
「趣味っつーか、仕事っスよ。この辺の山は、雪国ほどじゃないけど危険な場所も多いし、ジブンらよりマジヤバめな怪異だってうろうろしてるんス。霊場っスからね」
自分も麦茶を一口飲んでから、辺路番は続けた。
「そういうマジヤバポイントに人間が迷い込みそうになったら、取り憑いて腹を空かせて引き止めるんス。んで、飯を食わせてシャッキリさせてUターンさせる。それが『
どうやら辺路番という名前は襲名制のようだ。
「ヘドバンみたいんでかっけーっしょ、名前」
「……? う、うん」
その主張はよく分からなかったが、とりあえず空気を読んで同意する諭一である。
「んでも偉いなあ。仕事してんだ。給料とか出るの?」
「形式上雇われてはないスけど、謝礼金貰ってるっスよ。
「うわお、国家公務員級」
「怪異が暮らすのにも金はいるんスよー。
今まさに諭一が食べているめはり寿司も、材料の生産地が
「えーっ、大変そう」
「つっても最近は、連合国から怪異向け食品を輸入するのも楽になったっス。現地行って調達も出来るし」
連合国とは、連合国アメリカの事だろう。
「アメリカ行った事あるんだ? ぼく、父さんアメリカ人。西の生まれで、そっから東アメリカに亡命したけどね」
つい嬉しくなって、諭一はぺらぺらと個人情報を喋った。
『灰の角』が、左手首に『STOP』と表示して
「あー、それでウェンディゴなんてレア怪異に憑かれてるんスね。――ブギーマンと揉めてんのもそいつ関係スか?」
「いやいや!」
『灰の角』の名誉のためにも、諭一は急いで首を横に振った。
「それが全然分かんないんだよ! ほんといきなり誘拐されてさ! でも『灰の角』……あ、うちのウェンディゴの名前ね。彼のせいじゃないと思う。ぼくより気立て良しってくらいだから」
左腕を掲げて力説する。『灰の角』が辺路番に向けて『HELLO』と文字列を示した。
「へぇ?」
不思議そうに、辺路番は首を傾げる。
「でもそこのブギーマン……大きさから見て『クラン型』っスよね」
「クラン? 型?」
今度は諭一がきょとんとする番だった。彼は怪異に詳しい訳ではない。
彼だけでなく、ブギーマンの生態について詳細を知る日本人などほとんどいないだろう。トクブン勤めの根岸でも見た事があるかどうかといった所だ。
「
単体で生きてて、クローゼットとかに潜んで子供を脅かしたりするブギーマンは、確かにあんまり理性的じゃなくて他の怪異と揉めるのもしょっちゅうなんスけどね。
身体が大きいから見た目は野良ブギーマンより怖いスけど」
クラン型のブギーマンは時にボガートと呼ばれ、連合国アメリカでは概ね大人しく集団生活を送っている、と辺路番は説明する。
「ふーん? じゃ、どうしたんだろそこのブギーマンは」
諭一は腕を組み、餓鬼たちの下敷きとなったままのブギーマンを見つめた。
ブギーマンはまだ時折唸り声を上げていたが、体力が尽きたのか諦めたのか、抵抗は弱まっている。
「たまたま規格外に馬鹿でかい野良ブギーマンなのか……クラン型だったブギーマンがクランを失って暴走したか。それとも……」
辺路番は首元に提げていたヘッドホンを耳に当てて考え込む。
「……クランの
「って言うと?」
問い返す諭一に、辺路番はヘッドホンをまた外して応じた。
「クラン型のブギーマンは大人しいつっても、やっぱ他種族と話の通じにくい連中なのは変わんないんスわ。渡り鳥みたいに、エルダーについて回ってその行動をフワフワと真似してる事が多いっス。
だからもしもエルダーが暴走すると、それに従ってるクランの全員が暴れ出して無茶苦茶ンなったり」
「そりゃ大変だね」
諭一は納得して頷く。
とはいえ、彼を襲ったブギーマンは一体きりだ。
ブギーマンの群れなど日本で見た事はないし――クラン型、という分類自体知らなかったくらいだ――単純に、身体の大きな単体ブギーマンの暴走、というのが妥当な推測だろうか。
諭一がそこまで考えをまとめた所で、不意にポケットのスマホが震えた。
取り出して画面を見ると、『母』と表示されている。
「あれ? 母さんから電話だ」
共に音楽家である諭一の両親は、今仕事で二人して遠方に出掛けている。東京の自宅には明後日まで戻らないはずだ。
面食らいながらも、諭一は応答ボタンを押した。
まさか、息子が怪異に襲われ和歌山県まで飛ばされてしまった事を察知した訳ではないだろうが――しかし母・
諭一は昔から迂闊な真似をして失敗したり、あれこれやらかす事があったものだが、それを隠したり誤魔化したりしようとしても、大体は母に見抜かれてきた。
留学先で『灰の角』に取り憑かれた時も、当初は両親に隠していたのだが、母は何かを連れ帰ったと勘づいていたらしい。
お陰で後々の父との会話がスムーズに進んだのはありがたいが、恐ろしい。
「もしもし母さん?」
そろりと、諭一は発言する。
「……え、今? うっ、うん高尾の友達んちからはもう帰ってるよ。いいい今は家で……えっと……寝てた。――なに? 警報? 避難……!?」
不穏な単語を聞きつけて、辺路番と餓鬼たちが周囲に集まってくる。
ややあって、「そんじゃね」と諭一は電話を切った。
「なんか……家にいるって嘘ついたの、バレたっぽい?」
左腕を見ると、『灰の角』は『PROBABLY(恐らくは)』との意見である。
彼はそもそも家族に嘘をつくのを良しとしないので、こういう時は冷たい。
「いやそれよりも! 東京がヤバいって母さんが」
諭一は通話を終えたばかりのスマホに、急ぎ検索ワードを入力した。
即座に写真と動画、マスコミ各社の速報の見出しが並ぶ。
「ちょ」
「うわ」
画面をスライドさせる諭一、横から覗き込んできた辺路番が、共に絶句する。
観光客が撮影したと思われる写真のうちの一枚には、空を覆い尽くすほどの無数のブギーマンが写っていた。
更に、山の斜面を下って撮影者の方に向かってくる獣の群れまで見える。犬に似ているが、遥かに大きい。
「間違いなさそっスね」
辺路番が掠れた声を上げた。
「エルダーと……クラン全ての暴走だ」
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