キリエ

 少女は夢を見る。


 たわいもない夢である。

 この春に入学するはずだった学校で。あるいは家で。父と、母と、友達と。

 穏やかに過ごす毎日の夢を。


 やわらかな日差しの下、穏やかな風に揺られ。

 そんな夢を。


 それは本来なら夢などではなかったはずの光景。

 けれども今は遠い光景。


 ふと、瞼を開ける。

 目の前にあるのは自身が夢見た世界ではない。

 当たり前の。本当なら自分が居る筈の、頭の中に思い描いた世界ではない。


 戦場。


 何人もの兵士が少女の立つ陣地に迫り、それを迎え撃つように友軍の兵が剣を振りかざす。


 彼らを支援するように、後方から攻撃魔法が飛び交い、剣の打ち合う音と爆発音が鳴り響く。

 視線を別のところに向ければ、いまだになじめない巨大な使い魔たちが、咆哮をあげながら何人もの兵をなぎ倒している。


 地面には無数の死骸。


 人なのか魔物なのかもわからないそれを踏みつけながら、さらに人々が殺しあう。


 廃都。アラミア。


 ディアス帝国とステイン公国との狭間にある、アストレア大陸の十五パーセントほどにも及ぶ広大な荒れ地。

 無数の骸と残骸が転がる荒野。

 現在の主戦場。


 かつてこの地には、その名を持つ王国を含むいくつもの国が存在していたが、エレミヤをはじめとする連合側とディアス帝国とその衛星国家の枢軸側との戦いの中で、それらは失われて久しい。


 そこで、眼下の光景にそぐわない澄んだ淡褐色の瞳で、少女はそれを見つめていた。

 眉間に皺をよせ、手にした魔法杖を右手でぎゅっと握り、わずかに震えながら、人が殺しあう様を。


「キリエ殿。そろそろ宜しいか?」


 背後からかけられた声にびくっとしながら振り返る。   


 鈍色の軍服を着た、将校らしき青年がそこに立っていた。

 さらにその背後には20人ほどの、男と同色のローブを来た人間が少女と同じような杖を手に立っている。

 その表情は目深にかぶった軍帽やフードのせいでうかがい知ることはできない。が、自分たちとは異なる、黒い外套を身に纏ったキリエに対してあまりいい感情は持っていないのであろう、強い視線を感じることはできた。


