昏い穴

「報告します」


 集落の端。

 ゴブリンのボスが現れたテントより更に奥まった場所。

 丁度、最初の斉射で射殺した見張りのゴブリンたちが立っていた場所で、ショルトは未だ小さな火を残すブッシュテントの残骸を横目に見ながら、言葉と共に背後に立った青年兵に返礼をすると、後ろ手を組み、顎を上げて青年に報告を促した。


「ゴブリンのブッシュテント。全十五棟、全ての確認を完了しました。死亡した敵性体は見張りの四体を含め三十四体。生存している個体はありません」


 わかりきった報告に、ショルトは「うむ」と頷く。

 問題はそこではない。


「誘拐された人間は。そっちに被害はあったか?」

「いえ、先に報告のあったとおり、元から生存者は居なかったようです。詳しくは調査の結果を待たなければなりませんが、現段階、推定で二十名分以上の人骨を確認しています」


 兵士の報告にショルトは安堵の表情を浮かべ──その寸前で不謹慎な自分を誤魔化すように口元に手を当てた。

 万が一生存者がいた場合、ライゼの魔法に巻き込まれていたはずである。彼的に危惧していたのはその点であるが、ライゼはその事を気にする様子もなく魔法を撃ちこんだ。


 ──アレもバケモノの類だな。もとが傭兵だったか。人殺しに慣れすぎるのも問題だ。


 彼女の前で決して言葉にできない言葉を胸に、ショルトは兵士に「ご苦労」とだけ告げた。


 立ち去る兵士の後ろ姿を一瞥し、背後の異物に目を向ける。


「穴、か」


 彼の足元に、それはあった。

 まるでアリの巣の様に、地に穿たれた穴。


 直径は二メートル程もあるだろうか。

 どれほど深いのか、斜め下に伸びるその穴の奥にランタンを向けても何も映ることは無い。どこまでも深い闇があるだけだ。


 あらかじめ漁労長からこの辺りの見取り図というのは受け取っているが、そこにこのような穴の存在など記されてはいない。そもそもここは木材の伐採のための場所である。罠を仕掛けているわけでもないのに、地面に巨大な穴を開ける必要性もないだろう。


 ビュウ。と風が鳴り、穴の奥から偶に吹き上げるそれに乗って、生臭い、すえたような匂いが鼻孔をくすぐる。

 攫われた人間の数は二百以上。だがこの巣には二十程度の人骨しかなかった。つまりは──


「この穴は廃棄場、ということか。あるいは──」

「後者だと思いますよ?」


 女性の声にショルトは反射的に振り向き、敬礼をした。

 ライゼもまた返礼をすると目の前の穴を覗き込み、その匂いに顔を顰めた。


「ここは出入り口。彼らは門番。ということですか?」


 すぐそばに転がる、見張りであったゴブリンの亡骸に目を向けながら、ショルトが呟く。


「可能性の一つですけどね。付近に他の巣が存在しない以上、そう考えるのが妥当でしょう」


 二人の会話に、ライゼの後ろにいたモルが肩眉を跳ね上げた。

 彼からすれば巣は複数ある前提である。

 襲撃のあった日に遠くから見たゴブリンの群れは百を超えていた。群れである以上、狩りに出るもの以外にも個体が存在するはずであり、幼体などを含めれば総数は二百近くになるだろう。

 ここに三十匹程度の群れが存在するということは、先に見た百の群れは複数の群れの共闘であり、最低でもここと同じ規模の群れが複数あると考えていたのだが──


「ここに、この穴ん中に全部居るってことか?」

 モルの呟きにショルトが頷き、ライゼも視線を質問者に向けた。

「もともとゴブリンは大規模な群れを作る魔物なんだそうです。百や二百の群れなど、ザラにあるそうですよ。何しろ、ゴブリン彼らは弱者ですから」


 ライゼの、何気ない『弱者』という言葉に、モルの表情が険しくなる。

 彼の視点で、それは納得のできない言葉である。少なくとも住人二百人以上を狩られ、その中には屈強な漁師も混ざっていたのだ。

 彼らは弱者ではなかったはずだ。その彼らを容易く葬った怪物たちが弱者なら、自分たちは──


「人間が群れるのと、同じ理由ですね」


 そう言葉を続けると、ライゼは再び視線を穴に向けた。

 一方のモルは自身の不機嫌を押さえることが出来ず、足元につばを吐くと、禿げた頭を乱暴に掻き、すぐそばに転がるゴブリンの死体に目を向ける。


 右足を上げ、物言わぬそれを無言で蹴り飛ばす。


 鈍い音と共に伝わるその感覚に、モルは思わず顔を顰めた。

 まるで人間を、出来の悪い弟子を蹴り飛ばした時と、何ら変わらないその感覚に。


「改めて聞きますが、これは村人が開けた穴ですか?」


 ショルトの問いかけにモルは首を横に振る。

 モルは曲がりなりにもガイダの有力者であり、村長主導の執行機関の一員でもある。その彼の知らない間に、村によって管理されるこの人口林に、村民が許可もなく、このような穴を掘るなどありえないことだ。

