大公

「ふぅん。彼女は十分、戦力として役に立った。という事だね?」


 玉座に座るその男は、濃いブラウンの髪をいじりながら愉快そうに顔を歪めると、居並ぶ貴族や高官たちの顔を見回した。

 切れ長の目が自分たちの方に向くたび、彼らの顔に怖気の色が浮かぶ。


「まぁ、どちらに転んでも僕にはどうでもいいことだからね。でもまぁ、皆の反感を買ってまでした采配だ。君も一安心だろう? コルテス」


 声をかけられた男は、恭しく頭を下げると、右手を胸にあてた。

 他の者たちより一歩前に立つその男の、大分後退の進んだ頭部が汗ばんでいる。


「全ては、アルベルト大公陛下の御威光がなせる業。このコルテス。感服いたしましてございます」


「ああ、そういうのはいいよ。そもそもあの子を見出したのは君たち軍部でしょ? 僕は後押しをしただけだもの」


 薄い笑みを浮かべ、左手で頬杖をつきながら右手を払う仕草でコルテスに後ろに下がるように指示すると、アルベルトは視線を高官たちの横、窓の外に向けた。

 彼らの居る王城。その四隅に配置されたタレットの一つ。の亜人に与えられた部屋のある、黒い塔に。


「漂流者、か。まぁ、良い拾い物だったね。外界なんてものがあるなんて誰も知らなかった事だし、そこの亜人にあんな力があるとかさ。大帝が知ったらどう思うだろうね」


 のけ反るように玉座の背もたれに体をあずけ、どこか皮肉めいた言い回しで公然とディアス皇帝を揶揄するよアルベルトの発言に、一同はひきつった表情で沈黙した。


 同意など出来る筈もない。ましてや大公にあわせ笑みを浮かべるなど、もしも帝国の間者にでも知られたら首が飛びかねない。

 所詮この国。アルベルトの治めるビエネス大公国は、ディアス帝国の従属国に過ぎない。あくまで帝国の一部なのだ。宗主国に睨まれるなど願い下げである。


 祖父、エウジェーニオ・ロナ・ビエネス・ディアスは先代ディアス皇帝の弟であり、後に兄帝を支えるべく当時のアラミア王国との境に大公国を建国した。

 帝国に付き従う衛星国家、従属国の王となったのは、兄に対し自分は政敵とはならないことを宣言するためである。

 以後六十年にわたり、ビエネスは帝国との盾として彼の国を支え続けてきた。


 現大公の名はアルベルト・ロナ・ビエネス・ディアス。


 二十歳の時に急逝した父にかわり王位につき、皇帝と年下の皇太子に片膝をついた彼は、祖父や父の様に、心から帝国に忠誠を誓ったわけではない。むしろ心の中では黒い炎を燻らせていた。

 彼からすれば自身もまた帝国の皇位継承者なのだ。

 何しろ自分には帝と同じ血が流れているのである。ならば──と。


「陛下。よろしいのですか?」


 不敵な笑みを浮かべるアルベルトに、横に立つ宰相が問いかける。

 片眉をあげたアルベルトが、目を薄く開き宰相を見た。

 ぎょろりとした灰色の瞳に灰色の髪。一見して神経質そうな痩せぎすのその男は、後ろ手のまま視線をビエネスアルベルトに向けることなく、淡々と語り掛ける。


「大帝にこの件を報告もせずに我らのみで処理するなど、ともすれば問題に──」

「──なんで?」


 被せる様に疑問の声を上げるアルベルトに、宰相がちらりと目を向けた。

 伏し目がちに一泊置くと、再び視線を前方に向ける。


「なんで、とはどういう意味でしょうか」


 アルベルトは食い下がるミケーレに、両手を上げ、やれやれと首を振ると、諭すように言葉を続けた。


「だってさ、そもそもこの星に大陸はアストレアしかないわけでしょ? それは明確な事実というか、子供でも知ってる一般常識なわけだよ。なのに『漂流者を保護しました。よその大陸の人間です』とかさ。馬鹿にしてるのか? って話じゃない?」


