剣聖
粉雪の舞う中、遠見の魔道具に映るその男は、何をするでもなく砦の中央、広場の様な場所で胡坐をかいていた。
周囲には屍累々、惨劇の跡が残るその場所で、敵の襲撃など気にもしていないのか、男の主要武器であろう長剣は鞘に納めたまま傍らに置かれている。
初めに確認してから既に三十分。男は目を閉じたまま身じろぎ一つしない。
もしも日本人のホルダーが居たのならば「あれは禅を組んでいるのだ」とその行為が何であるのか教えてくれたのかもしれないが、少なくともこの場にその存在はいないのだな。と、金髪の少年は苦笑いを浮かべた。
「剣聖ってのは何を考えてんだ? ヴィダルが陥落したのはもう三日も前だろ? なんであんなところで座ってんだ?」
「さぁね。私にもわかりませんよ。あんな異常者の考えてることなんて」
「いずれにせよ、彼が移動していないのは僥倖です。あんなバケモノがデーンに入り込んだら終わりですからね」
先の二人の言葉に相槌を打つと、金髪の少年──ルッソは魔道具から目を離し、軍帽に積もった雪を払った。
彼と共にいるのはラフエンテ准将からの命を受け、臨時で
どちらもディーンに所属する軍人ではあるが、見た感じは普通の冒険者と差異はない。しいていえば着用しているのが軍の支給品だからだろうか、軍服と同じ鈍色が目立つ程度だ。
残る一人であるキリエは三人の背後で空を見つめていた。
相変わらず雪が気になるのだろう。ふと、昔飼っていた犬が、雪を見てはしゃいでいた光景を思い出し、ルッソは微笑んだ。
「しかし変だな。剣聖はパーティーを組んでたって話だが? 違ったか? アルマ」
「そういえば、他の人間の姿を見かけませんね?」
アルマと呼ばれたヒーラーが首をかしげる。
二人の会話を聞きながら、ルッソは再び魔道具に目を向けた。確かにそこに剣聖以外の姿は見えない。とはいえ常時そこに目を光らせている訳ではない以上、単に見逃しているだけということは十分にありえる。
だが、と、ルッソは視線はそのままに思考を巡らせた。
ルッソたちが現位置に到着したのは昨晩の事である。
夜の闇に紛れ、丘のふもと付近にある雑木林に身をひそめた。
ここまで来るのに二日もかかったのは、剣聖の進行速度を予測し、ポイント毎に陣を張っていたからなのだが、すべては徒労に終わった。
以降の監視の中で見たものといえば、剣聖が禅を組んでいる姿と、砦内で暖をとっている様子程度である。
その中に、前情報にあった残る三人の姿も影も、確認はできていない。
「もしかして、一人なんでしょうか?」
ルッソの声にタンカーが思案気な表情を浮かべた。
「普通に考えれば後続の到着を待ってるってところだがな。お偉いさんはアレ一人に大騒ぎしてるみたいだが、剣聖といっても一人で市街戦だの城塞攻略だのは無理があるだろう。であれば他の人間は後続のルート確保の為に別行動をとっていると見るべきか」
「同意見です。ヴィダル以東の砦もディーンからの情報が望めない以上、独自で斥候は出しているはずです。おそらくそれを叩くための別行動ではないかと。ディーンと各砦の分断が剣聖パーティーの目的であるのなら、ここに停留しているのも頷けます」
ふむ。とタンカーは思案気に顎に手を当て「少佐」と、ルッソに声をかけた。
魔道具から目を離したルッソの表情が、わずかにに強張っていることに、タンカーは肩眉をあげ、わずかな笑みを浮かべた。
所詮は子供。剣聖相手に怯えているのか、と。
「日暮れと共に動こうと思うが、どうだ? 今ならあいつはソロだ。剣聖だか何だかしらんが、やりあうなら独りの今が好機だ。が、一応この小隊の指揮官はアンタだろ。決定権はアンタにある」
