襲撃者
セレ・カヴァルにとって、それはまさに青天の霹靂であった。
彼の住むガイダの村はカルマートの西端。海に面した位置にある、いわゆる漁村である。
領主であるクラルによって遠洋での漁猟は制限されているが、彼の家業は主に近海での漁猟である。最近話題になっている航海中の船の遭難事故など、自分とは無縁の事柄であると、彼はそう思っていた。
その日もいつもの様に日が昇る前に海に出て、日が昇る頃に漁港へと舵をとる。
今日の水揚量も上々だ。
セレは意気揚々と船首に立ち腕を組む。
配下となる二隻を従え、船団はセレのカヴァル号を先頭に進み、そして──
白みかけた空の下。その目に黒い煙が映った。
方向は自分たちの向かう先、ガイダ漁港である。
「火事か?」
そう呟き、手にした遠眼鏡を向けた。
火の手が上がっているのは解るが、この距離では詳しいことまではわからない。
わかるのは、燃えているのが建物と漁船であるということ。さらにはその奥にあるはずの、集落の方向からも煙が見える。
──野盗か?
セレはそう思い、船員に戦闘準備をするように伝えた。
彼らは海の男である。荒事には慣れているし、それを嫌ってもいない。ある意味暴力は、彼らにとって日常を形づくるものの一つに過ぎないからだ。
やがて後から合流した同業者と共に、船団は煙る漁港にたどり着き、全員が鉈や銛を構え、船を降りた。
ゆっくりと、警戒を怠ることなく周囲を見回す。
いつから燃え始めたのか、既に火の手に勢いはなく、逃げ惑う人の姿もない。残されているのは破壊された幾つかの建物と、炭化し
消火活動に勤しむものも、後片付けに奔走するものも居ない。
知らずにいたら廃墟が燃えたのかと勘違いしてもおかしくない程に、異質な現場である。
「柱に剣か何かで切りつけたみたいな跡はありますね。それと、血痕も」
同じ船団の一員である中年の男が、セレにそう耳打ちした。
セレは頷くと、首を巡らせる。
炭化した柱に突き刺さったままの銛の先端部。剣の跡。べったりと壁や床にこびり付いた血。粉々に破壊された作業台。
──野盗にしても、何かがおかしい。
セレは眉間に皺をよせ口元を押さえた。
争いがあったのなら、必ずあるはずの物がない。
非戦闘員を巻き込んだ戦い。生死をかけた戦いが行われたのならで必ず残されるもの。
敗者の亡骸が。
「これだけ派手な立ち回りがあったなら死体の一つ二つ、転がってもよさそうなもんだがな。それが人攫いの類であっても変わりはねぇだろう」
「ですね」
セレはちらりと横目で大きな血だまりに目を向ける。
その大きさを見れば致命傷であるのは確実だ。が、そこに死体は残されておらず、かわりにずるずると引きずって移動した様な痕が残されている。傷は深かったがなんとか逃げ延びることができたのか、それとも──
──死体を持ち去ったのか?
思考がそこに行き当たった時、セレは頭を横に振った。
そんな真似をする人間など居る筈がない。わざわざ重い死体をもってどこへ行くというのか、と。
「ともあれ生存者を探す。モルの旦那。アンタらは市場を回ってくれるか? ウチの連中は村に向かう。あっちにも火の手が上がってやがる」
「おう。気ぃ付けろよ、小僧」
セレの師でもある初老の男。村で一番の船団を率いる男はそう答え、右手を上げた。
セレたちは煙りをあげる市場や商店街を横目に大通りを進む。どこもかしこも燃やされているか、あるいは雑に、まるで子供が癇癪を起して玩具を破壊したかのように雑に、めちゃめちゃに壊されている。
相変わらず人影は無い。あるのはやはり血痕だけだ。
「誰かいねぇか! セレだ。誰か──」
声を張り上げ生存者を探す。左右に首を巡らせ、息を切らし──
──いた。
セレの目に、壊された建物の影にうずくまった小さな人影が映った。
──子供か?
そう思い、あわてて滑るように足を止め一歩前へ──だがそれ以上近づくこともなく、セレの脚はそのまま止まった。
追従する他の船員たちはセレの行動に首をひねりながら、その視線の先に居る小さな影に気づくと、「おい、無事か」と声をかけながら近づこうとする。
セレはそれを右手で制止した。
「アニキ、何を──」
漁師としての、狩人としての感か。セレの中の何かがその小さな影に近づくことを拒否している。
額に、つぅっと汗が流れた。
他の船員たちが見守る中、セレは持っていた鉈を右手に下げ、小さな影に近づいてゆく。
こちらに背を向け、座り込んだその小さな影は服を纏っていない。辛うじてボロボロの布が腰に巻かれているだけだ。
「おまえ。何してる?」
問いかけに返事は無い。
訝し気に首をひねりながら影をよく見てみれば、目の前のその小さな影は、体中に何か塗っているのか、くすんだ緑色をしていた。
髪は白く縮れ、手足が細い。まるで飢饉のときの、飢えた子供の様にも見える。
その頭がわずかに揺れている。
コリコリ。ボリボリ。そんな音が聞こえる。
──何か、食ってるのか?