 キリエと呼ばれた少女は無言でうなずくと、視線をふたたび戦場に向ける。


「攻撃位置は事前の打ち合わせ通り。左翼に展開中の敵、魔導部隊」


 いやだな。


 そう思いながら少女は手にした杖を前方に向ける。


「まずはお見せください。師団長に認められたというあなたのその力を、ね」


 見下すように冷ややかな笑みを浮かべながら、慇懃無礼にそう告げる将校に無言でうなずき、一歩前に出る。

 はぁ。っと、小さなため息が口から洩れた。


 もともとキリエは軍人になど、なりたくてなったわけではない。ましてやそのような家系に生まれたわけでもない。

 なのに、これから自分は、自分の意思で人殺しをする。


 生まれ育ったわけでもない。何の縁もゆかりもなかったはずの大地で。

 先年まで知りもしなかった者たちの為に。


 ゆっくりと瞼を閉じる。

 頭の中にルーン文字を描き、術式の構成を始める。


「ソーン・ウル・へゲル」


 呟きがその口から零れる。

 アルスの様な、祈りにより奇跡や加護を求めるものとは異なる、明確な力を持った言葉。


 同時に「おお」と、いう声が後方にいるローブの集団からあがった。


 彼らの目には、まるでキリエを包むように薄い青に染め上げられた魔力のベールが見えるのだ。

 魔力光の色で、その者の力は推し量れる。青というのはこの時代の最上位であり、数人しか確認されてはない

 アルカナの魔法院学長と、今は隠遁しているのか、ここ数年姿を現していない破壊神と呼ばれた少女の二人のみ。

 周囲が感嘆の声をあげるのもむりはない。目の前の少女はそれに続く三人目、ということになるのだから。


「見せてください。破壊神に並ぶとまで言われた、あなたの能力を」


 周囲の反応故か、あるいは彼女の魔力光に毒気を抜かれたのか、僅かに上擦った将校の声ももはや彼女の耳には届かない。

 それほどまでに深い集中。

 ふう、と、小さく息を吐き、ふたたび瞼を開ける。

 その瞳に、淡褐色の瞳に、さっきまでは無かった筈の紫の虹彩が混ざっていた。


 少女の口が術式の完成を示す言葉を呟く。

 構成の完了した、魔法の名を。


「ライトニング」





 ぽつり。と、雫が頬を濡らす。

 濃紺の外套を着た、名もなき兵が空を見上げた。


 雨か。と。


 見上げてみれば空は厚い雲に覆われ、黒い太陽の姿は無い。

 遠くからはゴロゴロという、大型の獣が喉を鳴らすような音が聞こえる。


 男は首をかしげた。

 精霊術士の話では、今日の天候は安定しているという話だったが。と。


 とはいえこの荒地では、しばしば術士の予測が外れるのも確かである。

 いかに精霊が自然現象に直結しているといっても、この地は魔力の残滓が濃い上に、呪いに等しいほどの血を吸っているのだ。それらの前では、大きな力を持つわけでもない小型精霊など無力に等しい。

 外部では九十パーセントを超える予測的中率も、この地においてはせいぜいが七十パーセントといったところだろう。


 男は暫しの逡巡の後に、百メートル程離れた場所に設営された、天幕に向かった。

 見張りとしての義務を果たすために。


 ──精霊が予測を見誤っただけだろう──とは思うが念のため。


 気象魔法による攻撃という線もあり得る。もっともそんな大仰な魔法なら、準備段階で魔力感知にひっかかるだろうが。


 そう考えを巡らせた直後、世界は白く染まった。


 連合側。今期の会戦での最前線。その魔導士部隊の直上。

 彼らの周囲を埋め尽くすように空から駆け下りてきた、いくつもの光によって。


 耳をつんざく雷鳴。

 聴覚は失われ、全てが一瞬の静寂に包まれる。


 音の無い世界。


 やがて思い出したように、バタバタと雨音が響く。


 あとには燃え尽き、形を失った天幕と、その周囲で燻る数十にも及ぶ、黒い塊が残された。


 一部隊、三十人の魔導士。

 その残骸が。


 天から降り注いだ雷撃ライトニング


 魔法のレベルとしてはそれほど大きなものではない。

 軍に所属するような魔導士であれば無効化レジスト出来て当たり前。いや、それ以前に彼らが張り巡らせた防御幕シールドを突破することができるようなものではない筈だった。


 それを撃ったのが普通の魔導士であったなら。ではあるが。





 遠見の魔道具によって一部始終をみていた将校が、まるでふらつくように一歩下がった。

 頬を流れていくのが降り始めた雨なのか、それとも冷や汗なのかはわからない。

 わかっているのは『これほどとは思っていなかった』という、彼女の魔法の威力だけである。


 青い魔力光をもつ少女。

 破壊神と並ぶ少女。


 破壊神の事は知っている。連合側だろうが枢軸側だろうが魔物だろうが人間だろうがお構いなし。あらゆる戦場に降り立っては虐殺を繰り返した最強の魔導士。


 アルカナの学園長の事も知っている。

 かつての剣神のパーティーメンバーで、彼と同じく歴史に名を残すほどの魔人。

 彼女の残した伝説、偉業は数知れず。


 目の前に立つこの小さな少女があのバケモノたちと同格だなどといわれて信じられるわけがない。


 何より、ほんの数か月前までは魔法の事など知りもしなかった人間である。


 ──亜人の分際で。──


 上司である魔導士団の団長から、彼女を伴い会戦に臨め。そう言われたとき、彼の心に浮かんだのはその言葉である。


 いや、今の今まで。というべきかもしれない。

 何もできない亜人が、どうやって師団長に認められたのか、調子に乗るな。と。


 将校は目の前の少女の顔を見た。

 振り始めた雨に被りなおしたフードの所為で、その表情をうかがい知ることはできない。


 頭の中で少女の顔を思い出す。

 左右で不均等な、見たこともない、いびつな顔を。


 魔物ですら持ちえない、歪んだ顔を。

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