隧道
蛍の様に揺らめく二つの光点が、目の前の闇を照らす。
振り返ればすでに、ショルトたちに見送られた入り口の明かりは姿を消し、どこまでも深い闇が佇んでいる。
自分の前を進む藍色のケープ姿を追いながら、モルは左手に持ったランタンを天井に向け、恨みがましい目で、薄明りの照らす壁面を見た。
結局この隧道がいつ造られたものなのか、誰が造った物なのかもわからないままではあるが、それでもこの異様さは解る。
掘ったものではない。
壁面にはノミのようなもので削った跡も、ハンマーで岩を崩した跡もない。
そもそも掘ったものであるなら、残土は何処へ行ったのか。彼の知る限り、ガイダの周辺に大規模な盛り土などは無かったはずだ。何よりこの様相は──
「まるで、溶岩洞窟ですね」
二つの光点を自在に動かし、ライゼが呟く。
それは比喩でしかない。
実際、この地の付近に活動している火山など存在はしないし、溶岩がたどり着いたことも、この数百年間記録に無い。
だが、まるで玄武岩のように色濃く、斑晶を含んだ岩肌は、一見すれば溶岩洞窟そのものであり、とてもではないが人、いや、ゴブリンの手掘りとは思えず、では昔からある洞穴かといえば、そこに風化や崩壊のような経年劣化の跡があるわけでもない。
まるで出来立てのアトラクションである。
隧道に侵入してから既に一時間。距離にして四~五キロメートル程。緩やかに左右にくねりながら、かなりの勾配で降ってゆくが、いまだ他のゴブリンの姿も被害者の形跡も無い。
「なぁ。これってよ、やっぱりゴブリンが掘ったわけじゃねぇよな」
モルの問いかけにライゼは応えることなく、右へ左へと光点を目まぐるしく移動させる。
彼女の操る照明魔法の照度はそれほど高くない。扱える光点も今の二つが限界である。それでもショルトたちの持つランタンよりはマシだが、警戒態勢の維持に心もとないのは確かだ。
「なぁ、アンタも灯りを持った方が良かったんじゃねぇのか? その二個で足んねぇならよ?」
「遠慮しときます。敵に自分の位置を教えているようなものですし、片手がふさがるのも不便ですから」
その言葉に、モルはぎょっとした表情で手にしたランタンを見た。
「止めなかったのは、俺を囮にする気で──」
モルの言葉を左手で遮り、ライゼは深いため息をつくと冷たい目を向けた。
「わたしは『独りで行くから、あなた達は避難所に戻っててください』と言ったはずです。拘束できないのをいいことに、勝手についてきて何言ってるんですか。」
ライゼからすれば迷惑な話である。
別にダンジョン攻略の為に隧道に足を踏み入れた訳ではない。あくまで様子見であり、状況の確認さえできればすぐに地上に戻るつもりだったのだ。そこに足手まといが加われば、いざという時の退避に手間取らないとも限らない。
それでもついていくと駄々を捏ねる老人を諭そうとするも「『構いませんよ。むしろ戦え』って、言ったよなぁ?」と、言われては、ライゼも閉口するしかなかった。
「行きますよ。もっと緊張感を持ってください」
もう一度深いため息をつくと、ライゼは再び歩き始めた。
ニヤニヤとしながら、その後を小走りに追いかけるモルの脚が、何かを踏んだ。
ぐにゃりとした柔らかい感触。
その感触に、おそるおそる足元を照らす。
彼の目に映ったのは、足の下で蠢くクラゲの様な半透明の物体。
うねうねと蠢きながら、まるで捕食するようにモルの脚を包み込もうとするその動きに小さな悲鳴をあげ、ぶんぶんと足を振りながらひき剥がすと、逃げるように先を行くライゼに駆け寄る。
「お、おい。なんだよあの、ぐにゃぐにゃした──」
そう言いかけた所で、物言わず一点を凝視するライゼの様子に、モルは眉をひそめた。
目の前の光景。
ライゼが生み出した二つ光球。
照明魔法が照らすその先にあるもの。
「分かれ道、か?」
まるで突き当たるように左右に分かれた二つの昏い穴。
丁字路の一方。まるで折り返すように進む右の穴は、これまでよりは大分、なだらかな勾配で上へ。左の穴は、逆に滑り落ちるように下へ。
あくまで、
