第23話 怪談の学校 (4)
「この方に見覚えありません?」
若い女性がそこに写っている。証明写真か何かだろう。ごく無機質な青い背景に、リクルートスーツ姿でそつのない微笑を浮かべた黒く長い髪の女性。
知り合いではない――と答えようとして、根岸は開きかけた口を結んだ。
彼女の目元。鼻筋。
あの時の彼女は口が耳まで裂け、形相も全く異なる印象だったが、この写真の人物はまさか。
「ひょっとして……あの時の幽霊ですか。連続殺傷事件の……犯人」
「えっ!?」
滝沢が驚いて写真を覗き込み、息を呑んで口元を押さえる。
「あっ……これ、私が見ても大丈夫だったんですか?」
動揺しながらも、滝沢はすぐさま我に返り、鶴屋に
「根岸くんに話したのは、怪異相手なら証拠にならないからですよね、裁判上の。でも個人的に参考にするのは自由。……本来公開したらまずい写真だとか?」
そう、怪異には証言者としての能力はないと見做されるのだ。
根岸は現在、たまたま現実を認識出来ているが、ほんの数か月前までは、現実世界が初冬に差し掛かっているにもかかわらず今は真夏だと思い込んでいたし、週に一度、木曜日にしか姿を現さなかった。
警察や検察、裁判官からすれば全くあてに出来ない。
ただし、陰陽士はしばしば今のように、捜査に怪異を利用するケースがあった。人間の
これは結構法的にグレーな行為なので、公務員としてどうなのだという声もあるが、目に余る事態にならない限りは黙認されているのが現状である。
「彼女のこの写真は、警察も聞き込みに使用してるんで大丈夫です」
鶴屋は滝沢に軽く笑いかけて応じた。
「とはいえ、彼女を怪異事件と結びつけての捜査は、実はまだ正式な方針じゃなかったりするんですけどねっ。だから念のため、他言無用でお願いします! トクブン職員さんならそこんとこ分かってくれるかと、はい」
「はあ……」
大丈夫でないではないか、と言いたげな複雑な表情で、滝沢は曖昧に頷く。
その上で、彼女は再度口を開いた。
「……じゃあ、ついでに
「滝沢先輩、知ってる人なんですか?」
そちらの方が根岸には驚きである。滝沢は二、三度、根岸に向けて首を振ってみせた。
「あの事件のこと、ずっと調べてたのよ。犯人の幽霊、コートやパンプスのデザインから見て、そう何十年も前の死者じゃなさそうだったし、事件や事故の記事を片っ端から漁ってたの。そしたら――連続殺傷事件発生の数ヶ月前に、行方の分からなくなった女性がいた。その写真の人」
一色綾は都内在住の大学生。行方不明になった当時、二十二歳だった。
大きなニュースにはなっていない。家族からすれば心配だろうし、捜索願も出ていたが、成人した人間が家出して失踪したとしても、そこまでマスコミは騒ぎ立てない。
ただ、とあるゴシップ系ニュースサイトが、彼女の家出を大学の思想サークルと結びつける記事を公開していた。
彼女が所属していたのは、反怪異系の市民団体の学生支部である。
日本人が訪れる事の少ない、反怪異国である西アメリカ共和国にも渡航歴があった。
怪異の完全排除を訴える団体は、日本国内にもいくつかある。
有名なのは怪異事件の被害者および遺族団体だ。
怪異に襲われたり所有物を壊されたりした場合、地震や台風のような自然災害による被災か、クマ被害などの獣害事件とほぼ同様の扱いをされがちだった。
しかし何しろ相手は人型に近い場合が多く、人格も個性も、責任能力もあるように見える。
危険な怪異は陰陽庁に排除されるのだが、それでも被害者側としては納得行かない。
勿論、怪異被害者でなくともその手の団体には所属出来る。
また、世界のどの宗教も、宗派によって怪異との距離はまちまちだ。怪異を崇める集団もあれば、偶像崇拝禁止や
学生の勧誘に積極的な反怪異サークルだと、ものによっては「反怪異国のリゾート地に旅行出来る」などの気軽な活動を
一色綾の所属していたサークルは、どちらかと言えばこのタイプだったようだ。
滝沢の見たニュースサイトでは、断定まではしていないものの、この反怪異思想サークルが彼女の失踪に関わっている可能性を示唆していた。
記事の文章はかなり煽情的だったし、証拠もなく他人を誘拐犯扱いするのはいかがなものかと思える。
全体的にあまりタチの良くないゴシップ記事の多いサイトで、滝沢は一先ずこの情報をスルーした。
ただ、あの時の幽霊は一色綾と似ている。そこは否定し
「あれ、独自に調査されてらっしゃったんですか。凄いなぁ。でも危ないですよ」
のらくらとした態度で、鶴屋は滝沢を
「あまり細かい個人情報は、こちらとしても教えられませんし。……けどまあ、そうですね、彼女が一色綾さんという名前であるのは事実です。
「栄玲大ですか?」
思わず根岸は口走る。
滝沢と鶴屋が、不思議そうに根岸を見つめた。
「いやえっと、知り合いが通ってるもので」
と、根岸は一先ず誤魔化す。
「ああ、ミケさんはあそこの学生だってね」
滝沢はすんなりと納得した。
――そのとおりで、栄玲大学はミケの通う大学だ。そして先日、
これは偶然だろうか?
そんな疑念が根岸の頭には渦巻いていた。だが今の段階では、根拠もへったくれもない思い付きだ。「はい、偶然です」と言われてしまえばそれまででしかない。
特に滝沢に、こんな思い付きを聞かせてしまうのはまずい。
彼女は根岸を死なせてしまった自責の念から、かなり真剣に事件を追っていた様子だった。
だが鶴屋の言うとおり、危険過ぎる。これ以上安易に深入りはさせられない。
そこに、ぱたぱたと客用スリッパの足音がした。
「鶴屋さん、鶴屋さん!」
鶴屋と同じ陰陽士の制服を着た女性が、小走りでこちらにやって来る。
「ああもう、何でこんな所に? まだ全然職員さんに話聞けてないでしょっ」
「やあ
「どんな感じじゃないですよォ! あっ、ごめんなさい、資料館見に来たお客さん?」
根岸と滝沢に気づいた山東が、慌てて姿勢を正す。
「いえ、特殊文化財センターの者です」
滝沢が前に進み出て、頭を下げた。
「展示の打ち合わせの予定だったんですけど……でも、紛失事件があったとか」
「あらまあ、トクブンさん! そうなんですよ、そちらも大変ですねぇ!」
声のトーンを高めて山東は応じる。鶴屋といい、陰陽士にしてはテンションの高い二人組である。
「何がなくなったんです?」
ずっと気になっていた事を根岸は質問した。
「農具です」
「農具――」
また? と口を挟みそうになるのを我慢して、先を促す。
傍らの鶴屋が続いて説明した。
「こちらの資料館での、企画展……『農耕と祭祀』でしたっけ? それのためにタイの民間企業から送って貰った、米用の
「笊ですか。タイから来た? ――だとすると」
根岸は考え込む。
思い当たる種族があった。怪異に関わる仕事をする現代人ならば、名前くらいは聞いた事があるだろう。
「ピー・ガハン……?」
つまり、二体一組の怪異だ。
互いに引き離されると、力も精神も不安定になり、凶悪な怪異となり得る――そんな傾向だ。
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