残照

 再び降り始めた雪の中、アルマと呼ばれたヒーラーは走る。


 浮遊魔法レビテーションによって、体重を十分の一に減らされたタンカーを背負い、街道をまっすぐ西に。

 ディーン砦までは距離にしてあと十キロ程。空身であれば一時間もかからずたどり着ける距離だが、背負った荷物タンカーはあまりにも大きく、走りづらいことこの上ない。


「いい加減、目を覚ましたなさいよ。このデカブツ!」


 怨嗟の声を上げてみても彼は目を覚まさない。

 剣聖に頭部を鷲掴みにされ意識を失って以降、変わらずそのままである。


 あいにく気付け薬の類は持ち合わせいないし、人を眠りから覚醒させるような魔法も存在はしない。もっとも、仮にそれらを持ち合わせていたとしても、精々が数分で目を覚ます失神状態というわけではない。純粋に意識不明の彼には効果がないだろう。

 いずれにせよ頭部にどれほどの損傷を受けたのかはわからない。

 この世界におけるヒーラーの治癒が万能ではない以上、一刻もはやく砦の医師に見せる必要があるのは確かだ。


 そう。一刻も早く。

 ルッソは言った。援軍の要請を、と。


 ここからはもう見えないが、背後のヴィダル砦では、二人の少年少女と、あの怪物の戦いが今も続いているはずである。

 振り返ることなく走りながら、アルマはその彼らに想いを馳せた。


 ルッソ少佐。

 まだ十七かそこらだったはずだ。能力的には大した人間ではないと無いと思う。

 なのに覚悟はできていたようだった。私よりも、よほど。

 あの怪物たちの中で何が出来るわけでもない。それでも責任感からなのか残る道を選んだ。

 きっと生きては戻れないだろう。あれが、今生の別れか。


 キリエ少尉。

 ヴィダルへの道すがら聞かされた、彼女が亜人であることを。

 最初に見た時、黒いベールを外した時に見た顔には正直驚いた。ぱっとみた感じは自分たちと変わらないのに、よく見たらいびつな顔をしていた。

 でもあの能力は異常だ。ファイアボールであの威力など聞いたことが無い。青の魔法使いというのは、みんなああなんだろうか?


 剣聖。たしか名前はグラム。

 あれはきっと人間ではないと思う。今まで見てきた超越者たちとも違う。

 この世界で最強の一角。いや、たぶん最強の人間。

 でもあの男は何をするためにここに来たんだろう? ディーンの陥落なんて、ホントはあの男一人で出来るんじゃないだろうか? ならどうしてあの男はヴィダルに留まっていたんだろうか? なにが目的であの男は──


