第11話 インテリを前にするとスライムみたいに溶けて経験値1でゴールドが2になる

 電車が緊急停車したとき、私とシカコは吊り革を掴んでいたから、倒れなかった。


 でも真奈美ちゃんは、背が低いせいで吊り革を掴む力が弱いから、すっころんでしまった。


「あいたたた……ひどいですぅ、電車は悪魔の乗り物ですぅ……」


 悪魔の乗り物というフレーズには、ちょっと笑ってしまった。いやもちろん緊急停車なんて非常時に笑っている場合じゃないんだけどね。


 それはともかく、緊急停車の原因を車内アナウンスで説明していた。


『線路内に、近隣の工事現場の資材が落ちていたため、緊急停車しました。申し訳ありません』


 どうやら高架線沿いにある雑居ビルが、耐震工事をやっているみたいなのだが、そこの資材が線路内に落ちたらしい。


 なんてレアな事故ケースだろうか。


 なお資材の撤去には時間がかかるため、車内に取り残された乗客たちは、駅員さんの指示に従って、次の駅まで歩くことになってしまった。


「ツイてないわね。まさか線路を歩くことになるなんて」


 私は、ぶちぶち文句をいった。


 単純な数値だけで考えれば、各駅停車一つ分の移動距離なんて、たいしたことないはずだ。


 でも、体力不足の私にはちょっとキツい。はぁ、こんな調子じゃ、またシカコに煽られるわね。


 だが意外にも、シカコは私を煽るよりも、この状況を楽しんでいた。


「むしろラッキーだろ? 高架線の線路を歩くなんて、めったに味わえないんだからな」


 まるで冒険家の少年みたいな足取りで、ランランとスキップしていた。


 シカコの前向きな判断はどうでもいいけど、豊富なスタミナは羨ましいなぁ。


 さて、私と同じぐらい運動音痴である真奈美ちゃんだが、ほっと胸をなでおろしていた。


「悪魔の乗り物でケガをするよりも、自分の足で苦労するほうが、気楽ですぅ」


 なるほどなぁ、怖がりだと、そういう感想になるのか。


 でもそれは、あくまで気構えの問題であって、体力不足を解決したわけじゃない。


 真奈美ちゃんは、ひぃひぃふぅふぅと疲労困憊で歩いていた。


 もちろん私も、体力不足だから、ひぃひぃふぅふぅと死にそうな顔で歩いていた。


 このままじゃ、西千葉駅に到着するまえに、足が棒になっちゃうわ。


「ちょっとシカコ、それだけ体力に余裕があるんだから、私と真奈美ちゃんの荷物持ってよ」


 シカコは、余裕しゃくしゃくで口笛を吹きながら、小悪党みたいに微笑んだ。


「真奈美ちゃんの荷物は持つけどさ、サカミの荷物は持ちたくねーな」


「なんでよ!」


「いつも偉そうなこといってんだから、たまにはあたしが主導権握らないと」


「おのれシカコめ……この恨み忘れないからね」


「忘れろ、忘れろ。余計なこと考えてると、もっと体力なくなるぜ」


 シカコは、真奈美ちゃんの荷物を担ぐと、軽い足取りで駆け抜けていった。


 なんて羨ましい体力。やっぱり大学受験が終わったら、シカコに負けないぐらい、体力をつけなきゃね。





 そんなこんなで、私たちは西千葉駅のホームに到着した。


「つ、疲れた~……」


 私はホームのベンチで、少しだけ休むことにした。


 くたくたである。呼吸は乱れていないが、とにかく足が重い。


 イベント開始時刻まで残り三十分だが、せめて五分間は座っていたい。


 すぐ隣には、真奈美ちゃんも座っていた。彼女は、私よりも体力がないから、もはや声を出せないぐらい疲れていた。


 それなのに、シカコだけは、元気いっぱいだった。


「二人とも、ちょっとだけ座ってろよ。自動販売機で、ジュース買ってくるから」


 まるで弾丸みたいな速さで、シカコはジュースを買ってきた。


 なんであれだけの距離を歩いたあとなのに、全力疾走できるんだろうか。本当にうらやましい。


