依頼

「ふぅん。あのエルドがねぇ」


 手にしたグラスを揺らし、そこに注がれた琥珀色の液体が揺れるさまを眺めながら、ぼそりと呟くと、サラは顔をしかめ、眉尻を人差し指で掻いた。


 表情にはどこか疲れが見える。

 たった今一通りの話をグラムから聞かされ、真実を突き付けられたばかりだ。

 グラムとエルドの会話は一般には公開されていない。内容を知っているのはリガルドとその側近。あとはグラムの身近にいた者たちのみである。

 世間に広めた所で、地球の話などその殆どが忘れ去っているのだ。それは意味の無いことであろう。


「しっかし知らなかったわ。剣神の洞にこんなとこがあるなんてね。昔はさっきの広間で行き止まりだったじゃん?」


 そう言いながら、かつてのグラムの様にぐるりと部屋を見回す。

 煤けた天井も年季の入った床材もとてもつい最近設置されたものとは思えない。  


「こういうのもコミで再構成したんだとよ。『ご都合主義もいいところだ』って、じじいも言ってたよ」


「何でもありかよ。神様の後継者ってのはすごいね。てか、まぁ──」


 苦笑いで答えるグラムを前に、サラはグラスの中のアルコール越しに彼を見るように目の前にそれを掲げるとそこでいったん言葉を区切り、口端を歪めた。


「──神様っていうか、それこそこのRTS世界(リアルタイムストラテジー)のプレイヤーなんだろうけどさ」


 サラのその言葉にグラムは僅かに眉を寄せ、同様にサラもまた彼の表情に眉を寄せた。

 彼女にはグラムの反応したポイントが理解できなかったのだ。


「なにさ」


「いや、お前はこの話を信じるんだな、って思ってよ」


 一瞬交錯したした視線をそらし、グラスに目を向けるグラムに、「ああ」と答えると、サラは合点がいったように僅かに笑みを浮かべると、同じように手にしたグラスに目を向けた。


「あたしはホルダーだからね」


「ホルダー?」


 疑問の声をあげるグラムの表情をちらりと見やると、サラはかぶりをふる。


「世捨て人みたいになったアンタは知らないかもしんないけどさ。結構いるんだよ。異世界の記憶を持った人間がね。まぁ、異世界って地球のことなんだけど、こっちの記憶しかない人にはそりゃ、異世界だよねぇ」