ルッソは考え込むように顎に手を当てた。
「日暮れまで待つ理由は何ですか?」
「奇襲ってのは闇夜に乗じてやるもんだろ? 油断してる時の方が──」
「今でも変わらないと思いますよ」
そう言いながらルッソが砦の方向を指さした。
怪訝な表情を浮かべ、遠見の魔道具に目を向けた二人の目が見開かれた。
円形の視界に映るのは独りの男。
さっきまでとは違い、座してはいない。立ち上がり、左の手には鞘に納めれた剣を持ち、残る手が肩の高さまで上がる。
「もう、ばれてますよ」
肩の高さにあげられた剣聖の手のひらが手招きするように動く。
かかってこい、と。
「キリエ!」
ルッソが背後の少女に声をかけると同時に、タンカーが砦に向かって走り出した。
剣聖がこちらに移動してくるとは思わない。が、万がいち攻め込まれた場合、林の中では連携も取れない。多対一のメリットを生かすのならば、剣聖が待ち受ける広場こそがベターだ。
ヒーラーとルッソも強化スクロールを手に、それに追従する。
最後尾のキリエはその場から動かない。目を閉じ手にした杖を砦に向ける。
「──嘘でしょ? ここから撃つ気!」
ヒーラーが驚きの声を上げる。
今いる場所から砦までの距離は約五百メートル。複数人による協調魔法や大規模な魔法でなければ埋めることのできない距離。が、しかしヒーラーは知らない。先の会戦で、キリエは数キロ先の連合側魔同部隊の直上に、雷の雨を降らせたことを。
気象魔法でも何でもない、本来十数メート程度の射程しかない筈の、ただのライトニングの雨を。
キリエが、自身の閉じた視界に目標物をイメージする。イメージは先行するルッソを、更にはタンカーを追い越し、はるか前方に居るはずの剣聖の姿を映し出した。
「フェオ・イール・ラド」
詠唱と同時に、キリエが向けた杖の前方に十センチほどの火球が生まれる。
それはグルグルと回転をしながら収縮し、やがて二センチ程の大きさの紡錘形となった。
イメージするのは弾丸。再現するのは故郷で見た、軍がもつ最新鋭の火器。必中の狙撃銃。いや、それよりももっと高威力の。いつか見たあのクラーケンでも一撃で葬るほどの、リムニアには未だ存在しない、例えるなら地球でいう対物ライフルの様な。
瞬間、少女の背筋に冷たいものが走る。イメージの先の、見えない筈の剣聖が、にやりと笑ったのだ。
「ファイアボール!」
発動の言葉と同時に目前にあった火球は乾いた音を残し消失──否、もはや視認が不可能な速度でルッソの、タンカーの真横を通り過ぎ、剣聖に到達、炎をあげ爆散した。
その爆発音と衝撃とでタンカーが頭を抱え倒れこむ。ルッソたちも同様だ。
「何だよ。今のは」
「キリエのファイアボールです。速度も威力も、普通じゃないですけど」
爆発の影響で雨の様に降ってくる雪や土塊から、頭を低くしながらを後方に向かって叫ぶタンカーに、同じように頭をガードしながらルッソが答える。
「ファイアボールって、どっちかっていうと駆け出しの呪文だろ? それであれかよ? ドレイク(小型のドラゴン)でも一撃で吹っ飛びそうだぞ?」
「青は伊達じゃないってことね。わたしも見るのは初めてです。青の魔力光なん──」
興奮気味に言いかけ、爆発の結果を確認しようと、視線を着弾点に向けたヒーラーの言葉が止まる。
「うそ……でしょ?」
残煙の中に立つ人影。
キリエもまた、言葉なくその影を見つめた。
そもそもあんな、周囲に広がる様な爆発など、起きる筈のない魔法なのだ。
