導師

着火フリント


 詠唱の完成と共に乾いた音が指先で鳴る。

 莉々のようにフィンガースナップをした訳ではない。

 それでもまるで、それをしたかのように音だけは周囲に鳴り響いた。


 音だけは。


 ガーデンチェアに座る莉々は頬杖をついたまま無言でアルスを見ている。

 直前に彼女が呟いた『NPC一般人レベル』というものの意味は分からないが、アルスにも自分に誇れるだけの素質がないのであろうことだけはわかった。


 アルスは痛みの残る自分の指先を見る。

 僅かに焦げたような匂いを感じ、指先を鼻に近づけると反射的に「うっ」と呟き、硫黄の様な匂いに思わず顔をしかめた。


 気持ちを切り替えるように深呼吸をする。

 ゆっくりと右手を前に構え、頭の中でイメージを練り上げてゆく。

 その口が再び詠唱を開始する。





 魔法は現実に存在する。

 莉々がそれをアルスに告げたのは昨日の事である。


「わかるか、少年。世界を守るその力は、君の手にあるのだ」


 そんな莉々の言葉にアルスの心は踊った。


 莉々からすれば思春期の厨二心を刺激しただけのことである。

 子供をその気にさせるのはたやすい。自分に心酔している相手ならなおのこと。

 両手を握り、瞳を潤ませながら訴えかければイチコロである。

 言葉は要請であっても断る術がない以上、それは強制であろう。


 その日は座学で一日を終えた。


 ほんの数時間、チュートリアルをこなしただけで直観的に魔法が使えるようになるプレイヤーとは違うのだ。

 魔法回路の開放に始まり魔法理論の習得。精神鍛錬。言語理解。エトセトラ、エトセトラ。

 NPCに限らず──設定上は──プレイヤーであってもそれらを理解、実践し、上級にたどり着くまでに数年を要する。

 そのためにわざわざ学園都市だの教育機関だのが、ゲーム中に存在していたのだが、

 ここで問題となったのは、この世界の人間がどちらよりなのか、という点である。


 結果的には莉々の予想通り、現在唯一の生徒であるアルスに関して言えば、習得速度はNPCにと等しいことがわかったのではあるが。


 同時に莉々自身もこの段になって知ったことがある。


 自身の知識の深さである。


 魔法に関する理論から歴史に至るまで、当然のように現実世界で勉強などしたことは無い。

 だというのに、全てがまるで四足演算に等しいレベルで自分の頭の中に入っていたのだ。

 だがそこに大した疑問を感じることなく、「まぁいっか」と、小学生に足し算や引き算を教えるように、アルスを導いた。


 今の彼女には、グラムたちの様に事情を知る者との接点があるわけではない。

 ただ一人、王国に流された漂流者である。


 莉々はまだ知らない。


 ゲームの中のそれらを現実に変えるために、世界が改変されていることを。

 自身もまた、ゲーム世界を再現するためにあらゆる知識を持って再構成された存在であることを。





 呟く少年を前に、頬杖をついたままの莉々が目を細めた。

 莉々の目にはアルスの周りに白い魔力のベールが見える。

 魔力の質としては悪くない。ただし魔力量に乏しい、というのが莉々の見立てである。


「まぁ、魔法の行使が可能なのは確かかな? たまたま目の前に居た少年でもこれだけのことができるなら、当然あたしたちに等しい素養の持ち主がいてもおかしくは無いんだろうし。そう思わない?」


