第48話 殯の魔女 (8)

 翌朝の事である。

 慣れない日本酒の影響か、根岸は寝坊した上に頭に鈍痛を抱えて、二階から降りてきた。

 居間ではミケが既に起き出して猫の姿を取っていたが、彼にしては珍しい事に、揃えた前足の上に頭を乗せて座布団の上にうずくまりっぱなしである。やはり飲み過ぎたようだ。


 そこに、廊下の奥で黒電話がベルを鳴らした。

 ミケがのろりと起き上がって人間に化け、電話に出る。半分閉じかけていた瞼が、二、三の遣り取りの後、すぐにひょいと持ち上がった。


「ミケさん、どうかしました?」


 受話器を置き、思案顔で戻ってきたミケに、根岸は問いかける。

 少しばかり重たげに、ミケは口を開いた。


「……一色綾いしきあやの遺体が発見されたそうだ」

「えっ!?」


 一気に眠気が吹き飛ぶ。


「今の電話、誰から……」

「陰陽庁職員。伊藤若菜いとうわかなと名乗ったが、知らない名だな。ただ、鶴屋つるやの知り合いだと言ってた」


 遺体を発見したのは、七振りの下原刀に憑いていた幽霊の一体だ。

 彼らも一色綾と同じ場所で死に至ったらしい。


 元々、無理矢理顕現けんげんさせられ刀に括りつけられていた幽霊である。そのほとんどは解放されてから間もなく姿を薄め、消滅した。

 しかし残った一体が、自分の死体を見つけて欲しいと陰陽士に訴えた。

 担当陰陽士は、混濁する幽霊の意識と記憶をどうにか繋ぎ合わせて証言として取りまとめ、それに従って長野県の別荘地へと向かった。


 ――この時点で警視庁と長野県警の協力が入ったらしいが、怪異の証言だけでは基本的に警察は動かないため、何か『グレーな』要請と交渉がゴニョゴニョと行われた可能性はある。


 ともあれ幽霊が導いたとおり、とあるコテージの敷地内から、男女七名分の遺体が発見されたのだと言う。


「一連の事件ので、今や重要な関係者でもあると見做して、根岸さんには密かに伝えておく。これは鶴屋の遺言と思ってくれ――って話だ」


 伊藤と名乗った陰陽士は、マスコミが少なくなる時期を待った上で、プライベートで現場に弔いに行く、とミケに明かした。

 もし同行する気があるなら乗せていくとも。


「どうするね、根岸さん」


 金縁きんぶちの瞳を光らせるミケに対して、根岸は即答する。


「勿論……いえ、その前に」

「なんだい」

「ミケさん、服着て下さい」

「おっと」


 自分が素っ裸である事に今気づいたらしいミケは、ばつの悪い顔で頭を掻いた。

 就寝の際は大体猫の姿で猫用の寝床に潜り込むミケだが、その時服を置き去りにするという困った癖が彼にはある。



   ◇



 長野県に入り、高速道路から下道したみちに降りたところで、車は一度、スーパーの駐車場に停まった。


「供養に行くんだからよ、花くらい用意した方がいいだろうが」


 運転席のシートベルトを外し、相変わらずの不機嫌そうなしかめっ面でそう言ったのは、刑事の鳥山とりやまだ。

 今朝、伊藤に指定された待ち合わせ場所に行ってみたら、彼に声をかけられ、「俺が運転する」と告げられたものだから、根岸もミケも面食らった。


 驚きはしたが、身分の保証されている鳥山が同行するのなら安全だろう。何しろ伊藤という陰陽士を根岸はまるで知らない。怪しげな相手なら、集合場所で顔を合わせて即座にUターンするつもりでいた。

 ちなみにミケは乗り物に乗るため、例によって猫の姿でキャリーバッグの中である。


「花、ですか」


 淡々とした調子で確認したのは、助手席に座る今一人の人物。彼女が、伊藤若菜いとうわかなだ。


 まさしくからすの濡れ羽色と呼ぶべき長い黒髪をぴっちりと固め上げた、掴みどころのない無表情の女性。能面のようなという言い回しがあるが、実際に能面を被っていた山本康重やまもとやすしげの霊の方が彼女より表情豊かだったとさえ思える。