回転と速度によって貫通力を高め、敵の魔法防御も物理防御も突き抜けて対象の体内で爆散させる。そういう魔法である。あるとしたらそれは、もっと指向性を持った爆発になるはずだった。
「……あれを、墜とすの?」
キリエの口から、聞き取れないほど小さな言葉が漏れる。
確かにファイアーボールは直撃した。ただし、攻撃が成功したわけでない。まるで近づいてきた羽虫を手で軽く叩き落すようにふるった、剣聖のその手で叩き潰されたのだ。
普通のファイアボールの速度が時速百五十キロ程度なのに対して、キリエのファイアボールは亜音速、時速八百キロに近い。それをいとも簡単に。
キリエの目が剣聖を睨む。
気が付けばその拳を強く握りしめ、手袋の中のそれは白くなっていた。
感情は抑制されているとはいえ失ったわけではない。
『自由に』そう指示されている今であるのなら尚のこと、驚愕もするし恐れもする。今のは必殺の一撃のつもりだった。岩であれ鋼の塊であれ簡単に貫通、破壊するほどの。それを──
「今のは悪くない。並のプレイヤーなら落とせたかもな」
笑みを浮かべながら剣聖が刃を抜く。大太刀の刃がギラリと光った。
ファイアボールを叩き潰したその手には、傷の一つもない。
「少佐!」
声と共に起き上がったタンカーが剣聖に迫り、それに合わせてルッソが短剣を手に、力の言葉を呟く。
「ベオーク・ニィド。──バインド!」
同時に爆発的な勢いで地面から伸びたいくつもの触手──樹の根が、剣聖の手足を絡めとる。
「おぉぉぉぉーっ!」
叫びをあげながら盾を前面にタンカーが剣聖に突進する。剣聖はつまらなそうに、束縛された左の腕を、根を引きちぎりながら持ち上げた。
「──!」
止めた。
身の丈二メートルを超える大男の突進を。
どれほどの握力があるのか、顔面を掴まれたタンカーの頭骨がミシミシと悲鳴を上げる。
「──この──」
ルッソが術式を強めるが、どうしても拘束するには至らない。鋼の強さを持つはずの魔法の根が容易く引きちぎられてゆく。タンカーは既に意識を失っているのか、その手足はだらりとしたままだ。
剣聖はタンカーの顔面を掴んだまま一度引き寄せる。意識の有無を確認し、それがないことを確認すると無造作に放り投げた。
二メートルもある大男がふわりと放物線を描き、十メートルほど先。ルッソの傍にある樹の幹にぶつかる。意識は無いはずだが、肺に残った空気が漏れたのだろう。「ぐえ」という声を残して地に沈む。
「スタン・へゲル・エワズ・イス・ラーク」
積もった雪がタンカーの上に落ちる、その音に混ざって聞こえた詠唱。その方向に剣聖は目を向ける。
いつの間にか近づいていたキリエとの距離は二十メートル程。
その杖は既に剣聖の方に向けられていた。
「
視線を上方に向けた剣聖の言葉に、キリエの頬がピクリと動く。
いつの間にか、まるで蛍の様に淡い光を放ちながら、剣聖を取り囲むように漂うのは、一センチほどの無数の小石。キリエの魔力を帯びた無数の弾丸。
「ストーンヘイル」
言葉と同時に爆発音を響かせ、百を遥かに超える無数の小石は、剣聖に向けて一斉に加速した。初速は先のファイアボールと変わらない秒速二百メートル超。キリエにとって、使用したことのある魔法としては最高位のもの。
大公アルベルトはこの魔法を見て、彼女に黒服を与えることを決めた。一人でなど倒せるはずがない大型の魔物、ベヒモスを一瞬で挽肉へと変えた、この魔法を見て。
再びの静寂。
雨のように降る石の残骸が、パラパラと音をたてる。
そこに立つ人影に、キリエの目が見開かれた。
絶対の自信をもって放ったその魔法。その結果に少女の脚がわずかに震えている。恐怖ゆえか、あるいは感嘆か。