 アルマの思考がそこに至った時、彼女は自身の影が前方に向かって長く伸びていることに気が付いた。


 足を止め。振り返る。


 霞む雪景色の中、アルマの目に遥か先──いや、あれはさっきまで自分が居た方向、場所だろうか。

 そこから天上に届く、真っすぐに伸びた光の柱が映った。





 同刻。

 同じ光をラフエンテは砦の、キリエが雪を見上げていたあのバルコニーから見ていた。

 その手はわなわなと震え、顔面は蒼白である。


「何なんだ……あれは」

「何なんだではないだろう? 准将」


 ラフエンテはかけられた言葉に振り返る。

 視線の先に居るのは、先の軍議では自身が座っていた椅子に座り、退屈そうに頬杖をつく中年の男性。

 男は、引きつった笑みを浮かべなら愛想笑いをするラフエンテに、冷たい視線を送ると、大分後退の進んだ額に手を当て、首を振った。


「あの光、おそらくは少尉だろう。ここから見える魔法など、それ以外ではよほどの高位の超越者でもなければ出来んよ」

「アレを、あの亜人が。ですか? 閣下?」


 閣下と呼ばれた男──コルテスは、キリエを亜人呼ばわりするラフエンテに不快感を感じながらも目を閉じた。

 自分自身もキリエを亜人呼ばわりしながら、格下の者がそれをすると不快感を感じる。我ながら何とも御しがたい。と。


「しかし、一小隊のみで剣聖にあたるなど、正気の沙汰とは思えんな。まぁ、このあたりの人間を何人揃えようが、太刀打ちするのも無理があるのは確かではあるがね」


 引きつった笑みを浮かべながら額の汗をハンカチで拭うラフエンテを横目に、コルテスは既に光柱の消えた窓の外へ目を向けた。

 何が見えるわけではない。配下の者だろう。名も知らぬ兵が既に大きな掃き出し窓を閉めたあとである。

 見えるのは反射した室内の明かりだけだ。


 ──相手は剣聖。生きてはいまい。良くて相打ち、か。もっとも、死んだところですぐに蘇生する超越者相手では意味がないが。──


 コルテスはキリエの笑顔など見たことは無い。

 それでも自分の子供が笑う姿と重ね合わせ、見たことの無いその笑顔を脳裏に映し出した。


 ──父を失い、漂流して。見知らぬ土地にその身を置き、薬で自由を奪われその挙句、か。──


「……思えば不憫な子だ」


 その呟きはあまりに小さく、ラフエンテには正しく聞き取ることが出来なかった。

 怪訝な表情を浮かべるラフエンテに気づき、コルテスは苦笑いを返すと、一つ咳払いをした。


「准将。直ちにヴィダル砦に調査隊を派遣したまえ。戦闘自体はもう終わっているだろう。高位の者同士の戦いなど、長くなるはずもない。少尉たちが勝っているのならよし。剣聖が勝っているのなら直ちに撤退したまえ。その後の対応は彼らで行う」


 そういうとコルテスは自身の背後に立つ者たちを顎で示した。

 考えることはまだ沢山ある。ここでキリエの事になどかまっている場合ではないのだ。剣聖が目前に迫っている以上、それは猶更である。


 コルテスはポンと膝を叩くと席を立つ。

 退席の意思を理解し、ラフエンテをはじめとする軍の将官たちが一斉に敬礼をした。

 コルテスは右手を上げてそれに応えると、もう一度窓の外に目を向け、広間を後にする。彼のうしろに付き従うのは赤い、ローブを着た三つの影。

 ラフエンテは敬礼でコルテスを見送りながら、怖気を含んだ眼をその影に向けた。


 レッドローブ。


 目の前に彼らが居ないときであればいくらでも軽口は叩けるし、卑下や揶揄の材料としても使える。が、目の前に立たれれば恐れしか感じない。


 犯罪に特化した超越者の集団。

 赤い、血に染まったローブの集団。


 室内だというのに深くかぶったフードの所為で、その表情をうかがい知ることはできない。が、いずれにせよ対剣聖にと用意した人員であるのなら、中に居るのは高位の超越者なのだろう。

 それこそこのディーン砦の管轄区域に似つかわしくない、より高位の。


 だが、と思う。


 レッドローブなど、まともな国が関わるような組織ではない。

 確かに彼らなら高位の超越者を揃えられるかもしれないが、ディーンなど会戦のたびに奪い奪われる砦である。指令である自分がいうのもはばかられるが、対剣聖──いや、防衛の為だけに、国家がそんな組織と取引をするほどの、重要拠点ではない筈である。

 しかもそれが軍のトップである元帥と共に現れるなど、理解が出来ない。

 これまで一度たりとも、元帥がディーンを訪れたことなど無いというのに。


 扉が閉まり、敬礼の手を下ろすと、ラフエンテは大きく息を吐いた。

 気が付けば額には玉のような汗が浮かんでいる。手にしたハンカチでそれを拭い、急ぎ配下に調査隊の選定と派遣を指示する。


 他の事に気を取られている場合ではない。

 コルテスと同じように彼もまた、やらなければならないことが山積みなのだ。





 一時間の後。選定された調査隊はディーンを出発した。

 同じ頃、負傷したタンカーを背負ったアルマも帰還。彼女の報告、その戦闘の詳細にコルテスはただ頷き、「そうか」とだけ告げた。

 派遣した調査隊が、ヴィダルの惨状をラフエンテと同席したコルテスに伝えるのは、更にその数刻後の事である。


 ヴィダルの砦には誰も。いや、何も残ってはいなかった。

 剣聖も、ルッソも、キリエも。

 そこかしこに転がっていた亡骸も、一面を覆っていた雪も。


 あの光の柱によるものなのだろうか、砦は跡形もなく消滅し、残っていたのは巨大なクレーターだけだったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る