第7話 飛行機のモノマネをすれば駅構内だって歩けるはず

 土曜日、私たちは千葉駅に集合した。


 私とシカコにとっては、おなじみの駅である。中学時代は遊ぶために、高校時代は通学のために、何百回と利用してきた。


 しかし真奈美ちゃんにとっては、未知の領域だ。童顔の小柄な子が、まるで迷子の子猫ちゃんみたいに震えていた。


「人混みは苦手ですぅ……」


 休日になっても、千葉駅近辺の人口密度はそれなりに高い。地元民にとって、もっとも大きな繁華街だからだ。


 そりゃあ都内の主要駅とくらべたら、すっかすかなんだろうけど、真奈美ちゃんを怖がらせるには十分な利用率であった。


 だがそれでも、声優イベントに参戦するためには、この人混みを突破しなければならない。


 私は、真奈美ちゃんの背中を押した。


「恐れずに進もう、イベントには開始時刻があるんだから」


 シカコは、真奈美ちゃんの手を引いて、進む方向を制御。


「人間なんて、簡単によけられるぜ。自動車と比べたら、止まってるようなもんだ」


 私たちは、真奈美ちゃんを応援した。世治会のお仕事という意味もあるけれど、一年生のときからずっと一緒のクラスメイトを助けたかったからだ。


 真奈美ちゃんも、私たちの応援を踏み台にして、ついに第一歩を踏み出した。


「憧れの声優さんに会いたいんですぅ。そのためなら、わたし、がんばりますぅっ……!」


 たった一歩、されど一歩だ。ついに真奈美ちゃんは、千葉駅の人混みに突入した。


 小綺麗な駅構内に、これでもかと人間が密集していた。案内看板もそこそこ多いから視界も悪い。


 ただし、まだ改札前ではないから、本格的な人混みにはなっていなかった。


 あくまで現在地は、駅の入り口だ。改札前にたどりつくためには、目の前にある巨大なエスカレーターを昇らないといけない。


 私とシカコは、いつも通学で使っているから、なんら違和感を覚えていなかった。


 しかし、初めて駅を体験する真奈美ちゃんは、完全に腰が引けていた。


「どこを見ても、ヒト、ヒト、ヒトじゃないですか。こんなアリの巣をひっくり返したみたいに人間が出入りするなんて、駅は邪悪な施設ですぅ」


 怖がりな人間から見た、大型駅の感想であった。


 うーん、もしかしたら小さな駅から始めたほうが、真奈美ちゃんにはハードルが低かったかもしれない。


 だがイベントの開始時刻的に、いまさら引き返すわけにもいかない。


 こうなったら、私とシカコの支援によって強行突破だ。


「エスカレーター、これは自動で動いてくれるから、ただ足を乗せるだけで前に進めるわ」


 と、私は真奈美ちゃんの背中を押す。


「真奈美ちゃん、あたしの真似をするんだ。ほら、こうやって乗るんだよ。成功例を見たあとなら、ぜんぜん怖くないだろ?」


 と、シカコはエスカレーターの乗り方を実演してみせた。


 真奈美ちゃんは、こくこくと二回だけうなずいてから、そーっと足をエスカレーターに乗せた。


 いざ上昇。


 ういーんっと、やや長めの上りエスカレーターを利用して、私たちは駅の構内を進んでいく。


 真奈美ちゃんは、うぅーうぅーと浅い呼吸を繰り返していた。


「緊張のあまり、心臓が潰れそうですぅ」


 そんなに緊張するなんて、よっぽど人混みがダメなんだろう。


 だが、けっして珍しい弱点ではない。あくまで生活に必要だから我慢しているだけで、可能ならば人混みを歩きたくない人なんて、ごまんといるだろう。


 私だって幼稚園生のころ、千葉駅の人混みに不安を覚えたことがある。もしこんな大勢の人間が利用する建物で、親とはぐれてしまったら、お家に帰れないだろうなと。


 もしかしたら真奈美ちゃんも、同じような不安を抱いているのかもしれない。


「大丈夫よ、真奈美ちゃん。私は背中を支えてるし、シカコは手を支えてるわ。これなら迷子なんてなりっこない」


 どうやら保護者みたいな声かけは効果があったらしく、真奈美ちゃんの呼吸が整った。


「そ、そうですよね。三角&四角コンビがいれば、迷路だって迷わないはずですぅ」


 いや迷路は迷うかもしれないけど、少なくとも千葉駅で迷うことはないわね。もっと大きな駅なら自信ないけど。


 シカコも千葉駅なら自信があった。


「まかせろよ。千葉駅だったら乗り換えも完璧だぜ。田舎の親族に会いにいくときは千葉駅で乗り換えなきゃいけないから、すっかり慣れちまったよ」


 JR千葉駅は、そこそこ路線の入り組んだ駅だ。しかも私鉄やモノレールへの連絡通路があるせいで入口の数だって多い。


 無論、東京の駅と比べたらイージーモードだが、それでも普段駅を利用していない人にとっては複雑な構造だ。


 複雑ということは、それだけ需要者が多い証明でもある。


 真奈美ちゃんは、エスカレーターを昇り終わるなり、ひえっと悲鳴を上げた。


「改札前、人が多すぎますぅ! 駅の入り口よりも、さらに増えてますけどっ!?!? そもそもなんで改札の向こう側にお店があるんですか!?!?」


 そうね、規模の大きな駅になると、なぜか改札口の向こう側にお店があるのよね。私も初めて見たときは驚いたわ。


 でも、いざ自分が利用する立場になると普通に便利だから、やっぱり慣れの問題よ。


 どうやらシカコも、千葉駅は慣れの問題だと認識しているらしい。お笑い芸人みたいに体を張って、真奈美ちゃんを安心させようとした。


「真奈美ちゃん、あたしを見てくれ。千葉駅は、飛行機の物まねが出来ちゃうぐらい、安全な場所なんだ。ほら、ぐいーん、ぐいーん!」


 シカコは両手を広げると、飛行機みたいな動きで改札前を走り回った。


 そんなことをすれば、大勢の利用客たちが白い目で見てくる。その寒々しい視線の先には、私もふくまれていた。


 は、恥ずかしい。正直、他人のフリをしたいところね。


 でも今日のシカコは、真奈美ちゃんを励ましたいから、ああやってバカをやっている。


 ならば私は羞恥心を捨てて、シカコのおバカに乗っかって、真奈美ちゃんを盛り上げたほうがいい。


「便利な交通手段には、便利なお店が集まるものよ。それ以上の意味はないから、まずは切符を買いましょう。ほ、ほら、ぐいーん、ぐいーん……うぅ恥ずかしい」


 私も、ほんのちょっとだけ両手を広げて、飛行機みたいな動きをした。あまりにも恥ずかしすぎて、シカコみたいな仰々しい動きはできなかった。


 でも千葉駅を過度に恐れる必要はない、という大切なメッセージは伝えられたはず。


 真奈美ちゃんは、深呼吸して気持ちを落ち着けると、自動券売機をにらみつけた。


「わ、わかりましたぁ。とにかく切符を買ってみましょう、飛行機の動きで」


 よかった、シカコのおバカと、私の捨て身が報われた。まだ心のどこかに羞恥心のざわめきが残っているけど、そんなことより切符だ。


 私たちは飛行機の物まねをしながら、自動券売機の前に移動した。


 この自動券売機こそが、駅初心者にとって最初の関門である。


 ただ切符を買うだけなのに、なにが難しいのかと思う人もいるだろう。


 だが真奈美ちゃんだけの問題じゃなくて、実は私たち世代の問題でもあった。


 スマートフォンの電子マネーで支払いができるがゆえに、物理的な切符を買ったことがない若者が、ぼちぼちいるのだ。


 となれば、怖がりの真奈美ちゃんにとっては、とてつもなく高いハードルとなってしまった。


 はたして真奈美ちゃんは、ちゃんと切符を買うことができるのだろうか?

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