 今日は陰陽士ではなく私用として来ているはずなのだが、濃いグレーのジャケットに同色の膝下丈のスカート姿で、どう見てもオフィスへの通勤着だ。


 雑談らしい雑談も交わさずにここまで来てしまったため、彼女と鶴屋や鳥山との関係は聞き出せていない。


「……いらねえか」

「いえ、お願いします。失念していました。私よりも鳥山刑事の方が細やかな気遣いに向いているでしょうから、お花選びもお任せしても?」

「別に構わねえが」


 お金はお支払いしますので、と財布を出そうとする伊藤を片手で制止し、鳥山はスーパーに向かう。


「僕らは僕らで用意します?」


 根岸は小声で、キャリーバッグ内のミケに呼びかけた。

 とむらい用に仕立てられた花束にはそれだけで浄化の作用があるから、怪異の健康にはあまり良くないと言うが、購入した途端根岸が消滅する程の威力はないだろう。

 ミケは音戸邸の玄関や客間に飾る花を定期的に買っていて、審美眼もある。


「そうだな」


 とミケも同意したので、根岸はキャリーバッグを抱えて鳥山の後を追った。


「何だ、お前らも買うのか。……幽霊が仏花を?」

「自分を成仏させようっていうんじゃないですから、大丈夫でしょう」


 生花売り場の前で呆れ顔をこちらに向ける鳥山に対して、根岸は彼の視線をいなす。何となく、この気難しい刑事との接し方が分かってきた。


不躾ぶしつけな質問になるがね、鳥山刑事」


 他の客のざわめきに紛れて、ミケがバッグの中から鳥山を見上げた。


「何だよ」

「あの伊藤って陰陽士とはどういう間柄なんだい?」


 本当に不躾だな、と口の中でぼやいたものの、鳥山はすぐに率直な回答を寄越す。


「鶴屋と同じだ。子供ガキの頃からの腐れ縁。伊藤は鶴屋の嫁さんだった」

「よ――嫁さんって、奥さん? ですか?」


 予想外の事実に根岸は驚き、つい間の抜けた質問を返してしまった。


「二年ばかり前に離婚してるがな。……伊藤には根掘り葉掘り聞くんじゃねえぞ」

「それくらいは心得とるよ」


 ミケにとっても意外だったのか、丸くなった目をバッグの窓から覗かせて彼は頷く。

 根岸も、これ以上立ち入った話はするまいと胸中で頷いたが、しかし思いを馳せずにはいられない。


 ――鶴屋の遺言だと、電話口で彼女は言った。一体どんな思いでここまでの道中を。


 花束を買って車に戻ると、スマホに目を落としていた伊藤が、後部座席の根岸達に初めて顔を向けた。


「鳥山刑事から私の素性については聞きましたか」

「は――」


 根岸と同時に、鳥山までもぎょっとする。

 とんでもなく勘が鋭いのか、あるいは実際に盗聴でもしていたのか。陰陽士は、縄張りを離れた怪異を特に危険と見做して警戒する。追跡可能な何らかの霊験機器れいげんききを仕掛けられていたのかもしれない。

 戸惑いつつも、根岸はとりあえず口を開く。


「はい、あの……この度はお悔やみを」

「いえ、結構。鶴屋とはもう長らく他人でしたから。元々、家同士の取り決めで婚姻しただけの関係ですし」


 陰陽士をはじめ、人間が怪異に対応するための能力――いわゆる『霊感』の強さには、遺伝が影響する。国家機関のトップクラスの陰陽士ともなると、江戸期、あるいは平安期から続く名家の末裔らが陰陽庁再興後に招集され、今も重責を担っているという話は、根岸も聞いた事があった。