「ジュースありがとう、シカコ。でも、五分間ぐらい休んだら、すぐに出発しないと、イベントに遅刻しちゃうわ。真奈美ちゃんは、五分休んで、歩けるようになりそう?」


 真奈美ちゃんは、くぴくぴとジュースを飲んでから、ぷはーっと力強く息を吐きだした。


「大丈夫ですぅ。イベントに間に合わせるために、がんばって歩くですぅ」


 どうやら肉体疲労よりも、大好きな声優さんに会うための気力が上回っているらしい。


 すごいなぁ、ファン心理って。私には、こういう精神構造がないから、新鮮かも。


 ジュースを飲みながら足を休ませれば、あっという間に五分が過ぎた。いくら運動不足の私と真奈美ちゃんでも、若いだけあって普通に歩けるぐらいには回復した。


 シカコが、全員分の空き缶をゴミ箱に放り込んでから、勢いよく起立した。


「よしっ、出発進行だ。大人気声優とやらに会いに行くぜ」


 声優という言葉が起爆剤になって、真奈美ちゃんが気合十分になった。


「大好きな声優さんと会うためなら、もはや自動改札なんて怖くありませんっ」


 真奈美ちゃんは、西千葉駅の自動改札を、華麗な動きで通り抜けた。前回みたいに切符を投入するときに力んでいないし、段差のないところで転ばなかった。


 ついに真奈美ちゃんも、電車初心者を卒業したのだ。


 やったわね、真奈美ちゃん。これで私たちの助けがなくても、一人で電車に乗れるわ。


「さて、西千葉駅か……私にとっても、大事な場所ね」


 西千葉駅そのものは【小規模・見た目も地味・でも商業スペースも兼ね備えている】という千葉市らしい駅だ。


 だが、西千葉駅から歩いて一分のところにある国立大学が、私にとって重要だった。


 あの大学こそが、声優イベントの開催される場所であり、千葉県でもっとも偏差値の高い国立大学・千葉大学である。


 なにを隠そう、この大学を受験するために、私は一年生のころから勉強していた。


 うちの女子校みたいな、偏差値の低い高校から、千葉大学に合格するパターンは、皆無である。


 だが私は、高校受験のとき、そう悪くない成績で第一志望を落ちただけなので、そこから上積みがあるなら、十分に合格圏内だった。


 去年の冬に実施した、大学受験用の模試でも、ちゃんと合格圏内に滑り込めているし。


 だがもし、高校受験のルールが全面的に変わって、あらゆる大学が入試のみではなく、内申点を評価するとなったら、前提条件が変わってしまう。


 ただ机にしがみつくだけでは、良い大学に合格できなくなるわけだ。


 そう考えると、私が世治会を担当できるのは、ラッキーなのだ。


 日々の偽善を積み重ねることで……おっと訂正、偽善ではなく善行を積み重ねることで、内申点がアップして、偏差値の高い大学に合格しやすくなるだろう。


 そんな腹黒な私の横で、シカコが千葉大学に恐れおののいていた。


「なんだよ、この大学……インテリが山のようにいる……だ、だめだ、インテリパワーで、あたしの体が、どろどろに溶けそうだ」


 怖がりの真奈美ちゃんが、過剰反応した。


「溶けるなんていやですぅ! せめて人間の形を保ちたいですぅ!」


「いいや、溶けたらスライム扱いだぜ。インテリ大学生からみたら、あたしたちバカ女子校の生徒なんて、最初の町に出現するザコ敵だからな」


「経験値一で、ゴールド二ぐらいしかないじゃないですかぁ!」


 なんでRPGで例えるよ、この子たちは。まぁ国民的ゲームが共通の話題っていうのはわかるけど、私も理解できたし。


 おっと、立ち話している場合じゃない。イベントの開始時刻が迫っているから、さっさと会場入りしましょう。


 それにしても、インテリ大学で開催される声優イベントかぁ。


 どんな内容になるんだろうか?


 こういうマニアックなイベントに参加したことがないから、楽しみでありながら、ちょっとだけ不安だった。

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