思惟
「はぁ」
深いため息をつくと、ライゼは机の天板にぺたりと頬をつけた。
目の前にあるのはガイダからの帰還後、軍部に用意させた一枚の肖像画と報告書。それと莉々の影響か、すっかり習慣になってしまった一杯の珈琲である。
ガイダより東。領都カルマート。
その中心に存在する、領主の居城。その敷地の一角に作られた、魔法教育施設の一室で、ぐったりと突っ伏す彼女の姿に、隧道──ダンジョンで見せた悲壮感はない。
部屋にあふれるカーテン越しの春の日差しと、それを揺らす微風。ともすれば、遠くで聞こえる小鳥のさえずりが、もはや子守歌に聞こえる程に穏やかな春の午後。身じろぎもせず一点を見つめるその目は、だが何も見てはいなかった。
要するに呆けているのだ。
ここには、莉々の部屋のような、ある種おどろおどろしい過度な調度は無い。
あるのはアンティークの机に椅子。書棚に簡単な応接セット程度。一見、普通の部屋に思えるが、領主の住まう居城の一角であることを考えると、むしろ簡素すぎるとさえ言えるかもしれない。
施設内には主である莉々以外にも、部屋を与えられた人間は何人かいる。副官であるライゼも、当然その中の一人ではあるが、普段、自身に与えられたこの部屋に、身を置くことは殆どない。基本的に敬愛する莉々の居る、莉々の部屋に居る方が多いのだ。が、あの部屋は考え事に向かないのも事実である。思惟にふけるのなら雑音の無い、自身の部屋の方が良い。そう思ってこの部屋にきたのだが──
やがて本人の意思とは無関係に瞼は落ちてゆく。
ふうわりと揺れる風が頬を撫で、ライゼを夢の世界に誘い──意識を手放しかけたその耳に、キン、と金属の打ち合う音が届いた。
何処からか聞こえたその音に、瞼を開ける。
心地よい眠りを邪魔された子供のように、一瞬不機嫌な表情を浮かべると、顔のすぐ横にある肖像画に目を向けた。
そこに描かれているのはダンジョンで出会った黒衣の魔法使い。
ただし、ダンジョンで出会った彼女とは違い、柔らかな笑みを浮かべ、少女らしい華やかな衣装を身に纏っている。
一つため息をつき、体を起こす。
イヤイヤをしても仕方ない。これが仕事だ。そう思いながら両手を上に伸びをし、自身の頬を両手で挟み込むように軽く叩くと、ここ数日の出来事を反芻する。
ガイダに赴いたこと。
ゴブリンに殺されかけたこと。
魔大陸の人間に助けられたこと。
少女が放った魔法の事。
問題はいくつかあるが、さしあたって目の前の肖像──キリエという少女の事。
報告書によれば、彼女は初期に怪物と遭遇したとみられる船に搭乗しており、既にその船、船団の残骸が、軍の調査団によって発見されている。
当然の様に、現場に生存者の姿は無い。残されていた遺体はどれも原型をとどめておらず、小さな肉片と言えるような状態であり、軍はその状況から船団崩壊の経緯を推測。怪物と遭遇、交戦後、乗組員はみな捕食されたものと判断した。
丁度一年前。先年の春の事である。
軍の判断に間違いは無いだろう。自分でも同じような判断をする。対外的には遺体が発見できない以上行方不明ではあるが、実質死亡だ。が、絶望的な状況下にあって、遭難者の生存が後に確認されるケースというのは、今回に限らずある話である。何よりキリエの顔が、彼女の母親が捜索対象の資料として提出した、目の前にある肖像に瓜二つである以上、それを否定することの方が難しい。
「あとは母親との面通し次第、か」
そう呟き、わずかに残った冷めた珈琲を口に運び、カップを置く。
陶器が触れ合う、カチャリというに混ざって、金属音が再び響いた。
「またやってるのか」
呟きが漏れ、ライゼは体をねじり、音の方向、背後の窓へ目を向けた。
カーテンに手を伸ばし、陽の光を遮るそれを横へ滑らせる。
冬を超え、季節は春。花冷えの午後。
いつか、アルスが魔法の練習に勤しんでいた訓練場。そこに立つ二つの影。
一方はハーフプレートを着込み、ブロードソードとバックラーを構えた、身の丈二メートル程の。もう一方は五十センチほどの木の棒をだらりと下げた、デニムにTシャツ姿の、こちらも二メートル近い大男である。
ブロードソードは、ライゼの同僚でもある、魔導士団に属する騎士。
デニムの方はダンジョンで出会った、長剣を持ったローブの男──グラムだ。
対峙する影に目を向けながら、『別にアンタらをどうこうしようなんて、思っちゃいねぇ』そう言った、グラムの言葉を思い出す。
その言葉を、魔大陸の人間を信用してもいいのか、その問いの答えは出ていない。
