天敵

 グルグルと、まるで大型の肉食獣の様にゴブリンのリーダーは唸り声をあげた。

 納得のできない展開である。なにしろ自分はこの群れのボスとして、選ばれてここにいるのだ。

 この地に居る人間は脆弱で、敵となりうるものなど居る筈がない。だからこんなことは起きる筈がない。ここはアストレアではないのだ。冒険者など。

 あのバケモノどもなど居る筈が無いのだから。


 小さな脳みそでそう考えながら、ゆったりとした歩みで自分に近づいてくる、人間のメスを見る。


 怒りがこみ上げた。

 捕食者であるべき自分たちが、捕食されるべき相手に殺されるなど、ありえないことなのだ。


「ヲれ、ガ、おウ」


 たどたどしい言葉がゴブリンの口から洩れる。

 ライゼは冷ややかな目でそれを見ながら杖を一振りすると、次なる魔法の構成を始めた。


「おマ。エ、え、サ」


 ゴブリンが剣を構え、身を低くする。

 彼とライゼの間に居た仲間は動きを封じられ──いや。今まさに一体が葬られた。

 その事実に、怒りに咆哮をあげる。

 彼にも理解できるのだ。時を置かずに仲間たちが人間に処分されるのであろうことが。


「えサ、く、ウ。オ、れ」


 ライゼが頭の中でルーンを唱え、目の前に火球が現れる。

 最初は小さなボール状の。それが少しずつ、少しずつ細く伸びてゆく。

 長く、長く。まるで槍の様に。


「──く、ウっ!」


 言葉──いや、咆哮と共に、ゴブリンが剣を振り被りながら駆け出した。

 ライゼもまた杖を振る。

 目の前の炎の槍が、大気を引き裂き、音をたてて疾る。

 ゴブリンの走る速度はゴリラを超える時速七十キロ。一歩ライゼの炎の槍は時速三百キロ。双方の距離はわずか十メートルしかない。


 数瞬──僅かな間と響く炸裂音。


 血煙がゴブリンの頭部を包み、わずかによろけた。

 だがその脚は止まらない。

 右側頭部。

 頭を半分吹き飛ばされながらもゴブリンは右手に握った剣を振り上げ、咆哮をあげながらライゼに迫る。

 手にするはグラディウス。

 幅広の、七十センチほどの両刃剣。

 一方のライゼは動かない。

 その表情に余裕はない。青ざめ、噛みしめた唇に血がにじんでいる。


 キュン。と風の鳴る音が響く。


 同時に振りかぶったゴブリンの右手首が。剣を握ったそのままの形で腕から滑り落ちた。

 もう一度風が鳴る。

 疾走するゴブリンの体勢が崩れ、転がるように倒れる。

 見れば右足首は切り飛ばされている。

 状況が理解できず、立ち上がろうとするも続いて左腕が肩から。更に左足が膝から落ちた。


 じわじわと広がる血だまりの中、もはや立ち上がることも叶わず、ゴブリンは芋虫の様に身をよじりながら殺意に満ちた目をライゼに向け、なおも言葉にならない咆哮をあげた。


 ライゼが右手に杖を下げ、再び歩みを始める。

 瞳の光が弱い。


 間近に立ち、もがくゴブリンを見下ろす。その瞳が見開かれると、ゴブリンは凍り付いたように動きを止めた。


「漁労長」


 不意に呼ばれ「お。おぅ」と、モルが小走りにライゼに近づく。

 ショルトたちの方も既にカタがついたのか、ゴブリンの亡骸に剣を当て、生死の確認作業に入っている。

 いかにアストレアの魔物といっても、ゴブリンなどゴリラやチンパンジーと大差はない。数に圧倒されるわけでも、素手で戦うわけでないのなら、弱いとはいえ武器を持つ人間の方が有利だろう。


