第38話 猫と死霊の剣舞 (11)

 「失礼っ!」


 声とほぼ同時に、開けっ放しになっていた扉から誰かが飛び込んできた。

 スペル・トークンを構えて研究室内を見回すその人物に、根岸とミケは揃って目を丸くする。


「――鶴屋さん?」

「ああ、音戸邸おとどていの方々! 無事でしたか。いや、あんまり無事じゃなさそうですね。もぉーッ、だから危ないって言ったのに!」


 相変わらず慌ただしく声をかけてきたのは、陰陽士おんみょうし鶴屋琴鳴つるやことなりである。


「鶴屋さん、鶴屋さん! 警察の人置いてっちゃ駄目ですよっ! 危険な現場は原則同時突入!」


 続けてあたふたと部屋に入ってきたのは、以前にも鶴屋と組んでいた女性陰陽士だ。名前を山東さんとうといったか。

 そして山東の後ろから、根岸のまるで知らない新たな男も現れた。大柄で無精髭を生やし、不機嫌そうなしかめっ面をしている。


「そのとおりだ。怪異よりお前が暴走してどうする、鶴屋」

「どーもっ、すみません鳥山とりやま刑事。でも結界はもう必要なさそうな感じですね!」


 スペル・トークンを一旦内ポケットに仕舞って、鶴屋はへらりと笑った。


「刑事?」


 思わず根岸はたずねる。

 無精髭の大男は、一つ頷いて手帳を取り出した。


「警視庁の鳥山です。……いや待て、あんた幽霊か。そっちは妖怪?」

「ああ、猫又のミケだ。彼は根岸さん。よろしく」


 ミケがひょいと片手を挙げ、気安い挨拶をする。一方の鳥山は、不機嫌そうな顔をますます凶悪にしかめた。


 往々にして、警察は怪異を苦手としている。

 人間の法律が通用せず、性質によっては留置場に閉じ込めても勝手に出て行ったりするのが怪異だから、無理もない。陰陽庁が出動した際の「補佐」として警察が呼ばれがちなのも、同じ治安を守る公僕としてはプライドを刺激するところだろう。


「この部屋に人間は? そこの被疑者以外で」


 鳥山は窓辺に倒れている遠藤を親指で示して、被疑者と呼んだ。

 警察がちゃんと事件として取り扱ってくれるのか、いくらか疑問は浮かんだが、根岸はとりあえず、まだ朦朧としている院生の青年を指差す。


「あの人は人間ですね。完全に巻き込まれただけの学生っぽいです」


 ぶっきらぼうな仕草で頷いて、鳥山は上体を起こしかけた青年の傍らにしゃがみ込み、改めて警察手帳を見せた。

 この場で証言を取るつもりらしい。

 根岸がちらりと部屋のドアの向こうを見ると、廊下には制服の警官も二、三人立っている。


「随分大勢警官が来てますね。鶴屋さんが呼んだんですか?」


 根岸は小声で鶴屋に問いかける。


「そうですよ。色々と伝手つてがあってね、警視庁には」

「はあ……でも、怪異事件で警察を動かすのは難しいんでしょう? 立件だって簡単にはいかない」

「警察は、一色綾いしきあやの失踪事件の捜査で、しばらく前から遠藤准教授をマークしてました。器物損壊でも何の容疑でもいいから、引っ張りたかったんですよ。だからまー、ちょっと煽ってみました」

