霹靂

 ゴブリンたちにとって、この地は楽園と言えた。

 何しろ自分たちがもと居た場所では、自分たちは狩られる側である。

 もちろんアストレアにあっても一般人──たいした戦闘力を持たない人間たちが獲物であることに変わりはないが、最大の天敵たる存在、冒険者が居ないのだ。確かに銃や剣で武装している人間は居るが、笑える程に弱い。


 それがゴブリンたちの共通認識である。


 実際彼らには未だ被害らしい被害は出ていない。唯一アルスたちが見た二匹が、たまたま遭遇した軍の一斉射撃の餌食となっただけである。

 村に対して行った最初の襲撃でも、その後の狩りでも、彼らが人間に対して脅威を感じることは無かった。

 それゆえに忘れていたのだ。

 自分たちが決して生態系に上位にあるものではなく、下位に、捕食されるものとして、彼らの糧として創造されたのだということを。

 それゆえに気づくこともなかったのだ。

 目の前に現れたそれが、天敵に等しいものであることに。





 ガサリと下草を踏む音。

 自分たちが立てたものではないその音に、巡回の為に周囲に目を向けていた年若いゴブリンが前を見た。


 ほんの十メートルほど先。そこに影──見知らぬ人間の姿がある。

 彼らは見張りだ。

 見張りというのは本来敵が存在しうるから立てるものである。だが、彼らはそれを敵ではなく別のものと認識した。


 ──エモノ? エモノ。マタキタ。──と。


 下卑た笑みを浮かべ口端からよだれを垂らし、少し離れた位置にいるもう一人の見張り役に目配せをする。

 二匹は互いに人間の姿を確認するとゲッゲッゲと笑った。

 彼らからしたら狩場に迷い込んだウサギ程度の認識である。今回も、前回の漁師たちの襲撃も。

 敵など。脅威など。この地に居る筈がないのだから。


 嬉々として進む、その足が止まった。


 逆光の中、人間が手を前に向けたのだ。その手に黒い杖が握られている。

 何事かと首をかしげるゴブリンの目に白い光が映り、直後に二匹の思考は途切れた。





「おぃ。今のは何したんだ?」

 首と胴が泣き別れになった二体のゴブリン。その亡骸をしげしげと眺めながらモルが問いかけた。


「手品ですよ。手品」


 ライゼは視線を巣の方に向けたまま。その返答は素っ気ない。

 そもそもここは敵地である。二匹を仕留めたのが巣からはいくらか離れた場所ではあるとはいえ、警戒は必要だ。何時他のゴブリンたちが出てくるかわからないし、ほかにも巡回しているゴブリンたちがいる。


