第22話 怪談の学校 (3)

 重たげな南京錠を二つばかり解錠し、取っ手に巻き付いていた鎖をほどく。両開きの扉は、耳障りな軋み音を立てて開いた。


 ミケは勿体つけもせず、建物の中へと踏み込む。

 彼を切り込み隊長として、肩口の後ろから奥の薄暗闇を覗きつつ、諭一は校舎の玄関を進んだ。


 周囲は静まり返っているが、真っ昼間なので窓辺は明るい。陽光に照らされて、埃が舞い降りているのが見える。


「……こんなシチュエーションだってのに、盛り上げないよねーミケちん」

「誰がミケちんだ」

「ふざけてないと怖いんだよ」


 その時、半開きになっていた背後の扉が、ばたんと音を立てて閉まった。

 諭一は驚いて振り返る。


「かっ、風?」

「いいや」


 片眉を跳ね上げたミケが扉の前まで戻り、取っ手を何度か動かす。


「……開かんなこりゃ。閉じ込められた」

「ええーっ!?」

「歓迎されてるのか何なのか……おおい、ハナコ!」


 ミケは天井に向けて声を張った。


音戸おとどの家令兼使い魔のミケだ。忘れた訳じゃないだろ。新入りと挨拶に来ただけだよ!」


 微かな反響ばかりが返る中、廊下の左右に首を巡らせた諭一は、ふと違和感を覚えて、たった今流し見た壁を振り仰ぐ。


「わっ!」


 思わず悲鳴が漏れた。


 廊下の壁の上部には、色褪せた絵画が飾ってある。生徒の作品だろうか、やや稚拙なタッチで、笑顔の少年と少女が描かれていた。

 そう、笑顔には違いない。ただし笑っているのは口元のみで、絵の中の二人の両目は見開かれ、生々しく血走った眼球が、ぎょろりと諭一を見下ろしている。明らかに油絵の具でもガラス玉でもない、生き物の眼だ。


「何なんだ、まったく」


 その場で固まる諭一を差し置いて、今度は壁際に向かったミケが、背伸びして絵画を取り外すなり、べしっ、と手の平でキャンバスを叩いた。


「キャッ」


 短い声が上がり、絵画の中から絵のままの子供が二人、転がり出てくる。どちらも額縁に収まる程度の、乳児と同じくらいの身長だ。


「お前達、悪戯いたずらが過ぎるぞ。ハナコはどこだ?」

「はっ……ハナコさん、怒ってるんだから!」


 二人のうち、少女の方が身を起こして舌足らずに答えた。


「怒ってる?」

「そうだよ! そいつはかたきだ!」

「へ?」


 少年に指を差され、諭一は自分に人差し指を向けてきょとんとする。


「かたき? 待って、何の?」

「死んじゃえ、ばーか!」


 問い詰める暇もない。子供染みた悪態をついた二体の怪異は、廊下を数歩分逃げ去り、そこで床板の合間に沈み込むかのように姿を消した。


「――ねぇミケちん、完全初対面の怪異に無茶苦茶嫌われてるんだけど、ぼく何かした?」

「さてな。お前さんは確かにスットコドッコイで色々やらかすが、しかしかたきってのは穏やかでない言い草だ」

「何気にその言い方も酷くない?」

「とにかく、ハナコを探そう」

「えっ……ちょ、待ってよ」


 少年少女の消えた方向へ、ミケがすたすたと歩を進めるので、諭一は慌てて後を追う。

 しかしいくらも歩かないうちに、


「うわ!?」


 と、彼はまた悲鳴を上げる羽目になった。

 視界の端、左手側の窓ガラスに、べちゃっと赤黒い何かが張りついたのだ。

 見ればそれは手形である。たった今誰かが血みどろの惨劇に見舞われ、助けを求めて窓に手をついたかのようだった。


 ミケはというと、手形の方を一瞥いちべつだけして、構わず廊下を行く。その後を、べちゃり、べちゃりと血の色の手形が追ってくる。


「あっ、あれは、放っといていいのかな?」

「ああ、あいつ口が利けないんだよ。ハナコの居場所を聞きたいだけなのに、血文字での会話はちょっともどかしいだろ」

「そういう問題?」


 ミケ自身が強力な怪異な上に、どうやら校舎内の怪異達と顔見知り(手形の怪異に顔はないが)らしいので、仕方ないといえばそうなのだが、何ともホラー・クリエイター泣かせの訪問者である。


