日常

「どう? ライゼ。これってやっぱりゴブリンって奴なのかな?」


 緑の小人。

 その亡骸を前に、アルスは目の前に立つ、藍色のケープマントを身に着けた女性にそう問いかけた。


 小人を見つめる少年の目には、あからさまな嫌悪感がある。

 死体に対する忌諱感はもちろんだが、それよりも「人間を糧とする生物」に対する嫌悪の方が強い。

 地面に並べられた小人の死体は二つ。共に下半身にぼろきれを巻いている。

 緑色の肌。まるで体毛をそり落としたサルの様な外見。尖った大きな耳。小さな頭のわりに巨大な口。前に伸びた鼻。

 何よりこの悪臭がたまらない。体を洗うような習慣が無いのだろう、据えた匂いが周辺に漂っている。


「間違いないです。莉々様の記された特徴と一致しますね」


 硬い表情でライゼと呼ばれた女性が応えた。


 琥珀色の瞳に、アルスがその瞳に浮かべた様な嫌悪感や動揺の色は無い。

 彼女にとって死体など何度も見たことのあるものである。

 平和な世の中とは言え犯罪が無いわけではないのだ。護衛として、傭兵として生きてきた彼女にとって、死はそれほど縁遠いものではない。目の前にあるのが見たことのない生物の亡骸であっても、人のそれと大した違いは無いようにライゼは思った。


「これって、どうやって倒したの?」

「銃士の射撃であります。報告を受けこの地に赴いた際に、民間人を襲っていいる怪物の群れを発見し、射殺いたしました」


 アルスの問いかけに、背後に立つ中年の──軍装の男が答えた。なるほど、遺体には弾痕が残されている。


「てことは、最初の襲撃以降も現れてるってこと?」

「はい。襲撃は我々が到着するまで、数日間におよんだそうです。現在、村は無人なので被害者はでていませんが、ここ数日は避難所の方にも姿を見せています」

「ここにも。ですか」

 そう言いながらアルスは周囲を見渡した。


 二人が居るのは、軍によって村の外に建てられた一時避難所と、ガイダの村を隔てるように設えられたバリケード。その一角に設えられた天幕である。


 アルスの目には村を取り囲むように警戒態勢をとっている軍人たちの様子がよく見える。

 同時にその被害の大きさもだ。


 村はその殆どが破壊された。

 行方不明者の数が、そのまま死者の数であろうことも明白である。


「餌場。そう認識されたのかもしれませんね。相手は野生動物と一緒です。最初の襲撃ではまともな抵抗もなかったでしょうし、近くに巣を構えて定期的に狩りをしに来ている。そういうことでしょう」


 ライゼが変わらぬ険しい表情で呟いた。

 言葉に険があるのは内に秘めた怒りのせいだろう。被害者の中には子供も多い。襲撃の中、逃げ遅れるのはやはり子供でありそれを庇う母親だ。弱肉強食は世の常ではあるが、だからといって納得できるはずもない。

 これはゲームではないのだ。


「父に連絡は?」

「既に通信用の鳥は飛ばしていますが少し時間がかかると思います。莉々様のフクロウみたいなのがあれば良いんですが、そうもいきません」


 アルスの問いかけにライゼはそう答えると空を見た。

 莉々たちプレイヤーの使う通信手段、通信鳥ウィスパーであれば連絡ほぼタイムラグ無し、せいぜいが手紙を届ける演出の時間程度しかないが、ライゼたちの伝書バトはそうはいかない。地球のそれより早いとはいえ、優秀なものでも平均時速は八十キロ。五千キロ先の王都にたどり着くのに、どんなに急いでも三、四日はかかる。返信は更に後の話になるだろう。


「判断はしなくちゃね。駆逐するのか、それともこの区画を丸ごと隔離して、ゴブリンが散らばるのを防ぐのか」

「アルス様がそれをするのですか?」


 背後に立つ軍人が驚いたような顔で素っ頓狂な声を上げた。


「ショルト中尉。相手がアストレアの怪物である以上、指揮権は私にあります。アルス様はオマケですから気にしないように」


 ライゼが苦笑いをしながらそう声をかけると、ショルトと呼ばれた軍人は安堵の表情を浮かべた。

 莉々の代行である彼女は、肩書上はクラル直下、カルマート魔法師団の副官、少佐である。一方のアルスは領主の子息とはいえ何の権限も持たない成人前の十二歳。

 そんな子供の指示で見知らぬ怪物との戦に赴くなど、兵からすれば願い下げ以外の何物でもない。貴族制の世の中と言っても四百年に及ぶ平和は、民衆に自由意志を与えた。領主が父とはいえ、それだけの理由で、無条件に従うことなど出来はしない。


