入舸沙月の妖隠避録

朝倉春彦

零章:狐面の夜

01.狐面越しの景色が、好きだった。

狐面越しの景色が、好きだった。

"だった"って言っても、それは、今も変わりないんだけど。

でも、昔ほど純粋な"好き"とは言えない気がする。


「…雪かぁ、これ以上要らないさよ。もうこんだけ降ったってのに」


夜だというのに、少し明るく感じる空。

狐面越しに、初詣の参拝客が作った行列を眺めながら、雪の愚痴を零しつつ、フラフラと歩いていた。


「寒いのによく来るねぇ。毎年毎年」


呟きに反応する人は一人もいない。

目の前にいる男の子なんか、私の呟きよりも、空から降ってくる雪に夢中になっていた。

その様子に、少し嫉妬心を感じつつも、お面の裏側で口元を少しだけ緩ませる。


「よぉ、絵描きっ子。ご苦労なこったな」


初詣の行列を少し外れると、老人の様な、低く野太い声が私を呼び止めた。

声の方に振り向くと、頭に2本の角が生えた老人が酒を片手にこちらに歩いてくる。


「全くだね。あぁ、あけましておめでとう」

「おう、おめっとさん。どうよ、調子は?」

「まぁまぁ。いつも通りかな。いつも通り」

「何も起きねぇべや?こんなとこでさ」

「それがそうでもないのさ。さっきも暴れ出したの1人片付けた所で」

「ほぉ〜、いるもんだな。でだ、お頭、今、中に居るか?」

「さぁ。でも、そろそろ戻ってくる頃でなかったかな…」

「おーし。なら、新年の挨拶に行ぐかな。絵描きっ子。頑張れよ」

「えぇ。それじゃ、後で」


顔を赤くした有角の老人と、人混みの隅で軽く言葉を交わして再び仕事に戻った。

着ている紅白の巫女服、袖に巻かれた"警戒中"の腕章が、私の立場を示している。


「はいはい、失礼しますよっと」


有角の老人と別れた後、私は人混みを避けながら、境内の様子を見て歩く。

ここは街唯一の、初詣に出店が出る神社。

新年早々、境内は夏祭りの最中だと錯覚しそうな程の参拝客で賑わっていた。


目立つ格好で、周囲を忙しなく見回しているのに、誰からも注目を浴びない私。

時折、先ほどの老人の様な者が、彼と似たような反応をくれるだけだ。

彼は人間じゃないけれど、私からすれば、そんなのは些細な事に過ぎない。


「異常なし。って、こっちはちゃんとした警備会社が見てるんだっけか」


独り言を呟いて、目を神社の隅へ向ける。

林道へ繋がる獣道の方に、出店がズラリと並んでいた。


「見て回るのはこっち」


人で賑わう場所を離れて、林道に繋がる獣道へ足を向ける。

そちらの方には、人の姿は一切見えなかった。


「とっと…」


下駄を履いて、踏み固められただけの道を歩くのは中々に難しい。

少し苦労しつつ出店が並ぶ方までくると、そこにいる者達の活気が肌で感じられるようになってきた。

見慣れた面々が騒いでいる中で、今日が元旦だからか、見知らぬ顔もチラホラ見えるが、皆、年明けの空気にあてられているようだった。


「お、絵描きさん、良い所に。見回りでしょ?」


適当に見回りをしていると、焼きそばを焼いていた有角の男が私を呼び止めた。


「そうだけど、何かあったの?」

「ああ。人間が通ってってさ」

「え?この通りを?」


そう聞き返して、眉を潜める。

何故ならこの通りは、人ではない者達の棲み処だからだ。

そりゃ、見える場所だから通れない事はないが、人の目からは、真っ暗な獣道にしか見えないはず。


「どれくらい前さ?」

「ついさっき。2、3分前でなかったかな」

「どんな人?どんな様子だった?」

「絵描きさんみたいな年の男の子だったな。なんか、ふらふら歩いてて」

「ありがとう。調べてみるよ」


そう言って一礼すると、直ぐに出店通りの奥へ足を踏み出した。

この場所は、危ない場所というわけではないのだが、それでも、ここから先に行かれて境内を外れると、別の意味で危ない事になりかねない。

面倒にならなければいいと思いながら、"私と同じ年頃の男の子"の姿がいないか見て回る。


「ねぇ、私と同じ位の年の"人間"をみなかった?」

「ああ、すれ違ったな。迷子にしちゃ変な様子だったが」

「その子が行ったのは、この先?」

「そうだ」

「ありがと!」


道すがら、知った顔、話したことがある顔に話しかけて、聞き込みをしながら先へ進む。

彼らは皆、人を見ることが出来れど、自ら進んで人に干渉することはしない。

だから、返ってくる答えは"見たか否か"と言うだけだ。


「いない…」


今いる獣道は、あと少し進めば神社の境内から外れて、山の上の方に繋がる道に変わる。

まだ、境内に居てくれれば良いのだが…山の方まで行かれると、道を外れてしまうことも考えなければならなくなってきた。


「チェ、何処の馬鹿野郎だ…」


毒づきながら、私は更に速度を上げて先を急ぐ。

通りにいる者は、先を急ぐ私を見て、何も言わずに道を空けてくれた。


「あ!」


出店も疎らになってきた獣道。

その先、境内の隅にポツリと立つ街灯が照らす下に、1人の人影が見えた。


「見つけた」


膝丈の黒いコートと着て、首元にマフラーを巻いた線の細い男の姿。

男から人以外の気配を感じないから、間違いなく"お尋ね者"でいいだろう。

私は境内の中で見つかった事にホッと胸を撫でおろしつつ、表情を引き締めて彼に近づいて行った。


「さて、と」


狐面を"半分だけ"、スッとズラすと、先程通り過ぎてきた出店の喧騒が一気に半減する。


「そこの人」


硬い口調で声をかける。

目の前で棒立ちになっていた男は、ゆっくりとこちらへ振り返って来た。


「ここは立ち入り禁止ですよ。暗く危ないので、早く元の場所に…」

「そうか。そうか。ここは…ココハ、立チ入リ禁止ダッタノカ」


形式通り仕事をこなしていた私に、こちらを振り返った男が呟く。

その声に、生きている人間らしい感情を感じない。


「な…」


聞こえてきた声、振り返って見せた顔。

私にとっては見慣れた、馴染み深い男が私の顔をじっと見据えている。


「立チ入リ、禁止」


ロボットのように口を開く彼を見て、私は強張っていた表情を緩めこう言った。


「なんだ、君か」

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