第6話 真夏の夢、君がため (6)

 「郷土資料館所蔵の農具?」


 滝沢みなみの発言に対して、ミケは鸚鵡おうむ返しで問う。


「ええ、推定では幕末頃の品物。二十三区内の、小規模な郷土資料館が所蔵してたらしいの。特殊文化財指定だとかは受けてない、ごく普通の鎌が二振り」


 該当の郷土資料館はつい最近改装し、展示品のレイアウトも少し変えたらしい。

 実際に触れられる昔の道具や、『米俵担ぎに挑戦』などといった体験学習コーナーを増やした結果、一応刃物である鎌は危ないので、館内の蔵に仕舞われた。


 その鎌が行方不明になっていた事が、調査の結果判明したのだ。


 いつ蔵から消えたのかははっきりしないが、館内改装から連続殺傷事件発生までの期間は二ヶ月足らず。いずれ特定される見込みはある。


「そんな代物がどうして、凶悪な幽霊の手に渡っちまったのかね。……と言うより俺の勘では、あの鎌こそが、普通の幽霊を凶暴にさせて操ってたんじゃないかと」

「いい勘してるわ、ミケさん。私もそう考えてる」


 滝沢は煎茶を一口飲んで頷いた。


 テーブルの向かいの席に着くミケは、今日は猫の姿を取っている。彼は卓上のノートパソコンを引き寄せると、前足の肉球で器用にキーボードを叩いた。


 特殊文化財センターからPDFで送られてきた報告書が、ディスプレイに表示される。


「しかし結局トクブンの調査では、鎌の方に怪異がいてたかどうかは確認出来なかった、ってぇ話だよな。どうも妙な臭いがした気がするんだがなあ」


 コートをまとった女の幽霊は、予想どおり、無差別連続殺傷事件の犯人だったとの結論に至った。

 決め手になったのは、滝沢はじめ被害者達の証言と、凶器である二振りの鎌から検出された血痕だった。


 とりあえずは一件落着と言えるのだが、あの幽霊が何者で、何故古い鎌など盗み出してあんな凶行に及んだのかは、分からず終いである。


 もっとも、それは怪異事件ではよくある事と言える。


 今回の件を担当した陰陽庁の捜査官も、ミケが怪異を消滅させてしまったと聞いて、真相究明が遠のいた事に落胆はしたものの、彼を責める様子はなかった。

 法で裁くのも法で縛るのも困難なのが怪異というものだ。


「私、もう少しこの件を調べてみる」


 仕事柄、滝沢には陰陽庁やメディアと関わる機会がある。あの怪異が何者だったのか、何故犠牲者が出たのか。当たれるだけの伝手つてを当たって追いかけるつもりだと彼女は言う。


「……私のせいで人が死んだからには」


「あんたのせいじゃない。怪異ってのは基本、暴れ出すと見境がなくなる」

「でも、彼らは匂いに敏感でしょう。私はあの時、都内の特殊文化財の鉄器を調べて回ってた。それで纏わりついていた金気かなけや残り香をあの怪異が嗅ぎつけて、引き寄せられたんだとすれば」


 滝沢は、両手の中の湯呑みに視線を落とした。


「根岸くんが殺されたのは、私のせい」


 なのに、誰一人責めてすらくれない――と、滝沢は細い声を絞り出した。


「根岸くんのお通夜の時、私はまだ入院してて。……結局、お悔やみにも行けてないの。お通夜にはセンターの所長が参列して、謝罪したけど、逆に両親には私の容態を心配されたって――」


