第8話 北斗の拳は切符を買うのに役立つ

 真奈美ちゃんは、たくさんボタンが並んだ自動券売機を見て、真っ青になった。


「こ、こんな難しそうな機械を操作するなんて、わたしには無理ですぅ……」


 真奈美ちゃんにかぎらず、自動券売機を使ったことがない人にとって、無数のボタンは恐怖の対象だ。


 もし誤った操作をしたら、取り返しのつかないミスになると考えるからだ。


 だが操作ミスの恐れに関しては、シカコがうまくカバーした。


「大丈夫だって、あたしが初めて切符を買ったときは、北斗の拳を真似しながら画面を押したせいで、普通に買い間違えたけど、あとで駅員さんに頼んだら交換してくれたから」


 シカコは「ほあたぁ!」と言いながら、自動券売機のディスプレイを指先で突いた。


 そりゃあ秘孔を突くような動きで電子パネルを押したら、買い間違えるでしょうね。さすがシカコ、いろいろな意味で失敗経験が豊富だ。


 というか、小学生時代のシカコ、北斗の拳めちゃくちゃ好きそう……私は、お父さんの本棚にあったから読んだけど、あまりにも暴力的すぎて脱落したタイプ。


 ちなみに真奈美ちゃんも、アニメ好きだけあって、北斗の拳を知っていた。


「つまり心にケンシロウを宿せば、自動券売機も怖くなくなるんですねっ! わたし、北斗神拳伝承者の気持ちで、がんばってみますぅ……!」


 なぜか北斗の拳のおかげで、真奈美ちゃんの怖がりは、また一つ解消された。


 すごいなぁ、一子相伝の拳法、怖がりの女の子にも効くのね。


 というわけで真奈美ちゃんは、自動券売機の使い方を私たちから習っていく。


 まぁ、それといって難しい動作は必要ないんだけどね。ただ硬貨を投入して、目的地の金額を押すだけ。


 でも初めてのひとにとっては、ちょっと怖い作業かも。機械にお金を投入するわけだし。


 それでも真奈美ちゃんは、心にケンシロウを宿してから、硬貨を投入した。


「お前はもう、死んでいるですぅ」


 ぴろんっと運賃のボタンが点灯した。


 タッチパネル方式だから、物理的なボタンと違って、あくまで画面上の数字が光っているだけだ。デジタル世代にとっては、とてもわかりやすい。


 だが光るボタンが増えたことで、真奈美ちゃんがパニックを起こした。


「いろいろな数字が点灯して、どれを押せばいいかわかりませんっっっ!?!? もしかして、北斗百裂拳みたいに全部押せばいいんですかぁ!?」


 そんな大技でディスプレイを押しまくったら、突き指確定だ。まるで興奮した馬をなだめるように、私は真奈美ちゃんの背中をどうどうとさすった。


「落ち着いて。隣駅に行くだけだから、この左から二番目のやつを押せばいいの」


「わかりましたぁ。左から二番目を押しますぅ」


 真奈美ちゃんは、まるで全身が鋼鉄化したみたいに緊張しながら、ほあたぁと経絡秘孔ならぬ数字のボタンを押した。


 だがなぜか、一番左を押していた。


「ちょ、ちょっと真奈美ちゃん、左から二番目っていったのに、どうして一番左を押しちゃうの? それは入場券といって、電車に乗れないやつよ」


 私が間違いを指摘したら、真奈美ちゃんはピャーっとパニックを起こした。


「えっ、間違えたんですか!? そ、そんなぁ、もうおしまいですぅ! 人生のおわりですぅ! きっとこの機械は、秘孔を突かれたみたいに爆発して、大変なことになっちゃんですぅ!」


 いやぁ、真奈美ちゃんが怖がりなのはよく知っているけど、まさか切符の購入を間違えただけで、こんなに取り乱すなんて思わなかった。


 でもバカにしちゃいけない。誰しも得意分野と苦手分野があるわけで、真奈美ちゃんの場合は、とにかく怖がりなのだ。


 弱点がわかっているなら、反復で克服すればいい。


 もし真奈美ちゃんを見捨ててしまったら、彼女は切符も買えない人間になってしまう。それでは高校を卒業してから大変だろう。


 私は真奈美ちゃんの手を引いて、駅の窓口に向かうことにした。


「さっきシカコもいってたけど、駅員さんに切符を交換してもらおう。そうすれば、なんの問題もないから」


 真奈美ちゃんは、ぺこぺこ何度も頭を下げた。


「ごめんなさいですぅ……あんなわかりやすいボタンを押し間違えるなんて、わたし、本当にドジですぅ」


「そんなに謝らないで。誰だって最初はうまくいかないものよ。それにたとえ失敗したところで、ちゃんと事情を説明すれば、挽回できることのほうが多いんだから」


 私が真奈美ちゃんを励ましたら、続けてシカコも励ました。


「そうだよ真奈美ちゃん。たかが切符ぐらいで落ち込まなくていいんだ。あたしなんて、この前、満員電車でウンチもらしちゃって、ひどい目に遭ったけど、いまでは元気いっぱいだ」


 いや、あのお下品なやらかしは、もうちょっと落ち込んでほしいというか、反省してほしんだけど。


 まぁいいか、シカコなりの励ましなんだし。


 真奈美ちゃんは、私たちに励まされたことが嬉しかったらしく、元気を取り戻した。


「よく両親にもいわれますぅ、誰しも間違えるから、落ち着いて対処しなさいって。それにわたしは、シカコさんみたいな大失敗はしてないから、なんとかなる気がしてきました」


 どうやらシカコのお下品なやらかしが、真奈美ちゃんの失敗を薄めたらしい。たまには役立つのね、シカコのおバカな行動が。


 いくら怖がりの真奈美ちゃんだって、心の準備がきっちり整えば、人並みのことができるはず。


 私とシカコは、まるで保護者みたいに、真奈美ちゃんが窓口に向かう様子を見守った。


 真奈美ちゃんは、ぶるっと一度だけ震えてから、えいやっと窓口に声をかけた。


「あ、あのあのあのあのあの、切符を間違えました」


 と、早口でまくしたててから、間違えて買った切符を差し出した。


 だが問題が一つある。彼女は『切符を買い間違えた』ではなく『切符を間違えた』といってしまった。おそらく緊張のせいで、脳内の言語回路が混乱したんだろう。


 しかしそれでも、駅員には意味が通じていた。


「切符を買い間違えたんですね。どちらに向かう予定だったんでしょう」


「西千葉駅ですぅ。隣の駅ですぅ」


「なら、追加料金を払ってくれれば、こちらで切符を用意します」


「おねがいしますっっっ」


 追加料金をほんの少々払うことで、ついに目的地の切符を手に入れた。


 真奈美ちゃんは、真新しい切符を胸に抱くと、いよしっと小さくガッツポーズした。


「やりましたっ。これでわたしも、切符初心者、卒業ですぅ」


 やったね、真奈美ちゃん、これで券売機の使い方を修得よ。 


 私とシカコは、成功を祝って、いえーいとハイタッチした。

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