思考がそこに行き当たった時、セレの中に一つのイメージが浮かんだ。
「おい。お前!」
セレが声を張り上げるのと同時に小さな影が振り向いた。
長く、尖った耳。やたらと前にせり出した鼻。黄ばんだ白目に四角い瞳。
一見人間にそっくりな。だが人間とは異なる、サルの様な獣の様な顔で。
セレは絶句したまま動くことも出来ず、硬直した。目の前に居るものが何であるのか理解できず、脳が機能しないのだ。
それはまるでこちらを威嚇するように、歯をむき出しキイキイと吼える。食事の邪魔をされことに怒っているのだろう、手にしていた物を武器の様にしてセレに叩きつけてきた。
反射的に腕をクロスさせてその武器を受け止める。が、その武器には節でもあるのか、受け止めたその部分から折れ、セレの肩口に当たった。
「──つぅ!」
衝撃と痛みに声が漏れ、膝をつく。
同時に自分に当たった武器の正体に、セレの目が見開かれた。
血まみれで、うつろな目をした子供の亡骸。
はらわたを食いちぎられ、鋤骨も、背骨まで見えている。
衝撃でちぎれたのか緑色の小人の手には子供の足首が残されたまま、子供の体はセレにもたれかかる形になった。
「このバケモンがぁっ!」
声を上げ、船員の一人が銛を手に緑色の影に襲い掛かる。が、影はそれを難なくいなすと船員の顔面を掴み、そのまま握りつぶした。
「てめぇ!」
そう叫んで立ち上がろうとするセレの耳に「ぐえ」という声と、何かがつぶれる音が聞こえた。
声が聞こえたのは自分の背後、仲間たちが居る場所である。
その音にセレは硬直した。嫌な予感しかしない。
──ああ、見たくねぇなぁ。
そう思いながらゆっくりと、目の前の怪物から目をそらさないように頭を動かし、視線を音のした方向に向ける。
そこに立っている人間は居ない。
代わりに緑色の、数十に及ぶ小人の群れがあった。
サルの様な前傾姿勢で、手にはこん棒の様な武器や、中には剣を持っているものも居る。その彼らの足元に倒れているのは仲間の船員たちである。頭部を潰され、脳漿を垂れ流しているものもいれば、生きているのであろう、胸が上下しているものもいる。
「てめぇら──」
反射的に声を上げながら鉈を振り上げ、同時にセレの視界が一瞬白く光った。
体の力が抜け、手にした鉈が音をたてて地面に落ちる。殴られたのだと理解するのと自分が膝をつくのはほぼ同時だった。
ぼうっと、前に倒れながら目の前の小人たちを見る。
どの小人も今日の収穫であろう、生きているのか死んでいるのかもわからない、手足をだらりとさせた人間を担いでいる。
ふと、その口が、何かをくちゃくちゃと咀嚼していることに気が付いた。
──何を、食って──
ああ。と、セレは理解した。
死体が転がっていない理由。何のことは無い、要するに人間は。
──俺たちは、餌か──
薄れゆく意識の中、そんなことを考える。
やがて訪れる衝撃。
だが彼の耳にその音は届かない。
それが自身の顔面が、受け身をとることも無く地面にぶつかる音であったとしても、それを認識するために必要な物を、彼は失ってしまったのだ。
ジワリと、彼の頭部から赤いしみが地面に広がってゆく。
濃厚な血の匂いが周囲に満ちてゆく。
キィキィと、もはや動くことの無いセレを担ぎ上げ、小人が小躍りをした。
亡骸を地面に叩きつけ、力ずくで腕をもぎとり、それを咥え血をすする。
その背後で、剣を手にしたひときわ大きな一匹が吼えた。
周囲に散らばる緑色の小人たちも、それに応えるように飛び跳ね、あるいは鳴き声を上げる。
ひとしきりの饗宴。
その後、大きな一匹がゆったりとした足取りで移動を始めた。
ほかの小人たちもそれを追いかけるように村の外、内陸へとむかって歩き始める。
どの小人の顔にも笑みが浮かんでいる。
何ともよい餌場を見つけた。
この世界の人間は、とても無力で容易い。
それはそういわんばかりの、満ち足りた笑みを。
ガイダの惨劇。
後のそう呼ばれることとなるこの事件は、直ちに生き残りの代表となった漁労長のモルによって、この地の代官に報告された。
村民五百十余名のうち、行方不明者は二百七十八名。
ただし、これは死体が残されていないが故の報告であり、実際には行方不明者はすべて緑の小人に殺害されたものと思われる。
報告書の最後にはその一文が添えられた。
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