第二部 狗狼擾乱

第49話 秋の初風、石のおと (1)

 『いやぁー、ようやく秋めいてまいりましたね! 今週も行ってみたいと思います。最初のリクエスト曲は……あーこれついに来ましたね。公開から一ヶ月、未だ大ヒット上映中という事でありますアニメーション映画「君の名は。」より、RADWIMPSの――』


 カフェの片隅。カウンター上部の棚に置かれた、クラシカルなデザインの赤いラジオが、ヒットソングを流し始める。

 そのカフェの内装コンセプトは、「昭和レトロ」あたりを狙っているらしい。清潔感はあるし店内禁煙だが、家具や小物はいずれも、一九八〇年代頃を意識したデザインで統一されている。


 カフェの最奥のソファ席では、小学生と見られる少年が一人、黙々とカレーライスを頬張っていた。ランドセルをソファの傍らに放り出して、あまり機嫌の良さそうな表情には見えない。


「それさぁ、実はスパイス変えてみたんだけどどう? 志津丸しづまる


 厨房からひょこりと男が顔を出し、少年に声をかけた。

 夏のうちにマリンスポーツでも楽しんできたような日焼け具合で、短いツーブロックに短い顎鬚あごひげ。カラフルなシャツの上にエプロンを着けている。


 質問を受けた少年は、もう二、三口カレーを口に運んでから、


「……かれぇ」


 と、不愛想に答えた。


「えー、辛いか。まあうちはボドゲカフェだし、お客さんの年齢層高めだけど……やっぱ子供にはちょっと……」

「オレ子供じゃねぇし」


 志津丸の声が苛立ちを帯びる。厨房の男は急いで両手を振ってみせた。


「ああうん、すまんすまん」


 それから彼は、厨房の奥側を向いて浅く溜息をついた。


「うう、反抗期だ……『人狼じんろうの会』の家庭持ちの奴に相談してみようかな……」


 洗い物の音の合間に、ぼそぼそと零された愚痴が微かに志津丸まで届く。


 『人狼の会』とは、今カフェの厨房に立っている男、中村陸号なかむらろくごうが所属する、地域の怪異達の交流サークルを指す。正式名称は『人狼ゲームを楽しむ人狼の会西東京支部』というらしい。

 名前のとおり、サークルに所属するのはほとんどが『人狼』と呼ばれる欧州発祥の怪異である。陸号ろくごうも、今は人の姿を取っているし、店を開いている間はずっとそうだが、れっきとした人狼だ。


 人狼は本能的に群れを作りたがる。集団で行うゲームやスポーツを定期的に実施しなければ、多大なストレスが溜まる。

 そこで『人狼ゲームを楽しむ人狼の会』は、人狼ゲームに限らず、フットサルからボードゲーム、eスポーツまで幅広く取り入れて、週末ごとに集まれるメンバーで集まっては本能的欲求を満たし、人間社会での暴走を抑え込んでいる。

 世界各地で人に化けて暮らす人狼達は、大体皆似たようなサークルを作って真剣に遊んでいるとの話だ。


 カレーの辛さに文句を言ったものの空腹ではある志津丸は、悩める陸号を余所に無言で白米とルーをかき込んでいる。

 しばし、ラジオの音声だけが流れていた店内に、ドアの開閉を告げるベルの音がカラカラと鳴り響いた。


「陸号さんただいま……あれ、志津丸」


 入って来たのは、志津丸よりもう少し歳上の少年である。

 すっきりした温和そうな目鼻立ち。夏用の学生服に身を包みリュックを背負っているから、学校帰りだろう。やや襟足の長い髪が、店内に吹き込んできた風でさらりとなびいた。


伽陀丸かだまる、お帰り」


 陸号が苦笑と共に声をかける。伽陀丸と呼ばれた少年は軽く首を傾げてみせた。


「志津丸、なんでこんな時間にカレー食べてんの。夕飯入らなくなるぞ」

「……」

「給食食べずに帰って来ちゃったんだよ。学校でクラスの子と喧嘩したんだって」


 むすっと押し黙る志津丸に代わって、陸号が答える。「またぁ?」と伽陀丸は呆れた。


「だってあいつらが、佐藤のパンわざと落とすとかダッセェ真似すっから!」


 志津丸が思わず言い返すと、またも陸号が両手を挙げて宥めた。


「分かってる。他の子がいじめられてるのを見て止めようとしただけなんだよな。食べ物を粗末にするのも良くない。だから志津丸が怒ったのは間違ってはいないんだが」


 そこははっきりと断った上で、陸号はふーっと大きく肩を落とす。


「ただ――転校することになるかも。人間の前で天狗風を吹かせた。小学校で騒ぎになってる」

「ええー。派手にやったんだなぁ」


 伽陀丸が目を瞠った。


「それで、何人殺したの?」

「まさか! 人の子供が死んでたら、流石に呑気にカレー作ってらんないよ」

「あそっか。人間って個体がひとつ死んでもやたら騒ぐもんね」


 冗談めかした調子で、伽陀丸は物騒な発言をする。


「伽陀丸も危なっかしいなあ、全く……。幸い、喧嘩相手の子達は大怪我はしてない。打ち身擦り傷は盛大に作ったようだし、教室内で突風が吹いたせいで、壁に貼ってあった習字が全部破れたりもしたけど」