もちろん予め、莉々からは侵略の可能性というのを示唆されてはいる。いわば敵だ。が、少なくともグラムたちが、自分たちにとって命の恩人であることに変わりはないことも事実である。さらにキリエという遭難者云々の話が真実であり、彼らがその救い主であるのなら、彼らは敵どころか、リムニアの国民を救った、いわば国家に対する恩人という事になる。
もはやライゼ個人で、どうこうできる問題ではない。彼らをどう扱うべきか、それは為政者が決めること。そう思い、遅れてきた師団の人間に後を任せ、同行に難色を示す魔大陸の住人と共に、領都カルマートに戻ったのが二日前。ようやくキリエに関する資料がそろい、一通り目を通したのが先ほどの事である。
だが。と同時に思う。
本当にキリエを、一人の少女を送り届けるためだけに。本当にそれだけの為に、わざわざここまで来たのだろうかと。むしろ、利益を求めて行動したのだと言ってくれた方が、納得はできる。それこそをキリエという人間をきっかけとして、大航海時代の冒険者のように、新大陸を、新航路を、資源を求めて行動したのだと言ってくれた方が。
──ああ、違うか──
冒険者がみな、利益前提で動いているわけではない。
冒険そのものが目的であり、利益など二の次。そういう純粋な冒険者が存在するのもまた事実なのだと、歴史がそう物語っている。
──彼は、どっちだろう?──
グラムは道すがら、「依頼を受けた」と言っていた。報酬は金銭? 名誉? それとも自身の探求心?
『何となく。じゃねぇか?』
ライゼの問いかけに、グラムは笑いながらそう答えた。
真意などわからない。わかっているのは彼らが、彼女が思う侵略者とは異なるという事だけ。
ふう。と息を吐き、体の向きを変え、窓辺にもたれかかる。
「冒険者。か」
対峙する二つの影。いや、グラムの姿を見つめながらそう呟く。
奇しくもその言葉が、事実彼らの職業であることも知らずに。
ザリっと、ブーツが土を削る音が響く。
ライゼの呟きをきっかけとしたわけではないのだろうが、ほぼ同時に騎士が一歩前に出た。
二人の距離は三メートル弱。
間合いまであと少しなのか、更にブーツのつま先が動く。同時に騎士の重心が、前方に──そう思った瞬間、グラムの棒きれが動いた。
一閃。
初めから当てる気などないのだろう、それは騎士の頭頂をギリギリでかすめ、同時に騎士もまた、その軌道を反らすように剣を頭上に掲げる。が、既に相手は通過した後だ。
「くっ」
声にならない声が漏れる。
剣圧に押されたのか、騎士がよろめきながら、バックラーを前面に押し出しながら突進する。グラムとはかなりの体格差がある。力で圧倒すれば──
「アホ」
グラムが呆れた様な声で、そう呟くのと同時に、ゴッという鈍い音と共に、騎士は真横に吹き飛ばされた。もんどりうつように肩口から地面に叩きつけられ、苦痛の声を漏らす。
「お前の狙いはバレバレだわ。格上相手に体当たりなんざ、不意打ちでもなきゃ意味ねぇよ。まぁ、普通なら問題ねぇだろうけど」
グラムが、言葉と共に差し伸べた手をとり、騎士は立ち上がると、自分の状況を改めて確認した。
「いま、何をしたんですか?」
「左手でな、こう、横に払ったんだよ。盾ごと、ぱぁんって」
「何ですか、それ」
まるで飛んできた羽虫を払うようなグラムの動作に、騎士は苦笑いを浮かべ、一息つくと少し離れた場所に立ち、再び剣を構える。グラムもまた、やれやれ、といった表情を浮かべると、棒きれを右手ににやりと笑うと「いいぜ」と答えた。
城に到着したグラムたちの案内役を買って出た騎士から、手合わせの申し出があったのは昨日の事。以降、時間があれば、ああして剣を交えている。
そのやり取りを、目に、耳にしながら、あのときの笑顔と同じだな。と、ライゼは思った。
長大な剣を手に、ダンジョンで、背中越しに浮かべた笑顔と。
思い出した途端、意図せず頬が朱に染まる。
反射的に頬を両手で押さえ、イヤイヤをするように頭を振るが、そう簡単に治まるわけもない。目を固く閉じ、深呼吸をしながらイメージを頭から追い出す。
命の危機。その
敵を射抜く眼光。黒い瞳に黒い髪。敵から遮るように自分の前に立った、あの大きな背中が見せる安堵感。更に、魔大陸の人間はみなそうなのか、莉々がそうであるように、だがこちらは男らしく、端正な、美しい顔立ち。
それこそ、もはや現実世界の人間とは思えない、物語の主人公の様な──
「思春期、真っただ中じゃ、ないんだからさぁ……」
俯き、呟く声が細い。
その様子を遠目に見ていた赤毛の少女が、クスリと笑った。
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