諦念

 高い空に目を向ける。

 太陽を遮るように手で影を作り、はるか遠い青い空に。

 どこか疲れたようなその横顔に、世界を統治する王としての威厳は無い。


 エランがリムニアの王になったのは、齢三十八の時の事である。

 当然のことではあるが、内乱や反乱。簒奪の類によるものではない。父王ディールの老衰──崩御によるものである。


 とりたてて優れた面があるわけではない。弟であるクラルの様な柔軟な思考の持ち主というわけでもなければ、欲深い王でもない。

 ひたすらに凡庸な、だがそれゆえに平和な時代に適した王であった。


 風の無い冬の午後。やわらかな日差しは温かく、心地よくさえある。うつらうつらしそうになりながら「これが夢であればいいのに」と思う。


「──兄上」


 かけられた言葉にぱっと、瞼を開く。

 一つため息をつき、渋々と声の方に振り返る。


 目の前の光景に二度目のため息をついた。


「いつまでそうしておられる気ですか? 現実を直視してください」


 エランは立っていた城のバルコニーから広間に戻る気が無いのだろう。近づいてきたクラルの言葉に「うぇっ」と言わんばかりの表情を浮かべた。


 何が現実なのかと思う。

 現実とは何だ? と。


 自分が今いる場所から見える謁見の間の様子。


 床材や壁には所々穴が、破壊痕が残されている。

 それは銃痕であったり、何者かが巨大な斧では斬りつけたような跡であったりと、中々に派手な痕跡である。

 広間の中央には血の海に沈んだミノタウロスと、それを取り囲む二十余名の兵士たち。


 莉々がミノタウロスを召喚してから、戦闘は十分ほど続いた。


 莉々の時とは違い、全く効果が無いというわけではなかったが、銃撃も剣も、こちらの攻撃の殆どが硬い獣毛に弾かれ効果を示さなかった。

 それでも剣士たちは必死にミノタウロスの動きを押さえ、銃士たちは銃を撃ち続け、ようやくの事で倒すことが出来はしたのだが、とてもではないが勝利を祝う気分になどなれなかった。


 事実兵士たちは未だ武器を獣に向けたまま、緊張を解いてはいない。

 果たして獣の鼓動は本当に止まっているのか。それを確認するために、前に出ようとするものが居ないからだ。


「大丈夫。もう死んでるから」


 玉座のある壇上。その一段高くなった場所に腰かけた莉々が、つまらなそうに声をかけた。

 その目がバルコニーに退避している国王に向けられる。が、エランはそれに応えることなく、隣に立つクラルに声をかけた。


「これ一匹を駆除するのに銃士が二十に、剣士が五名、か」

「といってもこれは弱い魔物だそうですよ。初心者向けの怪物だそうです」

「これで、か?」


 見れば、怪物を銃士に近づけさせないために前に立っていた剣士たちの鎧はボロボロである。銃士の中にも何人かは傷を負い、膝をついていものが居る。

 こちらに死者こそ出てはいないものの、一匹相手にこれでは話にならない。


 そう思いエランはげんなりとした表情を浮かべた。

 莉々の言う通り、こんなものが街中に複数現われでもしたら、被害はどれほどのものになるのか。


「ちなみに今の戦闘。こちらに大きな被害がなかったわけじゃありませんよ。莉々がミノタウロスの攻撃を阻害していたから死者が出なかっただけです」


 クラルの言葉にエランは動きを止め、自身の額に手を当てた。


「魔大陸にはあんな魔物や、あの娘の様な者が沢山いるのか?」

「おそらくは。ただ莉々嬢自身もよくわからんそうです。以前の──その以前というのが何を指すのかはわかりませんが、以前のままなら、彼女と同種の人間は一万人ほど居るはずだそうです。魔物に至っては数に限りは無いと」


 エランが額に当てたままの手を滑らせ、自身の顔を撫でた。


「まったくもって悪夢だな」

「莉々が協力的なのがせめてもの救いですな」


 クラルの言葉に、エランは「うむ」と頷きながら、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。

 自分の無知さ故とはいえ、先ほどのやり取りが悔やまれる。

 彼女は今現在、唯一の協力者である。が、いきなりの詐欺師扱い。さらに銃を向けているのだ。悪印象を持たれるのもやむを得ない事であろう。


「兄上、どうかお気になさらないよう。先ほどの展開は予想していた事です。あのような話、誰が信じましょう。これまでにも我らに取り入り、財を成そうとした詐欺師、預言者の類は沢山いたではないですか。莉々の世界にも似たような話は歴史として残っているそうですよ?」


