贄
愛しい息子の首が転がるその場所へ。百メートルもないその距離を一気に駆け抜ける。
いきなり現れた人間に面食らったのか、丁度
少なくとも今の彼にとって、敵が何者かなど、どうでも良いことなのだ。
身をよじるように隧道の外で手に入れたグラディウスを振りかぶり、力任せに振り切る。
骨を断つ音と共に、刃はゴブリンの首を寸断し、そのままの勢いで首を失った胴体もろとも後方に吹き飛ばした。派手な音をたて、転がるように倒れたゴブリンの亡骸から広がる血の匂いが、あたりに充満する。
ショルトがこの光景を見たらどう思うだろうか。少なくとも彼らの剣はゴブリンに対して有効打とはなり得なかった。だというのにこの剣、ゴブリンから奪ったグラディウスは当たり前の様にその首を切り落としたのだ。
だがそんな事実も今のモルにとっては些事である。
その結果になど目を向けることも無く、モルはセレの首の前に跪くと、震える手で抱き上げた。
騒ぎに気が付いたのか、付近のテントから何体かのゴブリンが顔を出し、状況を理解したのだろう、モルを指差し、キィキィと声を上げる。その声にあわせ一体、また一体とゴブリンがテントから這い出し、更に大きな声をあげた。
モルもようやく自身の行動の意味がわかったのだろう、生首を抱えたまま周囲を見回すと、自身の置かれた立場に蒼白となった。
十匹、いや二十匹。それでも足りない。
気が付けば、ぐるりと周囲を緑色の小人にとり囲まれ、もはや逃げ出すことも出来ない状況である。
ちらりと、いまだ入り口の影に立つライゼの姿に目を向ける。
「……道連れには、できねえよな……」
震える声で呟くと、モルはセレの首を小脇に抱えたままで立ち上がった。
深く息を吐きグラディウスを構える。
彼女に助けを求めようにも、外での争いとはわけが違う。ここはゴブリンたちのテリトリーだ。戦闘ともなれば百の単位を相手にすることになりかねない。いくらライゼが魔法を使えると言っても、流石にそれは無謀だろう。
もはや彼に残された選択肢は、覚悟を決める事しかないのだ。
ライゼもまた同様に、選択を迫られていた。
モルは民間人である。そして自分は曲がりなりにも軍人だ。
たとえそれが無謀な、後先を考えない行動の先にある結果だったとしても、その結果を招いた民間人を見捨てることはできない。
問題は、自身が扱える魔法はすべて、最大射程が十数メートル程しかないということ。だがそれも近づけばいいだけの話である。もともと武闘派だ。体を使うことに苦は無い。
全身運動の妨げとなるケープを脱ぎ棄て、獣の様に身を低く構える。同時に杖を持たない左手を地に着けると目標となるゴブリン──いや、モルの居る場に目を向けた。
もしかしたらここで死ぬのかもしれない。ここがゴブリンの巣窟だと、地上の人間に知らせることすらできないのかもしれない。
捨て石にもなれないのかもしれない。
だとしても莉々さえ戻ればすべては解決するはずだ。
そう思いながらライゼは倒れこむように重心を前へ、同時に右足にかけた力を一気に解放した。
走る。
先ほどのモルより遥かに速い速度で。
右の手に握った杖の先端が光る。
魔法の構成──選択したのは先の戦闘でも使用したライトニングだ。今の彼女が持つ唯一の範囲魔法であり、単発の威力は決して大きくないが、弱い個体であれば一撃で葬り去ることが可能なうえに、周囲に対してある程度の麻痺効果も期待できる。
射程距離まであと十メートル。
あまり近づきすぎれば、魔法の効果範囲にモルを巻き込みかねない。
ゲームの様に、味方にはダメージが行かない仕様というわけではないのだ。距離の選択には慎重を期す必要がある。
彼女の接近に気が付いたゴブリンの一匹が威嚇するように顎を開き、その進路を塞ぐように前に立つ。
障害物相手に、練り上げたばかりの魔法を放つわけにはいかない。
何処から出したのか、左手に持ったダガーを、すれ違いざまにゴブリンの首元に滑らせる。吹き上げる血と悲鳴に、モルに視線を向けていた何匹かのゴブリンが振り返った。
ほぼ同時に彼らの目前に火花を伴う光球が発生し、間髪置くことなく爆ぜる。
何体かのゴブリンが死の河を渡り、あるいは電撃によって自由を奪われはするものの、それでも被害を受けたのは、モルを取り囲むゴブリンたちの三分の一にも満たない。所詮は注意をひくための一撃でしかないのだ。
鳴り響く炸裂音と悲鳴にまざってライゼの「はやく!」という声が響く。