 ビエネスの言葉にミケーレは言葉もなく押し黙った。

 アストレアは彼らの住まう星、アース唯一の大陸。アルベルトの言葉通り、それは既に立証された揺るぎない事実であり、ミケーレ自身もよくわかっていることである。


 そのうえでありもしない他大陸の話など、気狂いの所業でしかない。最初から彼には、アルベルトの言葉に対する反論の余地などありはしないのだ。

 その宰相の様子を横目に、アルベルトは再びのけぞる様に深く椅子に座りなおすと、口角をゆがめた。


「まぁ報告のあった世界変異以降、何があってもおかしくないてのは確かだけどさ。どっちにしたってその外界。リムニアだっけ? そこに行った人間なんて誰もいない無いわけだよ。そんなものが本当にあるのかどうかもわからないのに報告したってさ、大帝に一喝されるだけじゃないかな? 『おとぎ話に夢中になる歳でもないだろう?』てね」


「ではあの亜人のことはどうお考えなのですか?」


「亜人は亜人さ。エルフの様な美しさもない。ドワーフの様な技術力がある訳でもない。魔法能力が高いって言ったって、あの娘だけでしょ? 他の連中には何の力もなかったじゃない。どこぞの山奥に住んでる蛮族と大差はないよ。というか、本当に海に出た蛮族が漂流してただけって可能性だって捨てきれないわけだ。なのにそんな蛮族の事をいちいちとりあげてもねぇ」


「ですが──」

「──ミケーレ」


 アルベルトは宰相の言葉を遮ると、人差し指を自身の口元にあてた。

 視線が一瞬背後を指し示す。


「君が何を気にしてるのかはわからないけどね、あの娘たちが乗っていたあの難破船を見ただろう? 彼らの技術力など稚拙なものさ。脅威になどなりはしないよ。我らが帝国にとってはね」


 僅かに強張った色を浮かべるミケーレに微笑みかけると、アルベルトは玉座から立ち上がり、控えたままの貴族高官たちに右手をあげ、退席の意思を示した。 


「もちろん彼の地が資源として魅力的であることに間違いは無いけどね。ただそれだけだよ。だからこそ調査を終えてからで十分だと僕は思うな」


 ミケーレは無言のまま頭を下げ、自分の前を通り過ぎてゆくアルベルトを見送る。


「そういうことにしておこうよ。、ね」


 その耳に小さな、聞こえるか聞こえないか。そんな呟きが届いた。

 頭を下げたままのミケーレの目が、その言葉にすうっと細くなる。


 やがてアルベルトの靴音が聞こえなくなるとゆっくり頭をおこし、肺の中に溜まっていた空気を吐き出し、彼が消えた方向を見つめた。

 ホールでは先ほどまでの静寂はどこへやら。残っていた高官たちがザワザワとした騒音を残しながら玉座の間部を後にしてゆく。


 最後に一人残されたミケーレは、アルベルトがちらりと見やった背後に目を向けた。


 青い、ビロードのドレープ幕が垂れ下がっている。


 玉座の間での帯剣は、基本的にいかなるものでも許されない。が、宰相である彼の懐にはいざという時のための懐刀が忍ばせてある。

 その柄に手をかけ、ゆっくりとそこに近づく。


 もぞり。とドレープの向こうで何かが動いた。


「──っ!」

 反射的に幕に手をかけ、その裏にあるものをさらけ出す。


 言葉はない。


 そこにあるのはただの壁である。

 ドレープが揺れたのも風のせいだろう。


 ──何を気にしているのか。


 ミケーレは胸の内でそう呟くと苦笑いを浮かべた。


 ──ともあれ今度の対策を練らなくてはな。塔に放り込んだあの亜人の事も気になるし。


 そう思いながらテールコートの裾をひるがえし、玉座の間を後にする。


 もしもミケーレに暗殺者としての素養が。高い探知能力があれば気が付けたかもしれない。たった今みたあの壁の前に。青いビロードの後ろに潜伏しているものが居ることに。


 気配も、存在感も。

 全てが認識すらできないほどに希薄な影となった、黒い影。

 黒豹と呼ばれた女が薄ら笑いを浮かべていたことに。

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