第50話 秋の初風、石のおと (2)

 店舗の二階、子供部屋の畳の上に転がって、志津丸しづまるは無為に天井を眺めていた。


 幸いと言うべきか、カフェに客が来たため、陸号ろくごうの説教は早々に切り上げられた。それから今に至るまで、志津丸は部屋に引き籠ってハンガーストライキを決め込んでいる。まだ五時間程ではあるが。


「志津丸」


 部屋のふすまが、向こう側からぱたぱたと手の平で叩かれる。

 隣の間は伽陀丸かだまるの部屋だ。


「ん?」


 無愛想に鼻先で促すと、襖が開き、そこを塞ぐ形で置かれたベッドを乗り越えて伽陀丸が部屋に入って来た。


「夕飯食べなかったから、腹減ってるだろ。ポテチ食う?」

「別に」


 咄嗟に意地を張ってぷいと横を向いたものの、頭上にピザポテトのパッケージが掲げられるなり、志津丸の腹の方がグウと勝手に訴えの声を上げた。

 伽陀丸が笑って袋を開ける。一旦は思い切りむくれ顔になった志津丸も、観念して身を起こした。


「あのさ。俺、今回に関しちゃ志津丸全然悪くないと思ってるから」


 ポテトの袋を挟んで志津丸の向かいに腰を下ろした伽陀丸が、ストレートに告げる。

 ん、とやはり志津丸は短く応じるのみである。

 そんな彼に頷いてみせて、伽陀丸は腕を組んだ。


「正直、大師匠おおせんせいの……瑞鳶ずいえん様のやり方が古いんだよ」


 瑞鳶の孫弟子にあたる伽陀丸は、そんな風に高尾天狗の頭領を呼ぶ。


「怪異パンデミックからもう七十年以上経ってる。何で今更、天狗こっちが正体隠して人間社会で暮らす練習なんかしてるわけ? それで能力を見せちまったから転校とかさぁ」

「……師匠はそういう修行だって」

「マジ発想が江戸時代」


 両腕を広げ、天井を仰ぎ見る伽陀丸である。

 志津丸はぼそぼそと、師からの受け売りを口にした。


「なんか――普通に怪異のいる学校ってのもあるらしいんだけど、正式な生徒になるには、戸籍? だとか色々って……でも怪異はそういうの持ってないから」


 怪異が人間の構築したシステムに沿って生きるならば、住居を借りるにせよ職に就くにせよ通学するにせよ、諸々の書類を偽造し、正体を隠して潜り込む形になる。


 この怪異溢れる現代には、堂々と学校や企業の社屋をねぐらとし、人間から黙認されている者もいる。いるにはいるが、あくまでそれはトラブルを起こさない間だけの『黙認』であり、一時の仮宿である。


 人間社会に組み込まれる事を嫌う怪異は多い。自由気ままで曖昧な存在、かつ人間より強靭な彼らにとって、人のルールは窮屈で理解しがたいものだ。

 その意識の齟齬は、時に深刻な対立を引き起こす。

 人間側からは、陰陽士をはじめ様々な専門職がその手のトラブルの対処にあたっている。

 怪異側にも、異種族との間を取り持つ者が必要だ。鍛錬を積んだ天狗にはそれを果たすだけの能力がそなわる。瑞鳶はそう考えている。


 志津丸は何度か瑞鳶からこの話を聞かされてきたが、白状すると、師の言っている事の半分くらいしか理解出来ていない気がする。

 ただ、瑞鳶が何かしら自分に期待をかけてくれているのは分かる。それは誇らしくもむず痒くもあり、時にわずらわしかった。


「こういう話になると、志津丸は瑞鳶様の肩持つよな。普段結構喧嘩してる癖にさ」


 軽く口を尖らせてから、伽陀丸はポテトチップをかじった。


「肩持つとかじゃねえけどっ」


 志津丸は急いで反論したが、彼自身も自分が何を思って瑞鳶の言葉をそらんじているのかは分からない。

 肩を持つどころかしょっちゅう反発して、このクソジジイ、くらいに師を罵った事は何度もある。やり方が古いという伽陀丸の言い分も正しく思える。なのに、否定されると庇いたくなる。

 すっきりしない。的確な言語化が出来ない。自分の頭はあまり出来の良くない代物かもしれないと不安になる。


 ――そもそも、数十年ぶりに直弟子を取るなら、伽陀丸の方が相応しかっただろうに。


 改めて、志津丸はそんな事を考える。

 彼とは二歳しか違わないのに、伽陀丸は頭も要領も良いし、順調に修行をこなしている。


 瑞鳶も不老不死という訳ではない。着実に老いてはいるから、今になって弟子を取るという事は、頭領の座を次代に継がせる事を考えているのだろう――と周囲の天狗達は噂する。

 だとしたら、伽陀丸こそ次代頭領に向いているのではないか。


「そんな怒るなよ。瑞鳶様は偉大な大天狗だし、いいひとだ。俺だって分かってる」


 志津丸の胸中のくすぶりをどう捉えたのか、伽陀丸は彼を宥める。


「まあ、人間との付き合い方はおいおい考えるとして……とりあえずさ、修行終わらせて山に帰らないか? 志津丸はどうも、人の街が合わないんだろ」

「終わらせる? ……修行を? 何言ってんだ伽陀丸」


 勝手に修行を途中放棄して逃げ帰るという意味だろうか?

