十二の月

 人の世と等しく、アストレアの暦もまた十二に分かれている。

 一の月。寒さの厳しいこの月、世界は新しい年を迎える。

 三の月。冬の寒さはやがて和らぎ、芽吹き始めた緑が春の訪れを告げる。

 夏は六の月。秋は九の月から。

 地域による気候の差こそあれ、そこに変わりはない。例えばエレミヤの一年はフランスの様な。桜州国であれば日本の様な。


 今は十二の月。


 冬の訪れを告げる月。一年の終わりを告げる年。

 そして──。





 少女は空に向けて揃えた両の手を上げる。まるで零れそうな何かを掬い上げるように。


 顔を覆う、黒いベール越しに見えるのは赤い空と黒い雲。

 そこから舞い降りるのは不思議なくらいに外の世界と変わらない白い雪。


 手のひらに舞い降りたそれは、一瞬の冷たさをのこし、目の前で水へと変わる。

 当たり前のその結果を、少女は無言で見つめていた。


「キリエ? 雪が珍しいの?」


 背後からかけられたその言葉に、キリエは振り返り、声の主を見た。

 にこやかに微笑みを浮かべる少年──ルッソを前に、彼女が返事をすることは無い。

 自分でもひどく無口になったと思う。自分はこんなにも寡黙な人間だっただろうかと。

        

 キリエはルッソから目線を反らし、再び遠く見る。


 空ではない。


 雪で白く染まった目の前の街並み。城壁──さらにその先。ここからは見ることはできないが、今も争いが続けられているはずの場所。戦場を。


 少年の言葉通り、月が代わるとすぐにアラミアへの出向命令が出た。

 ビエネス大公国が所有する、最も前線に近い城塞。ディーンへ。


 城塞と言っても近くに大きな町を抱えているわけではない。所詮は戦場への物資の供給のために作られた軍事基地である。最低限の街並みは兵士たちの欲を満たすだけの物であり、そこに平穏は無い。


 二人はその小さな町に隣接する城に設けられた、小さなバルコニーに立っていた。


 冬のアラミアの寒さは、元々温かい地域で生まれ育ったキリエにはあまり馴染みのないものである。

 空から舞い降りる雪の白さもまた同様に。

 もちろん生れて初めて見るわけではない。それでも。とキリエは思う。

 雪に心惹かれるのはきっと、雪国で生まれ育ったわけではない人間共通の物なのだろうな、と。


「ああ、特に用事があるわけじゃないんだけどね。ほら外は寒いから中に入らないかなって、思ってさ」


 ルッソの言葉が聞こえているのかいないのか。キリエの頭は外に向けたままである。

 彼女の視線がどこに向けられているのかは、亜人であることの証ともいえる、その顔を隠すために被らされたベールの所為でうかがい知ることはできない。

 が、いずれにせよ自分の方を見ているわけではないだろうと思い、ルッソは肩をすくめた。


 彼女が着ているのは女性用の軍服である。

 ただし、ルッソたちが着ているような鈍色のものではない。特に大きな功績のあったエース級にのみ、国王からの承認を得て着用を許可される、漆黒の軍服である。

 元がゲームのデザインであるが故に、やたらと華美であることに変わりはないが、いずれにせよリアルな世界で普通に流通している衣類とは異なり、もともとゲームであった頃の常識をそのまま引き継いでいる世界の品物である。

 ある程度の温度変化にも対応は可能──とはいえ、ここまでの寒さにいつまでも耐えられものではない。


 防寒装備なしで、軍服が対応できる温度せいぜいが零度。対して今の外気温はマイナス五度。

 寒さを感じないわけではない筈だ。


 仕方がない、とルッソは傍に控えていた侍女からブランケットを受け取ると、キリエの肩にそっとかけ、そのまま背後の掃き出し窓の向こう、広間の中に目を向けた。





「また剣聖かっ! どうなってるっ! あれは戦争からは手を引いたのではなかったのかっ?」

「わかりませんよ。クランからも抜けたという話ですが、なんで突然戦争に──」

「抜けた時に誰か引き抜かなかったのか? ギルド自体は中立だろう?」

「引き抜こうにも行方不明だったんです」

「ヴィダル砦、陥落ですっ! その、また剣聖が現れて──」


 この城砦は前線に展開されるビエネス軍の中枢。司令部である。


 そこにもたらされる情報に偽りなどあるはずもなく、次から次へと軍議の場にもたらされる自軍の不利に、ディーン城砦の指令、ニコラ・ラド・ラフエンテ准将は、いらだちを隠すこともなく、居並ぶ高官たちの前でテーブルに拳を叩きつけると「どうなっているのかっ!」と、声を荒げた。