 しかし、家業継承のための一時的な婚姻関係だったと説明されたところで、「そうですか安心しました」などと言える訳がない。余計に気まずい。

 押し黙った根岸に代わって、キャリーバッグ内で丸くなっていたミケがぽつりと漏らした。


「――そんな強がるこたぁないだろうに」


 伊藤は反応しなかった。何故か運転席の鳥山が睨んでくる。根岸はキャリーバッグの窓部分を、さり気なく手の平で覆った。



   ◇



 小洒落たコテージの三角屋根が、木々の合間からちらほらと覗く山道を抜ける。

 くだんの現場は、長閑のどかな別荘地の中でも取り分け辺鄙へんぴな場所にあった。


 カントリー調と呼ぶにはもう少しスタイリッシュな、暖炉と天窓付きのログハウス。十人は泊まり込める広さだろうか。庭も入れて考えると、立地が悪いとはいえ価格が一五〇〇万を下回る事はなさそうだ。


 このログハウスを、数年前に買い上げた者がいた。支払いはほぼ即金だったという。

 当人の自称によれば、買い手は東アメリカ合衆国の企業家である。日本語はそれなりに堪能だったが、取引はほぼ代理人を立てて行われた。代理人は老境の日本人男性だった。


 不審な点は見当たらなかったと、陰陽庁と警察の調べに対して、不動産会社の担当者は冷や汗をぬぐって繰り返したそうだ。

 日本どころか世界が注目する事件の現場となってしまった別荘である。当分はとんだ瑕疵かし物件扱いで、冷や汗も出るだろう。


 しかしその不動産会社のチェックは、やや杜撰ずさんと言わざるを得なかった。

 購入の際に提出された身分証やその他書類は精巧な偽造品ばかりで、別荘所有者の正体は今もって謎となっている。


 七名の遺体が発見された場所は裏庭部分に当たる。


 被害者のうち、一色綾を含む二名はそれぞれ別々の反怪異団体に所属していたが、他の五名には接点がほとんどなく、行方不明になった場所も日時も異なっていた。

 現場までの道案内を果たした男性の幽霊に至っては、別荘近くの渓流で釣りをするのが趣味だっただけだと言う。偶然、誘拐殺人の対象として目をつけられたのだろう。

 しかし生前土地勘があったからこそ、ここまで誘導する記憶を保っていられたものと見られる。


「その、遺体発見に繋がったってぇ釣り人の幽霊はどうしてる? 俺が腕へし折っちまった奴かな」


 キャリーバッグから出てきて人の姿に化けたミケが、鳥山にたずねる。


「自分の遺体が発見されて、確認に来た遺族が泣き崩れてる最中に消えちまったそうだ」

「そうか。……まあ、幽霊ってのはそうしたもんか」


 穏やかに逝けたなら良かった、とミケは付け加えた。


 根岸は立入禁止のテープの手前に立っている。そこには他にも、花束や供え物がいくつか置かれていた。被害者の知人やドライバー達が置いていったものらしい。

 折り重なるように供えられた花束の横に、真新しい仏花の束を置く。

 やはり浄化効果が発生しているのか、この場に立っているとどこかフワフワした心地になってしまう。


「この世に長らくしがみついてる怪異もいるってのにな」


 鳥山が独り言めかして呟く。吐き捨てるような口調のそれを、伊藤が「鳥山さん」と諫めた。すぐさま鳥山が、気まずそうに口の端を捻って下げる。


「……すまん。お前らに嫌味言うためにここまで呼びつけた訳じゃねえ。どうも怪異相手だと俺は――」

「別に構わんさ。どうしたって怪異の存在に納得出来ない人間はいる。なんせ本来この世にいるはずのものじゃないからな」


 ミケが軽く笑って流してみせた。


「それでもこの世にしがみついちまった以上は、ってのも出てくる。なあ根岸さん」


 話を振られ、根岸はミケの方を振り向いた。

 陽光を背に立つ彼の姿は黒いシルエットのようで、猫の瞳が朱色混じりの金の輝きを湛えている様だけが分かる。


「ええ」


 目を細めて、根岸は短く応じた。



   ◇



 「――あんたの事を何と呼ぼうか」


 車の方へ、来た道を戻る根岸に、ミケがそんな風に問いかける。