 そんな真似をして、瑞鳶がすんなり許すはずもない。それどころか、下手をすると十年分くらい修業期間を加算されかねない。


 疑念に眉をひそめる志津丸に対して、伽陀丸は持ち前の柔和な顔のまま、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「実はこの修行、裏技があるんだな」

「裏技ぁ? ポケモンじゃねえんだぜ」


 人間の製作するゲームの面白さについては、高く評価している志津丸である。もうじき発売されるシリーズ新作『サン/ムーン』も楽しみだ。


「聞きなって。――人間社会にそれと知らせず溶け込んで、人との付き合い方を学ぶ。このやり方は、別に瑞鳶様のオリジナルじゃない。化狐ばけぎつね古狸ふるだぬきが昔からやってた事だし、同じ天狗界で言えば、京都の鞍馬山くらまやまの辺りでもこの方式を採用してる。で、範囲を広げて調べてみると、過去にほんの何回か、修行途中の怪異が、いきなりその周辺の縄張りを統べる地位に就いたって事例があった」

「えっ……何だそれ。どうして?」


 志津丸は覚えず身を乗り出し、ついでにポテトチップを一枚摘まんだ。

 伽陀丸が目の前で人差し指を振る。


「話は単純。自分の『烏帽子親えぼしおや』になる予定だった、その地域をまとめる大物怪異に闘いを挑んで勝利した」

「烏帽子親?」

「お前、流石にそれくらいは知っときなよ」


 おうむ返しに問いかけた途端、伽陀丸に呆れ顔でられる。

 大人なら反発するが、兄貴分にそう言われると弱い。志津丸はちょっとしゅんとした。


「ええ……ゴメン」

「いいけどさ。昔の人間の風習から取った名前だしな。烏帽子親ってのは、要は後見人だよ。ゴッドファーザー。修行を終えて一人前の怪異と認められる時、その判断を下すのが、直接の師匠以外にもうひとりいる。周辺地域で一番の大物怪異だ。それが烏帽子親ってことになる」

「陸号さん?」

「違うって。あの人は人間と上手くやるのが得意ってだけで、人狼にしちゃ強くないだろ」


 一階の店舗で働いている陸号に聞こえないよう声を潜めた上で、伽陀丸は続ける。


「俺達の烏帽子親になる予定の怪異は、『もがりの魔女』だ。さっき陸号さんが、お前の転校先について電話で相談してるのを聞いた。小金井こがねい音戸邸おとどていって屋敷に住んでる」

「『殯の魔女』……あ、たまに師匠が話してた? 雁枝かりえって名前の。でもここ何年かは体調悪いって」


 瑞鳶がそういう名の知人の身を案じ、何度か遣り取りをしているのを見かけた事がある。最近はメールや電話で連絡しているが、遡ると数百年の付き合いがあるようだった。


「トシなんだよ。吸血女なのに人の血を長年ってるんだってさ。だからもうじき寿命が尽きる。それでもこの近辺じゃ最強クラスの扱い」


 名声と地位は高く、しかし実態としては付け入る隙のありそうな大物怪異。

 狙い目なのだと伽陀丸は言う。


「殯の魔女に勝った、って事実があれば、周り中の天狗や怪異が一目いちもく置くよ。半人前の修行の身なんて扱われる事はなくなる」

「え、でも、歳くって弱ってる怪異倒しても、なんかそれってズルくね?」

「勢力争いなんてのは歴史上いつだってそんなものじゃないか。それに、弱ってるって言っても簡単じゃない。手下もいるみたいだし」

「手下……」

「使い魔ってやつ」


 伽陀丸は軽く目を細め、挑発するように志津丸を見つめた。


「志津丸はに真剣勝負を挑むのが好きなんだよな。魔女本人どころか使い魔一匹とっても、そいつ今のお前より強いよ。多分ね」

「なっ」


 その言葉にムッとして、志津丸はまなじりを吊り上げる。


「決めつけんなよ! オレ、そこらの妖怪にも幽霊にも喧嘩じゃ負けねーもん」


 これは虚勢ではない。志津丸の霊威は既に並の怪異を圧倒する程のものだ。実際、人の街をふらついて悪さをしている幽霊を叩きのめした経験は一度ならずある。


「じゃあ、正面から挑んでみる? ものは試し」


 ポテトチップの最後の一枚をひらつかせて、伽陀丸は提案した。


 ――何だか上手く乗せられているような気がしないでもない。


 伽陀丸は風貌も態度も温厚に見えるが、意外と悪巧みが好きだし、それに志津丸を巻き込むのも好きだ。

 が、こう言われると後に退けなくなるのが志津丸である。


「いーぜ、勝負してやる。そいつに勝ったら家に帰れるってのはマジなんだよな?」

「大マジ」


 二度ばかり、伽陀丸は楽しげに頷いてみせた。

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