 更にいえばこれだけの穴を開けるとなれば、それなりに労働力も必要となるはずであり、無許可であっても彼の耳に入らないわけがない。


 モルの様子に、ショルトは一つため息をつくと、再び昏い穴に目を向けた。


 これが何時空けられたものなのかはわからないが、一朝一夕であけられたものではあるまい。

 なにしろ二百の群れを納め、生活の基盤となる穴である。深さはどれほどのものになるのか、トンネル事業になど明るくは無いが、そんな彼でもそれが容易い業ではないことはわかる。それを腰蓑しかつけていないような獣がやってのけたのだ。


 ──魔大陸の怪物というのは、どれだけの力をもっているのか。


 攻撃力はもちろんの事、防御力に関しても異常な性能を有する怪物。

 辛うじて銃は効く。が剣はまともに効果を成さない。

 予め聞かされていた事ではあるが、ゴブリンの防御力は丁度フルプレートを着込んだ人間に相当する。

 強靭な肉体。さらにこんなトンネルを掘るだけの労働力。


 ──人を超える怪物。


 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 ライゼの言った『天敵』という言葉が空々しく思え、ショルトはやや血の気の引いた顔を隠すように口元を押さえた。


 ライゼもまた同様である。

 ただし、彼女の懸念はゴブリンに対するものではなく、この穴そのものにある。

 ショルトの不安は彼女からすれば杞憂に過ぎない。

 可能性が無いわけではないとはいえ、いくらゴブリンが人間以上の体力を持っているとはいっても、それだけの群れを収めるだけの巣穴など、容易く掘り進められるはずもないのだから。


「よもや。とは思いますが確認は必要ですね」


 まるで独り言のようなライゼの言葉に、ショルトは口元をおさえたまま、目だけをそちらに向けた。


 ライゼは記憶の引き出しを開ける。

 頭の中に、敬愛する莉々の記した書物の内容は、ある程度記憶されている。その中に、これに一致するものがあった。





『魔物、怪物の巣窟に関して』


 ──と、呼ばれるこれらの建造物は大別すると二種類存在する。


 何者かの意思、目的によって人工的に建築された無機型と、中心に核を持ち、いわば一個の生命体として成長する有機型の二種類である。

 無機型、有機型ともに、内部には複数の怪物が存在しており、それらは殲滅しても数分、ないし数時間後に復活し、再び構造物内部を徘徊する。

 彼らの役割は血管内における抗体に等しく、外部からの侵入者の殲滅であり、同様に構造物内で多数目撃される粘性生物、スライムの役割は、先の抗体によって殲滅された養分を核に送るための、いわば赤血球に相当する。

 有機型は生命体であるがゆえに当然成長し、それによって自身を拡張する。

 成長速度は核のランク、及び摂取した養分の質、量によって変化するが、これまでの記録では、周辺に競合する核が存在しない土地において、百の被害者の吸収をもって一階層の増加が確認されている。


 無機型の場合も基本構成に変化はないが、こちらは生体とは異なるため自発的な成長は行われず、構造物の主の意思によって増築が行われるため、内部構造も千差万別である。

 例えばアストレアにおける最大ダンジョンである「古竜の住処」は、主である古竜によって作られた無機型ではあるものの、内部構造は有機型に近く、そこに発生する怪物も、その殆どが古竜の無意識下での自然召喚、自然生産によって配置されたものである。

 この場において養分となる被害者の生命力、亡骸は、有機型と同様に核となる古竜に吸収されることになる。


 ヘイブンシティに存在する赤竜、黒竜の塔は、無名の術師によって建造された教育施設であり、全五階層から成る閉鎖型のダンジョンである。

 被害者の養分が吸収されることは無く、死者はそのまま塔外部に排出される。

 初心者用に調律された、低レベルの怪物を発生させているのは最上階にある魔法回路であるが、これが何を燃料として稼働しているかについての研究は進んでおらず、現時点では不明。


 いずれの建造物も核、あるいはマスターと呼ばれるものの位置は最下層、あるいは最深部にあることが多く、この殲滅をもって構造物は死を迎える。





 ライゼが首を横に振る。

 もしもこの穴がそうであるのならどうだろう。

 前者、有機型の場合は穴自体が生体、獣である。獣である以上、子を成すのは当然であろう。どうやってリムニアの地で発芽したのかはわからないが、こんなものが世界中に散らばったらと仮定するだけで恐ろしい。


 後者であるのなら、最奥には自分では到底抗えない怪物が居る事になる。

 最悪の場合、最上級の怪物が。


「おかしな話ですが、この穴がゴブリンが創ったものであることを、わたしは祈ります。彼らがどこから流れてきたのかは別として、ですが」


 内にある不安を表に出すことなく、ライゼが前に進む。

 穴の縁に手をかけ、視線は穴の奥。深い闇の向こうへ。


 事情を知らないショルトには、ライゼの言葉の真意などわからない。

 ただ、彼からすればそれはゴブリンの脅威を是と捉えているに等しく、到底賛同できる言葉ではなかったが、とはいえ この場で彼にできるのは、眉を顰めることくらいしかなかった。


 風が吹き、すえた匂いが鼻孔をくすぐる。

 ライゼの耳に、どこか遠くで助けを呼ぶ子供の声が聞こえた様な気がした。


「今度こそ、生存者がいるかもしれません。あなた達はアルス様に連絡を。私の部下を、師団の者を招集してください」


 まずは確認する必要がある。

 この穴の奥にあるものが何であるのかを。


「ダンジョンが、発生したかもしれないと」

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