 自分ばかりワーワー言っているのも恥ずかしいじゃないかと、諭一は胸中で密かに不平を述べた。『引き寄せ体質』として常人より怪異に慣れてはいるものの、ここまで盛りだくさんのお化け屋敷に閉じ込められた経験はないのだ。


 その後もミケは、天井から髪の毛の束がぞろりと落ちてくればそれを打ち払い、どこからともなくボールが転がってくれば放り投げて、平然と校内を見回った。


 廊下の突き当たりには、二階への階段があった。

 その手前の教室は音楽室で、予想どおりと言うべきか、調律の狂った不吉なピアノの音色が聴こえてくる。


「ピアノを弾く怪異は……ヨシエか。あいつとは会話が出来るはずだ。ただ厄介なのは、階段が近い事だな」

「ヨシエちゃんね。どーもー」


 流石に恐怖心が麻痺してきた諭一は、音楽室の引き戸を気安く開けた。

 が――誰もいない。ピアノの音も止んだ。

 不意に、諭一の背筋に冷たい感覚が走る。

 はっと横を見ると、身体が半ば透けたようなぼんやりとした姿の、長い髪の少女がすぐ傍らを通り抜けるところだった。

 少女は廊下の突き当たりを曲がり、なめらかな動作で階段を上がっていく。


「ヨシエちゃんて、あの子!?」

「ああ、追うか。階段に憑いてる怪異は危険な奴だ、離れるなよ」


 ミケが階段をのぼりかけて、諭一に片手を差し伸べる。少々照れ臭かったが安全第一だ。諭一はその手を取って、慎重に階段を踏みしめていく。


「ミケちん、階段の危険な怪異ってどんな奴?」


 階段は踊り場に小窓があるだけなので、特に薄暗い。不安を誤魔化すために、諭一は前を行くミケに問いかけた。

 しかし前方を警戒しているのか、ミケからの回答はない。


 階段の怖い話といえば、定番は段数が増減するというものだ。十二段のはずが十三段に、だとか。――今、何段目だろうか? 二十? 三十?


「……ところでさ、この階段長くない?」


 諭一は眉をひそめて自分の足元を確認し、それから握っているミケの手元へと視線を移した。


 ……青白く骨ばった手。いや『骨ばった』どころか、これはほとんど。ミケの手ではない。


「ミ――」


 息を呑んで顔を上げる。

 諭一の手を取って目の前を歩いていたのはミケではなく、長い髪の少女だった。


 少女がこちらを振り返る。髑髏どくろ見紛みまごう半透明の顔面。剥き出しの歯列ががばっと開き、甲高い哄笑こうしょうを上げた。


「ひぃははははははッ」


 多少の慣れなど吹っ飛ぶ程の驚きと恐怖に、諭一は思わず後退あとずさる。

 ここは階段だった、と気づいた時には既に遅い。バランスを崩したところで、髑髏どくろの顔の少女が諭一を突き飛ばし、彼は大きくった。踏み外した両足がくうを掻き、身体が落下していく感覚。