どちらを選んだところで、何処へ進んでいるのかなど、今あるわずかな灯りではわかる筈もない。
「どっちへすすむ?」
モルが左の穴を見ながら呟いた。
ライゼは答えることなく左へと足を向けた。
行先などとうに決まっている。自分たちはこの隧道が何であるかを確認するためにここにいるのだ。仮に上へと伸びる右方向に別の出口、別の巣が存在するかもしれない、といういう可能性があるにしても、今はより深い場所、この奥に何があるのかを探るべきだろう。
一〇分。二〇分。
はた目には変化の無い景色が続く。
ただし、あくまで何も考えることなく、ただ進んでいるのならの話である。
玄武岩の様だった暗い岩肌は徐々に白みがかり、目を凝らせばランタンが照らす薄明りの中に、音もなく壁面を這う
海の男からすれば見慣れたその生物に興味を持ったのか、モルがそっと手を伸ばすと、フナムシは逃げることなく、その指に嚙みついた。
「──ぃてっ」
何をしてるんだか。と、冷めた目でモルの様子を見ながら、ライゼは光点を動かしながら先に進む。
相変わらず闇は何処までも続き、見える範囲は極端に狭い。
見知らぬ世界を進むのに、視覚だけでは情報が足りないのは確かである。残るは聴覚と嗅覚。だが匂いの方はまるでダメだ。すえた匂いしか感じない。
では聴覚は?
聞こえるのは二人の足音と、入り口から吹き込んだ風が奏でているのであろう、何処か悲鳴にも似た奇怪な音。
いや。はたしてそれは風の反響音か?
ライゼは足を止めた。
同時に二つの照明魔法を解除すると、モルに視線を向ける。
意味を理解したのか、彼も同様にホヤ(ガラス製のカバー)を上げると、揺らめく炎に火にフッと息を吹きかけた。
完全な闇。
前も、後ろもわからない。
その筈だった。
進行方向。その先の隧道が、わずかな灯りに包まれている。
照明があったならその灯りにかき消されてしまう程の淡く、弱い光に。
元より小さな炎が生み出す、か細い灯りに慣れた目である。時間さえおけば、モルにもライゼが何処にいるのかくらいはわかる。
モルは音をたてないように彼女の傍に近づくと、指示を待った。
ライゼを先頭に、二人はゆっくりと隧道を進む。
手探りで、足音を立てないように細心の注意を払い。
ぼんやりとした灯りは、やがて緩やかに湾曲した通路の先で、淡い光の塊へをと姿を変えた。それこそ隧道の出口かと錯覚するほどの。
だが今は夜のはずだ。あんなものが外にあるはずがない。そんなものがあるのならとっくにモルたちに発見されているだろうし、なによりここは地下である。ふたりは一度たりとも上り坂を通ってはいないのだ。
光量は既に互いの表情さえ確認できるほどである。
互いに頷き、二人は姿勢を低くすると光の塊、そのとば口の縁に体を預け、先にあるものに目を向けた。
その群れが百だといったのは誰だっただろうか。
全体では二百程と予想したのは誰だったか。
目の前に広がるのは、巨大なホール状の空間である。
大規模な球技施設に匹敵するほど空間。そこに、おびただしい数のブッシュテントの様な小屋が立ち並んでいる。
百では効かない。二百でも足りないかもしれない。
まるで区画を分けるように、幾つもの道が走り、そこかしこに松明であろうか、煌々と明かりが灯されているその様子は、巣というよりは集落や村といった方が適切とさえ思えた。
闊歩するゴブリンの姿はさほど多くはない。
隧道内に昼夜の概念があるのかは謎だが、少なくと今の時間は彼らにとって、外界に居た個体と等しく就寝時間なのだろう。物音はなく、どこかひっそりとしている。
「ここが、本拠地か」
モルの問いかけにライゼは答えない。
いや、答えられなかったというべきだろう。彼女の頭の中にあるのはこの状況の解決策。それを模索することだけである。
本拠地であることなど既に明らかなのだ。一番の問題は──
「いやいや、それよりこいつら、何匹いやがるんだ? テントの数が普通じゃねぇぞ?」
モルが身を乗り出しながら目を見開く。その声が上ずっている。
隧道の外のテントでは、一棟に対し二~三匹は居住していた。ここも同程度の密度と仮定すればこの集落の人口は──
