第33話 猫と死霊の剣舞 (6)

 これで少なくとも一つ、康重の心残りは解消した。


 血流し十文字は、木箱ごと社用車に積んであったプラスチック製のコンテナに納められ、根岸が抱えて持ち帰る手筈になった。


 特殊文化財センター内には、常に結界が張り巡らされ、物理的にも厳重な施錠がなされている、危険特殊文化財保管庫がある。血流し十文字はそこに保管するべきだろう。が、保管庫を開けるにも、新しい品物を仕舞うにもあれこれ手続きがいる。

 それでやむなく、触れても平気な根岸が一晩見張り、手続きは明朝行うという予定が立った。


 滝沢に呪いの危害が及ぶ事態は万一にも避けたい。行きは助手席に乗っていた根岸だが、帰りは荷物だらけの後部座席の隅に自らを押し込んでいくしかない。


「なんで『バカボー君』まで積んであるんですか」


 車の後部座席を開けた根岸は、想定以上のごちゃつき具合を嘆いた。

 空コンテナにシャベル、畳まれたブルーシートなどが場所を取り、根岸の腰を落ち着けるスペースはごく僅かである。

 ちなみに『バカボー君』とは、一メートルから三メートル程度まで伸縮する棒状の定規で、標高測定などの際に使用する。老舗測量器具メーカーから発売されている。

 何故こんな商品名なのかは根岸の長年の疑問だ。


「昼の現場用の荷物そのままで来ちゃった。でもコンテナは持ってきといて良かったじゃない? 槍を持ち帰るのに」

「それはそうですが」


 今後、根岸の手を離れた血流し十文字は、陰陽庁に送られる事になるだろう。

 結界越しに取り扱われ、詳しく分析された上で、最終的には方術で祓い清められると予想された。

 つまり、怪異は消滅させられる。


 断片的にではあっても悲壮な記憶を共有してしまった根岸としては、心苦しいものを覚えるのだが、人間にとって危険な怪異は、結局そうするしか方法がない。

 大した権限を持たないトクブン職員に出来る事は、せめて安らかな形で葬って貰えるよう願うくらいだ。


 物思いに沈みつつ後部座席の荷物を整理し、十文字を納めたコンテナを積もうと振り返ると、間近に小飛出の能面があった。


「わッ! ――だから近いですよ康重さん!」


 危うく能面と口づけである。


「我らは……遠くへは出歩けぬ。ここで見送らせて貰う」


 相変わらず根岸の文句はスルーして、淡々と康重は告げた。


 幽霊には、出没場所から一定以上は離れられないタイプが少なくない。今は遠方へ出掛けられる根岸も、当初はJR東小金井駅から音戸邸の間までしか歩き回れず、木曜の朝にしか出現出来なかった。康重も同じらしい。


「じゃあ、こちらで失礼します」


 半歩程距離を取った根岸は、苦笑と共に応じた。


「七振りの刀については……出来るだけの事はさせて頂きますので。進展があり次第、また報告に伺います」


 それまでは近隣住民を脅かさずに上手くやって下さい、と付け加えておく。

 康重は、夜道に出くわすには多少インパクトのある外見なので、これは重要だ。


「うむ。誓って心掛ける」


 大真面目だがあてにならない宣誓をした上で、康秀は少し面を俯けた。


「これよりは、過ぎたる望みと承知の上で申すが……」


 その声色は、一人分のものだった。

 初めて聞く個人としての康重の声に、根岸は目をみはる。


「……康重さん?」

「血流し十文字に宿っておる魂、今しばし、この世にとどめてやれぬものかと」

「それは」


 内心を言い当てられたような申し出に動揺しつつ、根岸は首を横に振る。


「難しい……と思います。今現在、どれくらい危険な呪いの力が残っているかにもよりますが」

「……さようか」

「でも――分かりました。こちらについても、やるだけの事はやってみます」


 安請け合いはしかねるが、希望がない訳ではない。

 ウェンディゴだって危険外来怪異に認定されているが、『灰の角』は諭一と平穏に暮らしている。先日のピー・ガスーとピー・ガハンの暴走も、大事に至らなかった。ミケ達の力を借りれば、あるいは何とか出来るかもしれない。