 モルはライゼの横に立ち、足元で身動きひとつできないまま、ただ威嚇するように唸るゴブリンを見降ろす。

 心中はいかなるものだろう。その目には何とも言えない色が浮かんでいた。


 言葉のないまま、ライゼが懐からダガーを取り出し、モルの目の前に差し出す。

 意味が解らずモルはライゼの表情をうかがい、差し出されたダガーに目を向けた。


「仇。討ちたいんですよね?」


 虚ろな目で問いかけるライゼに、モルはとまどいながら「おぅ」と答えると、差し出されたダガーに手を伸ばす。


 だが、と疑問が浮かぶ。


 先ほどの戦いで、剣士たちの剣はゴブリンたちに、まともなダメージを与えることが出来なかったではないか。

 ならばこんなダガーで何が出来るというのか。と。


 躊躇するモルの様子に気が付いたのか、ライゼは小さく笑うと首を横に振った。

 そのままダガーを逆手に持ち替え、一気に振り下ろす。まっすぐ、ゴブリンの腹部に。


 ガァッっという悲鳴が周囲に響く。

 もがくことも出来ず、痛みに耐えながら、ゴブリンが憎しみに満ちた目をライゼに向けた。


「これは私が師から頂いたものです。魔法が無くても、銃が無くても。殺せるんですよ? これで」


 再び差し出された血に濡れたダガー手をに伸ばし、モルはそれを両の手で強く握ると、足元のゴブリンに目を向けた。


 もはや何の抵抗もできない、ただ唸ることしかできない獣。

 モルは思う。


 何故だ、と。


 憎いことに変わりはない。なのに目の前のこの獣を見ても、不思議なほどに以前の様な激情がない。

 セレの顔が浮かぶ。近所に住んでいた、蹂躙された知り合いの顔が浮かぶ。だがそれだけだ。


『憎いですか?』


 ライゼはモルにそう問いかけた。


 憎いのは確かだ。殺したいと思っていたのも確か。だが、何故その機会に恵まれたというのに、こんなにも心が冷めているのか。


 結局、復讐というのは、人が、人に対してのみ行うものなのかもしれない。あるいは、存在として対等の立場にある者に対して、か。

 例外はもちろんあるのだろうが、自然と共に生きてきた漁師である彼は、モルはそう思った。

 目の前で唸り声をあげるこの生物は野生の獣に等しい。

 こいつらはただ、餌を欲しただけだ。自然の摂理に従って。


 天を仰ぎ深く息を吐く。

 どこか冷めたような目で、ゴブリンの髪を掴み上を向かせ、その首元にダガーを当てた。


 要するにこれは復讐でも、仇でもなんでもない。

 ただの害獣駆除であり、やはりライゼの言う通り、自分たちこそこの獣たちの天敵なのだ。


 今度こそ何の感慨もなく、刃物を横に滑らせる。

 まるで釣り上げた魚を捌く様に、鮮やかに。


 裂かれた喉から空気の漏れる音が響き、目の前の獲物は脱力した。





 よろめき、膝をつく。

 ライゼにとってこの戦いは、試金石とも言えるものである。

 これまでも莉々の下、王都でそれが行われたようにミノタウロス相手の戦闘は経験している。

 だがそれは常に莉々という超越者の加護の下で行われていたものである。

 生命の不安のない、ぬるま湯のような。


 魔物、怪物。

 それらもまた、冒険者たちと等しく等級によって分けれている。

 最も低いものでHクラス。スライムやコヨーテといった弱い魔物MOBがこれにあたる。

 ゴブリンのランクはG。

 ライゼが倒したゴブリンのボスであっても精々がFランク下位である。


 Gランクの戦闘力は先述の通り、チンパンジーやゴリラに等しく、Fであればライオンやヒグマなど、地球においても上位の生物に相当する。

 ただし、これは素の戦闘力であって、武器を装備すれば当然の様に戦闘力も跳ね上がる。もしもそれが剣を扱うスキルと知能を手にしていたのならどうなるだろう。もとがFクラスでも装備によってはEクラス。ミノタウロスにさえ近づくかもしれない。

