黒の塔

 ゆっくりと目を開く。

 目の前には見慣れた光景が広がっている。


 十畳ほどの円形の石畳の部屋。

 調度といえるようなものは横においてある簡素なベッドといま、自身が座っている小さな椅子。それだけだ。


 ──ああ、夢をみていたのか。


 キリエはそう思い、ふたたび目を閉じた。


 ツィスィスの洋上。アストレア大陸。


 聞いたことのない、少なくとも『他人よりは知識がある』そう自負していた商会の人間である自分たちが知らない、そんな名前の大陸にある、ビエネスという名の国。

 そこの軍艦に救助されたのは、黒い太陽を見てからほんの数刻後のことである。

 最終的に自分たちがどれだけの期間漂流していたのかも、どれだけ流されたのかもわからなかった。


 最初の一か月はひたすら軍の施設で質問攻めにされた。

 なぜ漂流していたのか。なぜ流されるままに洋上を漂っていたのか。

 キリエたちがこのアストレアという大陸の住人ではないことがわかると、今度はリムニア王国のこと。彼女たちが生まれたテオルボのこと。この星、ソナスのことを。


 入れ替わり立ち代わり。

 それは黒い服を着た軍人風の人間だったり、昔見た映画に出てくるような古風な衣装を着た神官風の人間だったり、やたらと偉そうな貴族風の人間だったり。


 その中の誰かがの問いかけを覚えている。


「なぜ君たちの顔は、そんなにも歪んでいるのかね?」


 まるで汚いものでも見るような目でそう聞かれ、キリエは言葉に詰まった。

 彼女は比較的、整った顔立ちをしている。これまでの人生で歪んでいるなどと言われたことは無いし、そんな自覚もない。


 それでも。と、キリエは思う。

 ここには美人が多いな。と。


 それが男であれ女であれ。老人であれ若者であれ。もちろんそうでないものが居るのも確かではあるが、そこは意図的に、そういう顔にわざと作られているような感じさえする。


 そう、例えば。

 例えば今目の前に居るこの男の様に。





「いつ見ても、この違和感というのは何とも言えない感じですな。コルテス卿」


 背後に立つ中背の男にそう声をかけながら、椅子に腰かけたキリエの顔を覗き込むように、ミケーレは腰を折ると顎に手を当てた。

 目の前の少女は微動だにしない。現在の主であるディアス軍の将校に『待機せよ』と、命じられているからだ。


「私も同意だよ。何故にこのように崩れているのか。リムニア、と言ったか。彼らの国は。そこの創造神というのは、相当いい加減な性格の持ち主なのだろうね」


 コルテスもその言葉に同意すると、椅子に座ったままでピクリとも動かない少女を見た。


 彼らが居るのは先のアルベルトの居城である。 

 この城には先述のとおり、東西南北の四方に塔が存在する。

 地から生えた巨大な塔というわけではない。装飾品に近い、タレットと呼ばれる小型の塔である。

 それぞれ外壁の色に差は無いが、屋根のみがそれぞれ異なる色で装飾されている。


 宗主国であるディアスの方角にある東塔は高貴な紫。

 北方にある塔は白。大公国の経済の源でもある海を臨む南塔は青。

 そして最前線。連合国を睨むように立つ西塔は黒。


 その黒の塔の最上階に、『亜人』と呼ばれた少女は居た。


 亜人。そうはいっても一見しただけではほかの人間と何ら変わりはない。


 色素の薄い白い肌に、くりくりとした大きな目。淡いピンクの小さな唇に小さな鼻。

 少女らしさを残したその顔は、誰が見てもかわいいと思えるものかもしれない。

 だがよくよく見れば左右で目の高さが違う。輪郭が左右対称ではない。鼻がわずかに曲がっている。


 そこに違和感を感じるものなどそうは居ないだろう。

 彼女の顔は一見して崩れているわけではないし、わかりやすく歪んでいるわけでもないのだから。


 完全な左右対称。


 そういう人間しかいない、アストレア大陸に住まう者以外は。


「彼女には、本当に意識はあるのかね? まるでその、人形の様だが」


 後ろに下がったミケーレと入れ替わる様にキリエの前に立ったコルテスは、少女の眼前で手のひらを左右に振りながらそう呟くと、少女の顔をまじまじと見た。

 わかってはいることだが当然の様に反応は無い。


「はい。その筈です」


 背後からミケーレとは違う、少年の声が返ってくる。


 鈍色の軍服にブラウンの髪と碧眼。

 アストレアにあっては比較的平凡な、だが外界からみればそれなりに美しいその少年は、そう答えると自分よりもはるかに高い地位に居る二人に恭しく頭を下げた。


「自我はあるはずです。ただし今の、待機命令が下された状態では疑問は感じず、目の前の事実を認識するのが精々である。と聞いております」


「暴れる可能性は?」


「無いはずです。基本的に私の命令以外は聞かない、と説明を受けています」


「そうか。ありがとう。クルス少佐。下がっていいよ」


「はっ」


 コルテスの言葉に敬礼をすると、クルスは部屋から出た。


 いまだ少女の顔を眺めているコルテスに、ミケーレは苦笑いを浮かべると彼の横に立ち、バタンと音をたてたドアにちらりと目を向ける。


「あの少年兵が彼女の主、ですか?」


「本音をいえば機密保持の事もある。もう少し、高位の者でいきたかったのだが、こういう、魅力の乏しい亜人の主になどなり手がなくてね。貧乏貴族の嫡男だが、有用ではあるよ」