 誰に問いかけるわけでもなく莉々が呟いた。


「たまたま見つけたあの子が天才だという可能性は?」


 あるはずの無い返答。

 そのバリトンにガーデンチェアに座る少女が背後に現れた人影に目を向けた。


「もう覗きはおしまい?」

「覗きをしていたつもりはないんだがね」


 冷ややかな目で問いかける莉々に、クラルは顔色一つ変えずにそう答えた。

 公爵の視線は息子であるアルスに向けられたままである。


「気配を殺して女性の背後から熱いまなざし。なんて、まさに覗きでしょ?」


「いままで高官たちにも見せなかった魔法を息子に教えているとなればな。気にもなるというものだろう?」


 莉々の言葉にさしたる反応も示さないクラルの返答に、『つまらない』と言わんばかりに一瞬視線を空に向けると莉々は頬杖をつく。


「必要が無いのなら、教えても仕方ないでしょう? この世界の常識を壊したいわけじゃ無いもの。わざわざあたしが出張って魔法を広めるなんてめんどくさいだけじゃない」


 莉々の言葉にクラルの眉がピクリと動いた。


「必要になった。という事か」

「そうね。例えばあと二百年あったら。それくらい技術が進歩してたら魔法なんかいらなかったかもしれないけどね」


 バチン。という音とともに、アルスの「くそっ」という声が響く。

 ふむ。と、莉々が思案気な表情を浮かべた。


「おとぎ話でも神話でもなんでもいい。この世界の火の神様、精霊の類でぱっと頭に浮かぶ名前は?」


 口元に手を添え、やや険しい表情の莉々が、視線を向けることなくクラルに問いかける。


「メフテル、だ」


「アルス、詠唱を変えて。聖霊の名前をイグニスからメフテルに」


 莉々からの指示に振り返ることなく頷くと、アルスは再び集中を始めた。

 どうやら様子からして、父──公爵が居ることにも気が付いていない。


 ──大した集中力だ。


 そう思いながら莉々は少年の横顔に笑みを浮かべた。

 能力はさておき、生徒としては悪くは無い。

 長ずれば、あるいは。と。


 一方、父であるクラルは腕を組み眉間に皺を寄せたまま、目の前の光景に複雑な感情を隠し切れずにいた。

 先日見た、莉々の操る魔法。自身の目でそれを確認したとはいえ、それでもやはり認めがたい部分はある。


 自身の知る常識の崩壊。

 わが子がそれに近づこうとしているという現実。


 それを容認するには、彼の頭は常識人すぎた。


 一つ息を吐き前に出る。


 莉々の横に立ち、彼女の横顔に浮かぶ笑みを視界の端にとらえたまま、クラルは口を開いた。


「神の名前などに意味があるのかね?」


 何をつまらないことを。


 莉々はそんな目でクラルを一瞥する。

 一瞥してから自分もまた無神論者あった筈が、すっかりゲーム基準の思考になっていることに、自嘲の笑みを浮かべた。


「信心深くて悪いことは無いよ? ファンタジーの世界では、ね」


「ファンタジーね。ここは荒唐無稽な世界というわけではないのだが?」


 莉々は心の中でクラルの言葉に同意しながら、それでも小さく肩をすくめると「残念」と、答えた。


「必要になった。そういっていたね。では、その君たちの住むファンタジーの世界の魔王が、この世界に攻めてくるとでも?」


「人類が共通の敵として認識できる魔王なら、あたしたちとあなたたちで手を取り合うのも簡単だけどね。残念ながら敵は、いわばあたしたちの同胞なのよ」


 あっけらかんと話す莉々にクラルは眉をひそめた。

 同胞同士で争う、というのはリムニアでは長く起きていない事柄である。

 既にそういう時代は通り過ぎ、長きにわたる平和な時代を謳歌する彼にとって、それはとても前時代的で野蛮な、種として幼い行為に思えたからだ。


「あたしのいた世界じゃ、この星にはアストレア──あたしたちの住んでた大陸しかない筈なのよ。その上で覇権をめぐってずーっと戦争してるの。だから大陸の外に目を向けるのなんかずっと先の話になるのかなーっておもってたんだけどさ」


 ほう。とクラルが莉々を見た。


 星の上には自身の大陸しかない。それが事実であるのならなんともおかしな話である。

 王国は既に世界を正しく認識している。

 逆にクラルたちからすれば、大洋にアストレアなどという未発見の大陸など、ありはしなかったはずなのだから。


「昨日、あたしの友達から手紙が届いてね。そこにこう書いてあった。『莉々の居る世界の人間が、アストレアに漂着してる。帝国はもう、外の世界の存在をしってるかもしれない』ってね」


