来訪者

「──かめ?」


 思わず頓狂な声が口から洩れた。

 ライゼには男の返答が、それが何なのかわからなかったのだ。

 男は苦笑いを浮かべると、頭をボリボリと掻きながら「ま、そりゃそうか」と呟き、前面に並ぶゴブリンたちを見た。


 同時にゴブリンが後ずさる。

 この場に、この集落の全てのゴブリンが目の前に居るわけではない。この騒ぎに加わっているゴブリンの数は精々が五十と言ったところだろうか。

 その彼らが。散々人を蹂躙し、獲物として、捕食対象として人間を嘲っていた彼らが、まるで蛇に睨まれたカエルの様に震え、怯えの色を浮かべ、中には失禁しているものまで居る。

 ライゼは目を疑い、先ほどまで殴られ続け、横たわったままのモルもまた、血まみれの顔で、ありえないその光景に目を丸くした。


 男はぐるりと首を巡らせ睥睨する。


「どこのダンジョンでも一緒だな。一つ所によ、フジツボみてぇにウジャウジャ集まりやがって」


 吐き捨てるように呟くと、再びライゼ、いや、ライゼの更に向こうにある、隧道へとつながる入り口を見た。


「キリエ。おめぇにやる。練習には丁度いい。だろ?」


 あわててライゼが背後に振り返り、その目を見開いた。

 いつからそこに居たのか、そこには自分のすぐ傍に立つ二つの人影がある。

 一方は目の前の男と同じ灰色のローブを身に着けた赤毛の。もう一方は、まるで莉々のような漆黒のローブを身に着けた、まだ年端のいかないストロベリーブロンドの。いずれも女性だろう。共に男性とは思えない顔立ちに長い髪。ローブの所為で体形までは解らないが、男よりは大分小柄で、立ち姿に柔らかな雰囲気がある。


「おじさん。楽がしたいだけ」


 キリエと呼ばれた黒いローブの少女が仏頂面で答え、隣に立つ赤毛の少女もこくこくと頷いた。


「ああ、そうだ。俺からしたら只の掃除だからな。だけどよ、ガキンチョ。おめえがやるなら話は別だ。十分鍛錬にはなる。リア。おめぇはケガ人診てやれ」


 人差し指を向けながらそう指示をすると、二人の不満げな様子など意に介すことなく、男はそのままライゼの前にしゃがみ込むと「すまねぇな」と頭を掻き、気まずそうに笑った。


「助けるのが遅くなった。そんな恰好してるからよ。どっかから流れてきたプレイヤーが、狩りしてんのかと思ってよ」


 男はそう言いながら、ライゼの衣装、藍色のドレスを指差す。

 彼女が着ているのはリムニアで軍に支給される制服ではない。ましてや一般に購入できるようなものでもない。

「これは、師から頂いたもので──」

 朦朧とした頭で、何とかそう答えると、ライゼは頭を押さえた。未だ出血は止まっていない。二人の会話を横目に、リアと呼ばれた少女が無言でライゼの横にしゃがみ、その後頭部に手をかざした。一瞬、ライゼの服に目を向け「破壊神」と呟く。

「鑑定はあとだ。先に回復ヒールしてや──」「カルク・ウル・ラド」

 男の言葉に被せるように、リアはルーンを紡ぐ。同時に後頭部に広がる温かさにライゼは目を閉じた。


「ヒール」


 ライゼからは見ることができない、リヤの掌から広がる光は、そのままライゼの後頭部、傷のある場所に吸い込まれるように消えた。ほどなく先ほどまでの痛みや、朦朧とした意識が嘘の様に消えた事実に、ライゼは自身の手を傷の場所に当て、その手を見返し、男とリヤの顔を見た。


「──ソーン・ウル・へゲル」


 詠唱。

 耳に入ってきたそれに、反射的にライゼは前方──自分たちと未だ硬直したままのゴブリンたちの狭間に立つ声の主、キリエに目を向ける。


「巻き込むなよ?」


 男の声にキリエが『言われなくても解ってる』と言わんばかりの冷たい目を向けた。その言葉がモルを指すものだと理解はできるが、特定の相手を巻き込まずに、などという事が可能なのか?。とも思う。