 続くクラルの言葉に、エランは力の無い笑みで応えた。


「もっとも、こんな荒唐無稽な話を持ち掛けてくるアホは、そうはおらんでしょうけどね。魔法ですからね。魔法」


 のけぞりながら声を上げて笑うクラルを横目に、エランは頬をピクピクと痙攣させながら目を閉じる。俯きがちに息を整えると、見たくもない謁見の間、座ったまま状況を眺めている莉々に目を向けた。


「いずれにせよ、お前の言う通り、再編が必要か」


 一つ咳払いをした後に続けたエランの言葉に、クラルの笑いが止む。

 ここからは真剣な話だ。


「ええ、今の戦闘を見てわかる通り、我々の銃器で相手を殲滅することは中々にやっかいです。前時代の様な前衛役が必要ですな。今回前に立った剣士たちは典礼用の鎧装備でしたが実戦では役に立ちません。彼らの攻撃に対応可能な物を生産する必要があります」

「更に魔法。か?」

「魔法攻撃でなくとも問題は無いようですが、先ほどの戦闘を見てわかる通り、リムニアの武器では弱すぎるのですよ。魔大陸の武装があれば話は違うのかもしれませんが、我々にはそれを再現するだけの素材も、技術もありません」


 エランが肩眉を上げた。

 彼も王──しかも世界を治める覇王である。自国の技術力が足りないといわれるのは心外であろう。


「無理なのか?」

「ええ。試しに莉々も、こちらの素材で装備を作ってみたのですがね。脆すぎて話にならんそうです。逆に莉々が持っていた素材をこちらの技術者に扱わせてみたのですが、そちらはまともに加工をすることもできませんでした」


「そうか」


 俯きがちに力なくそう答えると、エランは重い足取りでバルコニーから離れ、破壊痕の残る謁見の間。玉座のすぐそばに腰かけた少女の下へ向かう。クラルもまた、首を振るとそれに追従した。


 周囲の音が消える。


 バルコニーに退避していた王が戻ってきたのだ。貴族や高官たちがこうべをたれ、銃を構えたままの兵士たちも傅いた。


 玉座の前。

 王が立ち。目の前に座る少女を見下ろした。

 一方の少女はこの国の人間から見れば、不遜としか言えないような態度で頬杖をつき、すわったまま、上目づかいに王を見ている。


 周囲の者からすればそれは異常な光景であろう。なにしろ王は天上人であり、同時にこの国における現人神あらひとがみである。莉々の態度は彼らの理解の外にある。


 無言のまま、つまらなそうに自分を見上げる少女を、エランは改めて見た。


 見慣れない、華美な装飾の施された黒いミニドレスと、肩のあたりで切りそろえられた浅い金髪。陶器の様に白い肌に黒いルージュ。

 目は黒いアイシャドウで縁取られ、やや小さめな瞳は海の様な深い碧。


 化粧美人という言葉が一瞬浮かぶが、そうではない。

 造形が根本的に違う。元が美しいのだ。


 エランはそこに本能的な恐怖を感じた。

 まるでそれが命を持たぬもの。人ならざる者。例えば作り物の様な。人形の様な──


「いつまで、見つめてるのかな?」


 莉々の言葉にエランは我に返った。

 ゴホンとひとつ咳払いをする。横でクラルがくくくと声を殺して笑った。


「先ほどのはすまなかった。まさか──」

 エランの言葉を、莉々が右手を上げて制止する。


「──人目のあるところで国のトップが、小娘相手に謝罪とかやめときなさい。今は気持ちだけで結構」


 周囲に漏れないように配慮したのだろう、小さな声で諭す莉々の言葉に、エランは僅かに頭を下げると「感謝する」と、呟いた。


 ふぅっとを吐き、エランが玉座に座る。

 見計らったように莉々が立ち上がり、同時にミノタウロスを取り囲荷んでいた兵たちも下がる。

 莉々が視線を向けると、氷の彫像と化していたエミユが湯気をあげ崩れ落ち、慌てたように駆け寄った従者によって、謁見の間から連れ出された。

 争いは終わったのだ。彼らの出番はもうない。


 莉々とクラルが元居た場所──ミノタウロスの亡骸の傍に立つ。

 見たことも聞いたこともない、存在するはずの無い怪物の。


 エランが一度瞼を閉じ、さきほどの少女の言葉を思い出す。


『おとぎの話と思うのならばそれでもいい。ならばそのまま、世界の変容を受け入れることなく──食い殺されなさい』


 ──喰い殺されるわけにはいかない。


 再び開いたその目。瞳には覚悟があった。

 この世界の、王としての覚悟が。


「では改めて、魔大陸──いやアストレアの莉々よ。話を、聞かせてくれ」

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