「何と?」

「御主人の後を継ぐ気があるなら、俺にとっては『若旦那』とか『小主人こしゅじん』とか……」

「いや、止して下さいよ。これまでどおりでいいですよ」


 そう、ミケのあるじの座も継げと雁枝から託されているのだ。根岸は思い出した。

 しかし特に態度を変える必要はないように思える。変え方も分からない。

 ただ、ふと気になる点が湧いた。


「『もがりの魔女』の次代になったとして……僕が『魔女』ってのも変ですよね?」

「ん? ああ」


 けろりとした表情のミケが、目を瞬かせた。


「御主人は『魔女』と呼ばれる方を気に入ってたが、本来の『殯』の異能者の呼び方は違うらしいぞ」

「何て呼ばれてたんです?」

「殯の大殿おとど。根岸さんはそう呼ばれるんだろうな」


 根岸は一瞬、足を止める。


「あ、音戸邸おとどていってそういう――」

「今じゃ苗字みたいになっちまったが」

「興味深いですね。いつの時代から尊称が苗字と認識されていったのか……怪異の証言だと、資料として論文に採用出来ないのが惜しいなあ」


 特殊文化財センター職員としての意見を述べる根岸に、ミケが肩を叩いてきた。


「今後もよろしくな、殯の大殿おとど


 彼は長い坂道に辟易する根岸を軽々と追い抜かして、前方を歩く。


 先行していた伊藤と鳥山が車の元へと辿り着き、二人して運転席側に回るのが見えた。


「帰りは私が運転しましょう」

「伊藤、運転は出来るだけしたくないとか言ってなかったか」

「全国の怪特区かいとくくを回っている間に慣れました」


 怪特区――陰陽庁怪異時別監督指定区おんようちょうかいいとくべつかんとくしていく。強力な怪異や特殊な怪異が発生しやすく、陰陽庁が人員をいて監視下に置いている地域を指す。

 行政上も特別自治区扱いの北海道と沖縄、その他京都や島根など、全国に点在している。

 彼女は余程優秀な陰陽士なのだな、と根岸は考えた。


「近日中に中央局へ異動予定ですが」

「……漏らしていいのかよ、怪異相手に」

「ええ。今回の事件に関して、既に中央局は特例扱いの合同対策本部を立ち上げています。まだ解明されていない部分が多いので」


 そのメンバーに伊藤も加わるという事らしい。


「音戸邸の皆様とは今後も幾許いくばくか、お付き合いが継続するでしょう。よろしくお願いします」


 よろしく、と言う割には握手を要求するでもなく、伊藤は素早く運転席に乗り込んだ。


 根岸はミケと顔を見合わせてから、「……こちらこそ」と彼女に頭を下げる。

 視線を落としたその先から、ニャア、と鳴き声が上がった。ミケが猫の姿になっている。


「ミケさん、土の上に足ついちゃ駄目ですよ」


 根岸は慌ててミケを抱き上げて、クルマの後部座席のキャリーバッグに納めた。


「さぁて帰ろう」


 と、バッグの中で澄まし顔のミケは事もなげに言った。

 多分、伊藤がやりづらくて苦手な相手だったので誤魔化したな、と根岸は推測する。こういう面は割合、ちゃっかりしているミケである。


「はいはい」


 根岸はキャリーバッグを一つ撫でて、自分も座席に腰を落ち着けた。


 ――さて、慣れない他人の車だから、油断するとまた発進と同時に落とされてしまう。


 根岸は意識を集中させた。自分はここに存在している。――と。


 幽霊であり続けるのも楽ではない。人間も、もしかしたら猫も、そうであるのと同じように。



 【第一部 完】





   ◇◇後記と謝辞◇◇


 ここまでお付き合い下さりありがとうございました。

 こちらで一旦章を閉じますが、次の話がまとまったら続きを書いていこうと思います。間が開くかもしれませんが、気長にお待ち頂ければ幸いです。

 読んで下さる皆様、いいねや評価を押して下さる皆さまのお陰で書き進められた作品です。改めて感謝申し上げます。

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