 いや、それ以前に彼らは解っていないのだと思った。

 ライトニング程度の魔法では、あの数の敵を落としきることなど不可能だ。うかつに刺激するよりも、何故かはわからないがゴブリンたちが委縮している今のうちに、この場から逃げるべきだ。

 今まさに魔法を撃たんとするキリエに、男に、そう訴えようと手を伸ばし、ライゼは見た。


 視界の上部。

 そこに、まるで霞の様に広がる白い光を。


 隧道。そこに広がる空間。

 広さはどれほどだろう? 目測で空間の最奥までは二百メートル。横幅もおなじくらいあるだろう。天井までの高さは十メートル程か。

 その全面に、バチバチと音をたてながら網目の様に広がる、白い光を。

 呆けたように見上げるライゼの耳に、キリエの言葉が届く。

 まるでおいしくもない料理を嫌々食べさせられ、「ごちそうさま」と、半ばで席を立つような、そんなぼんやりとした、覇気のない声が。


「──ライトニング」


 直後に白光が視界を埋め尽くした。

 世界を、空間を。

 それはほんの数秒の。だがライゼにとっては、そして哀れな獲物たる緑の小人たちにとっては、永遠とも思える程の時間。

 雷撃の落ちる轟音は、彼女たちの耳には届かない。リアの保護魔法が、一定以上の音を減衰させ、対象となる人間の鼓膜を守っているのだ。


 やがて光は消え、後に残されたのは静寂──いや僅かな呻き声か。


 幾つもあったゴブリンたちの小屋は、その殆どが吹き飛ばされ、邂逅することのなかった、奥に住んでいたであろうゴブリンたちも、おそらくは高位の個体なのであろう、深いダメージにふらつきながら立ち上がった数体を残し、動くことの無い骸と化した。


「残ってるぞ」


 男の声に小さく舌打ちをすると、キリエが再び杖を構えた。


「シエノ・ラド・マナズ」

 最初の一節と共に、杖の先端に三センチほどの青い光点が浮かび上がる。

「──キャロム」

 発動の言葉と同時に、弾かれるように飛び出した光点が、一番手前に居たゴブリンの胸を貫く。魔弾の飛翔はそれだけでは終わらない。まるでビリヤードの様に、ありもしない壁に弾かれながら、次々に近場にいる次のゴブリンを射抜き、やがて最後の一体が崩れ落ちた。


 今度こそ訪れた完全な沈黙。


 ライゼはその光景に言葉を失い、モルもまた倒れこんだままの姿勢で、その光景を前に呆然とした。

 この集落には成体、幼体含め、数百のゴブリンがは居たはずである。外で邂逅した群れのボスクラスの相手も複数いた。それがたった二発の魔法で全滅など、今のライゼたちからすれば、常識の埒外である。あり得るとすればそれは──


 男がため息をつく。

 感嘆している訳ではない。むしろそれは呆れの色にも見えた。


「何度見ても、こういうのは魔法使いならでは。だな。」

「おじさんだったら?」

「いや、これだけの広範囲だとな。似たようなことはできても、やっぱ多対一は魔法使いの領分だろ?」

「マスターの場合、仮にそれが可能だったとしても、嬉々として一匹づつ殴り倒すのでは? ドがつくSですし」

「うるせぇよ。いいからお前は早くそこで倒れてんのを何とかしてやれ。死んじまうぞ?」


 まるで緊張感のない彼らのやり取りは、それこそ出来の悪い冗談の様に思える。

 ライゼは立ち上がりながら、改めて三人を見た。


 回復魔法。攻撃魔法。そしておそらくはゴブリンを両断したあの長剣。いずれもリムニアの物ではあり得ない。

 そして何より、あの顔。

 異様なほどに整った、まるで人形のような、作り物のような顔。


 ──莉々様と同じ──


 ライゼは強い喉の渇きを感じた。

 目の前の事実。それらすべてが物語っている。彼らがリムニアの民ではなく、莉々が言っていたアストレアの住人であるのだということを。


 ──魔大陸からの侵攻。その日は遠からず来る──


 莉々から聞かされた言葉が脳裏をよぎる。


 ──それが今日なのか。


 そう思い、ライゼは眉間に皺をよせ、手にした杖を強く握りしめた。


 もしもこの怪物たちと戦うことになったとして、「抗えるのか?」と、思う。ゴブリン程度に苦戦する自分たちがこんな怪物たちとどう戦えばいいのかと。


 莉々は特別な存在だと思っていた。リムニアではない、魔大陸にあってさえ、特別な存在であり、身に纏う強者感はそれゆえの物なのだと。だがこの黒衣の少女はどうだ。あんな真似、莉々ですらできるのだろうかという思いが湧き上がってくる。