 怪異に人間の常識や法則は通用しない。異例や特例だらけなのが、寧ろ怪異に関わる業界の日常だ。


「頼めるか」


 能面の顔が上がる。


「あの槍のあるじはな、北条家に尽くした、まことの忠臣であった。本来であれば決して、浅ましい悪意などに身を任せるような御仁ではなかったのだ……」


 痛々しそうに声を落とす康重へと、根岸は深く頷いてみせる。

 恐らく、今話している『康重』は、血流し十文字を鍛え上げたその人だ。そして槍の持ち主――根岸が幻視したあの武士の直接の知り合いでもある。


 怪異となった血流し十文字は、かつてその槍を振るっていた人物とは全く別の生き物だ。どれほど高潔な人物の記憶を引き継ごうとも、様々な要因が絡んで、凶暴な存在として化けて出る事はよくある。

 しかしそうは言っても、簡単に割り切れるものではない。


「ええ、その気持ちは……いや、以前であれば僕も、早々に祓い清めてあげるのが本人のためだとか考えたんでしょうけど」


 と、根岸は頭を掻いた。

 我ながら調子が良いというかご都合主義というか、反省するところではあるのだが、人間だった頃より怪異に親身に接してしまう自分を、根岸は自覚している。


「僕自身、幽霊になってから家族や大事な人にもう一度会えたり、新しい友人が出来たり、そういう事があったんです。困る事も多いし、人から気味悪がられもするんですけどね。それでも、。もう少しこの世にいたい……いさせてあげたいという思いは、分かります」


 いつかミケにかけられた言葉を、根岸はそのまま伝えた。

 能面の下で、康重は微かに笑ったようだった。


「我らは」


 そう発言した彼の声は、また複数人のものに戻っている。


「殺生に繋がる道具を数多あまた造り上げてきた。かような業を背負った身として申そう。――清らかなることばかりが、救いとは限らぬ。時に、呪わしき運命さだめこそが道をひらく」