 コルテスの言葉にミケーレは肩をすくめ、少年が出て行ったドアに目を向けた。


 ──貧乏貴族の少年が少佐、か。見返りとしては十分なものではあるか。


「しかし、例の薬。というのは凄いものだな。亜人とはいえ、こんな子供が大量殺人をしておいて平然としている。新兵どもなど、一人殺しただけで心を病むものがザラにいるというのに」


 相変わらずの様子でしげしげとキリエの顔を眺めながら呟くコルテスに、ミケーレが皮肉めいた声色で「軍でも採用しますか?」と、問いかけると、コルテスは肩をすくめ首を横に振った。


「止めておくよ。アレは洗脳薬の類だからね。うかつに広まりでもしたら洒落にならん」


 コルテスはビエネス大公国国軍のトップ。元帥でである。

 自身が管理する軍部の不手際で、国中にあの薬が蔓延するなど願い下げだ。


「まぁ。あの超越者プレイヤーが言っていた通り、特定の人間を強制的に従わせるには良いかもしれんがね」


「レッドローブ。ですか」


 ミケーレはその名を呟くと、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。

 何とも蟲の好かない連中である。

 ある日突然、王の前に現れた赤いローブを着た超越者プレイヤーたち。

 キリエの存在を知ると、躊躇なく薬を使って洗脳し、兵器としての有用性を説いた。


 ミケーレもコルテスも家に帰れば人の親である。亜人とはいえ、遠目には自分たちと何ら変わらない、年端の行かない少女を戦場に出し、あまつさえ人殺しをさせるというのは正直忌避感が強い。

 それでもいつの間にか覚醒した彼女の力が、人並外れているのも事実である。

 その力を証明するかのように大勢の前でその能力の一端を披露され、さらに王の前で超越者から彼女の有用性を説かれれば、軍も拒否するわけにもいかなかった。


 仮に彼女がアストレアの人間であれば違ったかもしれない。

 だが彼女はくくりとしては亜人である。


『ゴブリンやオークと同列の存在をを使役するのに、何のためらいがあるのか』


 そう言われては断りようがない。

 いくら彼女が人と何ら変わらない。ただ顔つきが違うというだけで、自分たちと同じ言葉を解す存在であったとしても。


「陛下もどこであのような連中とつながりを持ったのか。まったくこれでは──」


 困り顔でつぶやくコルテスの前で、ミケーレは咳ばらいをすると唇の前で人差し指をたてる。


「聞き耳、というのは何処で誰がたてているかわかりません。それにね、王はそこまで愚かではありませんよ。超越者プレイヤーなどに良いように利用されることもないでしょう」


 ミケーレの言葉にコルテスが渋面を作った。


「陛下を疑うわけではない。ただ、私はね、不安なんだよ。この亜人のことも別大陸の事も。更には例の薬もの事も」


 それは先にミケーレが玉座にて感じた思いである。

 だからこその苦言ではあったが、まだ歳若い王にその意図は伝わらなかった。


 いや、あるいは承知の上だったのか。


「今回の事、有力貴族たちがどう判断するのか。それが大帝にどう伝わるのか、それがね」





 バタンとドアを閉じる音が部屋に響き、キリエは再び瞼を開いた。


 目の前には一人の少年の姿。

 今の主。クルス少佐。

 コルテスにそう呼ばれた少年である。


 ルッソ・ラド・クルス。


 金髪の、平凡な顔をした少年はどこか泣きそうな表情でキリエの前に片膝をついた。


 ミケーレやコルテスの姿は無い。

 暫く目の前で興味の沸かない話をひとしきりした後、ふたりは部屋から出て行った。


 こちらが無反応なのをいいことに、ずいぶんと好き勝手なことを言っていたなと思う。

 もっとも、どれも彼女には興味の無い話ではあったが。

 自分の事も、他人の事も、特に興味は無い。いつからだろうか。ぼうっと、夢を見ているような感覚にずっと支配されている。


 そう、今も──


「次の会戦は来月、十二の月。場所は同じく廃都アラミア」


 粗末な木製の椅子に腰かけ、まるで人形の様に身じろぎ一つしない少女の前で、力なく少年は呟く。


「ごめんね。人殺しなんて、ほんとはしたくないよね」


 項垂うなだれ、自嘲の笑みを浮かべる少年に、少女が言葉を返すことは無い。

 ただ眼球だけを少年にあわせ下に向ける。


 ──何を言ってるんだろうか。


 そう思う。


 今のキリエにとって殺人という行為自体に、大した意味は無い。

 もちろんそれを望んでしようとは思わないし、先の会戦の現場の様な殺し合いを見たいとも思わない。怖いとも思うし忌避感もある。


 だがそれは物語や舞台を見ているのと大差のない感覚──いや。それこそゲームの中で敵キャラを打倒した程度のものでしかないのかもしれない。


 ──ただの殺人なのに何を言ってるんだろう? そもそも命令したのはアナタじゃない。


 そんな言葉を飲み込み、ただ無言でルッソの様子を見守る。


「ああ、そうか」


 反応の無い少女の様子に、少年は自身の前髪を書き上げ額に手を当てた。


「キリエ。言葉を発していいよ。思う通りに話しなさい。思う通りに行動しなさい」


 ルッソの言葉に首を傾げ、それでもキリエは語らず、ただ目の前で跪く少年の頭にそっと手を添えた。


 少女に撫でられ、ルッソは肩を震わせ唇をかみしめる。


「もう少し、もう少しの辛抱だから」


 ルッソのその呟きの意味は、キリエには解らないし興味もない。

 それでも少女は優しく微笑むと「そうだね」と答えた。


 まるで姉が、弟に微笑みかける様に。

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