 元来、ビエネス大公国が陣を張るエリアは、中級レベルのプレイヤー用に設定された戦場である。

 いずれは現状のゲーム的な配置も、現実的なものにシフトしてゆくのだろうが、現時点では何故か世界変異以降も、戦争に関してはゲーム時代のバランスのまま、上級プレイヤーは上級エリア。中級は中級。と、まるで暗黙のルールに従うように住みわけが行われながら、戦争は継続されていた。


 そんな中級エリアに、突然トップクラスの高レベルプレイヤーが現れたのだ。彼らからしたらそれは天災にも等しいといえるだろう。


 剣聖。現時点で最強の一角といわれる存在。


 数年前の戦争参加を最後に、軍とは縁を切り、以降、ごく普通のクランに参加し、長く戦場では名を聞くことが無かった男である。


「剣聖とはいえ、あの男はソロだろう?一人で次から次へと、そんな真似ができるものか!」

超越者プレイヤーのバッファーが背後に居ると。他にもヒーラーとディフェンダーの姿も確認されています!」

「こちらも超越者を向かわせろ! アレだ。レッドローブでもいい。とにかく奴を止めろっ!」

「無理です! こちらに所属している超越者たちのレベルでは太刀打ちできませんっ! 至急帝国軍の超越者に支援要求を──」

「何を悠長なことを言っているのか! ヴィダルまで落とされているんだぞ。ここまではもう目と鼻の先で──」


 そう怒声を上げながら窓の外を指さしたラフエンテの声が、ふいに止まった。

 突然の沈黙に、ほかの高官たちが視線がラフエンテに集まる。当のラフエンテの視線は窓の外──小さなバルコニーに立つ、二つの影に向けられていた。


 ラフエンテは口元を歪め、ニヤリと笑うと穏やかな表情を作り、先ほどまでの激高はどこへやら、深く椅子に座り込み胸元で手を組むと、「少佐。こちらへ来たまえ」と、声をかけた。


 その場にいた全員の注目がラフエンテの視線の先。鈍色の軍服の少年と黒衣の少女に向けられる。


 少年はひきつった笑みを浮かべ、背後に立つキリエに目を向けた。が、キリエは未だ外の景色に目を向けたままだ。

 その姿にため息をつくと、ルッソは少女に声をかけ、彼女を伴い前に出た。


 寒いバルコニーから室内へ。

 のけぞる様に座る男の前に立ち敬礼をする。追従するキリエは棒立ちのままだ。

 ラフエンテの表情に不機嫌の色が浮かぶ。


「亜人が」


 一つ舌打ちをするとラフエンテがぼそりと呟いた。

 ルッソの眉がピクリと動く。


 少年の表情の変化など気にした風もない。ラフエンテからすれば所詮は格下の子供相手である。そんな相手の行動など気にするだけの価値もない。キリエに対して持つ感情とは違うのだ。


 あちらは亜人の癖に王に認められた人間。

 将官とはいえ鈍色の軍服を着た自分よりも価値がが高いといわれているのと同義である。気に食わないのは当然だ。


「ルッソ少佐。そこなキリエ少尉と共に戦場に赴き、彼の剣聖を打ち取ってきたまえ」


 ラフエンテの言葉に高官たちがざわめく。

 彼らはベールに隠されたキリエの顔を知らない。キリエの能力も、その存在も知らない。


 相手は剣聖である。

 