 今まで、他の人間には打ち明けられなかったのだろう。滝沢は一息に吐き出すと、テーブルの上に突っ伏して泣き出す。


「いい人だった。本当にいい人だったのよ。周りの人までみんな」


 それ以上は言葉にならず、彼女はただ肩を震わせた。部屋には彼女の啜り泣く声だけが落とされる。


 ミケは長い間沈黙を保ち、彼女を見つめていた。


 しばらくして彼はひょいとテーブルに乗り、自分の湯呑みに入れた水をいくらか舐めてから、改めて口を開く。


「こいつは、詳しい事情を聞かないで欲しいんだがな、滝沢さん」


 滝沢が涙に濡れた顔を、僅かに上げた。


「俺は根岸さんから遺言を預かってる」

「え――?」


 どうして、との形に動きかけた口を、滝沢は途中で噤む。ミケの前置きの意図を汲んだのだろう。ミケは軽く髭を動かして続きを述べた。


「元気でいてくれ、だと。それだけだ」


 その短い言葉に、滝沢は黙って聞き入り、目尻を拭いかけた姿勢のまま動きを止めた。考え込むような、吟味するような表情である。


「だから、無茶な真似はしないでくれよ。こいつは俺からの頼みだ」


 もう後味の悪い話は御免だからな、とミケは小首を傾げ、テーブルの上から椅子へと飛び降りる。


 そこでようやく滝沢は身じろぎ、明後日の方を向くと、鞄からハンカチを出して目元を拭った。


「……根岸くんらしい」

「そうみたいだな」


 照れ隠しなのか、ミケは後ろ足で軽く自分の顎下を掻いてから、椅子から床へと更に降り立つ。


「お茶、もう一杯どうだい」

「ありがとう。もうおいとましないとなんだけど、この顔じゃバスに乗りづらくて」

「ゆっくりしてくといいさ」


 滝沢が微かに頬を緩めてみせたので、ミケは「ニャア」と猫らしく一度鳴き、前足で引き戸を開けて応接間を出て行った。


 部屋のすぐ外、庭に立ち尽くしていた根岸は、それを見届けると、何とはなしに息を吐いて背を壁につけ、地べたへと座り込む。


 ミケに上手く誘導して貰ったので、滝沢からは死角になる位置で、彼女の無事を見届けられた。最後にそれだけは、自分の目で確認しておきたかった。


「悪かったな」


 耳に届くか届かないか、というくらいの小声が足元で沸き、驚いてそちらに目を落とすと、二本の尻尾が揺らめいていた。

 いつの間にかミケが、四つ足を揃えて傍らに佇んでいる。


「勝手にあんたの遺言を捏造しちまった。どうも怪異って奴は、根が嘘つきでね」

「いいえ。……ありがとうございました」


 それは心の底からの感謝の言葉だった。

 滝沢には、ただ元気でいて欲しい。この後も幸せな人生を送って欲しい。根岸が彼女に伝えるべき言葉があるとすれば、それだけだ。ミケの『遺言』に過不足はない。


 ――これで思い残す事はなくなった。きっと、間もなく自分は消滅する。


 根岸は両目を閉ざした。


 幽霊としての一生は非常に短かったが、生前の心残りをすっかり晴らして消滅出来る怪異ばかりではないのだから、幸福な一個体だったと言えるかもしれない。


 眠気に近い感覚が訪れ、根岸はそれに身を任せた。

 そのうち、身体が浮き上がったかのように上下左右も分からなくなり、広大で静かな空間へといざなわれる。


 さようなら、と彼は口に出して呟いてみた。

 しかしそれが根岸秋太郎の声となっていたかどうかは、もう自分でも分からなかった。



   ◇



 人の姿を取ったミケが、台所に立っていた。

 シルバーの炊飯器から湯気の立つ白飯を茶碗に盛り、テーブルへと運ぶ。


 音戸邸には和室が多いのだが、台所の造りは洋風に近く、ダイニングには作業台も兼ねた脚の高いテーブルがしつらえられている。

 客が訪ねてくると応接間か和室の客間に案内するのが普通だが、気心の知れた相手に食事を出す場合などは手っ取り早く、こちらに通してしまうようだ。


「ほれ志津丸、おかわり」

「おうわりぃ」


 と、『気心の知れた客』である志津丸は茶碗を受け取り、漬物を添えてもりもりと食べ始めた。


 彼は庭と応接間を片づけるために、今日再び音戸邸の門戸を叩いたのだ。それは良いのだが、働く前からまかないと称して、もう三杯も飯を平らげている。


 ちなみに今の志津丸は派手な柄のスカジャン姿で、背中の大きな翼も何処いずこかへ消し去っていた。


「そんで、芝生を直すって何をやるんだっけか?」

目土めつちを敷いてならすのを手伝ってくれりゃあいい」

「そんなもんか。ああ任せとけ! ――ところで、こっちの煮物はもうおかわりねえの?」

「お前さんがさっき鍋の底までさらっちまっただろ」


 ミケは呆れ顔で自分も食卓に着き、ふと横の席を見遣った。


「根岸さんはおかわり良かったのかい」

「……は、はぁ……」


 根岸秋太郎はぼそぼそと応じて、白飯を口に運ぶ。生前慣れ親しんだ米の味が口の中に広がり、柔らかな歯応えも感じられた。


「話として聞いた事はありましたけど……幽霊って、ごはん食べられるんですね……」

「やろうと思えば、人間のやる事は大体出来る。で、生前と同じような習慣を身につけてるうちは、感覚が人間離れしにくい。――つまり凶暴化して悪霊になったり、不用意に消えたり現れたりして人間を驚かすようになるのを防げるわけだ」