「それってつまり別件逮捕……」

「しっ」


 鶴屋は人差し指を口元に当ててみせた。

 怪異事件で公務に携わる人間を動かすのは、何かと大変だ。グレーな手段に頼る場合も多々ある。根岸は複雑な気分を覚えた。


 と、廊下の先から覚えのある声が飛んできた。


「あのっ、すみません関係者です! 通して頂けますか!」


 滝沢だ。根岸は鶴屋と共に、急ぎ廊下に出た。


「滝沢先輩!」

「ああ根岸くん! 良かった!」


 警官に通行止めを食らっている様子の滝沢が、安堵の表情を見せる。


「お巡りさん、彼女は協力者です。特殊文化財センター勤めでスペル・トークンも扱えるから、通して大丈夫ですよ」


 鶴屋の口添えに、根岸は驚いて二人を見比べた。


「協力って――」

「根岸くんと別れた後、すぐ鶴屋さんに私からも連絡したのよ。根岸くん電話に出なくなっちゃうし、一階では事務員さんが警察呼ぶとか騒いでるし、気が気じゃなかったわ」

「状況を逐一報告して頂いたお陰で、助かりました。ご協力感謝します」


 怒ったように眉尻を吊り上げる滝沢と、にこにこする鶴屋に挟まれて、根岸は肩を縮める。確かに、先程までの数分は電話どころではなく、着信に気づきもしなかった。


「お、滝沢さん……」


 くんくんと周囲の匂いを嗅ぎながら部屋から出てきたミケが、滝沢を見て声をかけた。


「ミケさん! 貴方も無事っ……じゃない! ひゃあああ!」


 今のミケは全身血みどろである。滝沢は思わずといった風に口元を覆い、悲鳴を上げる。


「いや、これはもう平気。それより根岸さん、今鼻は利いてるか?」


 ミケに問われて根岸は、はたと気がついた。

 先程まで全く感じ取れなかった怪異の匂いが、今は分かる。

 研究室に戻ってみても同様だった。部屋のあちこちに転がる日本刀に縛られていた幽霊たちは、元々無理矢理ここにび出されていた者達だったためか、多くが姿を薄れさせていたが、それでも微かな怪異の匂いは漂わせている。


「あれっ……嗅覚が戻ってますね、今は。さっきまでは確かに何も嗅ぎ取れなかったのに」

「結界――『調停静界アービトレイション』を解除したな」

「方術ですか? それは、遠藤が?」


 ミケの呟きに対し、鶴屋が一転真剣な顔つきになって口を挟む。


「いや、そこまで同時にやってのけるのは無理だろ。……憶測だが、遠藤にも協力者がいて、そいつが遠くからこの部屋にピンポイントで結界を張ったんじゃないか」

「遠くから?」


 根岸は怪訝な顔をした。

 方術の発動には、視認が鍵となるものが多い。離れた位置から特定のポイントを標的に方術を使うのは困難なはずだ。専用の霊験機器れいげんききでもあるのだろうか。


「あり得ますよ、遠方からの視認式方術。日本ではあまりメジャーじゃないですけど、欧州や東欧の反怪異国の、軍人を兼務する方術使いは結構やります。狙撃用のスコープとかを転用してね」


 へえ、とつい根岸は感心の声を上げた。それが日本でメジャーでないというのは致し方ないだろう。長距離射撃の訓練を積んだ方術使いなど、日本国内にそうはいない。


「じゃあ……そこの向かいの建物あたりから……」


 根岸は窓の方を見た。夜だというのに、この研究室の窓はブラインドで閉ざされていない。それは協力者が外部から方術を使うためだったのかと、今更にして思う。

 文学部棟の向かいの建物は、以前根岸も利用した大学図書館だ。今は閉館している。しかし侵入不可能という事もないだろう。


「ああ。協力者はまだその辺にいるだろうから、気をつけた方がいい。鶴屋さん、あんたらもな。人間用の武器を持ってるかもしれない」

「分かりました。ミケさんにも根岸さんにも――感謝しますよ。散々だったでしょうけど」


 苦笑いを浮かべつつ、鶴屋が頭を下げる。


「ちょっと誤解してたかも、鶴屋さんのこと」


 滝沢が後ろ髪を撫でつけながら、ぼそぼそと言った。


「案外、真面目ね」

「それ、鶴屋さんよく言われますね。無駄に胡散臭いもんだから」


 警察とやり取りをしていた山東が廊下に出てきて、浅い溜息をつく。鶴屋が「あっはは」と、再度笑った。


「笑い事じゃないですからぁ。はいはい、そこの怪異さん達、廊下ちょっと開けて下さい。遠藤周を通すんで」

「逮捕?」


 鶴屋が軽い調子で訊ねる。


「怪我が酷いんで、診療の後で緊急逮捕って流れになるみたいです。容疑は学生さんへの殺人未遂」

「そっちの立件は難しいかもだね、怪異にやらせたとすれば。学生さんは動転してるっぽいし、方術は痕跡が残りにくいからなァ」


 かつて無差別連続殺傷事件の凶器として使われた鎌も、検査で方術の痕跡は発見されなかった。術が解けた直後に拾い上げたミケが、僅かに何かの残り香を嗅ぎ取ったのみである。あれはとびきり鼻の利く彼だから出来た芸当だろう。