 ――なべて、やいばは使いようであるぞ。


 どこか意味深長な言葉を残して、幕が巻き上がるかのように、康重の身体は消えていった。

 最後に、空中に残っていた小飛出の面も、すうっと闇に溶けて見えなくなる。

 顕現していられる時間の限界が訪れたのか、自分の土地から離れ過ぎたのか。とにかく一旦は消えてしまったらしい。



   ◇



 「……薪能たきぎのうでも見たような気分」


 運転席側のドアにもたれて根岸と康重を見守っていた滝沢が、ふーっと深い息を吐いた。

 確かに、怪奇現象に遭ったというよりは幻想的な舞台でも堪能した直後に近い気分だ。


「さーて、帰ろっか。スムーズに出現してくれたお陰で、予定よりずっと早く済んだね。まだ帰宅ラッシュに引っ掛かりそう」

「ほんとだ。最長で終電までかかる覚悟でしたけど」


 リュックに入れていたスマホの時計を確認して、根岸も驚く。

 何しろ幽霊という相手は、出ない時には出ない。今回は非常にラッキーだったと言えるだろう。言葉も通じたし、対話も一応はスムーズと言える範疇はんちゅうだった。


「ミケさんに遅くなるって言ってしまったんですが、これだと僕の方が家に着くの早いかも……どうかな」


 呪物の槍というとんでもない手土産もあるのだし、一度連絡を入れておこうと、根岸はスマホの画面に触れる。


 途端、スマホが振動した。着信があったのだ。


「なに? ミケさんから? 出てもいいよ、私運転してるから」


 運転席でシートベルトを締めつつ、滝沢がこちらを振り返る。


「あ、いえ、ミケさんじゃないですね……折り返しだ」

「折り返し?」

「陰陽庁の鶴屋さんから」

「えっ。あのちょっと胡散臭い人? なに連絡取ってんのよ根岸くん」


 出て出て、と促されて、根岸は通話ボタンをタップした。


『どーもッ、御無沙汰してます根岸さん! いやーまさかそっちから連絡頂けるとは! 丁度ね、私も連絡しようと思ってたんですよまさに今日!』


 相変わらず、物腰柔らかながら口を挟みづらい調子の声が、電話の向こうから畳みかけてくる。

 連絡しようと思っていた、との一声に気になるものを覚えつつも、根岸は「御無沙汰してます」と平静に挨拶を交わした。


「大変急なんですが、確認したい事があって」

『はいはい、何です?』

「鶴屋さんが、を知ったタイミングです」


 確かめたいのは一点だ。


「今年の一月上旬。関西から出張で呼ばれた虫びの方が、封じている虫に異変が起きた件で陰陽庁に相談しましたよね。その折じゃないですか」


 鶴屋は、一転沈黙した。


 陰陽庁、それも東京都中央怪異対策局ともなれば、怪異についての情報収集を常に行っているだろう。

 音戸邸の主従は生前の根岸も知っていた有名な怪異だから、そこに居候の幽霊が増えたという情報が、早々に対策局に上がっていた可能性はある。


 ただ不可解なのは、鶴屋が相当にグレーな手段で根岸への接触を計った点だ。

 事件捜査にかこつけて、特殊文化財センター側のスケジュールを把握した上での接触。かなり強引に、拙速とも言えるやり方で根岸を調査していたのだと思われる。


 マークされていた――それも危険視されていた。


 そう気づいた根岸が抱いた疑問は、「一体何故自分を?」それに「いつの時点から?」という所だ。

 根岸が怪異の身で方術を使えるという情報から、余程の特殊個体と考えてマークされたのだとして、その情報を陰陽庁は、いつ、どこから得たのか。


 ミケが連続殺傷事件の犯人と戦った時。つまり幽霊の根岸が初めて結界術に成功した時か? それは考えにくい。動きがのんびりし過ぎている。


 次に方術を使ったのは、『灰の角』と出逢った時になる。

 芹子はあの事件について、根岸や諭一の行動は陰陽庁に報告したと言っている。では、彼女が実は詳細を証言しており、それを根岸達には隠していたのか。

 これも不自然だ。芹子にはわざわざ嘘をつく理由がない。となると、誰が?


 浮かび上がってくるのは、ここでも遠藤周えんどうあまねなのだ。

 芹子の証言を改竄するチャンスのあった一般人は、仲介役を担った彼だけと推定出来る。


 この一連の推論を確かめたくて、根岸は鶴屋に連絡を取り、今鎌をかけたのだ。


 根岸はじっと相手の反応を待つ。運転席の滝沢も、何事かとミラーで後ろを伺っている。


『……あのですね。ご存じだと思いますけど、情報提供者の詳細は我々、基本的に口外出来ないんですよう』


 そんな回答が返ってきた。

 致し方ない話ではある。でしょうね、と根岸が相槌を打つと、電話の向こうで鶴屋がごそごそと動く気配があった。話し場所を変えたらしい。

 それから、声のトーンを下げて鶴屋は続けた。


『ただね、根岸さん。貴方がの名前に辿り着いたのか、大方は察してます。連絡しようと思ってたってのは、まさにその件でした。私が出来るアドバイスは、その人には絶対に近づくなって事です。特に怪異だけではね。必ず、接近する時は人間を同伴して下さいよ。……陰陽庁も警察も、怪異は法の力で守れないんですから』


 ごく小声ではあったが、まくし立てられたその忠告は真剣な口調でのものだった。


 怪訝に思いつつも根岸は受け取った言葉を吟味する。

 鶴屋もまた、何らかの情報を掴んでいる。しかもその情報によれば、疑惑の人物は怪異にとって非常に危険な敵である……。


 滝沢は鶴屋を「胡散臭い」と評したし、正直言って根岸もそう思うが、しかし信が置けない相手ではない。

 根岸は人としての権利を持たないのだから、危険な怪異と見做すならもっと乱暴な手段は取れたはずだ。

 ミケが傍にいる事を警戒したのかもしれないが、だとしても、正面から話を通そうとした点は誠実と言える。単に態度が無駄に胡散臭かっただけで。


「――今ミケさんが、単独で調査に」


 根岸は思い切って打ち明けた。


『ええッ? もう、言ってるそばから!』

「それでお願いしたいんですが、鶴屋さん」


 スマホを持ち直して、根岸は窓の外をちらりと確認した。まだ車は高尾駅近くの街道を走っている。ここから栄玲大学に最短ルートで向かうとなると、どうすればいい――


「貴方のアドバイスに従うとして……今から人間を動員出来ますか? なるべく多く」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る