 トイレにも行っとくといいぞ、とミケは奥の扉を指差した。一体何が排泄されるのだろう。


「せっかくオレが体張って一芝居したのによ。あれでスッキリ成仏したんじゃなかったのか? 何でまた化けて出ンだよ、テメーは」


 志津丸はむすっと根岸に向けて口を尖らせた。


 何となく、志津丸には気に入られていないように根岸は感じる。

 ミケによれば彼とは『腐れ縁』だそうで、多分長い付き合いの良き友人なのだろう。芝居の上とはいえミケに危害を加える羽目になった事を、根岸が思い出させるのかもしれない。


 とにかく、結論はこうだ。


 思いを晴らしたというのに、根岸は消滅出来なかった。

 事件が解決した翌週の木曜日の朝、音戸邸の玄関前に出現してぽかんと突っ立っている所をミケに発見された。


 シャツの胸元と手首は未だ血まみれで、そのままでは目立つからと邸宅内に招き入れられ、風呂や寝床を提供されたりして、今現在もこうして食卓に着いている。


「着替えも多分出来るから、明日にでも新しい服を買いに行こう。とりあえずヨーカドーとかのでいいか?」


 あの武蔵小金井むさしこがねい駅前の、と続けるミケに対して、機械的に頷きかけてから、我に返った根岸は「いやあのう」と控えめな挙手をした。


「僕はその、消滅しなくて大丈夫なんですかね? 何でまだこの世にいるんでしょうか?」

「そりゃ、分からん」


 あっさりとした回答が返る。


「御主人なら何か分かるかもしれんが、まだ寝てるし」


 ミケは味噌汁を啜ってから、軽く背後の扉を振り仰いだ。


 扉の先には廊下があり、いくつかの部屋の前を通り過ぎると、十畳ほどの座敷に行き着く。

 そこに、『もがりの魔女』と呼ばれる強大な力を誇る怪異が眠っている、らしい。

 まだ根岸は彼女に会っていないし、閉め切られっぱなしの座敷に踏み入ってもいないのだが。


「とはいえ要するに、あんたにはとびきり幽霊の才能があったって事だろう。結界術まで使いこなしたんだ。存在が強すぎて、ちょいと思い残しを消した程度じゃ消滅出来なかった」

「そう……なんですか」


 享年二十三歳。ごく普通の家庭に生まれ平凡な一生を送った根岸秋太郎という男のどこに、怪異になる才能など潜んでいたのか。

 いや、自分は最早、根岸秋太郎とは全く別の生き物だと認識した方が正しいのだったか。しかしそれも難しい話だ。


「ま、ウチで飯食ってるだけの幽霊を、無理矢理消し去る必要もあるめぇよ。身の振り方はこれからゆっくり考えちゃどうだい。怪異の人生はどうかすると長くなるが、悪いもんじゃないぞ」

「ミケは結構なクソジジイだもんな」

「クソは余計だ不良小僧」


 志津丸に憎まれ口を叩かれ、ミケはふんと鼻先であしらう。


 そういえば、よわい五百と言われるもがりの魔女に仕えるこの使い魔は、一体何年生き永らえているのだろうか、と根岸はミケを見つめた。


 容貌は十代の少年のようだが、人格は明らかにもっと年嵩のものだ。

 それに、彼が巨獣の姿を取った時、根岸の頭に流れ込んできた光景。燃え上がる街並み、夜空の航空機。


 あれはまるで、数十年前の――


「どうかしたか? 根岸さん」


 根岸の視線に気づいたミケが、不思議そうに首を向ける。

 最初に目にした時、整い過ぎて作り物のようだと感じた顔立ち。

 その眉目秀麗な少年が自ら作った里芋の煮物を口に放り込んでいる様は、何やらユーモラスにさえ思えた。


「いいえ」


 根岸は慌てて食卓に目を移し、自分も煮物に箸をつける。出汁と醤油の香り。実家の味というより、親戚の家で食べた祖母の手料理を思い出すような素朴さだ。


「……美味しい煮物だなあと」

「そりゃあ良かった。そう思えてるうちは大丈夫だ」


 何事も、とミケは言い添えて、満足げに米を頬張った。



 【真夏の夢、君がため 了】

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