 頬杖をついたまま、莉々が目線だけをクラルに向けた。

 さっきまでの揶揄うような色のない、真剣なまなざしを。


「もしも、容易く手に入れられる資源が、土地がすぐそばにあるのなら、アンタならどうする?」


「──容易い、かね?」


 莉々の問いかけにクラルは眉を寄せた。

 すぐそばにある土地、資源。というのはリムニアの事であろうことは間違いない。

 自国を攻め落とすことが容易いと侮られるのは、国の要職につくものとしてはうべなえるものではない。

 だが──


「容易いでしょう。なんならあたし一人でも、この城を制圧するくらいは片手間にできそうだし」


 まるでどうでもいいことの様に話す莉々を前に、そうなのだろう。と、クラルは納得することしかできなかった。

 腕の一振りで湖を割り、軍が苦戦する怪物を個の力のみで瞬殺する人間である。

 一軍に匹敵する、などと言う言葉では足りないだろう。


「さして戦力を投入することなくそれが可能だというのなら、資源の確保に手を付けるかね。戦が長いというのならなおの事。戦争の継続には金がかかる。いや、そもそも戦など、資源を求めての行為だろう? 別にそのの大陸にこだわらないのであれば、その容易い世界に進出し、支配権を確立することで、そもそもの目的は達成できる」


「て、感じ」


 莉々はクラルの言葉に手をひらひらとさせて答えると、再び目線をアルスに戻した。

 実際には資源の確保など大した問題ではない。

 帝国が求めているのは国が潤うことではなく、純粋に覇権である。

 少なくともゲームの頃はそういうものだったし、実際、矛盾した侵攻もクエスト上では何度もあった。

 あの国は今もそうなのだろう。と、莉々は思う。友人からの手紙の端々にもそう判断させるだけの材料があった。


「まぁ、どう転ぶかはあたしにもわからないけどね」


 呟く莉々の言葉をどこか遠くに感じながら、隣に立つクラルは目を閉じ、天を仰いだ。


 彼からすれば国の命運をかけた大事である。もはや一領主のみでどうこうできる話でもないだろう。

 もっとも、莉々の話を全面的に信じるのならば、だが。


 薄く目を開き、照りつける日の光を遮る様に右手で影を作る。

 ゆっくりと息を吐くと、覚悟を決めたように隣に座る少女に再び目を向けた。


「魔法があれば、対抗は可能か?」


 問いかけるクラルの声は重い。


「無いよりはマシってだけ。大陸の戦士は、剣のみをもってウミヘビを切り伏せるし、弓兵の放つ矢はこの世界の大砲がおもちゃに思える程よ?」


 視線を向ける事もなく莉々はそう答えた。

 その言葉にクラルは腕を組み押し黙る。どのみち今のままではその帝国とやらに対する対抗手段などないのだ。

 懸念は残るが莉々の協力、魔法という戦力は是が非でもほしいところではある。


「ひとつききたいのだが、いいかね?」


 莉々が首を傾げ、クラルに質問の継続を促す。

 男は一歩前に出ると口を開いた。


「何故、我々に力を貸す。望みは何だ? 無償でそれをするほど、君はお人よしには見えないが」


 ご名答。


 その言葉を口に出すことことなく、莉々は一枚の紙片を懐から取り出した。

 先日、フクロウが莉々に運んだ紙片の一枚である。

 一枚は友人からの手紙。

 そしてもう一枚の差出人はもはやこの世界には居る筈の無い、ただし未だ莉々はそのことを知らない相手からである。


 クラルはその手紙を莉々から受け取ると目を通した。

 当然の様に読むことはできない。リムニアとは言語が異なる文字。日本語で書かれているのだから。

 怪訝な表情浮かべ、莉々に目を向けるクラルに対して少女は肩をすくめた。


「クエスト」


「?」


 莉々の言葉にクラルは首をかしげる。


 クエスト? 探求?

 何の? と。


 同時に少年の歓声と「あちっ!」という声が二人の耳に飛び込んだ。

 満面の笑みで振り返った少年は、ようやくそこに自身の父親の姿を見つけ、その笑顔を引きつったものに変えた。


 今更か、と肩をすくめるクラルを横目に、莉々はやれやれ、と俯きまがら額に手をあて深くため息をつき再び天を仰ぐと首をポキポキと鳴らした。


「ゲームでもないのにね。発行されたのよ。クエストが」


 莉々の何処か年経た男性のようなその所作に違和感を覚えながら、クラルは次の言葉を待った。


「リムニアを。王国を守護せよ。ってね」

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