 唇を尖らせるアルスの頭をポンと叩くと、ライゼはショルトに向き直った。


「相手がゴブリン程度なら、わたしたちだけで駆除は可能でしょう。莉々様からもゴブリンより上位のEクラス、ミノタウロスあたりまでなら現状の魔法師団で駆逐可能といわれていますから」


「──では──」


「巣を見つけ出して駆除します。軍も協力を。よろしいですか?」





 ガイダ漁港から南東、内陸に向けて一キロ。

 その小高い丘に、先人の手によって人工的に作られた林がある。

 造船の材料として、あるいは燃料として。古くから活用されたこの林は、村の重要な資源であり、災害時の避難区域としても利用されている場所であった。


 林の中ほどには、村の木こりが伐採した木材を置くための大き目なスペースがあり、彼らの為の休憩所も併設されている。いや、いたという方が正しいのだろう。その建物は既に破壊され、残ってはいない。


 広場に目を向ければ、そこに並んでいたはずの木材はは姿を消し、かわりにいくつものドーム状に積み上げられた枝葉の塊が立ち並んでいる。そのどれもこれもがザックリと掘られた穴に木材で柱が建てられ、枝葉が屋根の様にかけられたテントの様な簡易住居──彼らの巣である。


 月明かりの下、周囲には見張りなのであろう、棒のようなものを持った数匹のゴブリンが周回している。

 この地に住むゴブリンの数は──


「おそらく二、三十匹ってとこだとおもうぜ。最初の襲撃と数が合わねぇから、ほかにも巣があるのかもしれねぇけどよ」


 巣からは大分離れた林の一角で、遠眼鏡を手にした色黒の、初老の男が

 忌々し気に言葉を吐いた。

 男の背後には隠れるように頭を低くした一団──ショルト以下、銃士が六名と軽装備の剣士が四名。もう一人、藍色のケープマントを身に纏った少女、ライゼの姿がある。

 アルスは避難所で待機中。『僕も行く。次期領主として見届ける義務が──』とだだをこねるもライゼの一睨みで沈黙した。

 ライゼはもともと武闘派の人間であり、更には莉々の代理人でもある。怒らせると怖いのは変わらないらしい。


「これは何時からあるものなんですか?」

「すまねぇ。ここの管理をしてた奴も、あいつらに殺されたクチだからよ。正確なところはわからねぇが、ふた月前に俺が来た時はなかったぜ?」

「では攫われた人たち──ここに生存者は?」


 ライゼの問いかけに男は首を横に振り、握りこぶしを固めた。


「ここには誰も残っちゃいねぇよ。みんな食われちまった。スープみてぇに煮込んでよ。あいつら、ぜってぇ許さねぇ。ぶち殺してやる」

「漁労長。協力には感謝するがあなたは民間人だ。ここで見ているように」


 息まく男をなだめるようにショルトは彼の肩に手を置くが、男はそれを振りほどくと、怒りに満ちた鋭い視線を指揮官に向けた。


 巣がここにあることは、軍による探索の結果を待つまでもなく、既に彼ら──モル船長ら、漁師たちによって明らかになっていた。

 さらに言えばモルたちは既に一度、漁師仲間十数人と共に、軍の到着前に襲撃を試みている。が、相手は野生のゴリラに等しい怪物の集団である。それが剣や棒で武装し、なおかつ戦闘技術まで習得しているのだ。民間の素人集団で、どうこうできるわけもない。


「ふざけんな。俺もやる。他の漁師連中だっておんなじ気持ちだったのを、俺が代表してきたんだ。見てるだけじゃ死んだ連中に顔向けができねぇ」

「さらに被害者を増やす気ですか?」

「今回はアンタらも一緒だ。復讐できるなら死んだって構わねぇ。盾代わりにでも何でも使ってくれ」 

「いや、そんなことを──」

「──構いませんよ?」

 押さえようとするショルトの言葉をライゼが遮った。

 驚いたように彼女を見つめるショルトとモルに柔らかい笑みを向け、ライゼは立ち上がり、マントを翻した。

 下に隠されていたのは莉々の着るミニドレスによく似た、ただし藍色の衣装。手にしているのは、先端に宝玉をはめ込んだ黒い杖。


「復讐心を押さえろなんて、わたしは言いません。出番があるかどうかは別ですけど」


 そう言いながら、呆気にとられるショルトに目を向けることも無く木陰から出ると、手にした杖の、その感触を確かめるようを横に一振りする。


「むしろ戦うべきかと。これから先、これが、この世界の日常になるかもしれないんですから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る