「ま、でも……警察も懸命です。一色綾さんの件は、きっと正当に裁かれると思いますよ」

「……やっぱり殺人の可能性もあるのね。一色さんの事件」


 滝沢が、痛ましそうに首を振った。


「全然理解出来ない。一体何のために人殺しなんて。根岸くんが車の中で言ってた、人為的に暴走する怪異を生み出すって話……あれが当たってたわけ?」

「理解出来ない、とは……こちらの台詞ですね……」


 そんな言葉とともに、鳥山に促されて研究室から出てきたのは、遠藤である。

 ミケに殴り倒されたせいで顔中血まみれになっていたが、思いのほかしっかりした足取りで廊下を進む。


 彼の肉体の強靭さは一体何に由来するのか、と根岸は考えた。軍事的な訓練の成果か、方術か、何かしらの薬物や手術か――あるいはその全部か。とにかく、普通の人生を歩んできたとはとても思えない。


「貴方がたは……日本人は、怪異の恐ろしさに対してまるで無知無策です。怪異の本性を、おののくべき実態を、この国に知らしめる必要がある。何故それが分からないのか……」


 は、と滝沢は、素で言い返した。


「知らしめたのは、貴方の怖さでしょ。何を言ってるの」


 嘲笑ともつかない暗い表情で、遠藤は滝沢と根岸、次いでミケを見つめる。


「例えば、そこの怪異の本性……それは怪異自身が、よく知っているはずです。人の憎悪と怨嗟から生まれ、呪いを振り撒く存在…………どう取り繕おうとも、人の世に災いをもたらす事になる……」


 ミケは遠藤の視線を受けて、軽く両目を細めてみせた。


 戦災の化身。それは奇妙な言い草だったが、根岸には思い当たるところがあった。

 燃え盛る獣の姿をとったミケを初めて目にしたあの時。根岸は彼の記憶と思われる光景を追体験している。

 焼き払われる街。炎に巻かれて死にゆく人々。煙に霞む夜空の彼方に見えた航空機。

 強力な霊威を誇る怪異として、彼を顕現せしめたもの。


「……お前の言うとおり。俺は八十年ばかり昔のあの夜、十万人の悲鳴から生まれた怪異だ」


 独白のように、低めた声色でミケが言葉を紡ぐ。


「けどな若造、俺に言わせりゃ……怨嗟も憎悪も悲鳴も、そいつらがもっと生きたかったって思いの表れでしかない。それもまた、。そりゃあ、あんな事はもう起きない方がいいんだろうが――死んでいった彼らの遺志は、決して呪いでも災いでもない。それを証明するためにも」


 まだ傷の塞がりきっていない胸元に、ミケは手を添えた。


「俺は人の世で、人間とも怪異とも、楽しく好きにやらせて貰う。最期には、最高の一生だったと笑って死んでやる。お前はせいぜい、そのわけの分からん使命感に呪われてろ」


 そう言ってミケは、鼻先で笑い飛ばしてみせる。

 彼らの前を通り過ぎ、廊下の先へ向かう遠藤が、ほんの僅か振り返って刃物のような眼差しをこちらに注いだ。

 すぐに「おい!」と鳥山にせっつかれ、遠藤は前方へと向き直る。


 ――人間にも、ああして生きるしかない者がいるのだ。


 不意に根岸はそんな事を思う。

 憎悪と敵意だけを身の内に詰め込んで、それを糧に超人的な能力を手に入れて。ただただ呪わしい目的のために生きる。

 ……そう考えると、人と怪異の間にどれほどの違いがあるのだろうか。


 『バカボー君』から取り外して、腰のホルダーに戻した血流し十文字を、何とはなしに根岸は見下ろす。

 呪いの槍にして、かつて数多くの人をあやめた怪異。そんな経歴が嘘のように、槍の穂は大人しく収まっていた。

 どうあれ、今回根岸たちは、この呪物に命を助けられたようだ。そう――怪異の生き様にもまた、何が起こるのか分からない。


 思い出されるのは、山本康重の別れ際の言葉だ。


 ――時に、呪わしき運命さだめこそが道をひらく。なべて、やいばは使いようであるぞ。

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