パニック状態に陥ったゴブリンたちが右往左往する中、モルもライゼの意図に気が付いたのかセレの首を抱えたまま、ライゼの居る方向、隧道への入り口に向かって、ゴブリンたちの間隙を縫うように走った。
自分の横を通り過ぎるモルの存在に、あとから気が付き、捕まえようと伸ばしたゴブリンたちの手が宙を泳ぐ。その姿に何匹かのゴブリンが怒りの声を上げ、地団太をふむ。
だがそもそもが無茶な試みである。攻撃の隙をついて包囲から抜けることはできてもそこまでだ。隧道の出口まではどれだけの時間がかかるのか。そこまでの距離を、追いつかれることなく逃げ切ることが可能なのか。
相手は人を超える筋力と持久力を誇る怪物である。走る速度は瞬間的にとはいえ八十キロにも及ぶ。一方人間はといえば、オリンピックの短距離選手ですら時速四十キロ台。ライゼやモルがどれほど全力で走ろうが、逃げ切れるはずもない。
それでもモルは抗うように走り、ライゼもまたそれに合わせて後方に下がりながら魔法を撃ちつづける。が、間もなくモルが、苦痛の声をあげながら、転がるように前方に倒れこんだ。
追走してきたゴブリンの体当たりをまともに食らったのだ。
哀れな獲物に襲い掛かる群れそのままに、そこに他のゴブリンが殺到する。
状況に気が付いたライゼが、あわててモルの傍にいる個体に魔法攻撃を放とうと杖を向けるが、既にゴブリンの手は、彼女にも迫りつつあった。
「ちっ」
背後に回り込まれ、たたらをふむライゼの髪を、緑色の手が掴む。
ダガーを振り、髪を掴んだゴブリンの腕を斬りつけ、夢中で目の前の敵に風魔法を浴びせた。乱れた髪に血走った目。ライゼの表情には、もはや何の余裕もない。
一方のモルはセレの首を守るように体をまるめ、頭を抱え、打ち付けられる痛みに苦痛の声を漏らす。
ライゼがはっとしたように意識をそちらに向け、新たな魔法の構築を──そう思った瞬間、雷光を見たかの様に、視界が白く染まった。
いつの間にか回り込まれた一匹に、背後から頭部を殴られたのだ。
力が抜け、膝をつく。
ぽたぽたと、頬を伝い、地面に血が落ちる。
意識が混濁してゆく。
耳障りなゲッゲッゲと嗤う声に、何とか頭を上げ、正面を見た。
霞む視界に、まるでモーゼの十戒のように左右に分かれたゴブリンたちの間を、ニヤニヤとした笑みをその貌に貼り付けながら、ズリズリと大きな剣を引きずりながら近づく、ひときわ大きな体躯を誇る一匹の姿が映る。
その姿にライゼは立ち上がろうと足に力を入れるが、膝がいうことを聞かない。それどころか今は意識を保つのがやっとだ。反撃の為に術式を構成することも、ダガーを構えることも出来はしない。
やがてその一体は、ライゼの前に立つと、ゆっくりと剣を振り上げた。
ぼうっと、その切っ先を見上げる。
──ここまでか──
そう思いながら、静かに目を閉じ、その瞬間を待つ。
ふと、父母の顔が浮かんだ。
三年前に死んだ両親の顔が。
なんだろうな、と思う。
ここ最近は莉々に夢中で、魔法の修練に夢中で、両親のことなどすっかり忘れていたのに。
ピュっと、風が鳴る音が響く。
勢いよく剣を振った時に鳴る、風を切る音が。
直後に、何かが顔を濡らす感触。
あぁ、この感触は、血か。首を落とされたのか。
そう思い、瞼を強く閉じる。
ほぼ同時に、どさり、と何かが倒れる様な音が耳に届いた。
しばしの沈黙。そして湧き上がる
死の
訪れているのなら、意識などあるはずがない。まるで眠りに落ちたように、思考も、何も失っているはずだ。なにしろライゼは死後の世界など信じてはいないのだから。
生きていることを確認するように、瞼を開く。
ゆっくり。ゆっくり。
見上げたすぐ目の前に、見知らぬ後ろ姿があった。
灰色のローブに身を包み、手には長大な片刃の剣を下げた、身の丈百九十はあろうかという男の後ろ姿が。
彼の前には、横たわる緑の小人。
さきほどライゼに剣を向けた、一回り大きなゴブリン。
断面からぴゅうぴゅうと血を吹き出す、縦に二つに割られた、哀れな亡骸。
「だ、れ?」
問いかけるライゼの声が掠れている。
死の恐怖はダメージとして体に残っている。他人より死に近い場所で生きてきた彼女とて、それに慣れることなど、できはしないだろう。
問いかけに答えるように、男がわずかに振り向いた。
横顔に、その口元に僅かな笑みが浮かび、言葉を紡ぐ。
「通りすがりの、仮〇ライダーさ」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます