第2話 担任の柳先生登場、なお独特な人材なので、取り扱い注意

 私たちは通学路を走っていた。シカコがお下品なやらかしをしたせいで、学校に遅刻しそうだからだ。


 それなのに、なぜかシカコが私に発破をかけた。


「ほらサカミ、もっと早く走らないと遅刻するぞ」


「シカコのせいで遅刻しそうなのに、どうして主導権握ってんのよ」


「だって実際遅刻しそうじゃん、サカミの足が遅いせいで」


 悔しいが私の足は遅い。もちろん体育は苦手だ。短距離もタイムが悪いし、長距離なんて完走できない。


 これぐらい運動音痴だと、たとえ最寄り駅である千葉駅から、うちの女子校までの距離が短かったとしても、トロトロ亀みたいに走ることになる。


 だがそれでも、シカコのお下品なやらかしに付き合った私が、通学の主導権を握られてしまうなんて、断固拒否であった。


「ご心配なく、たとえ足が遅くても、意地でも遅刻しないから」


 満員電車でシカコがやらかした直後は、まぁしょうがない一緒に遅刻してやるか、という気分だったが、走って間に合うなら間に合わせたい。私は優等生なのだ。成績表に汚点がつくことを避けたい。


 それに対してシカコは、テキトーさが売りのトリックスターである。遅刻なんて屁とも思っていない。


「そんな意地になるなよサカミ、どうせ遅刻したところで、ホームルームに遅れるだけだぜ? 授業には間に合うんだから、もう歩こうや」


「いやよ。ホームルームに遅刻しても、成績表には遅刻ってカウントされるんだから」


「でもサカミのスタミナ、もう空っぽだろ。顔色めっちゃ悪くなってるし」


 ご察しのとおり、私は限界寸前だった。筋肉疲労で倒れるのが先か、呼吸困難で倒れるのが先か。どちらにせよ、足が止まったら、その時点で遅刻確定だ。


 だがご安心いただきたい。体力不足を補うほどの意地がある。


 このやろう絶対に間に合わせてやる、と心の中で叫びながら、昇降口に飛び込んだ。


 さ、酸素、酸素が足りない。本当に意地だけで走ったから、もう歩けない。このままだと教室にたどりつけないから、本当に遅刻してしまう。


 くそっ、これまでか、と遅刻を覚悟したら、シカコが私の肩をつかんで、ずるずる引っ張ってくれた。


「しょーがねーやつだな。あたしが教室まで運んでやるよ」


「あ、ありがとう……」


「もっと体力つけようぜ。土日だけでもランニングするとかさ」


「いやよ。そんな時間があったら、勉強したいわ」


「そりゃサカミが良い大学いきたいのは知ってるけどさ、最低限の体力がないと、大学生になってから困るんじゃねぇの?」


 このあたりの事情について、順番に触れていこう。


 千葉市内には、いくつか女子校がある。そのうち一つだけが賢い女子校で、それ以外は賢くない女子校だ。


 私たち三角&四角コンビが通っているのは、賢くない女子校だった。


 実をいえば、高校受験時、賢い女子校は私の第一志望だった。でも入試の点数が、ほんのちょっと足りなくて不合格。不本意ながら、滑り止めである賢くない女子校に進学した。


 なんで第一志望も滑り止めも女子校なのかといえば、正直男子が苦手だからだ。はっきりいってノリが合わない。あの粗野で下品な生き物たちが同じ人類だとは思えなかった。


 そんな私だから、たとえ第一志望を落ちて滑り止めに入学することになっても『女子校に入学できた』という一点だけは後悔していない。


 ただし第一志望に落ちたことは心底後悔しているため、いまから手を打っていた。


 人生の遅れは大学進学で取り戻せばいい。大学受験の勉強を高校一年生のときから始めていた。だがしかし、休日も自宅に閉じこもって勉強する日々を続けていたら、慢性的な体力不足に陥ってしまった。


 私だって、どうにかしなきゃと思っている。でも第一志望を落ちたトラウマがあるから、勉強を放棄して体力づくりに精を出すなんて無理中の無理だ。


「なんで人間って、ちょっと動かなくなると体力が落ちるのかしら。野生動物みたいに、ただ呼吸するだけで筋肉と心肺機能が維持できればいいのに」


 私の理屈臭い願望に、シカコがウゲっと舌を出した。


「あーやだやだ優等生様は、賢さを運動不足の言い訳づくりに使ってさ」


「しょうがないでしょ。私、勉強以外に取り柄がないもの」


 ぶちぶち文句をいいながら廊下を歩くことで、予鈴が鳴る前に教室に入れた。教室の時計を見てみれば、なんと遅刻三十秒前。あぶないあぶない、どうにか間に合ったわね。


 たった三十秒の隙間時間を使って、私とシカコはクラスメイトに挨拶していく。一年生の時と同じ顔ぶれだから、気楽に話しかけられる。ああ平穏ってすばらしい。


 もし可能ならば、ちょっとした雑談をしたいのだが、すでに予鈴は鳴っていた。


 教室に担任の先生が入ってくる。柳涼子先生だ。三十代の独身。顔も体型も驚くほど普通で、なんの特徴もない。いかにも平均的な三十代女性の外見である。


 だが雰囲気だけは独特だった。がんばってオタク趣味を隠しているつもりだけど、ぜんぜん隠せていないから、夕闇みたいな光と影を兼ね備えていた。


 そんな柳先生だが、朝っぱらから、わけのわからないことを言いだした。


「千葉市ってね、【俺の妹】とか【俺ガイル】みたいな日常系アニメだけじゃなくて、サイバーパンクの聖地でもあるのよ」


 私たち生徒は唖然とした。なんでうちの担任は朝っぱらから職務を放棄しているんだろうかと。


 私は学級委員長として、柳先生に忠告した。


「柳先生。趣味の話はあとでもできるので、まずは出席をとってください」


 あくまで常識的な忠告であって、なんら挑発的な内容をふくんでいないはずだ。


 だがなぜか柳先生の心の導火線に火がついてしまったらしい。


「こんな大事な話を後回しにするなんて、とんでもない! 当時の千葉市長だって、古典サイバーパンク小説の走りである、ウイリアムギブスン著【ニューロマンサー】について言及したのよ! だってこの物語、千葉市から始まるんだもの!」


「いやあの先生、早く出席をですね?」


「出席なんかよりサイバーパンク! 千葉シティブルース最高! 千葉市は電子暗黒技術の最先端として躍進するのよ! 違法な肉体改造屋、ハッキングで大金を稼いで、世界の真実にダイブ! ……あっ、校長先生」


 元婦警の校長先生が教室に入ってきた。女子プロレスラーみたいに大柄な女性であり、ウエイトリフトの元選手でもある。そんなイカつい中年女性が、柳先生の襟首をつかんで、ずるずる廊下に引きずっていった。


「柳さん! またあなたは、趣味の話に時間を割いて、職務を放棄したんですか? 学生時代からいってきましたが、空想と現実の区別ぐらいつけなさい!」


「す、すいませんでしたぁ……」


 廊下から、がみがみと説教する声が聞こえてくる。


 うん、もはや定番の流れなのよね。こうやって柳先生が校長先生に怒られるやつ、かれこれ十回ぐらい見ているし。


 なお説教は手短に終わり、柳先生はグスンと泣きながら教室に戻ってきた。


「怒られちゃった……」


 いくら自業自得とはいえ、上司に怒られて泣く姿には哀愁が漂っていた。

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