 シンクの水を止めて、タオルで手を拭きながら陸号が厨房から出てきた。

 正面に座って説教なんか始めるなよ、と志津丸は胸の内で願う。まだカレーを食べきっていないというのに。

 しかし彼の祈りも虚しく、陸号は志津丸の正面のソファに腰を据え、説教を始めた。


「……志津丸、天狗の修行が何のためにあるのかは分かってるだろ。天狗ってのはとびきり強くて、周りをまとめられる怪異にならなきゃいけないんだ。それには自分を律する必要がある。人間の子供は怪異に比べると凄く弱いから、たとえその子らが悪い事をしたとしても、怒り方は考えなきゃ」


 ――怒り方を考えて怒る? 無茶を言うな。


 いよいよ、志津丸は膨れっ面になるしかない。



   ◇



 十二年前。

 東京都と神奈川県の境目にあたる大垂水峠おおたるみとうげにて、とある木のまたから、怪異『天狗』の新たな一体がこの世に顕現けんげんした。

 彼は高尾山たかおさんの天狗の頭領によって、志津丸と名づけられた。


 天狗は特定の生者や死者の思念からではなく、一つの山や森、川の全域を巡り続ける生き物の『気』――精気、あるいは生気などと呼ばれるエネルギーかいから顕現する怪異である。


 怪異としては珍しく、人間の赤子に近い姿で生まれ、歳を経るごとに周囲の自然界の精気を体内に取り込んで成長する。二十年程で成体となるが、その後老いて衰えるまでには個人差が大きい。

 自身の霊威と周囲の精気が調和する縄張りに落ち着き、鍛錬を積んだ天狗は、数百年の時を生きる場合もある。


 現在、高尾山系の怪異らの顔役を務めている頭領天狗は名を瑞鳶ずいえんといい、その地位に就いてからかれこれ四百年余りが経つ大物怪異だった。


 彼が頭角を現した頃、人間社会でもまた大きな変化が起きた。江戸幕府が開かれたのである。

 瑞鳶は聡明な怪異だった。長く続いた人間同士の戦乱が鎮まり、江戸の地がこれから日本史上最大級の大都市へと発展していく事を、早々と予見した。


 人間は怪異より、個体ごとの力は非常に弱い。ただし数は遥かに多い。

 しかも、知識や技術を後天的に蓄積し、次世代に継承させ大きく発展させるという風変わりな特性をそなえる。


 関東の山々に隠れ棲まう怪異達と人間達が対立したならば、極めて凄惨な争いが起きるだろう――そしていずれは怪異が敗北するだろう。

 瑞鳶はそう見通した。

 彼は己の眷属けんぞくらに他種族との争いを禁じ、山奥に張り巡らした広大な結界を天狗の安住の地と定めると共に、人の世に交わって人間を知る事も奨励した。


 具体的には、十二歳から二十歳までの若い天狗を、人間社会の市井の中で生きる他の怪異の元に預け、物質生命体との付き合い方を学ぶ。そういう施策である。


 怪異パンデミック後もこの方針は継続し、この春、瑞鳶の直弟子としては最も若い天狗である志津丸が、天狗修行として人間社会に赴く事になった。


 ホームステイ先は、西東京にしとうきょう市のボードゲームカフェ『ロックペーパーシザーズ』店長、中村陸号の元。

 人狼は外来種だが、天狗と同じく赤子から成長するタイプの怪異で、寿命も人間に近く、人とも天狗とも友好関係を築いている。ついでに言うと陸号の店舗兼住宅は賃貸物件だが、その管理会社にも人狼がいる。ステイ先としては適切と思われた。


 実際、志津丸より二歳年上の、同郷の天狗である伽陀丸が既に彼の元に預けられていて、順調に中学校生活を送っている。

 近所の人間相手には、伽陀丸は陸号のおいっ子という事で通しているので、志津丸は伽陀丸の弟という設定にされた。大変複雑な事情を抱えた家族と周囲からは見られているかもしれない。


 ともあれ、志津丸の天狗修行は開始した。

 そしてすぐさま、小学校通学に問題が発生した。


 問題とは主に、クラスメイトとの衝突である。

 志津丸は幼少期から活発な性格だったが、その分気性の激しい面もあった。


「悪い奴じゃないんだよ」


 と伽陀丸は弟分を擁護する。それには目付役の陸号も、そして師である瑞鳶も同意する所だ。

 彼は正義感が強く曲がった事を嫌う。ただ、不器用で頑固で喧嘩っ早い。教師陣をはじめ、年上や目上の人間を相手取っても全く退かない。寧ろ揉め事に大人が介入すると余計に怒る。

 数十年ぶりに直弟子を取った瑞鳶のしつけは厳しいものだったから、十代になってその反動が表れたのかもしれない。

 要するに、有り体な言い方をすると、陸号の言葉どおり――


 この若い天狗は、いくらか反抗期に突入していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る