第31話 猫と死霊の剣舞 (4)

 ――調査の結果、当該怪異は危険性の低い個体と判断した。対話は可能であり、通行人の心理的負担に繋がる行動は今後慎む方向で同意を得た。当該怪異の出現目的も詳細が判明したが、これの解決には別途期間と費用が必要になる。


 滝沢のとっていたメモには、そう走り書かれている。


「上にはこういう感じで報告しとくから」

「お願いします」


 根岸は怪異なので署名や印鑑に法的効力がなく、報告書が提出出来ない。確認したメモ帳を根岸は表彰状のように掲げて、滝沢に返却した。


「消えた七振りの刀……探してあげたいんですけどね」


 浅い溜息をついて根岸は言う。

 とりあえず康重は、夜中に誰彼構わず話しかけて刀の行方を尋ねるのをめてくれるらしい。

 が、憑いていた自分の作品が所在不明のままでは、この場所を離れられないだろう。

 いわゆる『成仏』にまで持って行くには、刀を見つけて彼を安心させる必要がある。根岸はそう推測している。


「うーん。探すまではまだ何とかなっても、合法的に買い取られてた場合、こっちで引き取るのは難しいんじゃないかな。交渉して譲って貰うとなると相当お金かかるし」

「ですよね」

「第一……根岸くんにこんな事言うのは悪いけど……人間側から見れば、一旦祓い清めた刀をもう一度『幽霊の憑いた刀』に戻すってのは、その」

「はい――それは分かってます。まあまあ呪いのアイテムかと」


 たとえ憑いているのが、悪意など持たない刀の生みの親の霊だとしてもだ。

 一般の人間にとって、幽霊憑きというのはあまり有り難くないオプションなのである。それは重々承知している。実際根岸も、先程康重と遭遇した時には驚かされた。


 ……ただもう一つ、康重への同情とは別の気がかりが根岸にはあった。


 このところ頻発する怪異にまつわる事件と、今回の一件。果たして無関係だろうか?

 何しろ今度は、まぎれもないが関わっている。もしもまさに今、何らかの悪意が動いているとしたら。


「呪い。呪いか」


 唐突に、根岸の耳元で大勢の声が生じた。

 驚いて横を向くと、能面が鼻先ほんの数センチの位置にある。何の物音も立てずに、康重が間近に迫っていた。


「近い!」


 根岸は思わず飛び退いて苦情を言った。一つの身体に複数の精神を宿すと、パーソナルスペースがおかしくなったりするのだろうか?

 康重はというと、文句を意にも介さず――やはり多少コミュニケーションに難がある――言葉を続ける。


「根岸と申したか、そこな怪異よ。おぬしにならば託せようか」

「託す? 何をです?」

「呪いである」

「のろ……は?」


 全く予想外の話が転がり出て、根岸は目を丸くした。



   ◇



 康重の打ち明け話はこうだった。


 見守るべき刀を失った歴代『康重』がこの地に集合し、一体の怪異となったのは、勿論この場所が山本氏にとってゆかりのある地だったからだ。しかしそれだけではない。

 歴代の康重の強い心残りとなった呪物が、この土地には密かに眠っていたのである。


 ――血流ちなが十文字じゅうもんじ


 そう呼び慣わされる十文字槍の穂が、呪いの本体だ。


 槍を所持し振るったのは、北条家に仕えたとある武将だった。

 その最期の戦場は、八王子城。

 一五九〇年、豊臣秀吉が天下統一をかけて北条氏を攻め下した、世に言う小田原征伐の折である。


 八王子城の合戦は、稀に見る殲滅戦となった事で知られる。激しい攻防により、双方におびただしい死傷者が出た。

 取り分け、御主殿に立て篭もった北条氏照ほうじょううじてるの正室をはじめ、婦女に多数の犠牲があった事は、悲劇として語り伝えられた。

 攻め入られ追い詰められた北条方の夫人らは、次々と城山の滝に身を投げて自害し、ふもとの川は三日にわたって血の色に染まったと言うのである。


 ――そんな状態の麓の川岸に、合戦から数日後、一振りの十文字槍が流れ着いた。


 奮戦の挙句、討ち死にした持ち主ごと川に落下したのだと思われる。

 川岸近くに住む不心得な男が槍を発見し、金目の物と見て持ち帰った。


 それから、惨劇が始まった。

 持ち帰った男は勿論のこと、男の家族や親戚までもが、僅かな期間のうちにばたばたと死んでいった。

 感染症などではない。皆が皆、偶然の事故としか思えない、それでいて悲惨な死に方をするのだ。

 多くの者が血まみれになって死ぬことから、気味悪がられた十文字槍は『血流し十文字』の名で呼ばれるようになった。


 出来心の拾い物により不幸に見舞われたその一家は、ついに死に絶えた。

 無人となった彼らの家に隣近所の者が恐る恐る踏み入ると、奥の間の床板に、柄の折れた十文字槍が突き立っていた。


 槍を折る事で呪いへの抵抗を試みたのか、恐慌状態となった果ての捨て鉢な行動か。その光景に隣人らはぞっとして、誰一人奥の間に近づけもしなかったと言う。

 槍の穂は、そのまま廃屋に放置された。


 一方、北条氏滅亡後、紆余曲折を経て徳川家に仕える事になった康重らは、かつての拠点である八王子に戻ってきて、そこで血流し十文字の噂を聞いた。


 ――先祖の銘が刻まれ、かつての主君のために振るわれた槍が、そのような呪物になっているとは痛ましい。


 そう考えた康重は、触れれば祟るという十文字槍の穂を、突き刺さっている床板ごと切り取って持ち帰り、手厚く供養した上で鍛冶場の近くに埋めて塚を築いた。


 結果、呪いはいくらか薄まったようだが、それでも槍の埋まっている塚の付近では不可解な事故が絶えない。そのため代々の後継者や弟子たちに、血流し十文字には近づくな、との家訓が伝わったのだった。


 やがて時代が下り、鍛冶場も屋敷もすっかり土に埋まった現代――

 四百年余りの時を経て、血流し十文字が発掘調査により『発見』されようとしているのを、自身も怪異となった康重は感知したのである。

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