 そこまでいくと、もはや海中で腹をすかせたシャチに素手で挑むのに等しく、それが敵対意思をもって自分と対峙するのなら、ストレスも尋常ではあるまい。


 加護の無い中での実戦。

 莉々からDクラスの実力と言われ、格下相手だという認識で臨んだ戦いは、だがライゼに現実を突きつけた。

 魔法の使用には当然の様にMPというものが消費される。数値化されたそれがなにで出来ているのか。

 例えば精神力。例えば集中力。例えば思考能力そのもの。

 魔法を使えば使うほど、心はすり減り正常な思考もままならなくなる。もはや酩酊状態に等しく、更に限界を超えれば意識を失い倒れることもある。


 ──MPの管理が出来てない。反省点が山済みだ。たかがゴブリン程度にこのざまでは、我ながら先が思いやられる──


 片膝をついたまま唇を噛みしめ、そう思う。


 そもそもコントロールに無駄がありすぎた。

 たとえば最初のライトニング。

 あそこまで力を入れる必要などなかった。訓練の時ならもっと力を抜いて、効率的な運用、撃ち方が出来たはずだ。

 二度目も同じ。

 三発目のフレイムジャベリンは慌てすぎた。

 目前に迫る殺意に冷静さを保つことが出来ずに、炎の槍の鍛錬が足りないまま、中途半端な状態で撃ち込んでしまった。

 四つ目のウインドカッターに至っては、ゴブリンの勢いに圧倒され、無我夢中で打ちまくっていただけだ。慌てさえしなければ、冷静でいられたなら頸動脈に一つ当てさえすれば事足りたはずなのに。


 そう思いながらふらつく足に力を入れる。頭痛が止まない。


 ──莉々様に合わせる顔が無い。これで部隊のトップだなどと──


 ライゼの様子に、モルが手を貸そうとするのを左手を上げて制止する。


「大丈夫です。それよりも中尉。ゴブリンのテントの残骸を調べてください。他にも生きている個体が居ないとも限りません」


 後方のショルトにそう告げ、莉々はケープの下、腰にぶら下げた青いポーションをあおった。

 莉々の調合したMPポーション。

 初めてこれを飲んだ時、一般人が飲んだらどうなりますか?。という質問に莉々は「さぁ?」と答えた。死にはしないという話だが、案外精神疾患の患者とかにも効果はあるかもねと、記憶の中の莉々が笑う。


 深く息を吐き、額に手を当てる。

 ネガティブな思考が止まらない。


 ──思考を切り替えなければ。


 そう思い、ライゼは自身の頬を両の手で挟み込むように叩いた。


 莉々に見いだされる以前。

 かつてのライゼは傭兵として、貴族の護衛として生きてきた。

 だがそれも表向きの話。実際には雇用主にとって邪魔な存在があれば殺人も厭わない掃除屋である。


 傭兵としての生き方を選択したのは今のアルスと同じ十二歳の時。

 他に選択肢はあったかのもしれない。

 だが彼女は、父や母がそうであった様に、傭兵として、昏い世界へと踏み出すことを戸惑わなかった。

 幼い頃から見てきたそれは、彼女にとって日常に等しいものだったからだ。


 ときに剣で斬られたこともある。銃で撃たれたことも。それどころか護衛対象の敵性勢力にとらえられ、拷問を受けたこともある。

 死にかけたことは一度や二度ではない。


 平和な時代。

 それは大多数の人間に向けた言葉である。

 確かに今の時代はそれにあたるのだろう。だが、社会に必ず闇はある。ライゼのような人間の需要も、また然りだ。


 それから六年。

 未だ自分は二流だと思う。この程度で冷静さを失うなど。

 雑魚に等しい獣ごときに追いつめられるなど──


「とはいえ相手は人外の怪物。普通の神経で相手をするには慣れが必要か」


 そう呟き、自身の言葉に苦笑いを浮かべた。

 天敵だなどと、年寄りに講釈をたれておいて何を言っているのか。と。


 ──いや、やっぱり人間の方が恐ろしいか。


 もはや動かないゴブリンを見ながらそう思う。


「こいつらは生きるために闘っているだけだものね。人間の方がよっぽど、ね」


 ライゼの、誰に向けたわけでもないその言葉に、モルが首を傾げた。

 彼に向けてぺろりと舌を出すと、組んだ両手を上にあげ、んーっと一つ伸びをする。ポーションが効いたのだろう。瞳にも強い光が戻っている。


 ライゼは足元のゴブリンが持っていたグラディウスを拾い上げると、相変わらず心配そうな顔でライゼを見守るモルに手渡した。

 あとで軍に接収されるのだろうが、いまは彼が持っていても問題ないだろう。

 護身用として申し分ないし、何よりこれはドロップ品なのだ。莉々曰く、倒した人間の当然の権利である。


 再び杖を振り、未だちろちろと燃えているゴブリンたちの巣に向かう。

 まだ、全てがおわったと決まったわけでは無いのだ。

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