 たとえ有力な黒服であったとしても剣聖討伐など出来る筈がない。格が違うのだ。それがそんな自分たちの知らないぽっと出の、ただの女性兵士であればなおさらである。


 彼らの声をよそに薄笑いを浮かべながら、ラフエンテは言葉を続けた。

 先日のキリエの参戦は、元帥主導の下、秘密裏に魔導士団が独立して動いた戦闘である。その内容を知る者は多くない。この場では司令官である自分と、その副官のみである。


「聞いているよ? 破壊神の再来。なのだろう? 少尉は」


 まるで嘲るように口元を歪め、大袈裟に両手を広げながら声を張り上げる。


 ざわめきが更に大きくなった。

 破壊神? あの悪魔? あの女と同等? と。


「ああ、もちろん小隊パーティーは揃える。相手はあのバケモノだ。二人で出撃せよなどとはいわん。可能な限りの援助はしよう。前衛職とヒーラーが居れば良いだろう。残念ながらこちらには君たちクラスに見合うバッファーがおらんが、そこは強化スクロールで事足りるか」


 ニヤニヤと笑いながら思案気な風に顎に手を当てるラフエンテの所作に、ルッソは俯いた。いかに侮られ、感情を逆なでされようとも、断ることなとできはしない。


『ディーンを死守せよ』


 彼らはその言葉。その王命でこの地に赴いているのだから。


「黒服の中でも直接王からそれの着用を認められる者などそうはおらん。次代の青の魔導士。その実力を我らにも示してくれたまえ。少佐」





 アラミア南部。

 ディーン砦からはほんの十数キロ程の位置にある、ガザラ丘陵地帯。


 廃都におけるビエネス大公国の管理区域──中級戦場であるこの地域は、大陸中央を分断するようにそびえる山脈や、そこ住まうフロストドラゴンの影響か、他地域よりも低い平均気温の──いわゆる亜寒帯と呼ばれるエリアである。


 十二の月ともなれば平均気温はマイナス十度にもなり、白い雪に埋もれたその大地には、生命の息吹を感じることさえない。

 北方ではなく大陸の中央よりであるこの地域をなぜ亜寒帯としたのかは、開発者のみぞ知るところであるが、クリスマスイベントと共に解放された地域だから。というのが有力な説である。


 ガザラは実質4つの区画に分かれており、それぞれに砦が配置されているが、その中でも最奥、もっともディーンに近いものがヴィダルの管轄区域である。

 砦、と名はついてはいるが要塞というわけではない。石で作られた簡素な柵と兵舎。おまけの様な衛生施設で構成されるそれは、むしろ野営地と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。


 そのヴィダルで、一人の騎士が片膝をついた。


 身にまとった鎧は肩口から大きく裂け、赤い血が鎧下ダブレットを染めながらとめどなく流れている。右手に持った剣を杖のようにして、辛うじて上半身を支えてはいるが限界は近いのだろう、血の気の失せた顔面は蒼白で、震えが病むことは無い。


 周囲に転がるのは無数の屍。あるものは臓腑をまき散らし、あるものは脳漿をはみださせて。

 一面を埋め尽くす美しい筈の白い雪は血で赤く染まり、さながら地獄絵図である。


「なぜ、お前がここに居る」


 口端に血をにじませ、騎士が問いかけた。


 騎士の目の前には灰色の外套をまとった男の姿がある。

 右は無手。左の手にはすでに納刀済みの長大な鞘。

 外套の男は騎士の問いかけに答えることなく遠くに目を向けていた。

 ヴィダルの先にあるもの。ディーンに。


「死にゆくものに、理由を聞かせてもくれんのか? 今代の剣聖は」


 問いかけられた男は小さく舌打ちをすると、俯きながらめんどくさそうに眼を閉じ、頭をボリボリと掻いた。


「別に、戦争に興味はねぇんだけどな。仕事でよ」

「……」


 外套の男がため息をつく。

 ちらりと見やった先、血まみれの騎士は既にこと切れ、地に伏していた。

 再び頭をボリボリと掻き、ひとつため息をつく。

 剣聖と呼ばれた男は視線を再びディーンに向けると、だれに語るでもなく呟いた。


「馴染みのババアに頼まれてよ。人助けさ」

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