 実際には、莉々にも十分に可能であるし、それ以上の事も容易く成し遂げられるのだが、彼女の実戦を見たことの無いライゼには、それを知る由もない。

 それほどに、目の前の光景は衝撃的だったのだ。


 自分たちを見る彼女の表情。

 それに気づいたのだろう、男は頭をボリボリと掻くと、まるで降参の意思を示すように、両手を上にあげた。


「まぁ、アレだ。そんなに警戒しなくてもいい。別にアンタらをどうこうしようなんて、思っちゃいねぇからよ」


 男の言葉をどう受け取ったのか。それでもライゼは杖を前方に突き出し、男と対峙するように腰を低く身構えた。勝てないとはわかっていても、それでも抗うために──いや、違う。これは虚勢だ。自身の恐怖感を誤魔化すための行動でしかない。


「助けていただいたことには感謝します。ですがその前に、貴方たちは何者ですか? 何のために此処へ、リムニアに来たのですか!」


 後半はまるで叫ぶように。その声にキリエも、離れた場所にいるリヤも動きを止め、目を向けた。

 男は両手をあげたまま。困ったように目を閉じる。


 ──あの装備にあの魔法。師匠てのがアストレアの人間なら、俺たちの素性も察しはつく。か──


 男は深いため息をつき、聞き取れないほど小さな声で「めんどくせぇ」と、続けた。別にライゼたちを助けるために此処に来たわけでない。あくまでついでに立ち寄ったに過ぎないのだ。


「俺はアストレアって大陸から来た。名前はグラムだ。そっちの赤毛はリヤ。まぁ、オマケみたいなもんだな」


 ライゼがリヤに視線を向けると、彼女はモルの傷に右手を当てたまま、能天気な笑顔でライゼに向かって小さく左手を振る。が、それでライゼの警戒心が揺らぐことは無い。変わらず余裕の無い表情のままで、視線を黒衣の少女に向けた。

「で、そっちの小っこいのがキリエ。アンタと同じ、リムニアの人間だ」

「?」

 何を言っているのかと、ライゼは怪訝な表情を浮かべた。グラムの表情が冗談を言っているようには思えず、まじまじと少女の、キリエの顔をみる。


 ──違う。


 それが印象だ。目の前の男とも、リアとかいう女性とも、莉々とも違う。

 僅かにウェーブしたストロベリーブロンド。淡褐色ヘーゼルの瞳。幼い顔立ち。

 目の大きさが左右で少し違うかもしれないが、そこに違和感を感じるものはいないだろう。口元の僅かな歪みも、一般的にはチャーミングと捉えられるかもしれない。

 何処にでもいるごく普通の。普通に可愛らしい少女。人形ではない、あたりまえの、人間の顔。


 戸惑いの色を隠せないライゼの横顔を見ながら、グラムは左手に持ったままの大太刀をストレージにしまい込んだ。

 ライゼがこの状況を理解するのには、もう少し情報が必要だろう。

 こちらも情報が欲しい。明らかにアストレアの技術によって作られたと思しきライゼの装備の事。彼女が呟いたのこと。

 何よりこの警戒心は何とかしなくてはならない。


 ──進歩に必要なのは改革か、戦争か。前に進むのに血が必要なのは何処も一緒だね。


 ふとエルドの言葉を思いだす。


 ──違う種が出会えば争いは必至か。


 ライゼがと呼ぶ人間から、どんな予備知識を与えられているのかは解らない。それが何であれ、神がそれを臨むならそれは必然なのだろう。

 グラムはそう思いながら、キリエを見つめたままのライゼに告げた。


「俺たちとは違う。そいつは、漂流者だ。」


 それが、自分たちが望むものとは、違うものだったとしても。

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OUROBOROS 納見 丹都 @nito_ra

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