同じく視線を集落に向けたまま、ライゼは額に浮かんだ汗もそのままに、ゆっくりと立ち上がった。
もはやこれ以上この場に留まる理由は無い。
このゴブリンたちの集落。そこかしこに沸いていたスライムと、見たことの無い虫たち。人の手ならざる隧道の様子。
ここがダンジョンと呼ばれるものであることに、間違いはない。
この集落の向こうに何があるのかは気になるが、それを知るためにはこの集落を攻略することが必須条件であろう。
とはいえ、相手の数は五百を超える。弱いモンスターといっても、素手であれば並の人間よりも戦闘力は上なのだ。それが集団ともなれば脅威度は跳ね上がる。
一匹ならGクラスであっても、この数であればミノタウロスを超えるCクラスにも相当するかもしれない。当然、ライゼ一人でどうにかできるような相手とは言えないだろう。
ではカルマートの魔法師団。彼らを総動員したら──
そう思いながらライゼは首を横に振った。
莉々によって作られた魔法師団は、師団と言っても人数的には二十名ほどでしかない。総動員をかけたとしても、それだけで勝利を確実視するのは難しい。戦争と同じく、結局は数の勝負なのだ。
「…とりあえずの目的は達しました。すぐに国を挙げて討伐隊を組織するか、あるいは莉々様の帰還までこの隧道を封鎖──」
言いかけたライゼの目の前を、影が通り過ぎた。
それは共にここまで来た初老の男性。一点を見つめ、まるで夢遊病者の様に前へ、ゴブリンの集落に向かってゆく。
「漁労長?」
ライゼには彼の行動の意味が理解できず、しばし魂を抜かれた様に見送り、はっとしてモルの手を掴んだ。
「何を考えているんですか! ここは彼らのテリトリーなんですよ? もしも見つかったらどうなるかくらい──」
「セレ……」
その呟きが何を意味するのか、ライゼにはわからない。
ただ、呆けたように彼が見つめる視線の先に目を向け、それが何であるかの察 しをつけることはできた。
攫われたガイダの村民。
彼らは何処に行った?
ここだ、ここにいる。
ゴブリンたちにも火を使うだけの知能はある。街路を照らす松明が存在するのだ、当然だろう。ならば火は、他に何に利用する?。
食だ。
焼く、煮る。
ごくごく当たり前の日常。
幾つもあるブッシュテント、いや、小屋か。その中で火を使うほど、彼らも愚かではない。
家々の間に置かれた、共用なのであろう木材で組まれたローストスタンド。石を積んだだけの簡素な竈。土を練って作られた鍋に石器。
そこで調理されるもの。彼らの餌は何か?
すぐ傍にそれはあった。
これから廃棄されるものなのか、あるいは煮込むための材料なのか。乱雑に置かれた肉の残骸。皮。骨。
その中に、頭部の半ばまで肉をそがれた首がごろりと宙を睨んでいた。
かつては浅黒く日に焼けていた、だがいまは蒼白な。あまりの変わりようにそれと気づくのに時間がかかった、だが、よく見知った顔が。
『おめぇか。今日からうちに来るデリエの倅ってのは』
『はい。セレです。よろしくお願いします!』
それは何時のことだったろうか。もう二十年以上前のことだ。
幼馴染に乞われ、その子供を預かり、自分の船団で育てた。
『師匠、すんません。ホントすんませんっ!」
『このボケが! てめえは船長だ。ほかの人間の命預かってんだってことを、忘れんじゃねぇ!』
ミスをするたびに何度も殴った。
それでも自分を慕い、ついてきた弟子。
『旦那。今日からおれも一端の船頭だぜ』
『けっ。ぬかせ。ケツの青いガキがよ』
気が付けば自身もまた船団を率いる程にまでなった、自慢の弟子。
子を生すことが出来なかった彼にとって、その男は自分の子供にも等しかった。
心血を注いで育てた後継者。次の世代では自分に変わり、まとめ役を任せるとまで決めていた、最愛の息子。
気が付けばモルは走り出していた。
ライゼの手を振りほどき、胸の内で彼の名を叫びながら。
セレ──と。
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