第32話 猫と死霊の剣舞 (5)

 近代の学問分野である考古学も、学術発掘調査なるものも、当然に康重は知らなかった。

 ただ、かつての鍛冶場跡地を掘り返し、調べ回っている様子は見れば分かる。

 発掘調査のトレンチは日に日に拡大し、血流し十文字の眠る地点に迫りつつあった。


「かの槍が無辜むこの民の手に渡るは由々しきこと。我らは、先んじて十文字を掘り返した」


 康重はそう語り、「えっ」と根岸が口を挟む。


「……ここで夜中に発掘作業してたんですか? 康重さんが自分で? 幽霊なのに?」

「おぬしこそ、幽霊でありながらそれが生業なりわいではないのか」

「ああ、はい」


 言われてみればそうか、と納得しかける根岸だったが、やはり能面を被った幽霊がせっせと土を掘り返している状況を想像すると、大分ツッコミ所が多い気もする。


「自治体や学術機関が正式な調査をしてる最中に、勝手に遺跡から遺物を掘り出すと、場合によっては文化財保護法違反なんだけど――」


 滝沢が遠慮がちに口にした。


「まあ――この際いいわ。怪異のやった事だし」


 諦めの顔色である。怪異に関わる職業の人間が浮かべがちな表情だ。


「幸い、血流し十文字は変わらずそこに埋まっておった。未だ呪いは消えておらなんだが」


 康重はさらりとそう述べるが、あまり幸いではない。


「根岸よ、こちらへ。――そこな女子おなごは、離れておるが良い。あれの呪いは一族を断絶させようとするゆえ、女子供の方が危うい」

「えーっ……コンプラ違反な呪いね」


 滝沢は不満げである。しかし康重の証言どおりとなると、相手は人命に関わるレベルの怪異らしい。根岸は彼女を押しとどめて、康重の案内に従った。


 発掘用のトレンチからそう離れてもいない地点に立つ松の木の陰に、どこから持ってきたのか、大きめの石が置いてあった。二人がかりでそれを移動させると、その下に深い縦穴が掘られている。


「これ康重さん一人で掘ったんですか? 凄いな。八十センチくらいはありますよ」

「勝手ながら、そこに置き去りにされておった鉄鋤てつすきを借りた」


 康重の指差す先には、カバーのかけられた発掘用の道具類が積まれている。

 鉄鋤てつすきと彼が呼んだのは、シャベルの事だろう。


 歴代刀匠の精神を宿した怪異は、腕力の方まで十人前なのだろうかと根岸はちらりと考えた。

 康重は中肉中背で、特に法外の怪力には見えないが、それを言えばミケなど、あの外見で身長三メートルのウェンディゴを殴り飛ばしたりしている。

 怪異になっても平均的成人男性程度の腕力のままの根岸にとっては多少羨ましい話だ。


 ――とはいえ、今は体力測定をしている場合ではない。


 根岸は穴を覗き込んで懐中電灯を向けた。

 朽ちた木箱が穴の底に鎮座している。あれか、と思うと同時に、芳しさと鉄錆臭さのない混ぜになったような、複雑な匂いが鼻を刺激した。


 最初に発掘現場まで辿り着いた時、一時的に怪異の匂いが散り散りになって、康重がどこにいるのか分からなくなったのを根岸は思い出す。あれは、このもう一体の怪異の存在を薄っすらと嗅ぎ取っていたせいかもしれない。


「こんな現場の近くに。危なかったですね、このまま調査が進んでたら、ほんとに発掘されてたかもしれません」


 腰のホルダーに懐中電灯を引っ掛け、根岸は軍手をはめた手を伸ばした。


「生きた人間が直接触れると、それだけで呪われるんでしょう?」

「然り。触れられるのは亡者のみである。現に、我らは一度掘り当てて中も改めたが、その後支障は出ておらん」


 中身の確認までは出来たものの、預ける先に心当たりがない。生きた人間が不用意に触れると惨事が起きる。それで康重は、やむなく再び穴の底に隠す他なかったのだと言う。


 腐敗して崩れそうな木箱を慎重に両手で持ち上げて、地上に置いたところで、根岸は一旦姿勢を正して箱と向き合った。

 蓋を開ける。外箱を腐敗させた水気が中まで浸食してしまったらしく、上質の絹の布がぼろぼろになっていた。木屑まみれなのは、槍と一緒に切り取られた床の板材が崩れたものだろう。