 ライゼの後ろに立つ銃士たちも臨戦態勢を崩してはいない。


「中尉。これから大きいのを撃ちます。とはいえ全滅には至らない筈ですからフォローをお願いします」


 モル同様、ゴブリンの死体に目を向けていたショルトが慌てて銃士に指示を飛ばそうと立ち上がり、すでに臨戦態勢にある彼らにひきつった笑顔を向けた。


「漁労長」

「お、おぅ」


 モルに言葉をかけるライゼの手が、杖が再び前方を指した。そこに見えるのはゴブリンたちの巣だ。


「憎いですか?。あの魔物たちが」

「あたりめぇだろう? 仲間をやられてるんだぜ?」

「なら、忘れない事です」


 言葉と共に、ライゼの目が細くなった。同時に頭の中で魔法の構成を始める。

 最初に使用する魔法の結果をイメージする。次にその実現に必要なルーンの選定。

 さらにそこに至るプロセスを頭の中で作り上げる。


「アレは私たちの天敵なんかじゃない。決して抗えない存在なんかじゃない。私たちこそが」


 イメージ。それこそが全てだとライゼの師は言った。

 だがいまだそれを実現することはできない。いまだルーンの呪縛から、詠唱の呪縛から解き放たれることは無く、ゆえに彼女は頭の中で力の言葉を紡ぐ。


 ──ソーン・ウル・へゲル


 それは遠いどこかで異邦の少女が紡いだものと同じルーン。


「彼らの天敵たりうる存在だということを」


 モルは目の前の光景を夢だと思った。これはまるでおとぎ話のできごとだと。

 ライゼの持つ杖の先端に幾筋もの光の線が走り、彼女の視線の先、ゴブリンたちの巣、集落の中央にもまた、同様の光──光球が現れる。

 それは徐々にその濃さを増し、大きくなりながら、ジリジリと周囲に火花を散らした。


「──ライトニング」


 無詠唱スキルを持つ彼女には本来必要のない発動用の魔法名。

 それをあえて口にしたのは、それが魔法であるとモルたちに示す意図があったからである。奇跡でも、偶然でもない。人の手で再現可能なものなのだと知らしめるために。


 光球は爆ぜる。ライゼの言葉とともに。

 パァンと破裂音を響かせ。

 さらにバチバチと音をたてながら、勢いを増した線香花火の松葉の様に、火花と化した雷撃の触手を伸ばし、それらが更に無数の枝葉を纏いながら、近くにあるすべてを包み込んでゆく。


 最初に餌食となったのは、中心点から最も近い位置にあった八棟のブッシュテントである。

 建物は無数の雷撃に貫かれ、乾いた枝葉で作られたテントはあるじごと炎に包まれた。中にいたゴブリンは成体、幼体含めオス九体。メス十六体。

 彼らにとって幸運だったのは、自身が雷撃に対する耐性を持っていなかったことだろう。

 至近距離、魔法の発生点から半径五メートル以内。松葉の電圧、電流は天然の雷には遠く及ばない。それでも彼らに抗う間も、痛みを感じる間も与えることは無く、速やかに彼らの命を奪うだけの力をもっていた。


 集落の外周部にあるテントに到達した雷撃もまた、周囲を照らすカンデラのようにその構造物を燃やし尽くす。

 発生点から半径十メートル。

 そこに対象を一瞬で死に当たらしめるだけの電流値は存在しない。ただ彼らに、動くことも叶わぬほどの苦痛と熱傷を与えた。


 更に五メートル先。

 そこに立っていた見張りのゴブリンは破裂音を聞いたと同時に振り返り、線香花火の中に置かれた自分たちの集落を見る。


 ──敵の襲撃──


 そう認識したのと同時に耳ざわりの悪い、人間の声が彼らの耳に届く。

「──撃てぃっ!」

 ショルトの号令の下、五人の銃士が、状況を未だ把握しきれないでいる見張りのゴブリンに向けて一斉射撃を行う。

 タァンという乾いた射撃音が響き、見張りのゴブリン二体は絶命した。


 モルはライゼの背後で、魔法の炸裂音と銃声に反射的に耳を塞ぐと、頭を抱えたまま身を小さく屈ませ、その光景に言葉を失ったままである。

 最初の攻撃、二体のゴブリンに対して行われた攻撃は、彼の目に何も映すこと無く、何故首が落ちたのかも理解できないままに結果だけを見せられた。が、今回は違う。それこそ花火の様に数秒ではあるが、確かに彼の目に魔法というものをを映したのだ。


「な──」

「まだです」


 ゴブリンの死を目にし、確認でもしようと思ったのか、立ち上がり身を乗り出しかけたモルを左手で制止すると、ライゼは再び杖を構えた。

 すかさず剣士たちがショートソードを手に、彼女を守るように前に立つ。


 燃え盛る外周のテントから転がるように出てきたゴブリンが四体。

 集落の中央にテントを張っていたのは守られるべき弱い個体であり、これらの個体こそが主力なのだろう。いずれも巡回のゴブリンよりも一回り大きな体躯を誇り、手には石斧や棍棒を装備している。

 警戒するように周囲を見回し、キィキィを歯をむき出し吼えている。敵の襲来は理解しているが、彼らの目は、未だ樹の影に立つライゼたちを捉えてはいないのだ。


「ライトニングの有効範囲は半径五メートル。そこから離れれば威力は急激に減衰します。あれはショックから回復したクチですね。それに──」


 集落の最奥。同じように燃え盛るテントからぬぅっと現れたひときわ大きな個体。


「師の資料にあったのですよ。ゴブリンは群れを成す。小規模なサークルであっても必ずボスに相当する存在がいると」


 通常の成体が身長百二十から百三十センチ。先に現れた四体も筋肉量が多いだけでそこに大差は無い。が、この個体は百五十センチ。どこぞの冒険者から奪ったものなのか、革の胸当てを身に着け、手には全長七十センチ程の幅広の剣を持っている。