射出と同時に発生した爆発音はそのまま次の破壊音へと繋がった。すなわち、石が切り裂かれ、あるいは砕ける、その音と。いかなる技か、剣聖が持つ大太刀の一振りで、全ての弾丸は塵と化したのだ。
剣聖が、涼しい顔で立つ。
意識を失ったままのタンカーに、回復魔法をかけるために駆け寄ったヒーラーが、その光景に絶望したようにぺたりと座り込んだ。
「うそ……。こんなの、話にならないじゃない」
呟く声が震えている。
彼女はいまの魔法を知っているわけではない。それでも今の魔法が彼女の理解を超えた所にあるものであることはわかる。
剣聖を取り囲んでいた礫に込められた魔力は如何ほどのものだったのか。そのすべてがキリエの魔力を纏い、その一つ一つが先のファイアボールに匹敵するだけの破壊力を秘めている。そう、彼女には思えた。
──あの魔法がもしも自分に向けられていたら。
その結果をイメージし、ヒーラーは頭を振った。同時に湧き上がるのは畏怖である。あんな魔法を受けて、平然としている剣聖に。自分たちを歯牙にもかけないあの怪物に。
一方のキリエもまた、次の手を打つことも出来ず立ち尽くしていた。
彼女の知る他の魔法で、あの剣聖を打ち取れる魔法などありはしない。先の魔法こそが彼女にとっての切り札なのだ。
他の高位魔法を、彼女はまだ見ていない。
「終わりか?」
剣聖の声に、ルッソがゆっくりと立ち上がり、呆けたままのヒーラーに声をかける。視線は剣聖に向けたままだ。
「アルマさん。バスケスさんを連れて逃げてください」
「逃がすと思うか?」
剣聖の言葉にルッソは肩をすくめ、笑みを浮かべる。
「剣聖が、逃げる子犬をわざわざ追いかけるんですか?」
「これは戦争だぜ?」
「いいえ。この場には、貴方に傷の一つも負わせられる人間なんて居ないんですから、それはただの虐殺でしょう。あなたがそれを楽しむタイプとは思えませんが?」
ルッソの言葉に今度は剣聖が苦笑いを浮かべた。ボリボリと頭を掻くと剣を鞘に納め「そりゃどうも」と呟き、立木に体を預け腕を組む。
その様子にルッソは微笑を浮かべると、背後に立つキリエに近づき、その手を取った。
「ごめん。キリエ。つきあって」
小さな、囁くような声に少女がこくりと頷く。
その手が震えていることに気が付くと、ルッソはもう一度「ごめん」と呟いた。
二人の様子に、ようやく我に返ったヒーラーが、驚いたような表情でルッソを見た。
「無理よ。やめなさいっ! あんなの、あたしたちにどうこうできるわけないじゃない。あたしたちの考えが甘かったの。剣聖があんなバケモノだとは思わなかった。あんなのドラゴン相手の方がマシじゃないっ! それに子供を置いて逃げるなんて、できるわけが──」
「──邪魔なんですよ。アルマさん」
語気を荒げるヒーラーに最後まで言わせず、ルッソが静かにこたえる。
まるで死を覚悟したような静かな物言い。その眼差しにヒーラーは言葉を続けることが出来なかった。
「あなたたちを庇いながら戦えるほど、余裕がないんです。ボクも、キリエも。だから──」
視線の先の剣聖の手が、柄にかかる。
「剣聖の気が変わらないうちに下がってください。これは命令です。アルマ少尉。ディーンに戻り、准将に援軍の要請を。敵の主力が到達する前に」
キリエが再び杖を構える。
ルッソもまた手にした短剣の切っ先を剣聖に向けると、息を深く吸い込み、それを一気に吐き出した。
「はやく──いけっ!」
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