 グラスに目を向けたままで呟くサラに、「なるほど」と、答えると、グラムは口元に手を当て、考え込むようなポーズをとった。

 確かにエルドは、一部の人間には記憶が残るようなことは言っていた。が、グラム的には『結構いる』そう言われてもピンとこないのが本当のところである。


 実際、彼の周囲に居た人間は、依頼主であったリガルドを含め、一人残らず地球の記憶を失っているのだ。


 ──そう、一人残らず。


 グラムは座敷の奥。炊事場に立つ金髪のエルフの少女の後ろ姿に目を向けた。


 彼はこの洞に一人で籠っているわけではない。

 エレミヤを離れると恋人に告げた時、彼女もまたグラムと共にあることを選んだからである。


 グラムの様子にサラも察したのか「レティシアティアは?」と、訪ねるが、グラムは首を横に振っただけだった。

 彼女の中に睦月という名の人間も、真一という名の兄も存在しない。

 記憶の中のグラムは最初からグラムであり、エルドは自分とは無縁の存在である。


 サラは「そっか」とだけ呟き俯くと、小さな声でクククと笑った。


「てことはオフ会の記憶もないってことか。あたしのことも見た目通りの年齢になってるってことだな」

「オバサンはオバサンなんじゃねぇの?」


 ほう。とサラが片眉を上げ、続いて薄い笑みを浮かべた。


「だとさ。エルフの寿命は人間種の倍だ。あたしは今年で四十五歳。ダークエルフのアタシがオバサンならあんたはどうだい? ティア」


 言葉と同時にグラムは知った。背後に彼女が立っていることに。


 ゆっくりと振り返る。

 そこにいつもと変わらぬ美貌のエルフが立っていた。

 手には肴を乗せた盆を持ち、穏やかな笑みを浮かべて。


「あたしは今年で三十六歳。人間で言うと十八歳だけど、三十六歳は人間だったらオバサンだもんね。ごめんね。むーちゃん」


 レティシアの声は冷たい。


 ひきつった笑顔でそれに答えるグラムを一瞥すると、レティシアは盆上の肴を二人の前に置き、憮然とした表情のままグラムの横に座った。


「ごめんね。むーちゃん」


 もう一度そういうと、レティシアは冷ややかな視線をグラムに向けた。


 グラムは返す言葉もなく俯くと、目の前で肩を震わせながら「むーちゃんだと。あの顔でむーちゃんだと」と、口元を押さえながら笑いを堪えるサラを睨みつけた。


「サラ、てめぇ」

「ん? 何かな? むうぅぅちゃん」


 サラのおちょくった様な『むぅちゃん』呼びに、グラムが歯噛みをする。


「おめぇはリアルに四十五歳じゃねぇか」

「んー? なにかいったかな? リアルでロリコンと呼ばれたむlちゃん?」

「むーちゃん、ロリコンなの?」

「いや、そうじゃなくて──」

「おばさんでごめんね。むーちゃん」


 額に手を当て首を振り、「何なんだ、この展開はよ」と呟くグラムに「自業自得」と返しながらサラは手にしたグラスを空けた。


 グラムは乱雑にバリバリと掻くと、一つ息を吐き両の膝を叩く。


「閑話休題。つーか。本題に入れ」


 グラムの表情の変化に合わせ、残る二人も姿勢を正した。


「サラ、何しにした。昔話がしたくてこんな山奥まで来たわけじゃねぇだろ?」


 グラムの眼差しにサラは肩をすくめると「まぁね」と答えた。


「四年ぶり、だよね。ライカでやったギルドのパーティーで会ったのが最後だっけ?」


 胸元で両手の指先を合わせ、微笑みながら問いかけるレティシアの言葉に、サラは首をひねった。


「ライカ? 新宿のオフでしょ?」


「シンジュク?」


 怪訝な表情を浮かべるレティシアに、サラもまた首をひねり、見かねたグラムの咳払いでようやく状況を理解した。

 オフ会の記憶はパーティーに。新宿はライカに置き換わっているのだと。


 ──記憶の改変、ね。


 数舜、目を閉じ頭の中で光景をイメージすれば、確かにその場所は日本の居酒屋ではなくギルドの酒場になっている。壁にかかっていた品書きも、メニューも。

 もちろんオリジナルの光景もイメージすることはできるが、むしろそちらは自分の脳内で、自身の手によって補完されたものなのかもしれない。


 ──あんまり意識したことはなかったけど、変な感じではあるかな?


 そう思い、サラは眉尻を掻きながら苦笑いを浮かべると、頷くグラムに肩をすくめ、レティシアに「ああ、あたしの記憶違いさ」とこたえ、腰に下げたポーチから一枚の紙片を取り出し二人の前に置いた。


 一人の、少女の姿を映しとった紙片を。


 赤みがかった金髪に淡褐色ヘーゼルの瞳。

 普通にかわいいといえる顔ではあるだろうが、グラムやレティシアからすると違和感の強い造形である。

 人の手によって描かれた、それによる違和感ではない。

 この肖像は魔法によって転写された、現代世界の写真に等しいものである。


 レティシアは違和感の理由がわからず、首をかしげながらグラムに目を向け、一方のグラムはその理由に気が付き目を伏せた。


 天然の造形。


 元がデーターであるがゆえに、傷の有無などを除けば基本的に完全左右対称である彼らに対し、少女の顔は成長の過程における体のゆがみや筋肉の発達状態によろものだろうが、左右非対称なのだ。

 その生々しさというのは、調和されたアストレアでは目にすることの無いものである。


 だからこそ、その写真は地球の記憶が残る者には生命感を。記憶の無いものには違和感を残した。


 いずれにせよ何故、そんなものを提示するのか。

 目の前に置かれたそれの意図がわからず、二人は互いに顔を見合わせると訝しげな表情を浮かべ、その様子にサラは笑みを浮かべた。


「指名依頼だ。グラム。レティシア。アンタらに、この娘を攫ってほしい」


 サラの言葉に、グラムの目がすぅっと細くなった。


 僅かな沈黙。


 その後にグラムが口を開く。低い声で。


「他を当たれ。俺はどこぞの大泥棒じゃねぇぞ」


 にべもなくサラにそう告げ、憮然とした表情で席を立とうとするグラムの腕をレティシアが掴んだ。

 彼女の目はサラに向けたままである。グラムはそのレティシアの横顔に目を向けると再度、サラを一瞥した。


「サラ? 何でそんな依頼をあたしたちに持ってくるの? むーちゃんが引き受けるわけないよね? 誘拐なんて犯罪行為」


 こちらの目を真っすぐに見ながら問いかけるレティシアに、サラは苦笑いを浮かべた。

 顔つきがまったく異なる筈の今の顔が、かつてリアルで見た彼女とかぶるのだ。


「まぁね。アンタたちの名前を赤くする気はないよ? 睦月」


 かつての名を呼ばれ、グラムは小さく舌打ちをする。隣のレティシアは「ムツキ?」と小首を傾げた


「グラム。この娘を見てどう思った?」


「どうもこうもねぇ。その子は人間。だろ? の」


 本物。


 その言葉の意味するところがわからず、レティシアはグラムの表情を伺う。

 グラムは答えずサラに目を向けたまま彼女の返答を待つ。


「そうさ。ついでにいうとね。外の世界からこの子を攫ってきてくれって、アンタらに頼みたいわけじゃない」


 肖像をトントンと指でたたきながら話すサラの言葉を聞きながら、グラムの目が再び細くなる。


 ただし、先ほどとは異なる強さをもって。 


「帝国で保護。って名目で囚われてるこの子を、外の世界。リムニアに返してやってほしいのさ」

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