 ――だが、箱の中央に据えられた十文字槍の穂は、妖艶なまでの鈍色にびいろの輝きを保っていた。


 名匠の作品を目の当たりにする感動もあったが、背筋の冷たくなるような怖気おぞけも確かに感じる。


 いっぺん死んだ者同士だ、大目に見てくれ、と半ば開き直って、根岸は軍手を外し、刃の根元に指先で軽く触れた。


 途端、頭の中へと流れ込んで来る濁流のような情景。


 怒号に悲鳴、荒々しい足音、金属のぶつかり合う音、土煙、血飛沫――

 鎧を着た集団が、坂道を入り乱れて戦っている。誰が敵で誰が味方なのか。矢や弾丸が空気を切る音がする。どこからか拳大の石までも降ってくる。


 ひときわ逞しい大男が、十文字の槍を振るっていた。

 どれだけこの地点で踏ん張り続けているのか。男はあちこちに傷を負い、自分の血と敵の返り血で、全身赤黒く濡れそぼっている。


 彼は崖っぷちで戦っていた。すぐ背後は小川だ。

 敵の繰り出した刃を回避した拍子に、血と汗で足裏が滑り、蹴った小石が崖を落ちていく。彼はちらりと足元を確認した。


 その時、遥か下の川面かわもが視界に飛び込んできた。


 血に染まった着物が浮かんでいる。婦人用の華やかな柄だ。

 彼は目を見開いた。


 あるいは、彼はその着物に見覚えがあったのかもしれない。かけがえのない大切な誰かが着ていたものと気づいたのかもしれない。


 およそ人のものとは思えない、喉も肺腑も引き裂くような絶叫がその場に響いた。


 彼は前へと向き直り、闇雲に槍を突き出した。しかしその動きは怒りに我を忘れた勢い任せのもので、標的すら定まっていなかった。大振りの構えで隙の生じた彼の脇腹、鎧の合間に、敵方の槍が深々と突き刺さる。血まみれの身体を支え続けていた膝が崩れる。


 あっけなく、彼は崖下の川へと転落した。

 川向こうでは荘厳な御殿の屋根が火を噴いていた。彼の守るべき城が焼けていく。その有り様が、落ちゆく槍の刃に映る。


 ――呪われるがいい、下郎共め!


 最期に彼はそう口走った。その呪詛はほとんど声にはならなかった。ただ、命の尽きる瞬間まで握りしめていた槍へと、彼の流した血と同じように染み込んでいった。


「――げほっ」


 現実の視界を取り戻すなり、根岸はむせ返り、その場でえずいた。


「なっ、何事ぞ」


 傍らで慌てた様子の康重が、またも一人でざわめく。

 根岸はリュックに入れていたペットボトルの水を何口か飲み、口元を拭って深く呼吸した。


「あ……大丈夫です。ちょっと、その……きついものをて」


 何度か経験するうちに、根岸は自身の特異な能力を把握しかけていた。

 怪異が感情と霊威をたかぶらせた時に、彼らの精神の表層に蘇る強烈な過去の記憶。

 それに触れ、追体験する力が、何故か根岸にはそなわっているようなのだ。ただし、コントロールがまるで利かない点は困り物である。


 ミケや『灰の角』の記憶の断片も辛いものがあったが、今回見せつけられた光景と情動からは特に、鉄砲水のごとき攻撃性を感じた。

 他人の殺される瞬間など――ましてや、死に際に吐き出した世の中全てへの呪詛など、安易に追体験するものではない。


「何を見たのだ」

「多分……この槍が、何故触れる人を呪うようになったのか。その事情を」


 力なく笑って、根岸は鼻の頭までずれていた眼鏡の位置を直した。


「知ったところで、僕にどうこう出来るレベルの話じゃありませんでしたが」


 この槍の穂は、怪異に取り憑かれているのではない。それ自体が怪異化している。

 強引に分類するなら、付喪神つくもがみと呼ばれる妖怪に近いだろう。しかしその種族が持つ牧歌的なイメージとは大きく異なる。かつての持ち主の強い怨嗟が、そのまま命となって宿っているのだ。


「ふぅむ?」


 康重はいぶかしげに能面を傾けた。


「おぬし、単なる若造の幽霊とは思えぬな。一体何者か」

「それが自分でもよく分からなくて」


 ペットボトルを仕舞い、根岸は肩を竦める。


「今は、公益財団法人の備品です」

「……なんと?」


 複数の康重が、当惑に声を揃えた。

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