「通常のゴブリンの耐性は、人間よりも物理面が高いだけで大差はない。だけど、あの手の個体に関しては人を大きく超える。こんな風に」


 同時にライゼの杖の先端が光る。間髪入れずボスの目前に光球が現れ、弾けた。

 先ほどと同じ魔法──ライトニング。

 全身を魔法の雷に包まれボスは片膝をつく。が、それだけだ。

 あおりを食った四体が仰け反り、ボスの殺意に満ちた目が周囲に向けられる。

 その目が樹の影に立つライゼたちを捉えた。


「効かねぇのか?。あのバチバチってのが」

 モルの疑問に答えることなくライゼが杖をボスに向ける。


「中尉。手前の四匹はお任せします。私は大きいのに集中します」

「はっ。剣士。次弾、銃士隊の射撃と共に接近するゴブリンを抑えよ。再装填完了後、合図とともに離脱。銃士隊、右奥の一体に集中。──構えっ!」


 ショルトの号令の下、剣士が無言で盾を前面に突撃体制をとる。

 銃士もまた片膝をつくと、ようやくこちらの存在に気付き、武器を振り上げて走り出した前面の四体に銃をむけた。

「撃てぃっ!」

 再びの銃声が響き、集中砲火を浴びた一体が頭部を破壊され、もんどりうって倒れる。

 残るは三体。

 ゴブリンが前傾姿勢──サルの様な四足歩行で銃士たちに迫る。


 カルマートの兵といっても他領のものと大差はない。莉々が王都で行ったような召喚魔法を利用しての訓練が、末端に対してまで行われているわけでもないからだ。

 仮にそれらが行われていたとしても、熊やゴリラ並みの速度で近づく怪物に恐怖を感じないわけではないだろう。なにしろ彼らの銃は前装式のマスケット銃である。連射が可能なわけではないのだ。

 浮足立つ彼らの前。盾となる剣士が、体当たりをするようにゴブリンの動きを止めた。


「装填、いそげ!」


 せかすショルトの目前で、剣士の一人が肩口から血を流し、剣を落とした。盾で抑えた直後、ゴブリンに喰いつかれたのだ。

 痛みに肩をおさえ、膝をついたところにゴブリンがのしかかる。

「──ひぃっ」

 剣士が情けない声をあげて、ガチガチと鳴らすゴブリンの顔を両手で抑えた。

 接近してきたゴブリン三匹に対し剣士は四人。接敵の段階で手余りになっていた一名が慌てて同僚の救助に向かい、剣を振り上げる。

「離れろ! このばけものが!」

 叫びながらゴブリンの首元へ振り下ろす。が、刃は緑色の肌に傷をつけることもできない。

 鈍器で殴った様な感覚に、剣士が戸惑い後ずさりをした。

 斬られ──いや、殴られたゴブリンが威嚇するように剣士に向けて牙を剥き、吼える。


「撃ていっ!」

 ショルトの号令に二人の剣士は慌てて飛びのき、同時に装填を完了した銃士が引き金をひく。

 再びの銃声が夜の林に鳴り響き、血があたりに飛び散った。





 後方でしゃがみ込んだままのモルの顔面は蒼白である。

 以前、仕掛けた時にこの怪物たちの恐ろしさは身に染みている。だが、それに慣れることなど出来る筈もない。

 夢中になって鉈を振り回していた時には感じなかった、恐怖が自身を蝕む感覚に支配される。


 ──私たちこそが、彼らの天敵たりえる存在なのだから──


 ライゼの言葉が脳裏をよぎり、思わずモルは舌打ちをした。

 何度も死線をくぐった海の男。そんな自負など、何の役にも立ちはしない。

 目の前の光景に怯え、身を小さくしている自分は今、間違いなく弱者なのだ。

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