「は――『灰の角』ッ!」


 咄嗟の思いつきだった。諭一は自身に取り憑いた怪異の名を、声を限りに呼んだ。


「グウォオオオオオオッ!」


 『灰の角』が呼応する。諭一の両側頭部から一瞬にして牡鹿おじかの角が伸び、人の肉体が獣の毛皮に覆われ、線刻状の刺青とみどりの瞳が、淡く輝く。

 硬い床に叩きつけられる瞬間、『灰の角』は空中でぐるりと身をひねった。

 頭を守り、両足と片手の拳で地面を殴りつけるような姿勢となって着地する。


『わお、スーパーヒーロー着地じゃん! 一度やってみたかったんだコレ』


 『灰の角』の身の内で、諭一はつい状況を忘れて感動した。


『HAPPY』『GO』『LUCKY』


 左手首にそんな文字列が浮かび上がる。呑気者、という程の意味である。曾祖父からの皮肉か説教と思われた。


『で、ここどこだろ……?』


 角が天井につっかえたため、急いで人の姿へと戻って、諭一は周囲を見回す。


 その部屋は入口も窓もやけに高い位置にあり、閉ざされた木製の扉から五、六段ばかり、コンクリートの下り階段が伸びていた。

 足元の床もまたコンクリートで固められていて、普通の教室ではなさそうだ。

 部屋の隅には石灰や土嚢どのう袋がいくつか積まれている。

 元は倉庫だったのだろうか。


 階段を踏み外したからと言ってこんな見知らぬ場所まで飛ばされるとは思えないが、この際、物理法則の乱れはもう気にしない事にする。


 目下最大の問題は、ミケと引き離された事だ。



   ◇



 「――諭一っ!」


 ミケは階段を駆け下りながら呼びかける。

 しかし一手遅かった。彼の目の前で、諭一が転がり込んだ部屋の扉が閉ざされる。


「ああくそ。あの階段はやっぱり厄介だな、人間には」


 額を押さえて、ミケは一つ舌打ちをした。


 一階と二階を繋ぐ階段を支配しているのは、人間の認識能力を狂わせる怪異である。

 これに襲われると幻覚を見せられ、方向感覚を奪われ、自分が階段を上がっているのか下がっているのかも分からなくなる。

 山道や坂道、辻などによく居つく部類の怪異だ。


 実は、諭一に憑いているウェンディゴも似たような能力を持つ。ウェンディゴの場合は疲労感や飢餓感を狂わせるのだが。日本ではヒダルがみという妖怪が有名だろう。


 物理的な攻撃からはミケが守ってやれるが、人の精神に直接干渉する力となると防ぐのは容易でない。


 諭一は――何事か口走っていたから、恐らくミケの幻覚でも見せられたのだろう。突然全速力で階段を走り降り、更にヨシエに突き飛ばされて、半地下の倉庫に閉じ込められてしまった。


「人間、だと? あれは人間か?」


 唐突に、あどけない子供の声が上から降ってきた。

 ミケは金色に縁取られた瞳で、声の方向を睨む。


 階段の最上部に、一人の少女が胡坐あぐらを掻いて座っていた。

 真っ直ぐに切り揃えられたおかっぱ頭で、古風な赤い吊りスカートを穿いている。歳の頃は十歳少々といった所だが、ミケを見下ろす表情には、成人をもしのぐ不遜さがある。


「ハナコ、やり過ぎだ。ありゃあ怪異憑きだが、れっきとした人間だぞ。大怪我しちまったらどうする」

「知ったことか、使い魔猫。あいつはこっちで調べさせて貰う。事と次第によっては、奴もお前も無事には返さねえからな」


 廃校の怪異達をまとめ上げる少女は、外見とは裏腹に威圧的な口調で応じた。


「……一体何事だい。何が起きてる?」


 あえて声色を落ち着けて、ミケは問い質す。ここで喧嘩をするつもりはないのだ。

 彼は三毛猫に姿を変えて、ハナコの足元まで階段を上った。彼女にはこちらの姿の方が


 狙い通り、仏頂面のハナコは耐え切れなくなった様子でミケの喉の下をモフモフと掻いた。ごろんと白い腹を見せて寝転がってやると、そこを撫でてから抱き上げる。


「め……メリーがやられたんだ」


 大人しく撫でくり回されているミケを膝上に乗せて、ハナコは重い口を開いた。


「メリーっつうと……『人体模型』と『電話』の怪異か」

「そうだ。あの子の身体が奪われた。可哀想に……」


 ミケの胸元に鼻先をうずめ、ハナコは沈んだ声を漏らす。

 彼女が自分の庇護下の怪異に向ける愛情は深く真摯しんしだ。だからこそ、危害を加えられれば冷静ではいられなくなる。


「やったのはここいらの怪異じゃない。匂いで分かる。海の外から来た奴だ」

「海外の怪異か。確かに俺の連れて来た奴はアメリカ生まれだが、しかし海外つっても広いんだぜ」

「だからこっちで調べると言ってる」


 ハナコが苛立ってそう言い返した直後、階段の下――閉ざされた倉庫の扉の向こうから、凄まじい咆哮が響いた。


「グルガァアアアアアアッ!」


 驚いたハナコが、ミケを取り落とす。

 慌てて階段に着地したミケは、一つ溜息をついた。


「やれやれ。ややこしい事にならなきゃいいが」

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